第20話 試作を終えて
『エメルダ雑貨店』で試作品が出来上がるのを待つ間、町に出て昼食と散歩で時間を潰すことにする。
屋台から漂う肉汁の焼ける匂い釣られて正体不明の串焼き各種三本と、冷えていないジュースを購入する。屋台の横に接されている年季の入ったベンチの端っこに座って、一本目の串に齧り付く。
鶏の腿肉のような感じで、脂がジュワッと溢れてくる。それに岩塩と何かのハーブを振りかけただけだと思うけど、意外と旨い。
「おっちゃん、これ旨いなっ!」
「気に入ってくれたか! そりゃー、何より」
「思ったよりな~っ」
「だよ……おいおい、そりゃ無いだろ」
そんな会話を楽しみながら、二本目、三本目と続けて食べる。
砂肝程ではないけどコリコリした触感のあっさりした串と、弾力のあるハツのような噛みごたえがある串だった。
ジュースはオレンジ色だから味もオレンジの味だと思っていたら、それ程の甘みがなくてサッパリしていた。串焼きに合う飲み物をおっちゃんは用意していたのか。
うん、それでもやっぱり冷えている方が美味しいだろうね。冷蔵庫は必要だと改めて思う。
皿とコップを返却し、
「ご馳走様でした」
とおっちゃんに言うと、
「どこかの貴族様でしたか!」
と慌てて頭を下げられた。面倒だけど、言い慣れた言葉にも注意しなきゃいけないって再認識。
周りの人を見て真似するようにしよう。
食後の運動ついでに両替商に寄って、昨日と同じで各貨幣を五十枚ずつ両替した。
今の宿屋が二泊で大銀貨四枚だから、手持ちの大銀貨はあと三週間ちょっとの宿代にしかならないから念のためだ。
勿論今日も店員さんがニコニコ顔で対応してくれた。
それから気分転換と人間観察の為に、あちらこちらのお店や屋台を冷やかしながら時間を潰して『エメルダ雑貨店』へ戻る。
ご主人はバルドーさん、娘さんがエリスちゃんって名前だから、エメルダって奥さんの名かな?
お店のドアを開けると、チリンチリンと鳴ったドアベルの音で直ぐにエリスちゃんがすっ飛んで来た。
「お帰りなさーい!」
と満面の笑みで出迎えてくれる。きっと上手くピーラーが出来たんだろう。
少し時間を置いてバルドーさんとおばさんが奥から出て来た。多分バルドーさんの奥さんだろう。
「貴方がクレストさんね?
素敵な商品を教えてくれてありがとうございます。
早速で悪いけど、試して貰えるかしら?」
「おいおい、挨拶ぐらいしたらどうだ」
「あら、ごめんなさい。バルドーの妻のエメルダよ」
新しい調理器具にテンションが上がっていたらしく、エメルダさんがバルドーさんに窘められた。
「私は不器用だから包丁が苦手なのよ。こんな素晴らしい物を教えてくれるなんて!」
と言ってエメルダさんに手を引かれて厨房へ。
この国では年中色々な野菜を収穫出来る。理由は定かでは無いが、土壌に魔素と呼ばれる不思議なエネルギー成分が含まれているからだと言われている。
だからこの国は農業大国として成立出来ているのだ。
それなら南方系の植物もこの地で育つのでは?と思ったら、そうは問屋が卸さない。
自生地から遠く離れた場所に運んでも栽培が出来ないのだとか。不思議だね。
包丁は苦手だけど豆知識なら家族で一番と胸を張るエメルダさんにそんな事を教えて貰いながら、ジャガイモの皮をシャーっと皮剥き器で剥き、季節感無視のキュウリをスイスイと薄切り器で薄く輪切りにしていく。
「おおーっ、これですっ! いい感じ!」
完成形を知っているだけに、再現度の高さに大満足だ。
試作品なので刃の切れ味はもう少しと言ったところだけど、ここまで出来たのなら製品化もすぐに可能だろう。
皮剥き器の刃を交換式にするか、それとも使い捨てにするかが悩むところだな。
加工のし易さを考えれば固定式だけど、ランニングコストを考えれば刃だけ交換出来るようにした方が良いに決まっている。
それにこの世界には使い捨ての文化は無いだろうし。
バルドーさんの作った薄切り器は刃の角度と輪切りの厚さを決める隙間を調整するだけで良さそうだ。
そこを微調整して製品化してもらえば良い。
細かなところは職人さんに任せるべきだ。
後は食材を押さえるホルダーを付けないとね。
別売りじゃなくて純正品の付属として売らないと、危険な物を売ったと訴えられるかもね。
製造物責任法があるかどうか…あ、無いのね。なら別売りかな。
でもスライサー本体よりホルダーの方が作りにくそうなんだよね。だって樹脂を射出成形して作る技術が無いから、手彫りで凸凹を作る必要があるもんね。
「あなた、販売価格は幾らにする?
そう高くはならないわよね?」
「刃を交換式にすれば、本体はずっと使えるからな。
皮剥き器の本体は銀貨二枚から三枚、刃を銀貨一枚から一枚半。
薄切り器の本体を銀貨四枚から五枚、刃は銀貨二枚から三枚で調整しよう。
研げばまた使えるから、これは初期投資だな」
とバルドーさんが言うと、エメルダさんもエリスちゃんも満足顔だ。
しかし皮剥き器が安くて銀貨三枚って?
いや、一個一個木と牙を切り出しての手作りだ。かなり手間暇を掛けてるから当然か。
刃を交換式にしたから本体が割高になるのは仕方ない。それに材料費だってあるし。
そう考えれば銀貨三枚って寧ろ安過ぎないか?
赤字にならないように気を付けてね。
それで月産は幾つぐらい目標で?
って、おいおい、いつの間にか俺の頭は儲ける方向に考えがシフトしてんじゃないか。
俺はこの小さなお店を潰さない為に…まだこの店が潰れそうだとは聞いてないけど、きっと大型店のせいで苦労してるに違いないから、売り上げに協力しようと思っただけなのに。
「クレストさん、この商品はどのように扱いましょうか?
申請すれば『占有販売権』を得ることが出来ると思いますが」
とエメルダさんが聞き慣れない単語を言う。
特許は無いってケルンさんから聞いてたけど、
「済みません、占有販売権ってなんでしょうか?」
と聞き返す。
聞くのは恥では無い。知らないまま聞き逃す方が寧ろ後で恥をかく目に合うからね。
「今迄に市場に出ていない商品を初めて作った人しかそれを売れないようにする権利よ。
せっかく開発したのに、よそに真似されちゃ大損でしょ?
だから専売期間を設けて、その間にたくさん捌いて儲けることが出来るんです。
普通なら新商品の開発費って馬鹿にならないもの。
専売期間中に模倣品を売ったお店や個人は処罰されるのよ」
「期間は一年更新だよ。商業ギルドが詳しく教えてくれるし、手続きもやってくれる。
皮剥き器も薄切り器も最初の一年は馬鹿売れ間違いなしだよ!」
とエメルダさんとエリスちゃん。
バルドーさんはこの手の話には向いていないのか、ずっと無口だった。
なるほどね。特許権と似てるけど少しアプローチが違うのか。
「あの、占有販売権は俺が持つんじゃ無くて、このお店が持つんですよね?」
と聞いてみるが、すかさずエリスちゃんが、
「はぁっ!? 何の馬鹿を言ってんの?
あんたに決まってるでしょ!」
と呆れた様子だ。
いや、俺、そんな権利いらないし。
「そうですよ。このアイデアを出した人の権利ですから。我々はあくまで試作しただけ。
もしこの店で作らせて頂けるなら、加工賃等を頂くだけですよ?
試作の費用は幾らか請求させて貰いますけど」
とエメルダさんが作らせて頂戴と俺の顔色を窺う。
俺としては、全てこの店に投げてしまいたい。勿論儲けはお店の物にして構わない。
どうするかな。俺に占有販売権の事は言わずに、勝手に作って勝手に売って儲けることも出来ただろう。
いい人達だよな。
こうなりゃ毒を食らわば皿までの精神だ。
ついでに石鹸とシャンプーを作ってもらおうか。
絆創膏の事も相談してみよう。
石鹸は廃油を利用した手作り石鹸を課外授業で作ったことがある。ゆとり教育の恩恵だな。
苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)は危険物だから、これの取り扱いだけは要注意。これをソーダ水なんて美味しそうな名前で呼ぶんじゃねぇよ!
それに腐食しない容器も必要で、鉄鍋じゃ駄目だと思う。石をくり抜いて鍋を作るか。ホーロー鍋でも良いか?
苛性ソーダの換わりに灰汁とグラウンドのライン引きに使う白い粉…を使うんだっけ? あれ、どうだっけ?
問題はシャンプーだ。成分はやっぱり希釈した水酸化ナトリウムが主で、アミノ酸で保護するんだったかな?
米のとぎ汁がシャンプーの替わりとかテレビで見たような気がするけど、ほんとかな?
椿油とか使うのは保湿だっけ? 艶出しだっけ? うん、分からん。
研究するにしても伝手が無かったのでおいおい考えるつもりだったけど。
その手の仕事が出来る人を探して貰えないか、聞いてみるか。
「えっとですね、皮剥き器と薄切り器に関する一切の権利はこのお店に譲渡します」
と断言する。
百均で売ってるような品物で儲けるなんて寝覚めが悪いからね。
バルドーさん達が「そんなことは許さない」とか息巻いているけどそれを手で制し、
「その代わりに人と場所を提供して欲しいんです。
研究段階で情報が漏れないように信頼が出来て口の堅い人。ちょっと危険な薬品を使うかも知れないので、几帳面な性格の人が良いです。
それと煮炊きの出来る場所。出来れば排水がしやすい場所で」
条件はそんな所か。異臭騒ぎとか起こさないように気を付けてもらおう。
「どんな商品か聞いても?」
と慎重になるのはバルドーさん。怪しい奴が本性を現した、とか思っているかな?
それも当然だと思うけど。
「一つ目は泡の実より優れた性能を持つ洗浄剤で、手や体を洗う用と、頭髪用の商品です。
良い香りも付けたいです。
二つ目は料理してて指を切った時とかの応急処置に使う物。
治癒魔法を使わなくても治るけど、治るまで時間が掛かる傷を保護するための物です」
消毒用アルコールは酒造ギルド案件だと思うけど、話してみると衛生、消毒の概念がほぼ無かった。
細菌もウィルスも肉眼では見えないから、説明のしようが無いので困る。
怪我した時は、最悪は治癒魔法に頼るんだけど治療術は高額らしく、庶民レベルでは気軽には頼めないとか。使える人は根こそぎ軍関係に引っ張られていくそうだ。
だから教会に行っても治癒魔法の使える人はほぼ居ないとのこと。それじゃ職人さんとか怪我したら即引退になるぞ。
教会に行けば怪我が治ると思っていたのに残念だ。
あれはゲームでしか通じない常識だった。
「どちらも簡単には作れない物だけど自分が欲しい。
特に二つ目のは何も目処が立たなくて。研究所を作って誰かに製法を確立して欲しいのです。でも伝手が無くて。
それと俺の代わりに動いてくれる人が欲しくて」
いきなりはっちゃけ過ぎたかな?
でも不便な生活を少しでも早く改善したいって思いもあるんだよ。やっぱりこの世界で暮らすのは不便だからね。
「ここは狭いから、店の方でお話ししましょう。エリス、お茶を淹れてね」
確かに色々と荷物が置かれていて生活感のある厨房だから、込み入った話をするには適さないな。
続きの話は場所を移してしよう。
クレストが簡単に作れると言っているのは、水酸化ナトリウムを使った石鹸作りしか経験がないからです。
石鹸はレシピ通りに水酸化ナトリウムを使うと簡単に作れますが、灰を使うのは面倒くさいです。