(閑話)馬車は馬車でも
俺は『ボルグス馬車工房』を経営しているボーゲン・ボルグス。四十歳のナイスガイだ。
オヤジから受け継いだこの工房を守る為に、毎日必至で働いている。
荷馬車はそうでもないが、客車は兎に角作るのに手間が掛かる。なんたって材料は木材だからな。鉄みたいに好きな形にホイホイ出来るもんじゃない。だからどうしても作業員を雇うしかない。
その人件費もあって、各種支払いが最近馬鹿にならなくなってきた…。今月はメンテナンスで何とか凌げるが、来月はどうなることやら。
リミエンには町の規模に合わないのだが三件の馬車工房がある。一軒は金持ち相手の『ベンディ』だ。そことウチと、もう一軒は変わった馬車を作りたがる女工房主の『モルターズ』だ。
ベンディにはウチから馬車を供給してやり、客の趣味に合わせた派手な装飾を施して販売している。
だがどの工房にもメンテナンスの依頼は来る。その客の取り合いが起こるのは必然だろう。
そして腹が立つことに、金持ち連中はベンディをご指名だ。ボロ儲けした金で設備を増やし、人を多く雇っているから早く整備出来るからな。
だがウチもモルターズもそうは行かない。毎月毎月カツカツ経営で頭が禿げそうだ。
ベンディのところに装飾品を納めているのは、特殊なスキルを持つビステルって奴だ。金属なら何でも好きなように加工出来る化け物だ。
だがコイツは変わり者で、自分にしか作れない物しか作らないと豪語している。
だからウチもモルターズもビステルとは取引が無い。彼女がウチの使う部品を作ってくれりゃ、納期をかなり短縮出来るので客離れを防げると思うのだがな。
工房の前には職人達が整備した客車が二台並べてある。最終確認は俺の仕事だ。
安い料金だからと言って手は抜かない。オヤジから教えられた商売の鉄則だ。
「こんにちは。ボルグスさんは居ますか?」
声を掛けてきたのは濃紺の髪と瞳の若い男性だ。
ここらじゃ珍しい色だな。きっと最近噂の冒険者だろう。
出所によって噂の内容にかなりの差があるが、概ね腕利きであるとの評価は変わらないようだ。
名前は確かクレストだったか?
ウチで買うなら客だから対応するが、買わないなら追い返すだけだ。
「俺がボルグスだが。馬車の購入かい?」
あいにく客の相手は得意じゃなくてな。こんな口調で損をしてる可能性もあるが、今更治せるもんじゃない。
「作って欲しい馬車の相談です」
「特注品か? 悪いがウチはやってないんだ」
おいおい、冷やかしは勘弁してくれよ。それならステラんとこだぜ。店ぐらいは教えてやるよ。
部品の共通化を進めたお陰で、ウチは何とか赤字を回避出来てんだ。変な工程を入れると全体が狂っちまう。
コストを下げるには同じ型の馬車を作り続けることが一番だ。
「ベンディさんとステラさんの工房なら、どっちがお薦め度が高いですか?」
お前なぁ、その名前を知ってんなら聞かなくても分かるだろ。わざと聞いてんのか?
「貴族で無いなら、馬車なんかに余計な金を使うな。ウチのは地味だがスペアパーツが直ぐに出せるから、運用するならウチのが一番だ。
余所の事は知らん」
金持ちらしいからウチに来てくれるなら有難いんだがな。アピールぐらいはしておくか。
「それじゃ困るんです。
俺の考えている馬車が完成すると、既存の馬車しか作らない工房を潰しかねないので」
嘘を付くならもう少しまともな嘘にしろよな。一台の馬車が既存店に敵う訳が無いだろ。
だがなぁ、噂じゃバルドーと組んではいるが、新商品を生み出したのはコイツらしい。
そんな頭の切れるヤツが、そんな見え透いた嘘を言うものか?
もし、その馬車が本当ならウチは潰れてしまう。家族や職人達を路頭に迷わすことは避けねばならん。
一応話だけは聞いてみるか。
それが荒唐無稽な空想なら、思いっ切り笑い飛ばせば済む話だ。
「聞くが、狙いは何だ?」
時間の浪費は惜しいが、何もせずに全てを失うリスクを負うのは俺の主義に反する。
それに色んな噂を持つコイツが、どんな面白い話をするのか興味もある。
昔から『好奇心はドラゴン殺す』とも言うが、これはドラゴンが好奇心のせいで自滅したのではなく、好奇心で放った一撃で偶然ドラゴンを撃墜したと言う実話に由来するそうだ。
確かキリアスに召喚された腐れ勇者の言葉らしい。
「快適な馬車に乗りたい、ただそれだけですよ。
今ある馬車には乗りたくないんです。ガタガタガタガタ揺れて気持ち悪いし、お尻は痛い。
歩いた方がまだマシ。
ほぼ真っ直ぐしか進めない。不便でしょうがないです」
馬車工房の経営者によくもまぁそこまでズケズケと言ったもんだ。ステラなら切れてハンマーで殴っているぞ。
だが昔から馬車はそう言うもんだ。多少の改善はされて行くかも知れないがな。
コレだけの大口叩くってことは、アンタのアイデアだとその欠点が解消出来ると言うつもりか?
「だから、自分用の馬車は衝撃吸収装置と舵取り装置の付いた物にしたいんだよね」
おいおい、マジでそう来るのか…
「衝撃吸収には板バネがあるだろ?」
「御冗談を。あれは大きな段差の吸収は出来ても、乗り心地の改善にはそれ程役に立ってないでしょ。
俺は全く別の吸収装置を作るつもりです」
「…そうか」
俺は腕を組んで考え始めめた。
板バネは確かに微振動には有効では無い。結局は板バネ自体の微振動が馬車本体に伝わるからな。
悔しいが、何か別の振動吸収装置が必要なのは確かだな。
「既存の馬車しか作らない工房を潰しかねないと言ったのは、それだけの性能差が出ることを確信しているんだろ?
その根拠はあるのか?」
「図面を作ったので見て貰えば分かります」
肩掛け鞄から出てきた大きな羊皮紙…マジックバッグ持ちか…羨ましい。どんな図面か知らないが、見せて貰えるのなら見てやろうじゃないか。
事務所に通してお茶を出す。何の葉かは俺も知らん。
テーブルに広げられて図面をじっくりと眺めると自然と冷や汗が出てくる。
この図面の美しさはなんだ…クチの悪いタダの冒険者にこんな図面が書けるのか?
まさか盗んで来たのか? 一体どこから?
こんな非常識な発想の出来る設計者なんて聞いたことが無い。
他の領の工房でもここまでぶっ飛んだ発想を思い付くとは思えない。
馬で牽くから馬車と呼ぶ。だが馬車は木のフレームをベースに組み上げて行くものだ。
それをコイツは根本から覆しやがった。鉄パイプで組んだフレームと足周り、客室、運転席の三つのブロックを合体させると言うのだ。
これなら鍛冶屋が馬車のフレームを作れる。
そのフレームさえあれば、後から好きなように客室も運転席も作ることが出来る。
しかし、その作業は専門の馬車工房じゃなくて、その辺の工務店でも可能だろう。
今忙しいの? じゃあガルラ工房に頼むから…そんな会話が聞かれるようになるだろう。
「先に余所にこれが出回っていたらウチは潰れていたな」
額の汗を悟られないように押さえる。これはマズイなんてレベルでは無い。
鉄パイプでフレームを作れば、同型の馬車が木製の馬車より圧倒的に早く、しかも大量に作ることが出来る。
デザインもかなり自由だし、客室と荷台の付け替えも可能だと畳み掛けてくる。
衝撃吸収装置に舵取り装置の図面もある。これが制作されれば、販売価格次第ではウチの馬車なんて本当に売れなくなる。
問題点を見つけるとすれば、安全性と耐久性ぐらいしか思い付かない。
しかも業者の専門化を図ることで、効率化と性能の向上、価格破壊まで考えているなんて。
馬車工房は客の代わりにパーツを買って組み立てるだけになる。ウチの人件費と経費を考えると、ドッチが特になるかだな。
そうなると効率化や低価格化の出来なかった工房から潰れていくから、既存店にとってはまるで魔王か悪魔のような男だな。
だが、ここまで大きな話だとウチだけが聞いて対応出来る訳がない。他の協力工房にも話を付けに行かなきゃならん。
輸送業ギルドに鍛冶師ギルド、二軒の馬車工房、他にもアチコチに話を通さないとマズい。
「なので、俺が作って貰いたいのは試作機の二台だけなんですよ。
それ以降の展開については、俺は一切関与するつもりはありませんから」
「何だってっ!
これだけの物を作っておきながら…この基本構想図が幾らの価値になるか分かっているのか?」
コイツは馬鹿か? いや、コレだけの図面を書けるのだから馬鹿ではない。だが他に表しようがない。
「それなら鍛冶師のビステルさんには大銀貨一千枚だと言われましたね」
まあ妥当なところか? そこから交渉だろうが、ウチには出せないな。
「試作機の一台はビステルさんの分ですから。彼女なら鉄の扱いにも問題ないので。
それと、軸受と衝撃吸収装置は彼女に作ってもらうことにしてますから」
なるほど、あの人が仲間に入ったのなら彼の強気も納得だ。
「試作機の二台は作って貰えます?
そちらの言い値で買い取ります」
ウチに損があるか無いか…実際今の人員をアイドルタイム無く働かせている訳ではない。
だが、経験の無いものばかりだ。特にフレーム、足周り、舵取り装置はウチには無理だ。
そこが手配して貰えるのならやっても良いかもな。
だがウチは良いとして、ステラの所には?
向こうさんもかなり厳しい状況の筈。同じ工房仲間として、お節介だが出来る事なら手を貸してやりたいと思う。
彼は彼なりにステラの性格を理解した上でまだ行っていないと聞いた。だがそれは彼女の一部に過ぎん。
彼女は俺より新しい物に対する好奇心が強い。それに発想力も豊かだ。クレストさんの図面を実現するには、彼女がきっと役に立つだろう。
それにこんな面白いプロジェクトに参加させなければ、延々と文句を言われ続けるだろう。
ベンディ? あんなのは無視だ。金以外に興味は無い野郎だ。その金儲けは天才的だがな。
クレストさんを連れてステラ工房へ。すぐそばだから手間でもない。
相変わらずオカシナ馬車が並んでいるが、こう言うところから思わぬ発想は生まれるものだ。
「あれ、ボーゲンじゃないの。商売敵の店にようこそ。どうしたの?」
「何度も言うが、ウチとは客層が違うから商売敵とは思っていない」
相変わらずだと思うが、俺とコイツの仲だ。それより上手く引き込めるかが問題だな。
クレストさんには彼女の扱い方を教えてある。後は彼次第だ。
「ステラさん、初めまして。
新しいタイプの馬車を考えたので作るつもりなんです。図面を見てもらって良いですか?」
「坊やが図面を書いたのかい?
いいだろ、見せてみな」
おいおい、あのクレストさんになんて対応だよ。怒らせるとどうなるか分かったもんじゃない。
テーブルに図面を広げてじっくりと見詰め、案の定怒ったように
「喧嘩を売りに来たのかい? こっちは人が考えついた物は作らない主義でね」
と言う。あとはアンタのクチに任せたぜ。
「知ってます。だから製作はボーゲンさんに頼みました。
で、ステラさんにはこの馬車の不具合の対応と改良をして欲しいんです。
なんせ新型ですから、どんな欠陥があるか分からないんで」
改造が好きで、改良、改善を上手に頼めば引き受けてくれる確率が高い。勿論彼女の機嫌にもよるがな。
この鉄パイプ馬車を組み上げ、走らせないと見つからない不具合がかならず出てくる。
ビステルが仲間に居ると言っても彼女に設計図面は無理だ。彼女に形を指示する役はステラにしか出来んだろう。
意外にもステラがご機嫌な様子だ。余程この新型馬車に興味を持ったのだろう。
「で、この馬車はなんて名前だい?
開発時にコードネームは付き物ってさ」
それは俺も初耳だがな。お前は変な馬車を作るときに毎回そんなものを付けていたのか?
「それなら『カラバッサ』にしようかな」
「馬車にカボチャねぇ。変なセンス」
それは俺も全くの同感だ。何故馬車に野菜の名前を付ける?
それならまだキャロットの方が良いに決まっている。
そして契約の話になり。クレストさんはかなりの費用をこのカラバッサに投入するつもりであることが分かった。
しかも何処から聞いたのか俺達の工房の経営状態まで知っていたようだ。
これが凄腕冒険者と言われる所以か。
最初は先払いで幾らか振り込むと言っていたが、それは後から執事を連れて来て既存の馬車の発注に変更となった。
そのほうが不自然な資金の流れを作らずに済むし、設計が終わるまで職人達を遊ばせる訳にも行かないからウチとしても有難い。
その馬車は何かの用途があるようで、車体の完成後にステラに改造をさせると言う。何かの工場に使うつもりか?
話の途中に馬車を使ったレースが、とか彼のクチから出ていたのだが、どんな内容だろう?
だが、それにしても木材の流通が減っているのが痛いところだ。
硬くて摩耗に強い木材部は元々生産量が少ないのだが、近年減産傾向が顕著なのだ。何かトラブルが起きているのかも知れないな。
兎に角今受けている仕事は最優先で終わらせて、急いでカラバッサの詳細設計に入るとするか。
資金に不安が無ければ幾らでも遣りたい事が出てくるだろう。しかもあのビステルまで協力しているのだから、カラバッサは最高の車体になるに違いない。
だがこの男が俺の予想を軽く超えた発想を披露し、おれ達が悲鳴を上げたのは不可抗力と言うものだろう。