第135話 猫と昼食
エマさんと市場に行ったらエッチ!と言われた。多分腐れ勇者がバナナで変なコトをやったに違いない。
果物屋の近くの店には野菜を扱うお店が多い。
皮剥き器と薄切り器を持っているから、たまには俺もサラダぐらいは作ってみようか。
キュウリとハムで簡単な酢の物にしても良いし、ジャガイモがあれば自作のマヨネーズでポテトサラダか。カボチャサラダも捨てがたい。
豆は種類がとても豊富で、明らかに異世界野菜みたいな手のひらサイズの物もあって、冷やかして歩くだけでも面白い。
適当に野菜を買い込んでは普通の肩掛け鞄をマジックバッグに偽装してアイテムボックスに収納する。
不便なことが多い異世界だけど、このアイテムボックスとマジックバッグの存在は遥かに地球より便利だ。
もしこれが無かったら、今日は買い物袋で手が塞がってエマさんと手を繋げなくなってたからね。
野菜売り場から少しだけ離れた場所では、檻に入れられた蝙蝠、小鳥、鳩、小猿、鼬、子豚などが売られていた。
食用なのか愛玩用なのか、買われた後のことは店主の知ったことでは無いだろうが、少し複雑な気分だな。
多くの動物が居るけど、こまめに床掃除をしているようで糞尿の臭いは殆どしない。
すぐ近くにガチャポンプと下水道に繋がる穴があるようで、子供が汚物を洗い流している光景を何度か目にする。
その隣の区画では犬、更にその隣には猫が売られていた。
この犬や猫を入れている檻は錆びもなくピカピカに光っている。明らかにさっきの色々な動物がいたコーナーとは相手にする客層が違うみたいだ。
青空ペットショップのような通りで一匹撫でては「可愛いね!」と二人ではしゃぎながら次の子へと渡り歩いていると、その中の一匹の仔猫の前でエマさんの脚が完全に止まってしまった。
濃い茶色のベルベットのような毛並み、まだ手のひらサイズなのに溢れ出るような気品を感じる。
「この仔猫、綺麗! 凄く可愛いね!」
エマさんがその仔猫を一目で気に入ったみたいで、檻の隙間から指を入れると仔猫は逃げずにペロペロと舐めた。
「いやん、くすぐったい」
と快感に耐えるような仕草が少しエロくてご馳走様です!
「お嬢さん、この仔猫が気に入ったのかい?」
と目敏く商人の男性が声を掛けてくる。
「うちは寮だから飼えな…あ、今は大丈夫よね?」
とエマさんが俺に上目遣いで視線を投げる。
その間も仔猫はペロペロと指を舐めていて、舌の刺激に耐えようとしている声が耳を擽る。
商人が少し離れた場所に移動して俺を手招きする。
(あの子はあんたの彼女だろ?
あの仔猫を買えばもう勝ったも同然、あの子も可愛い仔猫ちゃんに早変わり間違いない)
と俺の耳元で囁く商人…お主も悪よのぉ…。
じゃなくて、この商店街ってこんなセクハラ親父ばっかりなの?
それとも街ぐるみで少子高齢化対策に取り組んでいるのか?
そんな社会問題はコッチじゃ聞かないから、多分選んだ店が偶然そんな店主なだけだったんだろう…そう思おう。
『金を持っていそうな客には子作りさせろ』と商業ギルドが指示を出していたりしてね…不動産王のスイナロ爺さんがセクハラ王だから、その可能性が否定できなくて恐い。
でも、商人に言われなくても仔猫にエロエロ…じゃなくてメロメロのエマさんの姿を見たら、答えはもう一つしか無いでしょ。
檻の前には特に値札も貼っていない。
愛玩動物と言う商品は、商人の気持ち一つで売価が決まるのだろう。
血統書なんて物も無いだろうし、値段を見ただけで素通りされるのを防ぐことにもなるだろうし。
(言っとくけど、アンタに言われて買うんじゃないよ。エマさんの為に買うんだからね)
決して疚しい理由や邪な思惑がある訳じゃ無いよ!
元々家を手に入れたら犬か猫を飼うつもりだったんだからね!
訳ありの熊がいるけど、アレはノーカンだ!
(まいどあり。彼女も旦那のことを好いてるみてぇですし、この仔猫が居れば自然と触れ合えますぜ。上手くやんな)
と笑みを浮かべた商人が、
「お嬢さん、こちらの旦那様がその子を引き取ってくださるようですよ」
と親指を立てる。
「ほんとっ!? 嬉しい!」
とダッシュでエマさんが飛んでくると最高の笑顔を見せて抱きついてきた。まるで大きくなったルーチェみたいだな。
そんなエマさんを見て俺にドヤ顔を見せる商人さんに腹が立つ!
でもゴメン…エマさんの柔らかい部分が当たる感触のせいで、俺の下半身がムズムズと反応しててさ…こう言う時はルート五だ…富士山麓に鸚鵡鳴く…鸚鵡じゃエマさんの刺激に勝てん…。
商人はそんな俺の異変には気付かない様子で檻から仔猫を出し、恭しく俺達の前に差し出すとエマさんが大事そうに両手で受け取った。
「可愛い! あったかいね!
それに凄く良い手触り!」
と背中を撫でたり頬擦りしたり。仔猫も逃げようとせず、大人しくされるがままだ。
檻から少し離れた場所に置いてあった首輪とリードと藤で編んだような籠を選ぶようにと言われたので、首輪は高級感のある革製でピンク色のインカローズを削って作ったと思われるハート型の小さなアクセサリーがワンポイントで付いているものを選ぶ。
これならエマさんも喜ぶだろう。
リードは革を編んだお洒落な物にした。ほぼ使うことは無いだろうけどね。
籠は良し悪しの判断が付かないので商人のお任せにする。
ちなみにナスカンやカラビナは無いのでワンタッチでリードを首輪に付けることが出来ず、ダッフルコートのトグルボタンみたいな留め具で首輪にリードを繋ぐようになっている。
(お値段は?)
(十八、三、二、三で計大銀貨二十六…一枚サービスで二十五枚だ)
高いか安いか正直言って分からん。リードの大銀貨二枚はかなり高い気がしないでもないが、かなり良い素材なのだと思うことにする。
餌に何を与えるのが良いかと聞いてみると、乳離れはしているらしく、肉や魚をミンチにして与えているそうだ。
見た目はまだお母さん猫のおっぱいが恋しいと思うような大きさなだけに意外だったが、確かに乳離れしてない仔猫を一匹で出す訳にもいかないか。
エマさんが仔猫を両手で顔の前に持ち上げ、お腹のあたりを見て、
「女の子ね。名前は…」
と悩み始めた。
この場合、仔猫の所有権は俺にあるのか、それともエマさんにあるのか…彼女の為に買うと言ったのでエマさんか?
でもお金を出したのは俺で…既に彼女に実効支配されてるけど。
後は猫本人に誰が主人か決めて貰おう。と言っても、明後日からダンジョンアタックなんだけどね。
「ゴンザレス、ロメオ、チャッピー、リミエンテイオー、ダークマター、フォース…」
エマさんは意外と壊滅的なネーミングセンスの持ち主だった。ダークマターて何ぞや?
まさか仔猫が反応する言葉が出るまで試す気か?
「ノーラ、グラ、アース、バナーナ、ハナ、メロ、チャチャ、チャオ、ブラ、ラウ、マローネ…」
最後の言葉に仔猫がピクリと動いた。茶色からマローネか。
「うんっ、貴女の名前はマローネよ!」
俺の意見は必要無かったようだ。ま、途中で不安になったけど、元からエマさんに名前を決めて貰うつもりだったし。
そしてまだ一度も俺はマローネに触れていないし。
「マローネちゃん、ちゅーっ!」
と無邪気にマローネにキスをすると、
「はいっ、あなたもちゅーっ!」
と俺の口元にマローネの顔を近付けた。
「いやーん、クレストさんが間接キスしちゃった!」
と騒いでいるエマさんには申し訳ないが、マローネはしっかり両手でブロックしてたから…間接キスは不発だよ。
エマさんが楽しそうにしてるから言わないけどね。
地面に降ろされたマローネは大きく背伸びをし、エマさんの脚に体をスリスリ。もう懐いてる。
買い主は俺なのに…。
俺もマローネに触りたくてマローネの前にしゃがむと、エマさんの脚から移動して俺のズボンをよじ登り、背中を通って頭の上へと移動する。
頼むから頭皮に爪は立てるなよ?
頭にマローネを乗せたまま、すぐそばのお店で藤籠のキャリーバッグに敷くため敷物を購入。
少ししゃがんでエマさんにマローネを取って貰い、キャリーバッグに入れるとスヤスヤと眠り始めた。
ペットショップのような通りで結構時間を潰したので、昼食にするのに良い時間となってきたので、ミランダさんに調べてこいと指示されたお店を目指す。
タクシーが無いのは当然だけど、こう言う時は小さな二人乗りの人力車みたいな物があるといいよね。
それか、馬で引くトゥクトゥクみたいな小型の乗合馬車は出来ないのかな?
大通りと言っても馬車がすれ違い出来るぐらいの道幅しかない所もあるからトゥクトゥクは無理かな。
馬車が横に三台並んで進める大通りが街の区画分けに使われていて、区画の中は基本的に馬車がすれ違い出来るように設計されている。
それでも道路に物が置かれていたりすると、馬車がすれ違うのも難しくなるけど。
それに所々に街灯が立ってるから街の中を馬車で通るには注意が必要だろう。
それなら路面電車のように線路を設置して、馬車鉄道にするのも風情がありそう。馬車が通れる場所を限定するのも悪くないかも。
馬は世話が大変で維持費も掛かるし、馬糞の清掃費を払わないといけないからあまり街の中では見ないんだよね。
でも買い物袋を持って歩くのがシンドイ時に、気楽に乗れる小型の馬車があるとラクで良い。
これってリミエン観光の目玉にならないかな?
後で商業ギルドに寄ってみようか。
黒字化するには…需要の多いルートを割り出して、毎日の馬の維持費と人工費とを計算して…。
あれ…?
最近、何か思い付いたら普通にレイドルさんに相談するようになってるな…それだけチャムさんの件が反面教師になったってことなのかも。
飲食店が立ち並ぶ区画は、お昼時なので人通りが多くなっていた。
右手にマローネの入った藤籠を持ち、左手はエマさんの右手を軽く握る。
手を繋いで歩くことで感じていた視線にも慣れてきたし、手を繋いでいると魔界蟲が出し続ける魔力も何故かどこかに流れて消えていくのも有難い。
エマさんがメモを見ながら道案内をしてくれて、何とか迷わずに目的のカフェレストラン『陽光の宴亭』に到着した。
ペットを連れて歩くと言う習慣は基本的にこの国には無いので、当然ながらペットを連れての入店禁止の貼り紙なんて無い。
連れて入ったペットが何かの粗相をすれば、恐らく強制退去させられるか金銭で解決するのだろう。
マローネはまだ仔猫なので、寝ている時間の方が圧倒的に長いだろうけど。
ちなみに貴族の住む区画と市民の住む区画はある程度は明確に区分けされており、このカフェレストランは貴族区画に割と近い場所にある。
一般市民からすると少しお高い価格帯に設定されているが、貴族の人達もたまには気楽に食事をしたいって時に利用してるのかも。
この町に来てから会ったザ・貴族的な人はルケイドの兄のビリーのオヤジさんとお姉さんぐらいか。
商業ギルドのお偉いさんや職員さん達は貴族的な雰囲気を醸し出しているけど、偉そうだとか高圧的な態度を取られたことは無い。
レイドルさんや人材派遣部のメイベル部長は貴族だと思うけど、人を見下すような態度はとらないからね。
店内に入ると、すぐに長いスカート姿のウェイトレスがテーブルに案内してくれる。
この国にはミニスカートなんてないし、膝あたりのスカートを履くだけでも露出が多いと言われるぐらいだ。
でもアイドルグループのプロデュースはやりたいんだよね…カルチャーギャップで俺の思う衣装はNGになるのがオチだろうけど。
こちらの世界の衣装でアイドルグループ…ケルト系とかスコットランド系のイメージしか出てこない。
ウェイトレスにテラスと店内のどちらが良いかと聞かれて、テラス席だと誰かに見られるかも知れないので店内の席にした。
オープンテラスのカフェレストランなんてお洒落なお店は初めて入ったよ。
これ、冬場は寒いし急な雨が降ると大変だよな、としょうも無いことを考える。
道幅がもっと広ければテラス席でも気兼ねなく座れるだろうけど、テーブルの近くを通行人が歩くのは抵抗がある。
屋台で買った物をその辺に座ってパクつくのとは違うからな。
店内はお客さんで賑わっていた。楽しそうな会話が聞こえてくる中、エマさんが藤籠からマローネを取り出して膝に乗せる。
食事の間も撫でまくるつもりだな?
店の雰囲気も悪くないし、何かゆったりとしたピアノの演奏でもあればいいのにな。
そうか、お店に入るたびに何か物足りなさを感じていたのはBGMが流れているのが当たり前の世界で暮らしていた記憶のせいか。
生演奏だと人件費が馬鹿にならない。ラジオもCDも無いから、市民が音楽に接する機会はそう多くない。
気が付かなければ問題は無かったのに、それに気が付いてしまうと気になるのは当たり前の心理現象だ。
いつか誰かに蓄音機を開発させてやろうと心のメモ帳にカキカキ。イルクさん達にお願いしようか。
でもあの二人は暫くは充填魔石の改良と魔力発生器の開発に掛かりっきりになるだろうから無理か。
まてよ、ピアノは無理でも木琴なら簡単に作れないかな?
さすがに木琴じゃ音に深みが無いし、俺が作れるのはお遊戯レベルで使う程度の物だろう。
それに調律するのが大変だろうね。
そんな考えごとをしている俺に気が付いたのか、「どうしたの?」と言いたそうな顔で俺を見るエマさんに、
「音楽が流れていたら、もっと素敵なのにね」
と誤魔化す。
まさか楽器の他に、スピーカーや館内放送の仕組みを考えてました、とは言えないよ。
でも建物も白く塗装されていて、太い木の柱の茶色とのバランスが良い。嫌みにならない程度の照明器具や飾り付け。
猫脚のテーブルとしっかりした作りの椅子は地球にあっても人気店になりそうな落ち着いた装いだ。
「お洒落なお店だね」
「オープン当初から人気だったらしいよ。でも一人だと入りにくいね」
後からメニューとお水の入ったカップをウェイトレスさんがテーブルに置く。ベルは無いので、手を挙げて呼び出すスタイルだ。
メニューを見ると、文字だけでなくモノクロだけどイラストも書かれていたのがありがたい。
ピタサンドやフォカッチャ、カルツォーネのような食べ物がお昼のお勧めのようだ。
中の具材を少しずつ変えてメニューを増やしているので、これは女の子なら悩むね。
お洒落なお店の割に手で持って食べるスタイルか。そんなギャップに苦笑いだな。
ピザが無いのはチーズが高いのと冷蔵庫が無いからか。
パスタはトマトソース系とペペロンチーノ系だけか。サラダパスタやスープパスタも人気が出そうなんだけどね。
エマさんはハンバーグ擬きとレタス、トマトが挟んであるピタサンドをチョイス、俺は鶏肉のソテーと根野菜を挟んだ物をチョイス。
デミグラスソース風味のエマさん、バルサミコ酢を効かせたサッパリ系の俺だ。
お皿に半月形のピタサンドが二つずつ乗っているので、半分を交換する。なる程、一人より二人の方が良い訳だよ、凄く納得!
熱々の具材とソースがよく絡まってどちらも美味しかった。フレンチポテト風のサイドディッシュも塩味が効いている。
香辛料が安価で手に入るなら、ジャーマンポテトなんかもあると最高なのにね。
スパイスがニンニク、唐辛子、ターメリック、セージ、芥子の実等がメインらしい。
コショウ等の多くは輸入に頼るしか無いが、これは地理的な問題だから仕方無い。
それでも二人とも予想外のボリュームと美味しさに大満足だった。
食べ歩きマップの原稿にも二人で行くお勧め店と記載された。
普段ならランチは二人でも銀貨二枚に行かない程度なんだけど、今日は二人で銀貨四枚とお高くなった。
でも、そんなのは気にしない。なんたって日本に居た時にも女の子と食事になんて行ったことは無いんだからね。
籠に揺られながらマローネもよく眠っている。
公園のベンチに座り、マローネを膝に乗せて背中をゆっくり撫でる。柔らかく暖かくて気持ちいいー!
エマさんにもこの幸せを分けてあげよう、と思ったら勝手に隣に座るエマさんの膝の上に移動した。
俺よりエマさんの方が良いってこと?
納得いかないけど、マローネを撫でながらうっとりするエマさんをたっぷりと堪能出来たのでヨシとするか。