第89話 ごめんなさい!
ルケイドの兄であるディアーズから逃げて冒険者ギルドに来てみれば、頼みの綱のライエルさんは貯水池の視察に行って不在だった。
でも領主であるリミエン伯爵から委任状が届いていたので、これで堂々と山に立ち入ることが出来るだろう。
そしてかねてよりの懸案事項だった特注馬車の製作の為に『ボルグス馬車工房』を訪ねると好感触。
もう一軒の『モルターズ馬車工房』も巻き込むことに成功し、鉄パイプ製のフレームが手配出来れば作って貰えることになったのだ。
「いや、まさかあの『鋼拳』のクレストさんがこんなに若いとは思わなくて。
偉そうな態度を取って御免なさい!」
そして今、目の前でステラさんが絶賛土下座中なんだよね。
先に自己紹介しなかった俺が悪かった訳だし、気にしてないんだけどね。
どんな人物像が噂で流れているのか知りたくないなぁ…。
「短気で怒りっぽく、誰にでも噛みつく狂戦士だと言う話だったしさ」
おーぃ、骸骨さん。なんか心当たりがあるんじゃないか?
…。
ちっ、やっぱり返事は無いか。
いつも勝手に出て来て、言いたい事だけ行って逃げるんだからタチが悪いよなぁ。
莫大な遺産には感謝してるけど、喋りの方ではもう少し穏やかな対応をしてくれると有難いんだけどさ。
「もう謝らなくていいから話を続けましょう。
フレーム、足周りと舵取り装置の部品は俺とビステルさんで手配するから、ボーゲンさんは組み立てと艤装、ステラさんは不具合の改修を頼みます」
「はいっ!」
土下座から復帰してテーブルに付いた二人と契約書を作る必要がある。
その為には誰が何をするか、明文化する必要があるのだ。
金属部品の加工は大半がビステルさんで、それ以外の部品の製作がボーゲンさんになるだろう。
作業が進めばその時々で臨機応変な対応が取られると思うが、そう言うのも含めて三人に損をさせるつもりは無い。
ビステルさんとは契約書を交わしていなかったので、次に行った時に作るつもりだ。
「費用は人工費を含めて掛かった分はお支払いします」
「そんな、とんでもない!
実費だけで十分で」
「それこそとんでもないですよ。
ボーゲンさんもステラさんも、職人さん達に給料を払わないといけないでしょ?
輸送業ギルドに行った時に経費として幾らかお二人のカードに入れておきますから。
カラバッサの完成前に倒産されたら困りますし。
あ、勿論倒産は冗談ですから」
二人の工房の経営状況なんて知らないし。
自動車社会と違って馬車が交通の足になる世界だから、馬車工房が赤字になるとは思わないけどさ。
ポンポン短い周期で買い替えるものでは無いし、それ程の需要があるとも思えないんだよね。
リミエン程度の町に三軒も馬車工房があることにビックリしてるし。
その内の一軒はベンディの店だからノーカンだけど、ステラさんの工房なんてちょっとヤンチャな人達が好きそうな馬車を作っているんでしょ?
かなりお客様の絶対数が少ないと思うんだよね。馬車を使ったレースがあるのなら話は変わってくるけど。
他の領や町のことは知らないけど、それなりの規模の町なら一軒ぐらいは馬車工房があるだろう。
他領から注文が来るようにしろとは言わないけど、カラバッサの面倒をずっと見続けて貰いたいから、この二人の馬車工房の倒産だけは絶対に避けたい。
もし倒産しそうになったら援助するから早めに言ってくれよと思うぐらいだ。
そんな俺の話を聞き、微妙そうな顔をする二人。
えーと、やっぱりアホな冗談を言ったのがマズかった?
「馬車用の木材価格などの上昇で資金繰りが悪化しているのをご存知でしたか」
とボーゲンさん。
マジですか…それは訪問したタイミングが良かったと言うべきなのか?
「車輪や車軸に使う、硬くて軽い木が特に値上がりしてきてるわね」
「元々生産量が少ない木だから仕方ないだろうな」
それって馬車で一番大事な部品じゃないですか。
カラバッサの車軸は金属製だけど、車輪は既製品を使う予定だったんだ。
木が高いのなら、鍛造の軽量ホイールに変更しようかな。でもアルミ合金が無いから無理か。
それならいっその事バイクのスポークホイールみたいな物にするか。
おっと、今は呑気にそんな事を考えてる場合じゃ無い。経営状況があまり良くないらしい二つの工房の支援を考えないとね。
でも現金をポンと渡して解決ってのは違うよね。釣った魚を渡すんじゃなく、釣り方を教えるのが救済の基本だっけ?
でもなぁ、俺には企業経営の知識も経験も皆無だから遣り方が分からないんだよ。これは困ったな。
それにここでも木材不足が影響してるみたいだし、かなり深刻な問題になっているんだね。
「当面の資金の援助はしますから安心してください」
と、ついクチから出てしまった。
幾らぐらい必要なのか全く分からないんだけど。まさか億円単位とか言わないよね?
取り敢えず、カラバッサの開発費用名目で大銀貨一千枚ずつ渡して詳細設計を始めて貰おうかな。
今までオール木材の馬車しか扱っていないんだから、後からポンと載せるだけの運転席と客室だってキチンと設計を仕直す必要があるだろうし。
そうなると、ステラさんにも設計段階から参加してもらった方が気兼ねしなくて済むかも。
経営ってデリケートな話だから専門家に相談したいな。
そう言えば、ブリュナーさんは随分あっさりとダミー商会の件を引き受けてくれたけど、そっち方面にも強いのかな?
家に帰って聞いてみようか。
ボーゲンさんとステラさんには今ある仕事を最優先で片付けて貰い、それからカラバッサの開発に入るようにお願いして家に戻る。
玄関を開けると、見知らぬ男性用の靴が二人分、女性の靴が一人分置いてあった。どうやら来客らしい。
この玄関だと靴で来客の有無が分かるから便利だよね。
シエルさんの靴が無いから買い物に出てるんだろう。と言うことは、来客の対応はブリュナーさんがしてるってことだね。
リビングに入る前にドアをノックするとブリュナーさんが顔を出した。
「親方様、お帰りなさいませ。
カンファー家のご当主と次男が面会を求めております」
あのポンコツが来てたのかよ…面倒くせぇな。
でもなんで当主まで来たんだろ?
当主ってことは、ルケイドの父親ってことだから、失礼の無いようにしないと。
骸骨さん、頼むから大人しくしといてよ!
…。
返事は相変わらず無しか。
仕方ない、意を決してリビングに入ると出来損ない次男のディアーズとガールフレンドのリイナ、それと今日何処かで見た四十代の紳士が並んで床に正座をしていた。
「あの、なんで床に?
ソファに座ったら?
この床はコルクを敷いてあるから痛くないけど、余所ではやらないようにね」
と少々呆れながらそう声を掛ける。
すると紳士が、
「ソファなど滅相も御座いません。本日は我が家の愚息が大変なご迷惑をお掛けし、誠に申し訳御座いませんでした!」
と勢い良く土下座をするのだ。
へぇ、やっぱりこっちにも土下座があるのか、勇者どもがこれを伝えない訳が無いよな、と今はどうでも良い事を考える。
「で?」
とディアーズを見ると、慌てて「申し訳ありません」とガールフレンドと一緒に土下座を始めた。
事情は聞かなくても分かる。
当主が領主に呼び出され、俺達が山の調査を入ることを通達された。
その時に街の中でポンコツのディアーズが俺にイチャモン付けていたことを知って、慌てて謝罪に来たってところだろう。
「あのさ、そうやって土下座されても何も解決しないんだよ。時間の無駄だからやめてよ」
土下座を無駄と言うのは俺ぐらいか?
でもポンコツ次男や無能な当主に謝罪されたところで、なんの役にも立たないんだしさ。
ガールフレンドなんて完全に巻き添えを食ってるだけだし。
「ゴホン、親方様、もう少し柔らかく仰ってください」
とブリュナーさんが少し笑いながらアドバイスを入れてくるけど、
「言い方を変えても意味ないし。
それにルケイドと付き合いがあるからカンファー家とは金銭で解決する訳にも行かないんだ。
だから悪いけどハッキリ言わせてもらうよ」
と俺は態度を硬化させる。
「当主さんは山の問題が起きてからの対応が全然なってない。
木材の安定供給を担う筈の貴族家なのに、問題を先送りにしてきただけだよね。
領主様にそう言われたんじゃない?」
「はっ! 誠にその通りでございます」
馬車の中で大体の経過はレイドル副部長から教えてもらっている。
原因不明で山の異常が解決出来ないのなら、さっさと違う事業を始めてりゃ良かったんだよ。それをずっと放置してきたから現在リミエンが木材不足に陥りかけてんだ。
厳密に言えば、山に生えている木はまだまだ沢山あるので禿げ山ばかりになっている訳ではない。
だけど伐採して山から運び出すルートが確保出来なければ意味が無いし、運べたとしてもその為の費用が木材価格に上乗せされる訳だ。
土砂災害防止の為にも、手当たり次第に町に近い山から順に全部の木を切り倒す訳にもいかないしね。
俺の指摘を聞いて当主さんが更に床に額を押し付ける。壮年男性の皮脂が付くから辞めて欲しいんだけど。
「ディアーズさんはそんな家の状況をリイナさんに一切教えていない。
何処のお嬢様か知らないけど、財産目当てに付き合ってると思われても仕方ないよね?
即ち詐欺罪だ。俺に謝るよりリイナさんに謝るべきだ」
これに対してディアーズはゴモゴモと口篭もるだけで言葉は無い。すると彼女の自己紹介でも聞いたのか、
「ファロス武器店のご令嬢に御座います。
こちらのご当主はバイロ・カンファー殿です」
とブリュナーさんが教えてくれた。
ファロス武器店?
聞いたことがあるような無いような…二軒の武器店に欲しい武器が無かったって印象しかなくて記憶に無いや。
俺が困っていると、
「親方様、リイナ嬢はビリー殿の姉上で御座います」
と仕方ないなぁと言った風に教えてくれた。
「あ、ビリーのお姉さんか!
土下座なんてしてないでソファに座ってよ。こんなの知られたら俺がビリーに怒られるから。
男二人は床でもいいや。でも土下座はやめて。汚れるから。
こんなポンコツに育てた当主さんの罪は重いけど、今更土下座しても解決しないし」
俺のセリフにリイナさんが軽く笑い声を出し、おずおずと立ち上がろうとした。
すぅっと動いて手を差し出すブリュナーさんの仕草が格好良い。
「領主様の発行した委任状を受け取って来たんだ。ブリュナーさん、確認してくれる?」
「はい、拝見させて戴きます」
委任状を肩掛け鞄から取り出してブリュナーさんに渡すと、スラスラと読んでいってニッコリ頷き、
「はい、これで間違いありません。ディアーズさん、確認してください」
とポンコツに渡した。
正座をしたままのポンコツが委任状を受け取り、上から下まで読んでいって更に顔を青ざめさせる。
「それを見たら俺からの説明は要らないよね?
俺もこれ以上の謝罪は要らないし。
そう言う訳で、次があればだけど、次からは気を付けて」
エンガ二みたいに分かり易い悪党なら、殴り飛ばしてお終いに出来るから簡単なんだよね。
でもこう言うケースだと武力で解決も出来なくてストレスしか残らない。くそぅ、俺も随分脳筋色に染まってしまったもんだよ。
「バイロさん、ルケイドは新型の洗浄剤を作るので忙しいからね。
今後は商業ギルドのバックアップもあって、洗浄剤と紙を研究するようになる。
成功すれば、いや、確実に成功するから今のカンファー家より大きな資産を持つことになるだろう。
アイツはもうすぐ十六歳だ。本人に家を出て自立する気があるかどうかは知らないけど、領主様は恐らくカンファー家を潰してルケイドを新たな貴族家に取り立てるだろう。
だからと言ってアイツにたからないようにね。ルケイドに顔を合わせることが出来るように頑張ってください。以上です」
酷い言いようだと思うが、同情の余地は無い。それならハッキリと自分の立場とルケイドの立場の違いを言ってやる方が良い。
この二人の相手をするより、さっさとブリュナーさんに馬車工房の話をしないといけないんだ。
「で、リイナさんはこれからどうするの?
好きなら辞めとけとは言わないし」
敢えてハッキリとは言わないが、言わなくても分かるだろう。
「私もクレスト様の言葉を聞かず、ディアーズをけしかけるような態度を取ってしまいました。申し訳ありません。
今後のことは少々考える時間を下さい」
ダメな男を好きになる女性も居るそうだし、誰と付き合うかなんて本人に任せるしかないだろうね。
これ以上は彼らの相手をする気にはなれないので、
「後はブリュナーさんに任せたから」
と言って自室に戻る。
三人が帰ったら報告に来てくれるだろうから、それまではカラバッサの図面の見直しでもしながら時間を潰そう。
それから五分程して、玄関の方から賑やかな男達の声が聞こえてきた。
どうやらガルラ親方達が改築用の荷物を運んでいるようだ。
二階の屋根の目隠し用フェンスはいつの間にか完成していたし、そう言えば二階のおトイレも現在改修作業中だ。
浴槽は特注品なので浴室にはまだ着手出来ない筈だから、厨房用の資材を搬入しているのだろう。
後でジックリ楽しみたいので、完成するまではなるべく見ないようにするつもりだ。
親方達と入れ替わるように三人が出ていったようで、ブリュナーさんが部屋に入ってきた。
「実に厄介な人達でしたね。
ところでその図面は? 馬車のように見えますが」
「これは俺達専用の新型馬車だよ。鉄パイプのフレーム、舵取り装置、衝撃吸収装置、軸受け、車輪なんかが従来の馬車と違うんだ」
「それはほぼ全てが違うのと同じでは?
変わらないのは座席ぐらいかと」
そうとも言うね。
それで、ブリュナーさんに助けてもらわないといけないことをお願いすると、
「経営状況が悪いからと現金を渡す、それは良くない事です。
救済目的であれば、既存設計の馬車を何台か割高な金額にして発注した方がまだ宜しゅう御座いますな。
その方が会計的にもおかしくなりませんし、職人達のモチベーションを維持できるでしょう」
そう言うものなのか。でも俺は既存の馬車なんて要らないし。
ステラさんに少し改造してもらって、商業ギルドにでも払い下げようかな。それか領主様に譲っても良いか。定期的に馬車のリプレイスはしている筈だし。ヨシ、そうしよう。
「その新しい馬車については、二つの工房で月毎に契約を結べば良いかと。
大まかなスケジュールを立て、概算見積を作らせて二割程度の上乗せをして支払いましょう」
「月契約か。それは考えて無かったよ。
あ、それならビステルさんとも月契約を結んだ方が良いのかな?」
「いえ、親方様の設計済みの物を作ってもらうだけなので、発注のたびに支払いましょう。実費と時間単価で清算する方が彼女もラクでしょう。
もし彼女に何か考える仕事を出すのなら、そちらは月契約を結びましょう」
なるほどね。ブリュナーさんに来てもらって大正解だったね。
それなら方針修正を連絡するため、早めにボーゲンさんとステラさんの工房に行こうとブリュナーさんを連れて家を出たところで、一人で真剣そうな顔をして歩いているリイナさんと遭遇した。
「あれ? どうしたの?」
と声を掛けると、彼女がパッと明るい顔になった。
そして、
「クレスト様!
どうか私とお付き合いをお願いします!」
と予想外も大概にしろと言いたくなるセリフを吐くものだから条件反射で、
「ごめんなさい!」
と頭を下げた。
うん、俺の対応って間違っていないよね?