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淑女のけじめ

第一話の前書きにいただきもののFAを追加しました。


 なるようにしかならないと割り切ったアリエルの行動は早かった。


 翌日にはほうぼうに挨拶の手紙を書き、屋敷の荷物をまとめさせ、領地関連の仕事もまとめた。使用人に残留意思を確認すると、ほとんどがアリエルと共に行くことを望んだので、クララがやっぱりと呆れた言葉をこぼしていた。


 その合間にも最後の仕事だけはきちんと終わらせたい。

 これだけはけじめだと言って、忙しい合間を縫って、アリエルはジラルディエール公爵のダンスレッスンを行った。


 気持ちが上向けば、体の不調なんてどうってことなかった。エドモンがアリエルの身を心配してくれるのもくすぐったくて、アリエルは微笑みながらダンスの指導を行った。


 それももう、今日でおしまいだ。


 建国祭を二日後に控えた今日、最後のダンスレッスンを行う。

 明日からはエドモンも騎士団の仕事が大詰めで慌ただしくなるそうで、今日が最後のレッスン日だった。


「今日は音楽とともに踊りましょう」

「分かった」


 エドモンのダンスはだいぶ見られるようになった。

 自主練習もしていたようで、所作のなめらかさが最初の頃と全然違う。これなら王女のパートナーとして申し分なさそうだった。


 公爵家の家令がピアノをつまびいて、ワルツを奏でてくれる。


 エドモンのリードに身を任せながら、アリエルは今年の初々しいデビュタントたちのワルツに思いを馳せる。


 白いドレスを着たデビュタントたちが、パッとホールに咲く舞踏会。五年前には自分もそうだったのだと思うと感慨深くあった。


 デビュタントの中には、この一年でアリエルがダンスやマナーの指導をした生徒たちがいる。ここ数年、彼女たちが踊っているのを見るのがアリエルの楽しみだったのだけれど、今年はその光景を見られないことを残念に思う。


 そしてその中に、今年は目の前にいる大きな生徒も加わるらしい。


 初々しく愛らしいデビュタント達のパートナーは、基本的にはその親族が行う。兄だったり、父だったり。国王の長子である第一王女の相手は、順当にいけば国王陛下になるのだろうけれど、陛下が踊るとなるとデビュタントたちが不要な緊張をしそうだった。


 とはいえ、そんな可愛らしい社交界の新しい花娘たちの中に、この大きな身体と厳つい異名を持つエドモンを放り込むとは、国王陛下もなかなか大胆なことを考えるものだった。


 エドモンとのレッスンは短い期間だったけれど、アリエルは彼の人柄が噂ほど厳格で無愛想で取っつきにくいような人ではないことはすぐに気づいた。


 高位貴族の傲慢さはなく、気さくで気遣いにあふれ、穏やかな人。大きな体に見合わず細やかなところまで人を見ているエドモンとのレッスンは、アリエルにとって心の潤いになった。


 もっといえば、公爵様自らにレッスンをするなんて、アリエルのダンスの腕が一流であることが認められたようで自信にも繋がった。最初の頃のリズム感のなかったエドモンのダンスが、今ではなんだか可愛かったなとさえ思うくらいに上達していて、やりがいも感じられた。


 ピアノの旋律に合わせて、エドモンがアリエルをリードする。なめらかに動く手足は、もう最初の頃のような機敏さはない。

 ゆっくりとアリエルをリードして、エドモンは部屋を巡っていく。


 年下の、デビュー前のご子息にダンスの指導をしたことは当然、デビューしてからは何度か付き合いで男性と踊ったこともある。

 それでもアリエルの視界をすっかり覆う大きな体やたくましい腕、剣を握る者の無骨な指は、貴族の男よりも男らしさを感じられて、なんだか心の奥がむず痒くなる。その上、綺麗に撫でつけられた銀の髪は目をひいて、勇猛果敢なルビーのような瞳にじっと見つめられると、まるで乙女の憧れにも似た感情がアリエルの中に生まれた。


 エドモンとのダンスはこれが最後だろう。

 領地に帰れば社交界で二度と会うこともないだろうし、もしほとぼりが冷めた頃に社交界で会ったとしても、子爵家のうえ、出戻り女のアリエルがエドモンと王城のダンスホールでワルツを踊ることはない。


 ほんの一時の夢のワルツだ。


 時間の許す限り、何度もエドモンとワルツを踊る。


 アリエルは羽のように軽い心地で、エドモンのリードに身を任せた。


「随分と上達しましたね。これならば緊張する王女殿下がぎこちなくなられても、閣下のリードでカバーできるでしょう」


 もう十分だというところで、ピアノの旋律が止まった。

 アリエルが合格の太鼓判を押すと、エドモンはふっとその凛々しい目元を和らげて笑んだ。


「良かった。貴女のおかげだ、シーキントン夫人。体調も本調子ではないのに、無理を押してくれて私に付き合ってくれて、感謝しかない」

「お気になさらず。途中で投げ出すことは私が許せないのです」


 生真面目に答えるアリエルに、クツクツとエドモンは喉を震わせて笑った。


「貴女のその真摯な姿は大変好ましい。貴女という女性と出会えたのは私の人生の転機になりそうだ。今まで仕事にばかり現を抜かしていたが、貴女のような女性となら、共に添い遂げてみるのも良いとさえ思った」


 意外なほどのエドモンの高評価に、アリエルは思わず十代の少女のように頬を染めた。言われなれない口説き文句のようなそれに、そわっとしてしまう。

 エドモンの言葉はお世辞だろうとは思うけれど、アリエルとしてはそう言われるだけでも気恥ずかしい。


「からかわないでくださいませ。年甲斐もなく、ときめいてしまうではないですか」

「クク、可愛らしい人だ。貴女のご夫君が羨ましい」


 そろりと視線をそらしていると、エドモンの付け足した言葉にきゅっと心臓を掴まれた気がした。


 何を言おうと、未だアリエルは人妻だ。

 こんな風に関係のない男性の言葉に胸をときめかせるのは罪深いことだし、たとえそれが実態の伴わない言葉であっても受け入れなければならない。


 エドモンとしては、その場の社交辞令でチャールズを羨むような言葉を言っているだけなのだと思う。だけどふとアリエルの中で、チャールズと離婚した後、領地に戻るアリエル自身を案じてくれる人はどれほどいるのだろうかと思わせられた。


 たとえば目の前の人は、たった数日、ダンス講師をしただけのアリエルのことを少しくらい案じてくれるだろうか。


 別に便りや連絡を得られるとは思っていないけれど、それくらいのお世辞を言うくらいなら、少しくらい気にかけてくれると嬉しいと思った。


 けれど相手は公爵家当主であり、なおかつこの国の騎士団の団長職を任命されている。

 実際のところ、忙しい身分にある彼は、アリエルのことなんてすっかりと忘れてしまうのが現実だろう。


 柄にも似合わずそんなことを考えて、アリエルは微笑むことでエドモンの言葉の返事とした。


「それではこれにてダンスのレッスンを締めとさせていただきます。短い間でございましたが、公爵様にご指導する栄誉を得られ、誠に誇らしく存じます」

「こちらこそ助かった。次に会う時はこの成果を存分と見ていただきたい」


 軍神公爵という名の異名に似合わず、穏やかに微笑むエドモンに、アリエルも微笑んだ。実際には、二日後に彼が王女と踊るその姿を見ることは叶わないと知っているので、申し訳なさが少しだけ胸の中をよぎっていたけれど。


「そうだ。昨日、今回のレッスンの礼として、貴女の経営する孤児院へ少し寄付をしておいた。金だけでは味気ないだろうと、子供の好みそうな菓子や絵本なども一緒に送ったから、時間ができたら確認してほしい」


 最後に見送りをと、レッスン室を出たエドモンが、背中越しにアリエルに話しかけた。お金も大事だけれど、子供たちが喜ぶようにと贈り物までしてくれたらしいエドモンの心遣いに、アリエルの表情が今日一番輝いた。


「ありがとうございます。きっと子供たちも喜びます」

「だといいのだが」


 ちょっと照れくさいのか、ルビーのような赤い瞳を細めてはにかんでいるエドモンに、アリエルは温かい気持ちになる。この人も子供が好きなんだろうなと、なんとなく思った。


 玄関ポーチに横づけされた馬車の前まで来ると、エドモンはすっとアリエルに右手を差し出した。

 アリエルは淑女らしくゆったりと右手をエドモンの右手へと重ねる。


 エドモンがマナー通りにアリエルの手の甲へと口づける所作をして、最後の挨拶を交わした。


「シーキントン夫人。良い夜を」

「公爵閣下も、どうか良い夜をお過ごしください」


 エドモンの吐息がアリエルの指先をくすぐった。


 最後のレッスンだったからか、ずいぶんと長い間公爵家にいたようだ。

 日が落ち初めていて、夜の挨拶の時間になっている。


 茜色に染まりだした空の下、銀の髪を輝かせて、精悍な顔つきをした紳士がアリエルの指先に口づけをする。たったそれだけのマナーありきの所作なのに、不思議とアリエルの心はときめいた。


 もしアリエルの頬がほんのりと紅潮したように見えるなら、それはきっと西陽のせい。


 公爵という雲の上の貴公子に優しくされて、舞い上がってしまってるだけ。


 アリエルは誰に言うこともなく、そう胸の中で言い訳をしたのだった。


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