第12花
その後、翠の大声に慌てて医師が駆け付け、翠が鏡の前で呆然と今までになかった自分の痣を見て固まっている姿を見て、すぐさま国王と王妃に伝令を走らせた。
医師達の手によって落ち着きを幾分か取り戻した翠は自室へと移され、仕事を一段落させ、急いで目覚めた翠の元へとやって来た国王と王妃、王太子夫妻、アエネア、シュレー、クインティ、サザリから、自分が丸五日間眠っていたことを知らされた。
国王と王妃から、
神殿でどんなことを祈ったのか?
と訊かれ、
『・・・・・・どうか、負傷した人達の身体が早く治りますように・・・・・・』
と願ったことを話すと、合点がいったというように頷き合われ、困惑している翠に、その事情が知らされた。
翠が昏倒した直後、戦火に赴いていて傷付いた兵士や、戦いで負傷した兵士達の傷が、瞬く間に治った、と言うのだ。
怪我をした兵士は軽く千人は越えているはずである。翠は自分の痣をマジマジと見つめてしまう。
「でも、痣が散ってないですよ?」
ベアートゥスが叶えられる願いは生涯にただ一つだけ。
そして願い終わると、魔法草の花の痣は、花弁が散ったように変化する。
それが、ベアートゥスの力を使ったか使っていないかの判別にもなる。
「そこが不思議なところなんだ。優秀な研究者達に話を聞いても、文献にも載っていない初めての事例で皆目見当がつかないらしい」
「そこで、病み上がりのスイにお願いするのは非常に気が引けるのですが、私と一緒に、もう一度神殿に行ってくれますか?」
「王妃様と?」
「ええ。・・・『スイをもう一度神殿に赴かせて、真偽を確かめるべきだ』、と喧しくて」
王妃の眉が不快気に寄り、国王が王妃の肩を優しく叩いて宥めている。
「特に、テカルド侯爵が一番進言しているかな」
「まあ、フィアナ様のこともありますしね」
王太子と王太子妃の言葉に、以前一度だけ会った、ベアートゥスのフィアナの姿を思い浮かべる。
現在のドルドーナ国で唯一のベアートゥスであり、娘がベアートゥスという存在であったお陰で、翠の件に関してはあまり咎めることが出来なかった、というのが実情だったらしい。
ここで息子の失態により、異世界から強制的に引き摺られてきた幼い少女がベアートゥスであるなどと、家の威信や誇りの失墜にも繋がるために、テカルド侯爵も必死なのだろう。
まあ、そんなお家事情なんて、翠には一切関係のないことではあるが。
「わかりました。行きます」
翠は自分の身に起こったことを知りたかった。
あの痛みは忘れられないが、今、自分自身に何が起きているのかわからないことのほうが怖かった。
「その際は、私も付いて行くから安心して、今日はお休み」
アエネアに頭を優しく撫でられ、真っ赤になって急いでベッドに潜り込む。
翠の気持ちを知っている周囲は微笑まし気だ。
温かいな、と翠は思う。
一人ぼっちになってしまった世界で、ようやく居場所を見付けられた。
だから、自分に出来ることは何でもしたかった。
ベッドに潜り込んだ翠と、それを微笑まし気に見ている周囲は、だからこそ気付けずにいた。
王妃の手を国王が握り、表情を穏やかにさせている二人がお互いの手を固く握り合っていることに。
次の日、翠は王妃とアエネア、クインティ、サザリ、シュレー、タイムと共に神殿に赴いいた。
王妃が祈りを捧げている隣に、王妃に倣って祈りを捧げる姿勢をとる。
今度はどんなことを祈ろうか?
あ、各国を困らせている魔法草で出来ている、と言われる頑丈な塀の撤去!
・・・・・・でも、叶うのだろうか・・・?
ふと、花びらが舞い落ちてきて、翠は上を見上げ、唖然とした。
天井から幾枚もの大量の花びらが舞い落ちてきている。
その不思議な花びらは神殿の天井を通り抜け、床に落ちると跡形もなく消えていく。
とても幻想的な光景に、翠は見惚れていた。
「スイ?」
ハッ、として振り向くと、王妃が怪訝な表情をしている。
王妃の表情やアエネア達が落ち着き払っている姿を見て、翠はこの幻想的な光景が自分にしか見えていないことに気付く。
何故かはわからないが、祈らなければならない。
そんな気持ちに駆られた。
『どうか、リョンロート国の守りの塀を打ち破ることが出来ますように・・・』
祈った直後、あの時と同じ激痛が翠を襲った。
カハッ、と息を吐き、その場に頽れる。
「スイ!!」
誰のものかわからない声を最後に、翠の視界は暗転した。
結果を述べると、翠が祈った直後にリョンロート国の鉄壁の守りの塀は掻き消えるように消滅し、無害な国民達を救い出すことが出来たらしい。
翠は丸々二日間、眠り込んでいた。
どうやら、願いの大きさによって、寝込む日数や時間に差があるらしいとわかった。
翠のベアートゥスとしての痣は散っていなかった。
それが意味することは、翠はこの世界に存在する過去や現在のベアートゥスと違い、願いを無制限に叶えられる、ということ。
しかし、それには翠の体調の良し悪しが関係してくるので、重要な案件を選別し、祈らせなければならない。
人の口に戸は立てられず、まるで波のように翠のことが国中だけでなく、各国にも伝わっていった。
翠の存在は『神の贈りもの』と呼ばれるようになっていた。
反面、問題はまだまだ解決はしていなかった。
リョンロート国の国民達を救い出したまでは良かったのだが、寸前でリョンロートの王族と信者たる貴族達は騒ぎに紛れて逃げてしまい、逃げた王族と残党は、あの手この手でドルドーナ国に戦を仕掛けてくる。
兵士は負傷し、お金は膨大に掛かっていく。
そこで、重鎮達はとある提案を国王と王妃に進言することにした。
「スイを戦火に向かわせて、勝利を治め、兵士や庶民達の旗頭とすること」
当然国王や王妃、王太子夫妻、アエネアは反対した。
が、いつどこで起こるかわからない戦火を、これ以上拡げるわけにはいかないのもまた事実。
「大丈夫です! 私、行ってきます!」
心配する国王と王妃に、翠は元気にそう答えた。
一度祈りを捧げれば、何日か寝込んでしまうけれど、それで争いが治まるのならば翠は良かった。
何よりも、この世界で大切になった人達を守りたかった。
国王と王妃は仕方なく承諾し、シュレーとその部下達も同行することとなった。
出発の前日の夜、翠は緊張と不安から寝付けずにいた。
出立は人目を避けて明朝。
民や貴族達に知られ、騒がれては元も子もない。
翠はため息を吐いてベッドから抜け出した。
眠ることが出来ないならば仕方がない。
窓を開けて夜の冷え冷えとした空気を吸い込み、夜空を眺める。
自分が生まれた世界では、こんな星が満点で月の綺麗な空なんて、都心を離れないと見られない景色だった。
ボンヤリと夜空を眺めていた翠は、小さな自分を呼ぶ声に気付いた。
室内を振り返っても誰もおらず、窓の外を見渡すが、翠の部屋は王宮の王族達が住まう居住にあり、地上から五階ほども離れている。
何気なく下を見ると、月明かりに照らされて、アエネアが翠に手を振りながら立っていた。
驚く翠に、アエネアは唇に人差し指をあて、静かに、と合図を送ると、持っていた小さな小袋を翠に投げた。
見事な投げ技で投げられた小袋をキャッチした翠は、再度アエネアを見下ろすと、手を振って去って行ってしまった。
一体、どうしてアエネアはこんな夜更けにあんな所にいたのだろうか?
と考えて、手の中にある小袋を見つめた。
もしかして、自分にこれを渡すためにわざわざ?
ベッドの上で小袋を開けた翠の手に、青い蝶を象ったペンダントトップが転がり落ちてきた。
慌てて窓の外をもう一度見下ろしてみても、アエネアの姿はそこにはない。
窓を閉めて、翠はベッドに潜り込むと、アエネアから渡された青い蝶を握り締める。
蝶はこの世界では花と共にあるために、幸福の象徴として位置づけられている。
中でも青い蝶は特別で、護りや絶対的な幸福を意味している。
アエネアの気持ちが嬉しかった。
涙が自然と翠の目尻から零れ落ちる。
がんばろう。
ただそう思って、眠りについた。