第134話 エマさんと市場に行こう
エマさんと引っ越しパスタを買いに行ったらシロップの原料になるソルガムと米を見つけた。
米は処理が面倒だから手を出すつもりは無かったのだが、俺の余計な一言で籾摺り機を作ることになってしまう。
団子が出来るか求肥が出来るか、それとも米粉にしかならないかは、機械を作ってみないと分からない。ダンジョンアタックの後に製作に入れるように設計を始めよう。
それと鬼熊コーチのお陰で寒天の存在を思い出した。羊羹やゼリーに使う寒天だが、処理の仕方で違う用途に使えるようになるかも知れない。
この世界には錬金術師も居るんだから、きっと上手く行く筈だ…俺も錬金術スキルを持ってるけど、手を出すと沼に嵌まるのは確実だから封印の継続中なのだ。
隣の部屋にエマさんが居ると思うと、思わず口元がだらしなく緩む。手を繋いだりハグされたり…エマさんの焼いたムニエルをたべたりと今日は幸せな一日だった。
そんなエマさんの為にも、簡単に米が食べられるようにするための機械を開発していかないとね。
そして翌日。
自己申告通り朝に弱いエマさんは我が家の朝食タイムである十時を過ぎても起きてこない。
「親方様、冷えてしまいますのでエマさんをお願いします」
…えーと、こう言う役目は女性のシエルさんが相応しいのでは?
そのシエルさんは厨房でカチャカチャと何やら作業中らしい。
ロイとルーチェはフライングで既にパンを咥えているのでダメだな。
「行ってくる」
「はい、お願いします」
ブリュナーさんも男性だし、若い女性を起こしに行くのは抵抗があるんだろう。
それにしても、夕べはルーチェとロイが一緒に寝てた筈だし。二人が起きても気が付かないのか、それとも二度寝をしているのか。
スマホも無いから夜更かしはしてないと思うんだけど。
それか…子供達の寝相が悪くて夜中に何度も目が覚めたとか?
可能性は色々考えられるが、とにかく起こそう。
コンコンっ!とドアを軽くノックするが返事無し。
「エマさーん、起きてー」
…。
返事無しか…意外と手強いな。仕方ない、
「部屋、入るよ」
とドアを開ける。鎧戸を開けると穏やかな光が差し込んでエマさんを照らす。
「んん」
と目を開け、暫くぼーっとする。
「クレストさん…」
と名前を呼んで、また目を閉じる。
「こら~っ寝るな~」
「…zzz」
「エマさん…悪戯しちゃうよ」
「…zzz」
マジですか…まさかエマさんにこんな弱点があるとは…。
でも幸せなそうな寝顔が見られてご馳走様。ベッドの脇に膝をつき、顔を近付ける。
「エマさーん」
「…あっ」
やっと目が開いたみたい。ゆっくりと体を起こし、腕を上げてあくびをすると、キャミソールを着ているので白い脇が見えて中々色っぽい。
まだ少し眠たそうだけど、食器が片付かないからサッサと起きてご飯を食べてもらわないと。
エマさんが上げた腕を降ろすと肩紐がはらりとずれ落ち…これは中々普段見られないのでつい見蕩れてしまう。
「…あの…見られてると出れないんだけど」
「下…短パン?」
「…そう」
見たいけど…我慢我慢。こんなことで嫌われるのもイヤだし。
それにブラを付けてないのでセクシーさが当社比三割増し…下半身が反応する前に部屋を出た方が良さそうだ。
「食堂でご飯ね」
「はーい!」
エマさんに手を振って部屋を出て、そそくさと食堂に戻る。
「起きましたか?」
「えぇ…中々手強かったです」
「俺も起こそうとしたけど無理」
ロイも起こそうとしたのか。きっと管理人さんも毎日起こすのに苦労してたんだろうな。
「遅くなってすみません」
と着替えを済ませてエマさんが降りて来た。いつも通りシャキッとしているので、さっきのは別人だったかと錯覚を起こしそうだ。
「ママ、遅い~」
「ゴメンね、朝は苦手なの」
苦手で済むレベルかな? まあ、管理人さんの代わりに毎日起こしてあげても良いけど。
シエルさんがマジックバッグからエマさんの朝御飯を取り出す。厨房に行ってたのは冷えないようにするためだったのか。
気遣いに感謝だね。で、俺の食べかけはどこ行った?
「親方様のは子供達が食べてしまったので、代わりを」
とブリュナーさんがマジックバッグから出してくれた。レンジ要らずで助かるよ。
食休みしてからロイと二人で剣術の訓練だ。ラビィには食休みと言う概念が無いようだが、食べて直ぐに運動するのはあまり良くないので要注意を。
食後の一番のお勧めは家族団欒だ。
現代社会では難しいが、コッチにはテレビもゲーム機もスマホも無いのだから、割と団欒の時間を作りやすい。
それにペット枠のラビィが来たことでお座敷犬を飼っているのと同様の効果が出たと思う。
まだ小熊だから問題ないけど、俺の師匠の魔熊みたいに大きくなったらどうしようかと悩んでいるけど。
食休みが終われば地獄の特訓だ。
両手にナイフを持ったブリュナーさんを相手に殺される覚悟で臨む…多分覚悟する方向性が違うと思うが、殺すつもりで斬り掛かっても経験の差なのか死線を潜り抜けた場数の違いなのか、殺せるビジョンが全く見えないのだから。
幾らスキルがあろうとも、経験には敵わないと言うことだね。
途中からは出勤してきたオリビアさんも参加するので、その分俺への圧力が減るのが有難い。
ブリュナーさんも『光輪』を見るのは初めてだったので最初は戸惑っていたが、今は如何に『光輪』を活用して戦略を組み立てるかに重点を置いている。
動かせない壁としての効果はあるが、躱してしまえばオリビアさんは無防備になる。
結界のように足下に展開すれば全周ガードは出来るが、逆に攻撃が出来なくなる。
初見の相手への切り札とはなるが、タネがバレれば攻略するのはそれ程難しくは無い、と言うのが今のところのブリュナーさんの評価だ。
『光輪』に隠れて遠距離攻撃するのが基本スタンスになるだろうが、敵は一人とは限らない。俺も敵役として参加し、何度かオリビアの柔らかな体にタッチ…役得です。
折角光の輪が出せるようになったんだから、チャクラムのように投げて攻撃出来るようになったら面白い…けど、ご近所さんに被害が出るかも知れないので我が家では試さないで欲しい。
今ちょうどエマさんが引っ越しパスタを持って挨拶に出掛けたところだから。
◇
訓練を終え、汗を流して一休み。十四時にエマさんとお出掛け開始だ。
家を出てそうそうに、パンケーキを焼いているときにやって来たご近所さんと顔を合わせる。
「お出掛けですか?
お天気も良いし、お散歩にはちょうど良いですね。
エマさん、素適なご家庭で羨ましいわぁ。
クレストさん、可愛らしい奧さん貰って嬉しいのは分かるけどしっかりしなさいよ」
こんな感じで夫婦に間違える人も居るけど、エマさんが笑って誤魔化すので俺も空気を読んで黙っておく。
皆にエマさんが可愛いと言って貰えるだけで満足だから。
どちらともなく手を繋ぐ。絡めた指から伝わる刺激が心地良く、カップルがよく手を繋いで歩くのも納得だ。
さすがに昨日感じた程の照れくささもなく、割と平常心を保っていられそう…と思ったのだが、やはり周囲から注がれる視線を感じると恥ずかしい気もする。
まだ町のガイドブックは出来ていないので、どこに何があるのかは記憶が頼りだ。
新人冒険者向けの配達依頼を請けたことも無ければ買い出しを頼まれたことも無い。
だからどこにどんな屋台やお店があるかぐらいしか記憶に残っていない。
エマさんが色々売っていて見るだけでも楽しいよ、と市場の並ぶ通りに案内してくれた。
この通りは…ロイを追い掛けて少しだけ走ったことがあるような…もうだいぶ前のことに感じるな。
甘酸っぱい香りが漂うのは、色鮮やかな果物を扱う屋台からだ。
「おっ! 新鮮な果物も結構売ってるんだ」
「そうですよ。
みずみずしくて生の果物は好きなんだけど、運搬に時間が掛かるから近くで取れた物が大半ね。
やっぱり食べるのはドライフルーツが殆どですよ」
ラビィがクシャクシャと食べていたリンゴも並んでいるが…一玉で銀貨二枚…マジかっ?!
気にしていなかったが、実は結構な高級品だったとは…。
「リンゴはラビィちゃんの好物だもんね!」
と無邪気に店番のおじさんにリンゴを五個ちょうだいと指で示して笑顔を見せるエマさんに、高いからやめてとは言えない…。
「そうかー、果物は野菜より作るの大変そうだし。
歳を取ったら田舎に引っ越して果物畑もやろうかな」
「お裾分け、くださいね?」
と上目遣いで見るのは狡い! 絶対ノーとは言えないやつじゃん。
「勿論だよ。一緒に…一番に食べさせてあげる」
「約束ね」
と会話をしていると、
「あんたら新婚さんだね。お祝いに一個もってきな」
と果物屋の店主がオレンジ色の果物を手渡してくる。
「新婚だなんて…」
と俺が慌てていると、
「おじさん、ありがとうね。遠慮無く頂くわ」
とちゃっかり果物を受け取ったエマさん、ニッコリ微笑んでいる。
蜜柑みたいな果物だ。その場でエマさんと半分こして食べてみると、まさしく蜜柑だった。
「美味しい! おじさん、これ、凄く甘くて果汁たっぷり。買い占めてもいい?」
「勿論だとも。ひと山で銀貨二枚だから、全部で十二山だから…」
「じゃあ大銀貨三枚だね」
「おう…そんなにか…?
それで良いけど…そんなに持てるか?」
「大丈夫! 内緒だけど、このバッグは沢山入るからね」
マジックバッグは余り知らない人には見せない方が良いとケルンさんや他の人にも言われてるけど、アイテムボックスに比べたらこんなの普通のアイテムだ。
この蜜柑を見逃すのは勿体ない。蜜柑は手で皮が剥けるお手軽フルーツだから、迷わず大人買いをしておこう。
他にもこの近辺で採れるとは予想外のバナナやパイナップルなど色々あって、途中から選びきれなくなる。
「よし、選ぶのを諦める」
「えっ?!」
期待していたエマさんがガーンとショックを受けたく様子に、ゴメンゴメンと謝って頭を撫でる。
「ここからここまで全種類、二盛りずつ!」
「やった! これ、食べてみたかったの!」
エマさんが指で示すのは『ここまで』の範囲から外しておいた白い網目が入った高級そうな果物だ。
よほど嬉しかったのか、笑みを浮かべて『ありがとう!』のハグをしてくるエマさんを受け止めると、これはダメとはもう言えない…。
「お目が高いね! このメロメロンは果物の王様だよ。
二、三日してお尻が柔らかくなったら、お嬢様のお尻と同じで食べ頃だからね。それともお兄さんはチェリーの方がお好みかい?」
見事なまでのセクハラおじさんだな…。
「やだぁ、おじさんエッチねぇ」
とエマさんが笑い飛ばして、セクハラおじさんからメロメロンを受け取る。
顔を近付けて甘い香りを堪能してから俺にバトンし、もう一つのメロメロンもちょうだいと指を指す。
おじさんが「毎度!」と言ってエマさんに手渡すと、算盤のような物をはじきながら俺が示した範囲の果物を次々とエマさんに渡して行く。
受け取った俺は果物をアイテムボックスに収納するのだけど、エマさんを間に挟む意味あるのかな?
「ハルミカンとメロメロン、この棚のピッチピチ、ママロン、ベラウメェヤ、キキキリンゴ、オフランス、ストローベリーを二山ずつで、締めて大銀貨九枚だよ…」
思わぬ高額におじさんの方が焦っているけど、買い物の為に各貨幣は準備してあるから問題ない。アイテムボックスだと枚数指定して取り出せるからとっても便利だ。
「おじさん、ありがとう!
また美味しい果物、仕入れておいてね」
と言って上機嫌のエマさんは鼻歌混じりに果物屋を離れて行く。
「お兄さん、ちょいと待ち」
俺もエマさんの後を追おうとすると、ニヤリと笑ったセクハラおじさんがちょっと大きめの二十日大根のような物と木の根とミニバナナを二本握らせた。
「マッカとムラパーマと言ってな。男にも女にも良く効く。
ムラパーマは茶で飲むと香りも良い。
欲しいときは何時でも言ってくれ。ウチの裏山で栽培しとるからな。
バナナはサービスだ。また来いよ。やっぱり女はケツだよな?」
「知るかっ!」
筋金入りのセクハラおじさんで、ついでにお節介さんだな…。
でもこう言う媚薬的なのって買うとお高いんでしょ?
サムズアップで俺を送りだし、何くわぬ顔でまた営業に戻るおじさんに手を振ってエマさんを追い掛ける。
「何かあったの?」
と追い付いた俺に聞いてくるので、
「可愛いお嬢様にこれをって、ミニバナナをくれたんだよ」
と貰ったバナナを見せると、
「…いやん、エッチ!」
と顔を赤くしてポカポカと叩いてくる。
えっと…なんで…?
「知らない? それ…は…今夜しようって…意味なの」
「あのオッサンっ!」
まさかバナナにそんな隠された意味があったとは…やっぱり異世界は侮りがたし。