第24花
「女の子は成長すれば変わる、と言うが、スイはとても綺麗になったね」
穏やかな表情で優しく微笑むその姿は、スイが恋をした時と何一つ変わらないように思える。けれど、翠はもう、その内面の闇に気付いてしまっている。
『本当にお久しぶりです、アエネア様、タイムさん』
ボードに書いた言葉を見せて、ニッコリと微笑む。既にこの14年で、どんな対応にも笑顔で乗り切る術を翠は心得ている。
「視察が早目に切り上がったので、急いで此方に来たのです。兄上やサガ達も滞在していると聞いて、羨ましくなりまして」
「まあ、アエネアったら」
仲睦まじい義姉弟の会話であるが、翠はジリジリと王妃の後ろに後退していく。不審には映らないように、自然に、と心掛けて。
『もう夜も遅いので、レンが待っていると思いますので、私はこれで』
「そうね、引き留めてごめんなさい、スイ」
王妃とアエネア、タイムに一礼すると、なるべく早足でその場から離れた。
「遅かったね~、スイ・・・って、どうしたの?!」
ドアに凭れかかるように崩れ落ちた翠に、レンが慌てて駆け寄ってくる。
「大丈夫」
と首を動かし、微笑むことで安心だと伝えようとするが、上手く笑えている自信は流石にない。その日はレンにベッドまで運んでもらい、王妃の指示でサザリが持って来た薬湯を飲んで、ようやく眠りについた。
次の日からは、翠は普通に何事もなく過ごしている様子を見せていたが、レンやサザリには不審がられ、国王や王妃にはその内情は筒抜けであっただろう。翠はレンの傍から片時も離れず、
「体調が良くない」
という言葉で誤魔化していた。
「叔父上!!」
「オブシディアン、また大きくなったか?」
王族同士の団欒を微笑ましげに眺めている風を装いながら、翠は笑顔を崩すことはなかった。
「スイ、体調は大丈夫ですか?」
王太子妃の言葉にも微笑んで頷くが、両手はガッチリとレンの腕を掴んでいる。レンは訝しみながらも、それを振り解こうとはしない。
「あれが王弟殿下か~・・・。本当に素敵な方ねぇ~・・・」
珍しいレンのため息交じりの言葉を、翠は非難する気にはならなかった。かつての自分も、そう信じて疑っていなかったのだから。年若い侍女達の頬を赤くしてうっとりとアエネアに見惚れる様も、懐かしいと思いはすれ、昔のような思慕は感じない。
『・・・使い勝手があるのなら、あの娘と婚約しても良かったのだが』
『当たり前のことを訊くな。それに、あの娘がこの国にやって来たせいで、戦争が起こり、兄上は疲弊し、義姉上は死にかけた。それならば、代わりにその命を差し出してもお釣りがくるほどだ』
『所詮あの娘もそこいらにいる女共と大差がなかったということだろう。異界の知識は役にたったがな』
『兄上と義姉上の治世のための贄となるために役立つことが出来るのならば、あの娘も本望だろう』
あの時の言葉は、胸の奥底に深く深く、今なお突き刺さっているのだと、まざまざと翠は痛感させられた。アエネアが滞在している期間、翠はレンの傍から離れることはなかった。また、体調の悪さを理由に部屋に閉じ籠もることも出来たので好都合だった。
スフェーンとオブシディアンとは、また改めて話す機会を設けることを約束した。そんなこんなで、どうにかアエネアが王宮に帰るまでの日をやり過ごし、翠は心底安堵した。サザリや王太子夫妻は、過去の翠の気持ちを知っているので、意図的にアエネアを避けてしまっているのだろう、と気遣ってくれたのも幸いだった。
「スイ、レン。私は少し議会のために数日間王宮に戻ります。私がいなくても、この宮でゆっくり過ごしていて下さいね」
離宮に滞在して早1ヶ月、王妃は議題を必要とする政務には必ず出席しているため、その日も翠はサザリをお付きとした王妃を見送ったが、馬車に乗り込んだ王妃の顔は眉を寄せたまま、王宮まで変わることがなかった。
「フォレト、ノバラ、久しぶりですね」
今日は王宮の外来用の豪勢な部屋で、プロセルピナ国の女王セエと、ドルドーナ国の国王と王妃が会談する運びとなっていた。お茶とお菓子を嗜みつつ、セエはおっとりとした声音で本題に入った。
「それで、どうしました? わざわざ私わたくしを呼ぶようなことでも起きたのかしら?」
女王の言葉に、国王と王妃は同時にため息を吐き出す。そんな幼馴染2人の様子に、女王は首を傾げる。
「・・・・・・起きた、と言うか・・・。起きそう、と言ったほうが正しいのか・・・・・・」
「セエはアエネアの妻のことを知っていますよね?」
「ええ。この国に訪問する度に、情報収集は欠かしませんし、何より、2人の表情が隠そうとしていないじゃありませんか。確か、離縁間近のはずでは?」
「そのことなのだが、信頼のおける臣下達から、スイをアエネアの後妻に迎えては・・・、と打診されてしまっていてな・・・・・・」
国王と王妃は眉根を寄せて、頭痛を紛らわそうとしているかのように、指で眉間を抑えている。女王には、昔馴染みでスイを預けることから、アエネアのことは包み隠さず話していた。
「・・・・・・確かに、離縁間近の奥方がベアートゥスならば、それと同格の存在か、他国の王族の姫君にしなければなりませんわね」
しかし、離縁した時に、同時に後妻の発表もなければ、以前の妻の犯した醜聞は消えてはくれまい。他国に姫君を娶るとなると、その弱みを晒すことになってしまう。しかし、ドルドーナ国のベアートゥスは現在フィアナ、ただ1人。
優秀な臣下達が頭を悩ませていた時に舞い込んだ報せが翠の存在だった。稀代のベアートゥスの力を持ち、ドルドーナ国の王族達とも縁が深い。恋人もいないのならば、アエネアの後妻としてはこれほどの優良物件は存在しないだろう。
その臣下達が、翠に対して以前から好意的であったことも、こうして国王と王妃を悩ませる結果に帰結している。過去の翠の存在を助ける手助けをしてくれた者達だが、アエネアの本質までは当然ながら見抜けていない。長年の幼馴染である女王が稀なだけなのだろう。
「・・・・・・取り敢えずは、臣下達をどう説得するかが問題ですね」
王妃の疲れたような言葉に、国王が重く頷く。
「・・・このことをアエネア様はご存知なのかしら?」
女王は本日1番の気掛かりを口にした。その問いに、またもや国王と王妃はため息を吐く。
「『これ以上はない良縁だと思います』、との模範的解答だ・・・」
その答えに、女王も、本日初めてのため息を吐いた。
それから数時間後、更に3人の頭を悩ませる問題が持ち込まれてくるなど、重苦しいため息を吐く者達はまだ知らずにいた。