第7花
翠は基本、国王と王妃、王妃付き侍女以外とは関わらないように、との配慮がなされた。
王妃付き侍女の中でも特に優秀とされる人物が、サザリ・ムーズィカとクインティ・マビノギオであった。サザリは既に結婚しており、一児の母。
クインティは婚約者がいるという。
二人の侍女は翠の境遇に憤りと悲しみを覚え、王妃がいない間は、どちらかが翠の面倒を見てくれた。
翠がこの世界にやって来てしまった最大の原因である魔法草の実験とは、ドルドーナ国の大規模な研究施設であり、貴族や王家からの出資で成り立ち、様々な魔法草での発明を成し遂げ、研究者達も皆選りすぐりの頭脳を持つ者ばかり。
実物の魔法草を翠は見せてもらったが、普通の可愛らしい花にしか見えず、内心では驚きのほうが大きかった。
食事はもっぱら与えられた部屋で摂ることの多い翠は、国王と王妃、サザリ、クインティ以外を心から信じることが出来ずにいた。
当然と云えば当然だった。
給仕の多くいる食堂には、近寄りたがらなかったのだ。
翠が王宮で暮らすようになってから二週間近くが経った日、王妃と一緒に、外交で国を空けていた王太子と王太子妃が帰還し、翠の元を訪れた。
初めて王太子夫妻を見た感想は、お伽噺の王子様とお姫様が目の前にいる、と翠はそんな感想を持った。
「初めまして、スイ。王太子のサガ・ユーカラ・ドルドーナという」
「私わたくしは、王太子妃のロロネー・ムーン・ドルドーナです」
十七歳の王太子と十六歳の王太子妃はまだ少年と少女の境を飛び越えていないのに、とても落ち着いた貫禄を持ち合わせているように映った。
王太子夫妻が帰ってきたことで、翠は本格的にこの世界に馴染むための勉強を始めさせられた。
帰還の方法を探してはいるものの、成果は絶望的だろうと言われているのだ。
翠はこの世界の言葉はわかるし、文字も不思議と読むことが出来た。
しかし書くことは出来ないため、文字の書き方から、この世界の常識などなど、多岐に渡った。
それでも、深く考える時間がないことは、翠にとっては嬉しいことだった。
ともすれば、すぐに落ち込んでしまいそうになるのを、国王と王妃は見越していた。
そんな日々を過ごす中で、翠はクインティの婚約者で、近衛騎士のシュレーとも面識を持ち、信頼出来る人間をちょっとずつ、ちょっとずつ増やしていっていた。
ある日、翠が王太子妃と共に王宮内にある図書館に来ていた時のこと。
仕事での調べものをしていた王太子妃の邪魔をしないようにと、翠は娯楽小説を読んでいたが、ちょうど分厚い騎手漂流譚を読み終わり、次は恋愛ものを読んでみよう、と梯子を使って上にある本を取ろうとしていた。
しかし、八歳の子どもの手では容易には取れず、翠は四苦八苦していた。
ようやく本の取っ手を掴めた時、思わずバランスを崩してしまい、梯子から落ちそうになった。
目を固く閉じた翠であったが、何か温かいものに抱き上げられた感覚がして、怖々と薄目を開け、固まった。
梯子から落ちた翠を抱えていたのは、王太子と近い年頃の王族と同等に身形の良い青年だった。
国王と同じ、パールホワイト色の髪にファウンテンブルー色の瞳。
切れ長の瞳にスッキリと整った目鼻立ちに首筋と弓なりに沿った口元。
鳥肌が立つほどの冷然とした凄みのある美貌。
瞳の吸引力がとてつもなく強く、体格は完璧すぎるほどの八頭身。
どこか神秘的な存在感を終始漂わせ、高圧的な雰囲気を纏っている人物。
しかし、口を開くと、その雰囲気は一変するように霧散した。
「大丈夫かな? 愛らしいお姫様」
床に降ろされた翠は、生まれて初めて見る神がかった美貌の人間に見惚れてしまっていた。
口はパッカリと開き、言葉がでてこない。
そんな翠の様子にクスリと笑った青年は、翠の服の胸元に飾られている長いリボンを端を持ち、そこにキスを落とした。
数拍の後、翠は青年から飛び退き、素早い動きで王太子妃の後ろに回り込んで身を隠す。
「まあ、アエネア殿下。ゴッセン国からお戻りになりましたのね。お出迎えも出来ず、申し訳ありません」
「いや、仕方がないよ。ロロネー殿はサガと公務等、色々と忙しかったのだから」
「スイさん、こちら、陛下の弟君であらせられる、アエネア王弟殿下です」
あの国王陛下の弟?!
いや、王太子様と兄弟と言われたほうが余程納得出来るのだが?!?
そんなことを考えている翠を見透かしたかのように、王太子妃は笑った。
「陛下とアエネア殿下はとてもお歳の離れたご兄弟なのですよ。サガ様とは二歳ほどしか違いません」
「アエネア・タワリッシ・ドルドーナと申します。お初にお目にかかります、異世界の姫君」
「は、初めまして・・・。す、翠・・・・・・、と言います」
消え入りそうな声で王太子妃の後ろに隠れて挨拶をする翠に、アエネアと王太子妃、王妃から翠の世話を任されたクインティは微笑まし気に優しい瞳で見ていた。
これが、翠の初恋となる、アエネアとの出会いだった。
そして・・・・・・、それは翠に絶望を齎す出来事への始まりの合図でもあった。