第139話 久しぶりに雑貨店へ
ブリュナーさんと青嵐のベルさんが手合わせをして、互いに蹴りを入れたところで試合終了。
ぶっちゃけ、『おら、ワクワクすっぞ!』的な展開はノーサンキューだから、お互いに蹴りの一発ずつで終わって良かったもんだ。
そのベルさんがオリビアさんの『光輪』を見たい、壊したいと言うのだから困ったものだ。
運良く『紅のマーメイド』の四人が訪問してきたので、彼女達と子供達も連れて町の外で性能検査をしてきてもらおうってことにしたのだが。
「パパは一緒に行かないの?」
とルーチェが不満げな顔を見せると、
「クレ兄はエマ母さんとデートなんだって。邪魔したら絶対ダメなんだ!」
とロイが即座にルーチェを窘めた。
残念だがデートではないので、それでルーチェが納得したことは複雑な心境だな。
「えっ!?
あぁ、そうか、エマさん引っ越しもしたし、クレストさん…結婚したのよね?」
「おめでとうございます」
「エマさん、おめでとーっ!」
「クレタン、やったのね?
私達が死にそうな程の修行をしてた間に」
「いやいや! 結婚してないし何もやってないし!
デートじゃなくて商店とギルドを回るだけだからさ!」
「そうですよ!
結婚なんてまだ先です!
お父さんにも会わせていないし」
アヤノさん達が何か数段階先のとんでもない勘違いで祝福しようとするので、それはさすがに慌ててやめさせた。
それとエマさん、いくら慌ててるとは言え、今はお父さん関係ないからね。俺も会う予定は無いんだし。
そんな俺とエマさんの様子を見てオリビアさんとシエルさんは顔を見合わせて何故か軽く溜息を吐く。
きっと彼女達にも結婚願望があって、相手が決まっていないから出てきた溜息なのだろう。
そうこうしている間にベルさんが手早く子供達に話を付け、マーメイドの四人に有無を言わせず付いてくるようにと指示を出す。
ベルさんの部下ではないのでベルさんの言いなりになる必要は無いのだけど、四人が右手をコメカミに当てる敬礼と『イエッサー』と言う返事で了解の意を現した。
何処かの軍隊の新兵訓練みたいな作法まで外道勇者が広めたのかよ。確かに日本人もアレはやりたくなるから気持ちは分かる。
分かるけど、折角の異世界情緒が台無しになるのでそう言う文化の普及はして欲しくないのだけど。
それにロイとルーチェも既に「イエッサー!」と真似してるからさ…。
ブリュナーさんがあっという間にベルさん組のお弁当を用意して持ってきた。
お弁当作りはマジックバッグに収納している作り置きを詰め替えるだけの簡単なお仕事だからね。出来立てホヤホヤの料理をいつでも提供出来るマジックバッグは本当にありがたい。
代表してお弁当を受け取ったセリカさんがとても良い笑顔を見せたのは、ブリュナーさんの料理が食べられるからだろうね。
そのセリカさんの肩にルーチェが乗ったところで、ベルさん達が長居は無用とばかりにサッサと家を出ていった。
そんなに急いで出て行く必要は無いと思うし、マーメイドの四人の修行の話も聞けてないし。
まあ興味本位なので慌てて聞く必要はないから、明日にでも聞けば良いか。
出て行く七人を見送った後、
「親方様とエマさんはお出かけですね。今から出られますか?」
とブリュナーさんが聞いてくる。
急いで出掛ける必要は無いのだが、特に家に居てもやることは無い…やろうと思えば籾摺り機の設計でもしていれば良いのかも知れないが、今はそんな気分じゃない。
どうせなら夜中に落ち着いてのんびりやりたい。
それに最近訪問していない『エメルダ雑貨店』のことも気になるので、早いうちに様子を見に行こうと思う。
エマさんもお出掛けの準備が済んでいるようなので、
「うん、今から出てくる。お昼は外で食べてくるよ。帰りの時間は分からないから」
と答え、エマさんに
「じゃあ行こっか」
と声を掛ける。
ニコリと頷くエマさんが俺の手を取って、
「行ってきます」
とブリュナーさんに挨拶。軽く会釈で見送られて二人で家を出る。
そこでばったり出合ったお隣の奥さんは相変わらず俺とエマさんの関係を勘違いしたままだったので、やんわりと否定しておくが効果は大して無さそうだ。
人は一度思い込むと、中々方向修正が効かないので諦めよう。
これがその事でエマさんが機嫌を損ねるようなら抗議をするのだけど、エマさんもお隣さんと楽しそうに喋っているので俺一人が抵抗勢力になっても意味は無い。
逆に空気を読んでよ、と言われるかも。
それからいつもの道を歩いて久しぶりに『エメルダ雑貨店』へ。
ドアを開けるとチリンチリンとドアベルが鳴り、奥から「はーい!」とエリスちゃんの声が聞こえた。
店番をしていないってことは、いつもはバルドーさんが使っていた作業場で何か作っていたのかな?
奥から出て来たエリスちゃんはデニム生地のような素材で出来たストレージベストを着用していた。
二つのポケット部分がノミや金槌などの工具を収納するホルダーに変更されたバージョンで、職人さん達の人気モデルらしい。
そう言えば、この店に一番最後に来た時に彼女がこのベストを買いに行ってたので会えなかったような記憶がある。
遠征に行く前だったから、もう随分会っていないな。
「えーと、どちら様でしたっけ?
…とは言わないけど、久し振り過ぎない?」
と少し刺がある挨拶に苦笑する。
「チャムさんが居る間は店に近寄るなって言われてたからね。
今は商業ギルドが借りてる建物で洗浄剤の研究をやってるんだよね?」
「そうよ。まぁ少し揉めたけど…そこはクレストが悪いって訳じゃないから」
厭なことでも思い出したのか、エリスちゃんが少し顔をしかめた。それは短い時間で終わり、
「それよりクレストのお陰でコッチはテンテコダンスの真っ最中よ。
パパを引き抜くなんて狡いわ。皮剥き器と薄切り器の関係、全部私の仕事になっちゃったんだから」
と言って頬を膨らませる。
その関係でどんな仕事があるのか知らないが、それは済まんと内心だけは謝っておこう。
「あらあら、エリス、嘘はいけないわよ。事務処理は私に押し付けてるじゃない」
そう言って笑いながらエメルダさんが奥から出て来た。
そして俺の隣に立つエマさんを見るなり、
「そちらのお嬢様が噂のエマさんね?
可愛いじゃないの」
とウィンクを飛ばしてくる。
どんな噂か気になるが、恐らく間違ってる情報が流れているのだろう。
エメルダさんがエリスちゃんにお茶を出すよう指示をしてから俺達に椅子を勧める。
「私はエメルダ。よろしくね。
クレストさんにはとてもお世話になってるわ。
さっき奥に入ったのが娘のエリスで、今は工房主を任せているのよ。
主人は今は新しい雑貨店の立ち上げで…これ、どこまで言って良いのかしら?」
『ガバルドシオン雑貨店』は表向きは不動産王のスイナロ爺さんがオーナーを務めてることになっているが、それは名前を借りただけ。
実際は俺がオーナーで、骸骨さんの遺産を使って立ち上げる。
エメルダさんが引っ掛かっているのは、オーナーが俺だと言っても良いかどうかだろう。
エマさんならきちんと分別は付くし、教えても悪い事にはならないと思う。
それにずっと冒険者ギルドに勤めるかどうかも分からないし、もし退職したらガバルドシオンに勤めてもらうのも良いかも知れない。
「エマさんには話しても大丈夫だよ」
「そうですか。それなら主人のバルドーとガバス鍛冶工房、それにシオン雑貨店が合併して『ガバルドシオン雑貨店』が出来るんですよ…」
エメルダさんがバルドーさんから聞いた経緯をエマさんに聞かせているうちに、エリスちゃんがお茶を運んでくる。
「お陰で私が工房主よ。パパも良く思い切ったものね。
私には荷が重いんだけど」
と言って溜息をつく。
今までは品物を作って売るだけの立場だったのが、いきなり看板を背負うことになったのだから愚痴の一つも言いたくなるだろう。
「そりゃ、こんなに可愛くて腕の立つ私ならお店の一つぐらいは何とか出来るわよ」
腕が良いのは認めるが、自分で可愛いとか良く言えるな。
「で、そちらのエマさんとの関係は? まさか彼女さん? 色々噂は流れてるけど、もう結婚したのは本当なの?」
どこからそう言う噂が流れるのやら?
それに俺みたいな大して活躍していない冒険者の噂を流す意味も無いだろうに。リミエンの人達って、そんなに話題に餓えてるのかな?
「エマさんはウチに下宿してるけど、彼女とか付き合ってるとか結婚してるとかじゃないよ。
ウチの料理が気に入ってて料理の勉強をしてるんだ。
どうしてみんな結婚してるって言うのかな?」
エマさんは男爵家のお嬢様なんだから、俺とは結婚出来ないだろ?
よほど変な相手やイヤな相手と結婚させられるとかでない限り、俺はその話題に触れるつもりも無いし。
「あんたねぇ…それは本気で言ってるの?
でも…それなら私の旦那様になってくれる選択肢が残ってるから逆にオッケーなのかな?」
エリスちゃん…悪いけどそんな選択肢は一度も生えた事が無いからね!
この店は気楽に物を頼めるお店として寄っているのであって、恋愛感情は全く無いのだ。
「エリスじゃ勝てないと思うわよ。諦めなさい」
「ママ、酷ーい!」
いや、勝ち負けどころか勝負自体が成立しないのだから気にしなくて良いんだけど。
それでエマさんはと言うと、エリスちゃん本人には興味を示さず、寧ろ棚の商品の方が気になる様子だ。
「ほら、こちらのお嬢様の方が落ち着いていてクレストさんにはお似合いだと思うわ」
「そんなことない! 私みたいな手先が器用で活発な女の子じゃないとクレストの相手は務まらないわ!」
俺のことで親子喧嘩をしないでほしい…喧嘩をやめて~私の為に争わないで♪みたいな歌詞の名曲が確かあったはずだが、まさか異世界で自分の身に降り掛かるとはな。
「で、今日は私のライバルの紹介に来たの?」
とエリスちゃんが俺とエマさんに牙を向ける。何のライバルかは知らないが、細かい事はもうどうでも良い。
「違うって。バルドーさんが居なくなって、お店の方は問題ないかと思って見に来ただけだよ」
「売り上げだけで言うなら、皮剥き器と薄切り器のお蔭で今年は問題ないわ。
来年は分からないけど、刃の形を変えたら切れ方が変わるらしいから、その研究をしなきゃいけないかな」
バルドーさんが鉄板にエリスちゃんへの宿題を書き残していたらしく、やる気になっているようで結構なことだ。
俺もスタンダードな形以外は詳しく覚えていないからアドバイス出来ないんだよね。
「それより洗浄剤と紙のことで、クレストさんに迷惑をお掛けして申し訳ありません」
とエメルダさんが俺に頭を下げる。
「製法だけ分かってて、簡単に出来ると思っていた俺にも責任があるから、そのことで謝るのは無しで。
素直に最初から商業ギルドに相談してればトラブルにはならなかったんだよね」
鉄板ネタの石鹸でも、やり方を間違えればとんでもない目に合うのが分かっただけでも収穫があったと前向きに考えようと思う。
何事をやるにしても、信頼出来るスタッフを集めることからスタートしないと頓挫するのは当たり前。
知識とお金があっただけに甘く考え過ぎていたのだ。
人を頼るなら、自分の目でその人を見極められるようにならないといけないと言うことだ。
「チャムさんとの仲が悪くなったと聞いたけど」
「彼女は友人の友人で、私も洗浄剤作りを始めてから初めて会ったわけだから心配しないで良いわよ」
「やたらリーダーシップを取りたがるから、私もあのおばさんは好きじゃなかったし」
それなら少し安心かな。素直に良かったとは言えないけど、古くからの友人との仲違いをさせたんじゃないのかと気になってたんだよね。
「やっぱり洗浄剤作りはクレストさんが始めたことだったのね。
ルケイドさんが始めたってことになっているのは、カンファー家の奪爵問題絡みなのね?」
しまった、エマさんにはその話を全然してなかったな。
同じ知識をルケイドも持っていたから前面に押し出して俺の隠れ蓑に使ってるだけなんだ。
それを素直に言うとルケイドが怒るけど、この場に居る三人には教えておく。
「なるほどね、洗浄剤も紙も公営の事業になるから、あなたより貴族家が始めたことにした方が領主様にも商業ギルドにも都合が良いのは確かね。
隠れ蓑にって言うところは聞かなかったことにしておくわ」
エマさんが呆れた顔を見せ、エメルダさんとエリスちゃんも相槌を打つ。
でも、なんで急にあなたって呼ぶの?
今まではクレストさんって呼んでたのに。