第34話 借家を見学
旧キリアス王国貨幣の処理を他の部門に丸投げすることに決め、物件情報を纏めたファイルを抱えたレイドル副部長と共に一階に降りて馬車を待つ。
これから二人で借家を見て回るのだ。
すると商業ギルドに入って来た二人組が俺に気が付いたようだ。
「クレスト君!」
転生してから一番聞き慣れた声、ケルンさんだ。
「あっ、お二人ともおはようございます。
これから例の?」
「ええ、そうです。クレスト君は?」
「家を借りようかと。
レイドル副部長が割引してくれると言うのでつい…」
「家をですか! それは良いですね」
家と聞いて、
「決まったら後で教えてくれよ。エリスに手伝いに行かせるから」
とバルドーさんが混じってきた。このセリフ、冗談か本気か分からないよ。
そのバルドーさんに、レイドル副部長が声を掛けた。
「バルドーさん、ですよね。
確か今日は新商品の打ち合わせでしたね?
ケルンさんも同席すると言うことは、余程売れると確信しているので?」
部署は違えども流石に副部長か。
よく予定を把握しているね。きっと商業ギルド内部で横の連携が取れているんだろう。
それか他部署にスパイを送り込んでいるか、だな。
ケルンさんが同席しているから売れるって、ケルンさんはそういう見極めが得意な人ってことかな?
確かに売れない商品を荷馬車に積んで行商しても、錘になるだけで儲けにならないもんね。
「ケルンさんもたまにはトレーニングをご一緒しましょう」
「レイドルさんのトレーニングは激しいので遠慮させてくださいょ」
「日々の鍛錬を怠ると、盗賊に思わぬ遅れを取りますよ」
あ、この二人は商業ギルド格闘技部の人達だったな…今俺が決めた。
「そうだ、クレスト君も商業ギルドに登録しませんか?
冒険者ギルドより物理的に安全に稼げますよ。商才もありそうだし。
ケルンさんと行商をしてみるのはどうでしょうか?
仲も良いみたいですし」
と言って俺の肩に手を掛けるレイドル副部長。
いや、貴方は単に格闘技部のメンバーを増やしたいだけですよね?
「いえ、俺には商品開発とか商売の才能とか無いので」
「それはどうでしょうか?
私のような者でも不動産部の副部長ですからね。
クレスト君なら、すぐに頭角を現すと見て大丈夫だと思いますが」
表立って商品開発に携わるようなことは、なるべく避けたいんだよね。
俺は人を使って自分が欲しい物を作ってもらうだけでいいんだから。
その為なら幾らでも資金を出すよ!
…ある意味社長だよね、この考え方ってさ。
それからケルンさんとバルドーさんが占有販売権を担当する部署の人に連れられて奥に行くのを見送る。
しばらくすると中年の御者さんが迎えに来たので、早速馬車に乗った。
城門内の道も舗装はしていないけど、極端な轍や凸凹が無いのでケルンさんに乗せて貰った荷馬車と比較すると乗り心地は良い。座席にもクッション性を持たせているのだろう。
そうだ、将来の為に特注の馬車の構造を考えておこうか。
この世界の馬車の不便さを解消するには、かなりの試行錯誤が必要だろう。
それにしても、人通りがあるので馬車より歩く方が早い気もするけど、歩き回るのは疲れるからなんだろうか?
けどさ、俺もレイドル副部長も街中を歩いた程度じゃ疲れないと思うけどね。
恐らく『不動産のご相談は商業ギルド不動産部へ』って書いてある看板を通行人に見せたくて、それでこの馬車を走らせているんだろうな。
午前中を丸々使って五軒の候補を見た結果、商業地区の外れにある庭付きで二階建ての建物、おまけの三階が付いている物件に決めた。
ところがここが、レイドル副部長の言っていた事故物件らしいのだ。
やっぱりこの家を早く売りたくて、最初から割引をちらつかせていたんだと思う。
数年前に殺人事件が起きた現場だと聞けば、気にする人には売れないだろう。
でも俺は一度死んでるし、スライムのお陰で人として生きている訳だし、血がべったり付いているとか、刃物の痕が残っているとかそんなのも無いから、事件を知らない俺はそんなの全然気にしない。
敷地は幅、奥行き共に三十メートル程度の正方形だ。
建物自体は石組みと木材の補強付きのしっかりした造りになっていて、地下倉庫があるのはポイントが高い。冷蔵庫が無いからね。
建屋のサイズは八畳間を六部屋並べて少しお釣りが来るくらいだと思う。
一階は玄関ホール、リビング、厨房、食堂、トイレ、湯浴み場、洗濯場、倉庫。
二階は幅二・五メートル程の縦長の同じサイズの部屋が四つ並んでいるのと、トイレと水場。
全室南向きの細長い部屋って、ワンルームマンションみたいな作りだな。
これならどの部屋でも陽当たりを気にしなくて良い。
三階は広めの一室と倉庫、二階の屋根を利用した洗濯物干し場になっている。
最終的にここに決めた理由は、湯浴み場の広さだ。
後で改築するにしても、狭い物を広くするのは難しいからね。
そうそう、この国には手押しポンプがあるんだけど。
この家の厨房の壁にあるドアを開けたら、縦横一・五メートル四方の小部屋になっていて、その中央に手押しポンプ付きの井戸があって驚いた。
元々は家の外にあった井戸を屋根続きにした感じかな。
水道が無いから、宿屋では中庭の井戸で水汲みしてたからな。
それと気にしていなかったけど、長さの単位もメートル単位系とほぼ同じで、ミリ(メトル)、センチ(メトル)、メトル、キロ(メトル)という単位が使われていた。
これは名も知らない現代人(転移か転生かは関係無く)か、もしかしたら骸骨さんが前世で広めたのかも知れないね。
他にも下水道がこの街全体を網羅するように整備されているし、柔らかいパンも存在していたから、それらも現代人の知識が活かされているのだとしたら先輩に感謝だな。
でも気になるのは、町のあちらこちらに手押しポンプの穴が掘ってあって、かつ下水道も通っている…これって下水道の壁が破損して、汚水が地下水に混入するリスクは無いのだろうか?
手押しポンプの揚程は八メートル程度だから、下水道はそれよりもっと下を通っているのだと信じたい。
と言うか、その下水道をどうやって掘ったのか知らないけど、保守点検はちゃんとやってるんだろうね?
下水道の破損なんてマジで洒落にならないからね。
それに人口五千人のこの町の需要を満たせる豊富な地下水があるってことは、下水道自体が地下水の中に埋もれているような感じがするんだけど。
ヒューム管を使った水路じゃなくて、アーチ型のトンネルにレンガを貼ってあるだけらしいし…物理的に大丈夫か、これって?
それでも成立してるって言うんだから、ご都合主義と言うか、ファンタジー世界万歳と言うか…考えたら負けた気になる。
一旦頭から下水道の事は振り払い、建物から庭に出てみると、南向きの少し広めの前庭と、建物裏にも裏庭があって倉庫のような小屋がある。
井戸のあった部屋がポコッと壁から飛び出している。
そして敷地の境を示すように、ぐるりと木製のお洒落な柵が立てられている。
庭には目隠しとして高さ二メートル程の植木も植えられている。恐らく常緑樹だろう。
庭木には詳しくないけど、白い五角形の花が咲くカルミアに似ていると思う。
そして悲しいかな、現代人の習性と言うべきか、庭に余裕があると自動車があれば何台駐車出来るかと考えてしまう。
この国には前輪が舵の効かない馬車しかない。ぐいっと曲がれないから、馬車を門から敷地の中に入れるのは不可能だろう。
もし運良く入れたとしても、方向転換する為のロータリーは設置出来そうにない。
そんなのがあるのは貴族様の御屋敷くらいだろう。
「では、この物件で宜しいですね?」
「はい。湯浴み場に浴槽を設置するならここが一番良さそうでした。
改築して良いのは有難いですね」
レイドル副部長が手持ちのファイルを閉じて鞄にしまう。きっと頭の中では事故物件を処分出来たと喜んでいるに違いない。
俺がこの物件に決めたことにとても満足そうなレイドル副部長には少し腹が立つが、一年間『南風のリュート亭』に宿泊することを考えれば、やはり落ち着けるマイホームがある方が良いに決まっている。
「改築には腕の良い職人を紹介します。
新しい物好きな人なので、色々試してみるのも面白いかも知れませんね。
契約と、後の細かな話はギルドに戻ってからにしましょう」
そして俺を馬車に誘導し、さっさと馬車を出すよう御者に指示を出す。
この人、役職は副部長だからやっぱり忙しいんだろうね。こんなに時間を取らせて良かったのかな?
と言うより、普通はこう言うのって部下に任せるんじゃないの?
これが商業ギルドの方針だと言うなら別に良いけど、VIP待遇過ぎないかな。
街中をゆっくり馬車で進み、商業ギルドに戻る。
二階の不動産部の応接室で、豪華なソファに座って出されたお茶を飲みながら休憩する。
馬車の中で十分休憩出来たと思うだろうけど、隣にレイドル副部長が座っていたから落ち着かなかったんだよ。
契約書が出来るまでの間、商業ギルドが扱っている商品の目録を見せてもらう。
気になるのはやはり食材と調味料だ。地球と同じか違うのか、まだ良く分かっていないからね。
とは言うものの、写真は無いし、イラスト付きとイラスト無しがあって、名前だけでは判断出来ない物もある。
今まで食べた野菜は収穫時期を除けば地球とほぼ同じだったから、単に俺が知らない食材や調味料なのかもね。
それから十数分くらい経った頃に、レイドル副部長が金融関係の専門部署の人を連れて応接室に入ってきた。
名前は聞いたけどすぐに忘れた。確かモブっぽい名前だった…カネール…カーネル……あ、カルーネだったか?
「元々は一年間の借家の契約予定だったところを、気に入って頂きご購入となったと聞いております。
それで宜しいでしょうか?」
とカルーネさんが確認するので、はい、と答えた。
「では、レイドル副部長の提示された一年間契約の賃貸料は大銀貨三百四十枚で、クレストさんの買い取りは家賃三十年分の大銀貨一万飛んで二百枚となります」
と言ってカルーネさんが計算書をテーブルに置いて見せてくれた。間違いは無いねと確認していると、
「カルーネ、随分中途半端だな。
その端数、どうにかならんか?」
とレイドルさんが何故か横槍を入れてきた。
「レイドル副部長、お言葉ですが…是でも赤字に」
とカルーネさんが額に汗をかきながら反論しようとしたところで、
「カルーネ、クレストさんがこの街に定住するかどうかは、君の肩に掛かっていると思わんかね?」
と恐喝でもしているような雰囲気をレイドルさんが醸し出している。
「では…大銀貨百枚を引いて…」
「カルーネ、俺が何故十五パーセントオフにしたのか、分かっておらんな。
この程度の計算が出来んボンクラだとでも?
これなら丁度切りが良いと考えたことを理解して欲しい」
「あの…はい…では…丁度大銀貨一万枚で」
モブ夫ことカルーネさんがレイドル副部長の鋭い視線にガクブルしながら、泣く泣く金額を訂正してくれた。
俺としてはそこまでしてくれなくても良かったんだけど。まあ、出す大金貨の計算が楽になったから良いけどさ。
大銀貨一万枚は大金貨で出せば百枚、白金貨なら十枚になる。
大金貨は三百枚、白金貨百枚以上は持っていたから楽勝で払える。
今は全貨幣を商業ギルドに渡して、ギルドカードにデータとして入っているから貨幣の枚数なんて気にしなくて良いんだけどね。
カルーネさんが経理処理を終え、レイドル副部長から契約書を渡されたのでツラツラと眺める。
こんな体験は初めてだから、正直言ってあまり分からない。
契約書の最初の項目が土地の使用権、次の項目が建屋の譲渡に係わる物だと教えてもらい、一番下のサイン欄に『クレスト』と書き込む。
これで土地と建物一式の売買契約を完了したことになり、俺も異世界で一国一城の主となった。
あまりにもあっさりと家を買うことが出来て拍子抜けだよ。