教え子と謝罪
噴水に落とされたアリエルは案の定風邪を引き、三日ほど寝込んでしまった。
人様の家で寝込むなんて申し訳もなかったけれど、エドモンが甲斐甲斐しく世話をやきに来てくれたのは少し嬉しくて、アリエルは熱に浮かされながらも始終微笑んでいた。
そうしてようやく熱も引き、日常の生活にもどれるようになった頃。
ジラルディエール公爵邸に居候するアリエルのもとに、ケーナ・ドリーブが訪ねてきた。
「せ、先生……っ、この度はっ、ほ、本当に申し訳がっ」
「ケーナ様、顔を上げて」
「いいえっ! わ、私はっ! 私は恩師であるアリエル様になんてことを……っ」
「気にしておりませんから、お顔をお上げになって」
「っ、先生ぇ……っ」
客室に通された瞬間に土下座で謝罪したケーナに、アリエルは優しく声をかけた。エドモンと並んで座っていたソファから立ち上がって、額を床にこすりつけるケーナの手を取って顔を上げさせる。
「私にも非があるのです。出戻りの私が公爵家に嫁ぐとなればそれなりに憶測を呼ぶのはわかっていましたから」
「そ、それでもっ! それでも、私がしたことは許されることではっ」
「過ぎたことですし、貴女は十分に後悔と反省のできる方だと知っています。さぁお立ちになってくださいませ。せっかくですもの、こうしてお話ができるのですから、お喋りを楽しみましょう」
アリエルが柔らかく微笑んでケーナを立ち上がらせると、ケーナは背が高めのアリエルよりもさらに高い身長を丸めて、嗚咽をもらした。
「王城にいたときから思っていましたが、猫背の癖が戻ってしまっているようですね。姿勢をしっかりと伸ばしましょう。貴女の自信のなさは、その姿勢に現れてしまうのですから」
「……っ、せ、先生ぇ……っ」
ケーナの涙をハンカチで拭いながらそれとなく姿勢を伸ばすように促せば、ますますケーナの涙腺は決壊してしまった。クララがすっと二枚目のハンカチを渡してくれたので、アリエルは新しいハンカチでケーナの涙を拭ってやる。
「ま、まえにもっ、前にもっ、同じことっ、言われました……っ」
「そうね。私も言った記憶がありますよ」
「先生ぇ……っ」
ますますおいおいと泣き崩れるケーナに、アリエルは困り顔で微笑みながらその背中をなでた。
「……すごくよく泣くな」
「とても気の優しい方なんです。ですからこうして罪悪感に潰れてしまうんです。エドモン様、ケーナ様をいじめないであげてくださいね」
「いじめてなどいない」
「だそうですよ、ケーナ様。そろそろご挨拶はできますか?」
「ふっ、ぐ、ぐすっ、ふ、ぁい……」
いまだ止まらない嗚咽を飲み込みながら、ケーナが姿勢を伸ばし、ドレスの裾をつまんだ。その顔は涙でぐしょぐしょではあるが、カーテシーの姿勢はとても品よく美しい。表情のせいで台無しだけれど。
「け、ケーナ・ドリーブで、ござい、ます……ほ、本日は、お招き、ありがとう、ございまし、た……」
嗚咽でつっかえつっかえではあるものの、ケーナはようやく挨拶の口上を述べる。
アリエルはそれに、ふんわりと微笑んだ。
客室のソファに座ってお茶をすすめれば、次第にケーナの涙も落ち着いていった。エドモンがアリエルの隣に座っているのに対し、頑なにそちらの方を見ようとしないのはご愛嬌。
今日、ただでさえ小さい肝を冷やかすかのようにケーナがここに来たのは、アリエルに直接の謝罪をしたかったからだった。王女殿下の命令であれど、アリエルにしてきた嫌がらせの一端を自分が担ったことが彼女には耐えられなくて、ケーナの生家と懇意にしているロビンとベリンダの侯爵夫妻から、どうか会ってやってほしいとエドモン経由で連絡があった。
だからこうして席を設けたのだけれど。
「ケーナ様、とうとう私の身長も超えられましたのね。猫背になってしまっているのは、やはり身長が高くなってしまったからでしょうか」
「は、はい……縦にばかりすくすく育ってしまって……普通の殿方よりも背が高くなってしまって、もう、私、お、お、お嫁になんか……っ」
「そんなことありません。エドモン様を見てくださいな。ケーナ様より身長が高いでしょう? それに結婚は身長で決まるようなものではありませんから」
アリエルが茶化すようにエドモンの名前を出せば、思わぬところで自分の名前を出された本人は、目を瞬いたあと苦笑いになる。
「身長が高いのがコンプレックスなのか?」
「ひぅっ」
「……ケーナ様、紅茶に蜂蜜はいかがでしょう。砂糖より控えめな甘さになるので、おすすめですよ。エドモン様もビスケットをどうぞ」
エドモンに直接話しかけられて、びしっと固まり、挙句の果てに落ちついていた涙を再びじんわりと浮かばせたケーナを見て、アリエルがやんわりと気をそらさせてやる。エドモンにもビスケットをすすめれば、彼はなんだか釈然としない表情になりながらも大人しくビスケットをかじった。このビスケット、アリエルの手作りで、エドモンのお気に入りだ。
「ケーナ様、エドモン様はお優しい方ですよ。そんなに怯えなくとも大丈夫です」
「む、むむむむむりですぅっ!! わ、私なんかっ、もうっ、先生にあ、あんなことっ、してしまったのでっ、こ、殺されるしかぁ……っ」
「そんな大袈裟な……エドモン様? 何故目をそらしているのです?」
アリエルが完全に涙腺が決壊してまたおいおいと泣き出したケーナの隣へと移動して、甲斐甲斐しくその涙をぬぐってやる。ふと顔をあげれば、視線をそらしているエドモンを見つけた。
「エドモン様? いかがされましたか?」
「……いや、私は退室した方が良いのだろうかと。ここまで怯えられると、なかなか話もできないだろう」
エドモンは遠慮がちにそうぼやいたけれど、ケーナがこんなにも怯えている理由が自分にあるのは、絶対に王城でのひと睨みのせいだという自覚があったので、罪悪感が募った。
王城でエドモンがケーナを詰問し、彼女が失神したのはつい数日前だ。あの後ロビンから、彼女はとても気が小さいのだからトラウマになったらどうするのですか、とたしなめられたのは記憶に新しい。時既に遅く、ケーナの中で完全にエドモンがトラウマになっているようであるが。
そんなエドモンの事情を知らないアリエルは困り顔になりながら、ケーナに尋ねる。
「ケーナ様、エドモン様に退室していただこうと思いますが、よろしいでしょうか」
「っ、い、いいえっ! だいっ、大丈夫ですぅ……! わ、私から謝罪のためにっ、同席、お願いしたので……っ」
「謝罪はもう受けましたから。私、ケーナ様とお話がしたいのですよ」
「うっ、先生ぇ……っ、こんなっ、こんな不誠実な私にっ、やさっ、優しすぎますぅ……っ!!」
「それは同感だ。アリエルは優しすぎる。ほんとうにその懐の深さは聖人かと思うときがあるな……」
ケーナの嗚咽混じりの言葉にエドモンも同調すると、彼女は涙混じりに顔を上げて、ようやくエドモンを見た……と、思ったら。
「で、ですよっ!! 先生は本当にお優しいんですっ! こ、こんなのっぽの私にも親身になってくれるしっ、マナーの指導されていた時だって他のマナー講師の方みたいに教鞭で叩いたりしないしっ、わ、わたしが身長高くてドレス似合わないと愚痴ったら、背の高い女性に似合うドレスについて色々と教えてくれたんですっ!! 先生はお優しいんですっ! 素晴らしいんですっ!! 姿勢を伸ばすように教えてくださった先生の教えが、私の心の支えなんですぅぅううっ! そんな先生に私はっ、私はなんてことを……っ!!!」
「ケーナ様……」
アリエルがどれだけ優しい人なのかをぐわっと訴えるだけ訴えて、また振り出しに戻ってしまった。アリエルは苦笑してよしよしと彼女の肩を抱いてなだめてやる。自分のドレスに彼女の涙がつくのも厭わない。その優しさにさらにケーナが泣いてしまった。
そして案外変なところで主張の強かったケーナに、エドモンはなんだか笑えてきた。王城で詰問した時はアリエルへの嫌がらせの実行犯としてしか見ていなかったが、ロビンが彼女のフォローをしようとした理由がよく分かった。自己評価はとことん低く、自己主張は控えめな彼女だけれど、性根は優しく、人をよく見ているのは分かったから。
「ケーナ嬢はアリエルを慕わっているんだな」
「もちろんですぅうううっ!! 先生、本当にっ、本当にごめんなさいいいいっ」
「え、エドモン様っ! ケーナ様をこれ以上泣かせないでくださいませっ」
とうとう外聞も何も関係なく号泣しはじめたケーナに、さすがのアリエルもついつい咎めるようにエドモンを見てしまう。エドモンはくつくつと喉の奥を震わせると、ソファから立ち上がった。
「やはり私は邪魔だろう。退出するよ。アリエル、ケーナ嬢と昔話に花を咲かせるといい」
そう言って、本当に退室してしまった。
アリエルがエドモンの出ていった扉の方を見ていると、ケーナがぐすぐすと鼻を鳴らしながら、涙で腫らした目でアリエルを見下ろす。座っていてもケーナの方が座高が高い。胸ではなく肩を貸していたのはこれが理由だった。
「せん、せぇ、は」
「はい」
「ど、どうして、伯爵と離婚、されたのですか……? 髪、とか……眼鏡、とか……どう、したんですか……」
細々とかけられた言葉に、アリエルはケーナに困ったように微笑んだ。なかなか話しづらいことを聞いてこられる。でもエドモンから今回の件に、出戻りのことだけではなく、アリエルの容姿が随分と変わってしまったことでいらぬ誤解を与えていたことも教えてもらっていたので、きちんと話しておくべきだと思った。
「髪色は、こちらが地毛なのです。伯爵家にいたときは、元夫の言いつけで染めていました。視力は離婚したあと、聖獣様の加護で治していただいたのです」
「本当に、聖獣様が……?」
「はい。聖獣といっても、私は今でも信じられないですが……可愛らしい仔なんです。クララ、スピナを連れてきてもらえるかしら」
「かしこまりました」
クララに言いつけて、スピナを連れてきてもらう。
最初、ケーナは恐縮した様子だったけれど、実際にスピナがクララに抱かれてやってくると、その白くて小さく、ふわふわでもふもふなスピナに目を輝かせた。
「か、かわゆいです……っ」
「ケーナ様、小さな仔犬や仔猫、お好きでしたよね。どうか抱いてあげてくださいな」
クララがケーナの膝の上にスピナを乗せてやると、スピナは「なぁに? あそぶ?」と言うようにケーナを見上げた。慣れない人間の存在にすんすんと鼻を動かすスピナを膝に乗せ、ケーナの頬がさっと朱に染まる。
「も、もふもふ……かわ……はわわ……かわいい……ふぁふぁ……」
すっかりと涙が引っ込んだ様子のケーナに、アリエルは微笑んだ。これなら落ち着いて話ができそうね。
「それで……私が夫と離婚した理由、でしたね」
「は、はいっ」
スピナに夢中になっていたケーナがびくっと肩を震わせて返事をする。手は一心不乱にスピナをもふもふしているけれど、その目はアリエルの方を向いて、その先を知りたそうにしている。
アリエルはそんなケーナの膝の上にいるスピナの尻尾をさらりと撫でた。
「ケーナ様は私の離婚理由について、何か知っていらっしゃいますか」
「は、初めの頃に、ご病気でとしか……で、でも夏の魔獣騒動のときに、元伯爵に内縁の妻がいたって、いう噂が……」
「そう……」
「あ、あのっ! 伯爵が愛人を囲っていたというのは本当なのですかっ! う、噂だと、子供がいるって……!」
「全部本当のことです」
核心を突くような問いにアリエルがさらりと答えると、ケーナは動揺したのか、スピナを撫でる手が止まった。
「愛人というと聞こえは悪いですが、その女性は私と元夫が婚約するより前から、彼の恋人だった人でした。それを引き裂くように、私たちは家同士の婚姻を結んだので、ずっと私と彼の間には、見えない溝があり続けたんです。そして女性に子供が生まれたのを期に、離婚が決まりました」
アリエルが穏やかに語ると、ケーナがおそるおそるといったようにたずねる。
「政略……だったのですか?」
「そうですね……けれど家にとっては丸くおさまっているように見えても、当事者である私たちにとって、よい結婚ではありませんでした」
「そんな……先生、おかわいそう……」
「ですが、そのおかげでエドモン様に出会えたと言っても過言ではありません。領地にいる元夫と距離を置くために王都に留まり、こうしてケーナ様の先生になったように講師のお仕事をいただけなければ、エドモン様とお会いすることなんてありませんでしたから」
終始穏やかな口調で語るアリエルに、ケーナもひとまずは納得したようだ。次第にそわそわとアリエルの方に視線を向けては、何かを話したそうに口をむにむにと動かした。
「聞きたいことは遠慮なく聞いてくださって大丈夫ですよ」
「な、なら……その……閣下とは恋愛結婚、だったのですか……? 政略と聞いてきましたが……その、公爵閣下が先生を見る目は、ずいぶんと、その……甘やかな気がして……」
「政略的な部分が大半ですが……でも、そうですね。恋してしまったから、この身分差のある結婚に、私も頷いたのかもしれませんね」
どうしても恋だの愛だのを口にするには、まだ気恥ずかしさが残る。アリエルが頬を染めながらケーナの疑問に答えれば、彼女もつられて頬が朱に染まる。
「……いいなぁ、先生……恋、したんですね」
「ケーナ様はまだまだこれからですよ」
「ないですよ……こんなのっぽの女の貰い手なんて……」
それまで浮上していたケーナの気持ちが、がくんと急降下してしまった。
「ケーナ様、そんなことありません。身長なんて二の次です。心が伴えば、容姿なんて関係ないんです。姿を偽ったところで、本当の自分ではないのですから、見目に惑わされるような殿方は、こちらから願い下げの気持ちでいましょう?」
思ったよりも強かなアリエルの言葉に、ケーナがきょとりとする。それからへらっと笑み崩れた。
「先生、変わりましたね」
「そうでしょうか」
「前なら殿方を立てつつ、どれだけ自分を見失わないかみたいな感じでした。それがなんだか、吹っ切れたみたいに見えます」
「そうでしたね……では、そんな私はもう淑女ではありませんか?」
アリエルが少しの茶目っ気をのせてケーナに聞き返せば、ケーナは目を丸くしたあと、笑顔で首を振った。
「とんでもないですっ! 先生は先生です!! 私なんかより立派な女性ですっ」
「ケーナ様、自分を卑下することはありません。貴女も立派です。自分の非を認め、頭を下げられるその勇気は、淑女以前に人として大切なことです。世の中にはそれができない人もいますから」
「は、はいっ」
こくこくと頷いて返事をするケーナ。そんなケーナに、アリエルは口元に人差し指を持ってきて立てると、「内緒ですよ」とささやく。
「これは誰かの受け売りですが、自分を卑下しすぎるのもよくありません。そこにあったはずの幸せを逃してしまいますから。ですからケーナ様も、どうか胸を張ってくださいね」
「はいっ」
「そういうことですので、まずは猫背を直しましょう?」
「せ、先生ぇ……っ」
ちゃっかりとケーナの猫背を矯正しようとするアリエルに、ケーナが脱力する。
アリエルがそれに悪戯めいたように微笑めば、スピナが楽しそうに耳をピコピコと動かして、ケーナを慰めるようにその手にすり寄った。




