第84話 ちょっとしたトラブル
我が家の食堂で家族六人とプラスでビステルさんとエマさんを加えた八人で夕食を食べることになったのだが、ビステルさんの言葉にブリュナーさんが少々お冠になってしまった。
でもいつかは俺も誰かと結婚することを考えないと行けない時期が来るのかも。
後十年は猶予期間があると思っていただけに、やっぱり世界が違うのだと認識を改めたのだった。
そして翌日。
朝食後に向かったのは『エメルダ雑貨店』だ。
いつもの挨拶「大将いる~?」を今日は「ルケイドいる~?」に変更した。
「随分な挨拶だな」
と珍しくバルドーさんがカウンターからお出迎えだ。いつもならそこでエリスちゃんが何か作っているんだけどね。
「ゴクドウだ。振ってみろ」
と無造作に掴んで投げ渡された木刀を反射的に空中キャッチする。
思ったより重いのは比重のせいか。
「では、早速」
左腰の鞘から抜くイメージで体の正面まで持って行き、そこで両手に持ち替える。基本の中段の構えを取ってゆっくり振り上げ振り下ろす。
次は早く。その次はもっと早く。
風を切る音を立てて何度か素振りをして、
「良いですね」
と一言だけ感想を述べる。それだけでバルドーさんも満足したようだ。
「その木ならもう少し長くても強度的に行けると思うがな。
どっちみちゴクドウで鋼の武器と打ち合う予定は無いじゃろ?」
それは当たり前ですって。誰が好き好んで硬度と比重で負けている武器と打ち合うかってんだよ。一撃で薪に変えちまうような勿体ないことは出来ねえ。
「ゴクドウじゃなくてホクドウですから。
で、今日はエリスちゃんは?」
「マーカスんとこで売り出されたストレストを買いに行ったぞ。生地の種類やポケットのサイズや位置を変えられるそうじゃないか」
「名前はストレージベストね」
「それならストレートで良いんじゃないか?」
「随分まっすぐなベストだね」
エリスちゃんが買いに行くのなら、ポケットの代わりに工具が収められるホルダー付きにしたほうが良さそうだな。
いや、それなら腰に提げる鞄みたいなやつの方が良いのかな。
体の前面にナイフやノミやトンカチなんかを装着した服を着た女の子…やっぱりこれは絵ずら的にも無しだな。
刀身を少し延ばしたホクドウMKⅡをバルドーさんに頼んでから石鹸の実験室に入る。
朝早くから地道な研究に取り組むルケイドと親衛隊のチャムさんに感心しながら、商業ギルドが本格的にバックアップに入り、近くに別の研究所を借りることを教えておく。
そして本題の山の調査についてもルケイドの同行を頼む。
自分の実家の所有地を調査と言え他人に立ち入らせるのだが、勿論ルケイドにも断る理由は無く、快く了承される。
「四日後に出発予定だね。
じゃあ、調査に出ている間はチャムさんがリーダーになって他のメンバーに指示を出して下さいね」
「分かりました。
ルケイド様の為に全身全霊を掛けて任務を遂行致しますわ」
ルケイドの指示にヤル気をバリバリと見せて応えるチャム婦人に少々不安を感じるがクチには出さない。顔には出ているかも知れないけど。
「それと、紙も新しい拠点で試作を始める。
俺の知ってる製法は書き出したけど、一応見てもらえるか?」
昨夜のうちに記憶を頼りに書いた紙の製法をルケイドにも確認してもらい、少しコメントを書き足してオーケーが出た。
しかしその時、
「ルケイド様、本当に紙の製法まで教えて良いのですか?」
と、ルケイド親衛隊のチャム隊長が不満そうにルケイドに文句を言うのだ。
元々ルケイドも紙を作るつもりでいたし、何が問題なんだ?
「クレストさんは商業ギルドの回し者なのではないでしょうか?」
と不審げな視線を俺に投げ掛けてくる。
その言葉にルケイドが俺を一度見て、首を横に振った。
「チャムさんが何故そこまでクレスト兄を悪く思うのか分からないけど、失礼が過ぎますよ。
元々この洗浄剤作りはクレスト兄が始めたことで」
ルケイドの擁護が気に入らないのか、
「だから、それこそ商業ギルドからの依頼なのでは!」
とルケイドの言葉を最後まで聞くことも無い。
俺が石鹸の作り方を知っていたのを不審に思っているのだろうか?
それとも他にも何か理由があるのか?
この調子だと、まだ他にも奥様ネットワークの中には俺に対する不信感を持っている人が居るかも知れないな。
その点、ルケイドはカンファー家の人間だから身元はシッカリしているから問題無い。
いや、落ち目とは言え曲がりなりにも男爵家のルケイドと流れ者の俺とでは、元から信頼度が段違いで当たり前か。
ルケイドがチャムさんを見て大きく溜息をついた。
「チャムさん…確たる理由もなくクレスト兄を敵扱いするような視野の狭い人が近くに居ては、今後僕達の邪魔になる未来しか見えません。
態度を改めて貰えないのなら、このプロジェクトから外れて貰います」
おー、若いのに思ったより言うじゃねえかよ。よしよし、もっと言ってやれ!
でもマイルドに頼むぞ。あまり怒らせると何をするか分からんからな。
「私の何が悪いのですか!
こんなどこの馬の骨かも分からないような」
とチャムさんが俺を指さして言った瞬間、ルケイドの体から初めて見るような怒気が一気に放出されたのだ。
「出ていけっ!
僕の目の前からすぐに消えろ!」
ルケイドが感情のコントロールも忘れてそう怒鳴り散らしたのだ。
あー、これはやり過ぎたな。
そりゃ言いたいことは分かるけど、言い方一つ、態度一つ間違うだけでも禍根を残すからな。
でも奥様ネットワークを頼りきりにしてたら、いずれはこんな目に遭ったかも知れないんだよね。
「大声出して、何があったのですか?」
と騒ぎを聞き付けてエメルダさんがバタバタしながら入って来た。
ルケイドとチャムさんがこうなった経緯を彼女に話すと、
「それは…ごめんなさい、私の責任ですわ。
ちゃんとクレストさんのことを皆に教えず、利益だけを話してチャムさん達を仲間にしたんですから」
と俺に頭を下げる。
俺も知らない間に婦人達が作業場に来て実験に取り掛かっていたから『何で?』と疑問に思っていたのは事実だし。
こう言う利益を生み出す可能性のある計画を進めるのに、仲が良いからとか、知り合いだからとか、そんな理由で仲間に入れたのなら何処かで必ず揉め事が発生する。
それを防止するには、きちんとした組織化を図り、役割分担と役割に応じた成果報酬を支払わなければならないのだ。
仲良しグループが上手く機能するのは利益が発生しない場合のみだ。
今回の石鹸作りにおいては、彼女達奥様ネットワークの人達は自分の懐を傷めることなく利益を享受できるのだからと、言い出しっぺの事も確認せず、俺のこともロクに知らずに参加していたらしい。
そう考えれば、今回の騒動は起こるべきして起こった事態だよな。
「そもそもどこの馬の骨かも分からない人に、成功すれば莫大な利益を生むような依頼が商業ギルドから出ることはありません。
それに商業ギルドが噛んでいたら、わざわざウチみたいに小さな場所を使う訳が無いわよ。
そう言う事を考えずに、ウチの金蔓を身元不明の不審人物扱いするのは短慮が過ぎるわ」
エメルダさんのセリフには一部に不穏なニュアンスの言葉が混じっていたような気がするが、一応俺を援護してくれたんだよね?
エメルダさんに諭されて、少しはチャムさんの頭が冷えてくれたら良いんだけど。
理論的思考の出来ない状態の人相手に理論的に言っても意味が無いんだよな。
「ルケイド、さっきのは言い過ぎだからな。
チャムさんからすりゃ、俺が身元不明な不審人物に見えても仕方ないしさ」
「でもさ…」
「良いから良いから。
多少は腹立つけど、怒るほどじゃない」
少しヒートアップ気味のルケイドを落ち着かせないと。
「ルケイド様は悪くありません」
怒鳴られたことにショックを受けていたようだけど、チャムさんが立ち直ったようだ。
でも相変わらず俺に向ける視線は敵対してんだよね。
居心地が悪くなり、
「紙の生産は昨日領主様からもお願いされて、作る予定だったと言ってきたばかりなんだよね」
と、言わなくても良い事を言ってしまった。
「ご領主様がアンタみたいなのにお会いする訳ないじゃない!」
…プチンッ。
「この人、昨日からなんなの?
初対面で失礼な態度は取るわ、人の話もロクに聞きやがらないし、嘘つき呼ばわりか」
完全に頭に来たよ。もう知らねぇ。
「元々ルケイドと知り合った時点で、洗浄剤作りも紙作りも全部ルケイドにリーダーを任せるつもりだったから別に良いんだけど。
さすがにアンタにはムカついたわ、もう来ない」
ルケイドとエメルダさんの制止を聞かずに実験室を出ると、バルドーさんが心配そうに寄って来た。
「やっちまったか」
「もう少し話の出来る人じゃないと。
アレは無いわ。
昨日から何故か俺に悪態ついてばかりで、今日もまともに話にならない。
あれじゃ俺にはストレスにしかなりません」
「スマンな。エメルダも欲に目が眩んでそう言うところが抜けておったようじゃ」
男二人が同時に溜息をつく。
「ホクドウが出来たらウチに来て下さい。お茶ぐらい出しますから」
「あぁ、そうさせてもらう」
「それと、後でエメルダさんと洗浄剤作りに関係した奥様達は全員商業ギルドに行くように伝えて下さい。
しっかりした契約を結ばないと、今後もっと大きなトラブルを起こすかも知れませんから」
「そうする。重ねてスマン」
頭を下げるバルドーに手を振って店を出る。
気は進まないが、早めにレイドル副部長に話を付けておかないとね。
足早に向かった商業ギルドの三階にさっさと上がる。
対策本部のドアを開けると、すぐに雑務係のスレニアさんと視線が合った。
「おはよう御座います!
さぁどうぞどうぞ、クレスト切り込み隊長!」
「いや、そんな役職無いから」
奥に座るレイドル副部長に視線をやると、両手を上げてヤレヤレのポーズを取る。
「スレニア君、お茶を出してあげて」
「はいっ、大変喜んで!」
チャムさんのせいでささくれ立っていた心が少し癒された気がする。
ダメな女にコロッと行くのってこう言う時なのか? ここは十分に注意せねばマズい!
「思ったより早く来たな。
今日は来ないかと思ったぞ」
「イヤだなぁ、俺とレイドル副部長の仲じゃないですか」
ペッ! 言ってて気持ち悪いわっ!
「気持ち悪い。普通に喋れ。
…で、早速来たってことは何か厄介事を持ってきたのか?」
「まぁ、そんな大したことじゃないんで」
さっきのエメルダ雑貨店での出来事を一部始終隠さず話すと、
「アホかオマエは。
後先の事を何も考えず、小さな工房をそんな重大な計画に巻き込んだオマエが一番悪いだろうが」
と吐き捨てるように小言を言われた。
「そんなこと言ったって。
商業ギルドは来たくなかったからしょうがないじゃないですか」
「オマエの都合なんか知るか。
全くもぅ、何のための商業ギルドだと思っているんだ?」
「どう見ても人選ミスしてるし…イマイチ信用出来なくてさ」
そっとレイドル副部長を指さすと、突然ガシッと掴んで俺の指を折ろうとするのだから凶暴過ぎだよ。
「折れる折れる!
今ポキッて!逝った! 逝ったよね!?」
「随分仲良しなんですね~」
イスルさんがオホホと笑いながら、
「これがピーなビーエル学園とか言うやつなの?」
と意味不明なことを言う。
冗談でも紛らわしいことは言わないように。各方面にお詫び行脚なんてイヤだからね!
「で、何の話だったかな?」
気が済んだのか、何ごとも無かったかのようにお茶を飲むレイドル副部長にこの野郎と内心悪態をつきながら、Pに⊃を付けるとBなんだよね、と合体文字を思い浮かべる。
「学園はどうでも良いんです」
「学園? なんだそれは?」
「あっ、学園じゃなくて、商業ギルドの話…そうそう、洗浄剤作りの参加者に契約を結ばせようって話です」
「今頃か…まぁ承知した。
ちょっと話がデカイからな…すぐのことにはならんかも知れんが…イスル、上の都合を確認してくれ」
レイドル副部長が秘書風職員のイスルさんに指示を出すと、胸ポケットからメモをスッと取り出す…スッと。
「クレストさん、何か今不穏な事を考えました?
随分スムーズだな、とか、Bかな、とか。
今度そんな目で見たら、もぎ取りますから」
何故ばれた? 鋭すぎるだろ!
イスルさんの言葉に反応したスレニアさんが床の掃き掃除をしながら自分の胸を見てニヤッとしたので、イスルさんがチッと舌打ちをしたように見えた。
殺伐とした空気は良くないからね!
って、原因作ったのは俺か。
イスルさんが時針だけの時計を見て、
「良いタイミングです。緊急案件が入っていなければ半時間程は空いています」
とまさに出来る秘書のようにキリリとした表情で上とやらの都合を伝える。
「分かった。さすがにコイツは連れていけんから、スマンが相手をしてやってくれ。
いいか? くれぐれも、まだもぐなよ。
三人ぐらい子供が出来るまで我慢してくれ」
「はいっ、期待しております」
アンタら、マジで怖えよ!