第31花
翠が目覚めた次の日、義姉上と翠のお付きとしてサザリ、クインティ、シュレーが同行し、自分のお付きの同行は勿論タイムとし、王宮内の神殿に赴いた。
義姉上が早速祈りを捧げ始める横で、翠は途惑いながらも義姉上の隣に並び、義姉上に倣う形で祈りの姿勢を取るものの、何を祈るのか迷っているようだ。
ふと、翠が天井を見上げ、瞠らき、惚けたように天井を見続けている。
「スイ?」
義姉上の言葉に、翠は意識を取り戻したかのように振り返り、周囲の人間の様子を伺っている様子を見せる。翠には、何か誰も見ることの出来ないものが見えているのだろうか? そんな疑問が浮かぶ。
しかし、翠はすぐに祈りの姿勢を戻すと、何事かを一生懸命に祈り始めた。直後、翠が可笑しな息の吐き方をし、その場に倒れ込んだ。
「スイ!!」
義姉上の言葉さえ、最早届いていないかのように、翠は顔を青白くさせて眠り込んでしまっていた。
結果、翠が部屋に運び込まれたすぐ後に、火急の報せが届き、リョンロート国を守っていた鉄壁の魔法の壁と塀が消失した旨が報告された。翠の胸元にある花の痣は、まるで散る様子を見せない。この事実により、研究者達の希望的観測の推論は、希望ではなく、真実に変貌した。
翠はこれまでや、現在存在しているこの世界のベアートゥス達とは違い、願いを無制限に叶えることが出来る。
反面、願いの対価は翠自身に返ってくるようで、願いの大きさによって、寝込む日数や時間が違うこともわかった。翠はまだ幼い。翠の体調の良し悪しや願いの対価の大きさを判別して、慎重に願ってもらうことを決めなければならないと、兄上や義姉上達は、信頼のおける重鎮達と会議を行っていた。
だが、人の口に戸は立てられない。まるで漣のように、翠の存在は国内だけではなく、各国にも知れ渡っていく。誰が呼び始めたのかはわからないが、翠はその存在自体を『神の贈りもの』と呼ばれるようになっていった。
「アエネア、これ、今日の報告分」
「わかった」
タイムが持って来た書類は、リョンロート国から逃げ出した王族やその残党の隠れ場所や被害について纏めているものだ。魔法の壁と塀が消えた後、戦争に加担していない国民や貴族達を救い出せたところまでは順調だった。しかし、寸前で、リョンロート国の王族とその信者たる貴族達が逃げてしまい、万全な決着とはいかなかった。
更に、逃げた王族率いる残党達は、無駄な悪足掻きとばかりに小規模な戦を仕掛けてくる。本当に存在自体を踏み潰したくて堪らない。国費だけ莫大に掛かっていく現状である。
「なあ、やっぱり手引きした奴らがいると思うか?」
「この場合、いない、と考えるほうが不自然だろう」
翠の力でリョンロート国の魔法の壁と塀が消失し、ドルドーナ国の部隊長は、理由など考えている暇はないとばかりに突入作戦を決行する旨を兄に伝えた。そして、2日後にはその作戦は決行され、他の国々の者達と共に無関係な国民を救う部隊と、奇襲部隊に分れて行動したのだ。それなのに、情報を一切遮断されていたリョンロート国の王族や残党達は全員が逃げ出すことに成功した。可笑し過ぎる。内通者の存在を疑うのは当たり前であった。
「しっかし、我が国にケンカを売ろうなんてバカはリョンロート以外に早々存在しないはずなんだがな~?」
「もしくは、国ではなく、個人的な内通者か・・・・・・」
いずれにしろ、見付けだして叩きのめして、再起不能にしなければ、未来は明るくないだろう。
「そういえば、スイちゃん、明後日には出立だったよな?」
「ああ」
頭の足りない重鎮達や貴族達が、挙って翠を戦火に向かわせて、その力を使い、旗頭にすることを進言し、翠が承諾したことにより、シュレーとシュレーの部下達を同行させる形で秘密裏に戦火が起こっている砦へと向かうことが決まったのだ。
兄上や義姉上、勿論(表向きは)己も反対したが、翠の決意は揺るがなかった。
翠は本当に純粋で素直な性格をしている。自分が持ち得て生まれなかったものを持つ幼子の姿を思い浮かべ、苦笑ともつかぬ歪な笑みが口元に弧をえがく。
「それとこれ、頼まれていた品が出来たってよ」
タイムが胸元から小さな小箱を取り出して、執務机の上に置く。
「そうか」
小箱を自分の懐に仕舞い込むと、再び報告書に目を向ける。そんな己に、タイムは机の上で頬杖を付き、呆れているような、何とも云えないため息を吐いた。
「お前って本っっ当~~~~ッ、にマメな奴だよな。その小箱の蝶細工、スイちゃんに渡すんだろ」
疑問形ではない断言の言葉に、薄っすらと笑む。
「人の心を掴みたいなら、ほどほどに、ということはないからな」
「ああ、やだやだ。スイちゃんもとんだ男に見込まれたもんだ」
「あの娘だって普通の令嬢と何ら変わらない。俺に気があることが丸わかりだ。利用して何が悪い」
「お前、その本性、絶対にスイちゃんに見せるなよ」
見せるようなヘマをするものか。あの幼子は大事な大事な駒だ。
夜半、翠に付けさせているタイムの部下の護衛から、翠が緊張でなかなか寝付けずにいるとの報告を受け、自分の部屋を出て、翠の部屋の窓がある庭へと足を向ける。頭上を見上げると予想通り、翠が窓を開けて夜空を見ていた。今日は月明かりが一段と強く、翠の姿をしっかりと視認することが出来る。
翠自身は気付いていないが、落ち着かなくなったり、気持ちが不安定になったりすると、よく空を見上げる癖があるのだ。空に何を見て、何を探しているかなんて、自分にはまったく興味も関心もないが。
ふと、下を向いた翠が此方に気付き、驚いたように瞠った。己の唇に人差し指をあて、静かに、と翠に合図を送ると、持っていた小さな小袋を投げた。小袋は綺麗な円を描いて翠の手の中に収まる。疑問顔の翠に手を振ってその場を後にする。
小袋の中身は、今日の昼間にタイムから渡された小箱の品。青い蝶を象ったペンダントトップ。どこにでも付けれるようにと、そういったタイプのアクセサリーにした。
この世界では蝶は花と共にあるために、幸福の象徴として遙か昔から親しまれている。その中でも青い蝶は特別で、護りや絶対的な幸福を意味し、特別な相手に贈る風習があるものだ。
翠はとても貴重な存在だ。代えの利かない資源と言い換えても構わない。その翠の心がドルドーナ国から離れないためならば、どんな策だって労することが出来る。
翌日の夜明け前、翠達一行は出発し、ドルドーナ国の様々な地域の砦に足を運ぶようになった。『神の贈りもの』という翠の存在のお陰で兵士達の士気は増し、戦は必ずドルドーナ側が勝利する。やはり翠を投入したことは間違いにはならなったようだ。
リョンロート国の残党達は次第に追い詰められていったが、己にとっては苛立たしい日々が続く。戦火の首謀者である王族達が全員捕えられても、まるで小蠅のように残党達が湧いて出てくる。だからこそ、自分も、兄上や義姉上も疑念が確信になった。リョンロートの残党達を手引きしている者がいる。しかもアエネアと同じくらいに頭が切れる者。リョンロート国の王族達は捕まえる前に毒を飲んで自害しており、情報は訊き出せなかった。残党達についても同じことが言えるだろう。故国を想う自分達が、駒にされているとは思うまい。しかも、どこからか翠の情報が漏れている節もある。戦の仕掛け方から見て、それはまず間違いない。
兄上や義姉上は終始難しい表情で、信頼のおける家臣達と連日話し合いをしている。何とか早々に黒幕を見付けだして片を付けねば。
そう考えていた矢先、あの出来事が起こった。