第102話 視察ですか? いいえ、撲殺です。
エマさんが我が家に下宿することが決まった。ギルド職員が側に居ると色々融通が利きそうとか考えた訳じゃない。
ブリュナーさんの作る食事が彼女の一番の目当てだけど、子供達がよく懐いているから一緒に居させてあげたいって思ったんだ。
寮まで送ると庭先でミランダさん達が出迎えてくれたが、ウッカリ下宿することをエマさんがバラしたせいで連行されちゃった。彼女の無事の帰還を祈っていよう。
そして翌日。昨日受け取ったばかりの革の上下とストレージベスト、肩掛け鞄を装備する。
行軍する際は肩掛け鞄ではなくリュックを背負う予定だ。
ライエルさんに指定された午前十時は冒険者ギルドが一番混む時間帯だ。太陽が昇りきらないうちに移動を始める冒険者が多いからだ。
その十分程前にギルドに到着した。ギルドの前では貯水池行きの馬車がスタンバイしている。今は御者のお爺さんが酒場で朝食をとってノンビリしている筈だ。
最近俺はこの依頼を受けていないけど、浮草回収の作業は進んでいるのかな?
先日アヤノさんが大きな鱒を釣ってきたから、多分大きな問題は起きていないと思うけど。
中に入ると案の定受付カウンターには行列が出来ていた。
その行列を回避して先に進むと、受付カウンターの一番右側に座っていたのはエマさんだった。
次の受付開始を始める前に、
「おはよう、クレストさん。二人が中で待ってるわ」
と執務室のドアを開けてくれたので、御礼を言って中に入る。
「来てくれたね。逃げないかとヒヤヒヤしてたよ」
と冗談だと分かる口調でライエルさんが言うと、
「ああ言う開発はコイツの趣味みたいなもんだろう。それを組織の金を使ってやれるんだ。楽しんでいない訳がない」
とレイドル副部長が冷静に俺の分析をする。
楽しいと思っているのは事実だけど、失敗したらどうしようって言う不安も大きい。
メイン会場となる闘技場(トリアーの古代円形闘技場を小さくして屋根を追加する)は屋根以外は俺の魔法でも作ることが可能だからそれ程気にしていないが、水道の敷設はかなりの手間暇が掛かるだろう。
「レイドルと大体の施設の場所は決めてある。水場も広場も森も斜面も広い空き地もあって、中々良い場所に目を着けたと感心したよ」
「確かにな。それにリミエンからたったの一時間だ。道を整備すれば馬車の速度も上げられる。
偶然とは言え、良い場所を提案したものだ。
総開発費が幾ら必要かが不透明だが、それは何処も同じだしな」
大きなテーブルに貯水池周辺の地図が広げられた。そこに破線で書かれているのが、各施設の場所の候補地だろう。
この地図では高低差が分からないので、それらが実現可能かどうかは定かではないが。
今日確認するのは一番肝心のメイン会場の他、体育館、レストハウス、馬車寄せ、キャンプ場、ジップライン、汚水処理施設、管理棟だ。
フィールドアスレチックの私設は自然の地形を利用して適宜制作すれば良い。
スペース的には問題ないが、平坦な場所が無ければ建物は建築出来ない。それにクレーン車擬きを通す為にも平らな道路が必要だろう。
基礎工事には土属性魔法の使える人を雇えば意外と簡単に完了するだろう。
俺としては大勢の作業員を寝泊まりさせる為の場所を最初に確保し、メイン会場と道路整備が優先だと考えている。
現代の日本おいては開発工事で最初に着手すべきは道路だと思うが、こちらは異世界。ぶっちゃけ魔法使いを並べての力技でどうにか出来るに違いない。
木材を大量に使用するのが問題だが、そこは何とか凌いで貰うしかない。薪なら魔法で急速乾燥させた木を使えば良いだろうし。
建物は石造りが基本だが、木材は家具にも使用するのだから大量確保が必要だ。
今年の秋に開催予定のマジックハンドコンテスト略してマジコンは、メイン会場さえ完成していればイベントは開催可能だ。
人を沢山集めるので食べる物を提供する場所、食べる場所、トイレは不自由しないように用意しておくのは言うまでもない。
出発の時間となりロビーに出ると、その場に居た冒険者達がライエルさんを見付けて挨拶をする。それを手で止め、
「まだ依頼を決めてない人、何人か付いてきて。ちょっと計測のお手伝いをして欲しいんだ」
と声を掛ける。
今から募集するの? マジですか?
募集と言うより、これはちょっとした試験なのかも。咄嗟に反応出来る人を見極めるのに丁度良さそうだし。
緊急依頼では無くお手伝いのお願いだ。報酬は不明。さてどう動く?と言ったところか。
掲示板の前に居た新人のように見える冒険者がもじもじしながら手を上げた。
それを見て、近くに居た若手がおずおずと手を上げ、全部で五人が集まったところで締め切った。
「じゃあ行こう。日当は現地で狩った獲物を五人で頭割りするよ。クレスト君は運搬とかを宜しく」
アヤノさんとサーヤさんが魔鹿を狩ったように、この五人でやらせるの?
どう見ても頼りなさそうだし、絶対怪我するぞ。それともライエルさんがやるのかな?
きっとそうだろう。
浮草回収の依頼を受けた冒険者を運ぶ馬車は先に出発していたが、それとは別の一台がギルド前に停車していた。
冒険者ギルドの旗が刻印された群青色の馬車で、その後ろにリヤカーのような台車が牽引されている。馬は二頭立てなので全員を乗せても馬力は足りるだろう。
そこから小一時間で現地に到着すると、ライエルさんが地図を大きな木の板に載せて予め打ってあった杭の前に移動する。
そして大きなメジャーをマジックバッグから取り出すと、
「ここが運動公園のゲートになる。建国百周年記念のイベントをここで行うんだ。君達はそのため第一歩を他の人達より早く踏み出すことになる。
誇って良いよ。まぁ、その分走り回って貰うかも知れないけどね。
時間は有限だ。急いでやろう」
と本気か冗談か分からない口調で言う。
募集した五人にメジャーや色々な道具を渡すと、地図の点線を目安にして建築する建物の四隅と十メートル間隔で杭打ちしてロープを張るのが目的だと告げる。
そして彼らに『遣り方は任せるから、なるべく早くね』と丸投げしたと言うか、一任したのだ。
彼らを放置し、メイン会場となる闘技場擬きの予定地を見る。感想を聞かれ、うまく隆起しているので、工事はそう難しくは無さそうだと答える。
サッカースタジアムのような形をしていると言いそうになって焦ったが。
センターを決めて平らな闘技場のエリアを設定する。観客の収容人数は二千人程度。
地球に現存する闘技場に比べればゴミみたいサイズと言えそうだが、屋根を設置するのが前提だからそれでも多いだろう。
全体的には自然の地形を活かして小判型になる。四角い舞台は三つ並べ、同時に三試合を行えるようにする。面積も四十メートル×八十メートルぐらい取れれば十分だと思う。
細長過ぎると、端の方に居る人は舞台がよく見えなくなるからもうすこし短くするか?
先に梁が最大何メートルまで可能か調べないといけないか。タイタニウムを使えば軽くて丈夫だから、大きな梁が渡せるだろう…予算?何それ美味しいの?
冗談は置いといて、詳細設計は技術者に任せるからこの場所にゴーサインを出して、次の施設候補地に向かう。
移動に自転車か魔道キックボードが欲しいが、その前に下草だらけの地面をどうにかしないとね。
と思うとライエルさんが風の魔法を使って綺麗にスパパパと刈り取り、剥き出しになった地面を指差す。俺にどうにかしろと?
へいへい、やれば良いんでしょ。地面に手を付き、『大地変形』でライエルさんの魔法の範囲を整地する。
「それは『古代魔法』か?」
不思議な物を見たとレイドル副部長が驚いた。今日はライエルさんにお任せなのか、随分静かだったから居るの忘れてたよ。
『古代魔法』なんて単語は初めて聞いた。魔法の授業を受けたことが無いんだから、何が何魔法かなんて知らないよ。
「いえ、『便利魔法』です」
真面目な顔を作って答えると、呆れた顔をした後に俺の首を締めに来た。
「便利じゃない魔法はねえよ」
「ごもっとも…お花畑が見えて…ガクッ」
「相変わらず仲が良いね」
それは誤解です!
「遊んでないで、さっさと次行くよ」
とマイペースのライエルさんがスタスタと先を歩き始めたのでレイドル副部長の手を振り解いて後を追う。
次は傾斜した場所に来た。斜面には背の低い灌木が茂っているが、これまた風魔法でスパッと解決し、後始末を俺がやる。俺が連れて来られた理由って、アドバイザー的な役割じゃなくて純粋に整地作業員としてだよね?
「はい、ご苦労さま。それでここはジップラインになるけど、距離が長いとワイヤーロープをピンと張るのが難しいだろうね」
それには張線器を使いますよ。今は言わないけど。多少は弛ませておく必要があるし。
あと、安全に着地出来るように終点を整備しないとね。まさか木と木にワイヤーを張って、木にぶつかって止めるつもりだったとか言わないよね?
その次はだだっ広い空き地に来た。ここはキャンプ場になるだろう。テントが百張りは設置出来ないとね。一ヶ所に集めず、幾つかのグラウンドに分けても良いのか。
その分だけ水場とゴミ捨て場の整備が必要だけど、混雑することを考えると分散させた方が良い。
今は空き地だけど、イベントの時にはここに人が集まるのだから不自由の無いように手配しておかないと。
「ちょっと広いけど出来る?」
何がとも言わないけど、整地ですよね? やりますよ。
五十メートル四方に設定した範囲を『大地変形』で整地するのはさすがに骨が折れた。勿論物理的にではないよ。
それを場所を変えて三度も繰り返すと流石に魔力残量がキツくなる。
昼休憩に御者のお爺さんが用意してくれた魚料理を食べて少しは回復したけど。ま、じっとしてれば時間経過で回復するんだけど、お腹いっぱいの方が効率は良いみたいだ。
午後は水道のルートを確認していく。貯水池から少しだけ寄った所に逆サイフォンの原理を利用した貯水槽を設け、そこから運動公園全体に水道を張り巡らせる。
貯水槽横には更に一段上げた場所にタンクを設け、魔道ポンプで汲み上げるらしい。
この近辺は丘陵地も多いので、土を盛り上げる必要は無く綺麗に削れば済む。勿論その作業もやらされたけど。
十時と三時のおやつ休憩の文化を広めたことだけは、召喚勇者達を褒めてやろう。
こちらは半日が十六時間なので、三時ではなく午後四時がおやつタイムだから多少の違和感はあるが。
ライエルさんの持ってきたクッキーを戴きながら一休みした後、
「新米達に払う日当を狩ってきてもらえるかな?」
と、さも当然のように俺に命令するライエルさんに少しだけイラッ。
この辺りには肉食獣系の魔物は居ないが、害獣指定の魔物は出てくる。
「トレス爺さんが角付きを見たらしいから」
勿論隊長マークのことでも無ければアホ毛のことでも無い。正真正銘、頭に生えたツノである。つまり雄の魔鹿が居るので討伐してこいって意味だな。
道理で何枚もクッキーを勧めて来るわけだ。
貯水池周辺を安全に保つのも冒険者ギルドの仕事の一つだから、頼まれたら断るわけにもいかないか。
ちなみに魔鹿のツノは枝分かれの多い程強力な個体だと言われている。日本鹿は最大四つ股ぐらいにしかならない筈だが、ここらの鹿はどうなんだろうね?
グイッとお茶を飲み干し、魔鹿を誘き寄せる為に御者のお爺さんが罠を張った場所に向かう。
罠と言っても下手な罠なら簡単に引き千切るそうなので餌をばら撒いただけらしい。それって罠じゃ無いじゃん、と突っこんだ時には既に遅かった。
お爺さん特製の餌をムシャムシャと食べる八股ぐらいの尖ったツノを持つ大きな魔鹿と御対面する。
「あのツノに貫かれると死ぬわぃ」
とお爺さん分かりきった解説を聞き流す。
「なるべく頭と毛皮に傷を付けんようにな」
と有難い追加注文が飛んでくる。
そそくさと離れるお爺さんは無視して魔鹿を睨むと、魔鹿に睨み返された。向こうさんもやる気満々らしい。前掻きと言うのか、二度ほど軽く地面を掻く仕草は興奮している証拠かも。
頭を下げ、凶悪なツノを先頭にして突進を始めたその姿には可愛らしさなんて一欠片も無い。
誰が危険な魔物はこの辺りには居ないと言った?
三百六十ccの軽自動車が角を付けて突っこんで来るのと恐怖感はそう変わらないぞ。
骸骨さんのマジックトンファーでシールドを張っても、質量と言う武器は止められないだろう。交通事故に遭ったように跳ね飛ばされるのがオチだ。
頭をカチ割るなと言われると、ホクドウで頭を叩く訳にも行かなくなる。
骸骨さんの殺気を飛ばすスキルはあまり人には見せたくない。そうなると、やはり狙うのは一ヶ所しかない。
「『大地変形』からの連続『落とし穴』!」
急速に地面を変形させるには効果範囲を限定しなければならない。大きな落とし穴を一つ掘るのでなく、嫌がらせのように浅い落とし穴を幾つか作り、脚をとらせて減速させる。
それでも魔鹿は急に止まれない。正面衝突寸前で左クルリと回転しながら躱し、その遠心力を利用してホクドウでバシッと腹部辺りに横からの一撃を入れた。
手に衝撃が伝わるが、毛皮と筋肉の鎧のせいで致命傷には至らない。内臓を破ると肉が食えなくなるから手加減したさ…。
それでも予想外の傷みに魔鹿が悲鳴を上げ、脚を滑らせ転倒した。
ここで油断し、バタつかせる長い脚に蹴られたりすれば重傷を負うのは確実だ。
だが立ちあがる前にケリを付けなければいちからやり直しだ。弱点の長い頸に全力でホクドウを打ち下ろす。チマチマと傷を付けるのでなく、やるなら一息に。
最後の痙攣を起こして命の絶えた魔鹿に一度手を合わせる。魔物とは言え、全力で戦った相手に対する弔いの気持ちは忘れない。
「まさか本当に傷を付けずに倒すとはのぉ」
横たわる魔鹿を見物するお爺さんが感心したように呟く。
おいおい爺さん、無茶振りしとったんかい!
流石にこのサイズのツノを持つ魔鹿はマジックバッグの口より大きいので入れられない。
それでも幸いと言うか、魔物は体内に流れるマナの影響もあって血抜きをしなくてもそれ程臭くなることはない。
だから安い屋台飯でも、冒険者達が狩った魔物の肉を美味しく頂けるのだ。
魔鹿を荷車に積んで小屋まで運び、新人冒険者たちが乗ってきた台車に積み替えてリミエンまで運ぶことになる。
「いやー、クレスト君を連れてきて正解だったよ。普通の子達じゃ、こんな大きな獲物を綺麗な姿では倒せないからね」
と言いながら俺の頭を撫でる。
ライエルさんから見れば、俺はまだ子供程度ってことかよ。
「実は私にも無傷で倒せるスキルは無いからね。大きな羊皮紙が取れそうだ。良かった良かった」
風を自由に操ることが出来るライエルさんなら、窒息死させることも可能だと思うのだが。
この人の言うことを鵜呑みにする程、俺は素直じゃ無いからね。話半分に聞いておこう。
この日以降、俺のことを勝手に兄貴と呼ぶ仲間?が出来たのだが、その事を知るのは山から帰ってからのことになる。
第6章はこれで終わりです。
明日、明後日に2話ずつ閑話を挟んでから第7章に入ります。