第21花
翌日は、朝から離宮内が慌ただしかった。それもそうだろう。王太子夫妻が離宮に数日間滞在するために訪れ、翌日には国王も訪れる予定になっているのだ。王弟夫妻だけは、アエネアが他国との交渉に赴いているために、時間が合わなかったそうだが、翠のそのことを知らされた時、王妃ノバラと国王フォレトの気遣いを感じずにはいられなかった。
王妃とレンと共にお茶を飲みながら寛いでいると、扉が些か乱暴に開けられ、侍女達の焦った声が響く。
「あら、そんなに慌てて来なくても、スイは逃げはしませんよ?」
扉の前に立っていたのは、少し息を切らせている、王太子夫妻と、13歳ぐらいの女の子と、11歳ほどの男の子。翠は、定期的に王妃から聞かされていたことから、その2人の子どもが王太子夫妻の子ども達の王女と王子だとわかった。
14年振りに再会する王太子のサガと王太子妃のロロネーは、サザリと同じように、年月を重ねても、その美貌に何の遜色や劣りも見られないように見える。
翠が自然と口元が綻んで椅子から立ち上がり、王太子夫妻に挨拶をしようと足を動かしかけたのを先に遮ったのは王太子妃だった。
「スイ!!」
この世界では小柄な翠の身体を力一杯抱き締めてくる。そんな王太子妃の姿に、王妃と王太子、サザリ以外は、皆目を丸くしている。恐らくは、普段の王太子妃の姿からは想像も出来ない行動なのだろう。翠としては嬉しいが、如何せん、このままでは息が上手く出来ない。
もがき始めた翠を救ってくれたのは、王太子だった。
「ロロネー、そんなに強く抱き締めては、スイの息が苦しくなってしまうよ」
王太子の言葉に、王太子妃は瞬時に翠の抱擁を解いたが、直前までの己の行動が恥ずかしいのか、目元を赤らめている。
レンのため息が翠の後ろから聞こえるが、それも致し方がないだろう。ロロネーはドルドーナ国一、美しいと形容されている容姿を持っている。一つ一つの所作に目を奪われてしまうのだ。
翠はボードに文字を書き込んで、王太子夫妻に見えるように胸元に掲げる。
『お久しぶりです、サガ様、ロロネー様。会話が筆談で申し訳ありません』
翠はニコニコと笑っているが、ボードの文字を見た王太子妃と王太子は顔を曇らせる。翠のことが各国で周知されるようになったのならば、当然、翠の耳が聞こえず、声も出せないことを知らされているのだろう。
翠は話題を変えるように、瞬時にボードに書き込む。
『そちらの方々が、王女様と王子様ですか?』
王太子夫妻の後ろに悠然と控えている2人を指し示す。
王子よりも、王女のほうが姉とは言え、風格がこの歳で備わっているなぁ、とそんな感想を翠は覚える。
「ああ、紹介しよう。娘のスフェーン・ユーカラ・ドルドーナと、息子のオブシディアン・ムーン・ドルドーナ。今年で13歳と11歳になる」
王女と王子は子どもの頃の王太子夫妻をそのまま生き写したかのような容姿をしているが、瞳に宿る力はそれぞれ違う。王女は完璧な淑女の礼を取り、挨拶をする。
「お初にお目にかかります。私わたくしはドルドーナ国王女、スフェーン・ユーカラ・ドルドーナと申します。以後、お見知りおき下さいませ、スイ様、レン・マーフィー様」
完璧な淑女の礼に、翠とレンは感嘆してしまう。
「は、初めまして! 僕はドルドーナ国王子、オブシディアン・ムーン・ドルドーナ、と申します!」
王子のほうは、まだ固く幼いけれども、しっかりと教育されている様が窺える。
翠とレンも、それぞれの方法で挨拶を取る。
『初めまして。異世界人のスイと言います。王女様と王子様には初めてお会い致しますが、王太子様と王太子妃様によく似ていらっしゃいますね』
「そう言って頂けると、嬉しい限りです」
「私わたくし如きがお目通りを叶うなど、一生ないと思っておりました。プロセルピナ国のレン・マーフィーと申します」
一通りの自己紹介が終わると、王太子家族も交えてのお茶会へと、場は雰囲気を変える。
「それにしても・・・、ワタシやロロネーまでにスイのことを隠さなくても良かったのでは、母上? 14年前、スイの死を知らされた時のロロネーの憔悴振りは見ていたでしょうに」
「致し方がないでしょう? 事は急を要することだったのだから」
母親と息子がそんな会話を繰り広げる中で、王子は翠とレンに興味津々な目線を向けてくる。内心で首を傾げる翠とレンの前で、王女が弟王子の頭を軽く叩き、叱りつける。
「オブシディアン、そのように女性をジロジロと見るものではありません」
王女は申し訳なさそうに、翠とレンに詫びる。
「申し訳ございません。弟は魔法草の研究や開発にとても興味を持っておりまして・・・。ベアートゥスであるレン様と、異世界人でありながらもベアートゥスであり、魔法草の研究や開発に力をお貸ししているスイ様に興味津々なのです」
「も、申し訳ありません、姉上・・・。ですが! プロセルピナ国で近年開発された魔法列車は、スイ様の発案だと聞いたのです!!」
王子、オブシディアンの言葉に、翠とレンは思い至ったように頷き合う。確かに、魔法列車の発想は、翠がプロセルピナの国に慣れた頃、女王セエにそれとなく、ただの思いつきで話したことがキッカケだった。
「少しは落ち着きなさい、オブシディアン」
母親である王太子妃に苦笑されながら促され、オブシディアンは落ち込みながら椅子に座り直す。そんな様子は、翠の目にはとても好ましく映った。
義妹のエレン、義弟のカイバとは1歳違いの王子である故か、何だか見ているだけで微笑ましく感じてしまう。スフェーンもカイバとは1歳違いであるのだが、何故だか、内封されている資質というものが、子どもの領分を超えている気がしてならない。
まあ、翠自身の考察はともかくとして、翠はオブシディアンを励まそうと、ボードに文字を書いていく。
『確かにベアートゥスという存在はとても珍しいものでしょうが、王弟妃殿下もベアートゥスなのだから、そちらからお話を訊いたほうが早いのでは?』
翠だからこそ言える言葉であろう。
しかし、その言葉をボードに書いて、周囲に見せたところ、室内がピシリッ、と固まった。
え? え? と翠は困惑したが、同じように、何も知らないレンも室内の突然変わった空気に困惑している様子だ。
「そ、そうですわね・・・。フィアナ様はベアートゥスですものね」
王太子妃の何とかその場をフォローしようとするかのような言葉に、王太子も言葉を重ねる。
「そうだね」
サザリ達侍女のほうを見ると、何故だか皆揃って明後日の方向を向いて仕事をしている。王妃も、何と答えたら良いものか、という思案顔である。王妃のそんな表情を見ることはとても珍しくて、翠が王妃に話しかけようとボードを傾けたとき。
「僕・・・。叔母上は好きじゃないです・・・」
オブシディアンの静かな小さな声が、室内の静寂を揺らした。
「オブシディアン」
母親の窘めるような声にも、オブシディアンは言葉を撤回する気はない様子である。
「私も叔母様は嫌いですわ」
スフェーンがキッパリと断言した。
「スフェーン」
父親の咎めるような声に、スフェーンは顎を反らして口を開く。
「だって、叔母様を好きになれる要素がどこにございますの? 嫌いになる要素しか、今まで見たことも聞いたこともありませんわ」
スフェーンの言葉に驚いて固まっていた翠は、レンがボードを引っ張ったことにより、気持ちを現実に引き戻される。レンが翠のボードに、素早く文字を書き連ねる。
『王弟妃殿下って、どんな人なのよ?!』
『私も1回だけしか会ったことがないし、挨拶しか交わしたことがないからわからない・・・』
翠は記憶の中から、今現在王弟妃殿下となっているフィアナを引っ張り出す。可憐で儚げな容姿の、妖精のような女性だったように記憶している。それなのに、何故こんなにも親族間に不和が生じているのだろう?
「叔父様と結婚されて王族となられてから13年。それなのに、いつまで経っても王族になった、という自覚もなく、国々の神殿や教会で騒動を起こしては叔父様が後片付けをする始末。私、当初はベアートゥスという存在は皆ああいった人物なのかと疑ってしまいましたわ。けれど、各国に赴いた際に出会った数少ないベアートゥスの方々を拝見して、それは間違いだ、ということに気付きましたの。勿論、スイ様やレン様も然りですわ」
スフェーンの言葉には一切の淀みがない。
「元々、侯爵家の出でありながら、マナーや教育を施されているにも関わらず、あんなに皆様方の神経を逆撫で出来る人間はそうはおりませんわ」
「スフェーン」
父親の強い声に、スフェーンはソッポを向く。
「皆、お茶が冷めてしまうわ。折角のお菓子も美味しくなくなってしまうわよ」
王妃の言葉に、張り詰めていた空気が緩む。
「申し訳ありません、お祖母様」
「スフェーンの気の強さは、一体誰に似てしまったのかしら」
王妃の言葉は周囲の笑いを誘い、場は和やかさを取り戻していった。