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軍神公爵の愛は重い

 エドモンの怒りの覇気に耐えれず失神した侍女を、外で待機していた騎士に任せ、改めてダビデはエドモンに向き合った。


「エドモン、お前がよくよく婚約者殿に惚れているのは分かった。分かったが、そのおっそろしい顔はやめてくれ。侍女じゃなくとも文官も怯えて近づけなくなるだろうが」

「……これが地顔です」


 むっとするエドモンの表情は、誰がどう見ても、人一人殺してきたかのような迫力がある。

 普段はその体格で人を怖がらせないようにと気を使って温厚な表情を作るエドモンが、完全に怒気をはらませていた。

 それほどまでにアリエルへの侮辱がエドモンの腸を煮えくりかえさせていた。


「それにしても魔女ですか。なかなか噂も尾ひれがついているようですね」

「見目が変わったくらいでそれほど騒ぎ立てるものか? 髪色が変わって眼鏡をしなくなっただけなんだろう?」

「まぁ、たしかに印象はかなり変わります」


 出会った当初のアリエルと、今現在のアリエルを思い比べ、エドモンはダビデの疑問に答える。なんだかんだと言って、ダビデはまだ一度も本来の姿を取り戻したアリエルを見ていないからこその言葉だった。だけど実際に今のアリエルの姿を見て、過去のアリエルと同一人物だと結びつけられる人はまずいないと思う。


「私ですら見間違えたんだ。自分の目を疑いたくもなるでしょう」

「見間違えたんですか?」

「……見間違えた」


 ロビンに復唱され、エドモンはなんとなく居心地が悪い思いをしながらも、しかと頷く。


「お前が間違えるとは相当化けていたのか?」

「化けるというよりも、隠されていたというのが正しい。彼女の見目が控えめだったのは元夫の影響だ。今は彼女本来の美しさが開花しているだけで、化けてはいない」


 きっぱりと言い切ったエドモンに、ダビデとロビンがふわっと視線を合わせて頷く。


「べた惚れだな」

「お腹いっぱいです」

「本当のことを言っているだけだ!!」


 今のを惚気ととらえられたエドモンが抗議の声を上げるけれど、ダビデが「分かった分かった」と雑にあしらった。


「話を戻すぞ。アリエル・コールソンの姿が随分と変わったのもあって、噂がおかしな方向にいった感じか。結局前シーズンの社交界は不参加だったから、憶測が飛び交うのも仕方ないか」

「こうなれば無理にでも社交界に呼びつけておくべきでしたね。どこかの誰かさんが頑固に領地に閉じ込めて置こうとするから……」

「……………………」


 ロビンの当てこすりにエドモンはそっと視線をそらした。あの時はあれが最善だと思ったし、アリエル自身を尊重すればそうなるのは自明の真理であり、エドモンにはそれ以外の選択肢なんて視野になかった。


「で、どうするエドモン。うちの姫にしろ、噂にしろ、どう収拾をつけたい。何をするにしても間違いなく、アリエル嬢にはいろんな視線が向かっていくぞ」


 ダビデが腕を組み、挑発するかのようににやりと笑う。

 おそらく兄王の中ではすでに取りうる手段やその結末は何通りか思い描かれているのだろう。そのうちのどれをエドモンが選ぶのか、それを楽しむような表情だ。

 エドモンはさっきまでの怒りを身の内にすっかりひっこめると、大真面目な表情で宣った。


「中途半端に政略だと匂わせているから漬け込まれると思うのです」

「ほう? 中途半端とは?」

「情報が僅かにしか与えられていない。聖獣の飼い主だけでは足りない。聖女の話もどこからか漏れている。この中途半端さを補うような話をくれてやればいい」

「言いたいことは分かりますが……何で上書きする気です?」

「常套だ。いつの時代も身分差を埋める世論というのは一つに傾く。……必要であれば、私とアリエルの馴れ初めから今に至るまで、全て語ってやります」


 国王の執務室に、今日一盛大な大爆笑が響き渡った。



 ◇  ◇  ◇



 日当たりもよく暖炉が部屋をぽかぽかと温めているサロンで、雪化粧に染まる庭園を眺めながら、第一王女プリシラはほぅ、と一つ息をついた。


「これで叔父様の目は覚めるかしら……?」

「もちろんでございます」

「シーキントン元伯爵夫人であれば身の程をわきまえているはずでございます」

「淑女の鑑と謳われた方ですものね」


 憂いを帯びた表情でささやいたプリシラの言葉に、侍女たちが次々に同意する。プリシラも侍女の言葉に同意するように表情をゆるめた。


「そうよね。あの叔父上だもの。きっと目を覚ましてくれるわ。そして私を……」


 ささやきながら、プリシラの頬がほんのりと上気する。

 王族であれども恋する少女の顔に、侍女たちもくすくすと穏やかに笑った。


「殿下は本当に公爵閣下がお好きなのですね」

「私はどうしてもあのお体のたくましさが恐ろしいのですけれど」

「ですが王家の色を継いでいらっしゃるお二人が子を成せば、この国も安泰ですわ」

「もう、茶化すのはやめて頂戴な」


 くすくすと笑っている侍女たちに、プリシラは恥ずかしそうに顔を覆って身を悶えさせた。成人したばかりだというのにもう子作りの話なんて、まだまだ気が早いわと侍女にぼやくけど、彼女たちは笑顔のままだ。


 プリシラはエドモンのことが好きだった。

 大きくたくましい身体を皆は恐ろしいというけれど、幼い頃から当たり前のように見てきたプリシラはそれを恐ろしいとは思わない。むしろあのたくましさは惚れ惚れする美術品のように美しく、穏やかに微笑む表情と、騎士らしく真面目な顔で業務に当たるその落差が、プリシラの初恋を簡単に奪った。


 だから父王に無理を言って、エドモンにデビュタントのダンスリードをお願いした。本来なら婚約者候補の中から挙げられただろうが、その位置にむりやりエドモンをねじこんだ。


 夢のようだった。

 憧れの人とデビュタントを踊れたのが。

 その先も、と望んでしまうのは仕方なかった。


 だからこそ、許せなかった。

 突如現れ、エドモンの婚約者の座を奪っていった女性が。

 聞けば一度離婚を経験した出戻り令嬢だと聞く。病だったとか、夫と不仲だったとか聞くけれど、つまりはその女性に瑕疵があって離婚したのに変わりはない。その上身分も子爵令嬢と、公爵夫人になるには身分違いも甚だしい。そんな女性がエドモンの隣に立つなど業腹だった。


 プリシラの考えは的はずれなものではないはずだ。その証拠に侍女たちもプリシラに同調してくれるし、何より彼女たちも今回の公爵の婚約騒動に納得していないようで、口々に婚約者の子爵令嬢のことを教えてくれた。


 淑女の鑑と言われていたその顔の下は、ただの娼婦だとか。

 聖獣だなんて嘘で、本当は魔獣を操る魔女だとか。


 その侍女たちの話しを聞くたびに、エドモンは騙されているとプリシラは声を上げて主張したかった。

 それでもその子爵令嬢をエドモンの婚約者に推薦したのが父王と知り、強気に出られなかった。だからこそ、本人に自ら身を引くように仕向けた。

 この効果は果たしてどれほどのものだろうか。


 ふぅ、と憂いのため息をプリシラがこぼしていると、慌てた様子で一人の侍女がサロンへと入ってくる。


「し、失礼いたします!」

「どうしたの、そんなに慌てて。はしたないわ」

「王女殿下にお会いしたいとジラルディエール公爵がいらしています……!」

「まぁ、叔父様が? 通して頂戴」


 プリシラの頬が染まる。

 ここで気づけば良かった。

 公爵の訪いを告げた侍女の表情が真っ青で強ばっていたことに。

 プリシラの招きで、サロンにエドモンが入ってくる。

 その瞬間、呼吸もままならないほどの怒気がエドモンから感じられて、プリシラを含め、部屋にいた侍女たちの全身が震え上がった。


「……ご機嫌麗しく存じます、王女殿下」

「お、叔父様もご機嫌麗しゅう……?」


 ひく、と喉が攣りそうだった。

 プリシラは今の今まで、エドモンへとこんな気持ちを抱いたことはなかった。

 恐ろしい。

 剣呑に輝くルビーの瞳に射抜かれると、心臓がすくむようで身体が芯から震えた。


 これは誰?

 私の知っている叔父様?


「王女殿下。早速で悪いが、私の婚約者であるアリエル・コールソンに関する茶会の件について、申開きはあるか」

「ま、まあ……申し開きだなんて……仰ることがわからないわ」

「とぼけるのはよしなさい。貴女の指示でアリエルに対し幾つもの嫌がらせをしていたことは裏付けがとれている」

「でたらめですわ」


 常人ならエドモンの威圧に耐えきれずにぼろを出しそうなものだが、そこはさすが王族だろうか。

 プリシラは正面からエドモンの威圧を受けながらも、微笑みながら腹の中に色々な思考を詰め込んで対峙してみせた。……その指先はすっかりエドモンの怒気にあてられて冷えてしまっていたけれど。


「嫌がらせだなんて……私、とんと覚えがございませんの」

「紅茶や茶菓子への混入物や、椅子への細工……それから今日の噴水の一件、知らないとでも?」

「噴水の件はたまたまですわ。私付きのメイドがよろけてしまって、ぶつかってしまっただけですの」

「着替えもさせずに王城から追い出したのは?」

「彼女自身が遠慮したのですわ」


 穏やかに微笑みながら、それが本当だったかのように嘘をつく。腹に一物を抱えている貴族相手に駆け引きをするのは王族なら当たり前のことで、プリシラもそのあたり世渡りが上手いと自負していたけれど。


「……嘘をつくな。裏付けがとれていると言っただろう」


 腹に響くような低い声に、思わずプリシラは身体を震わせた。

 これは、怒らせてはいけない人を怒らせてしまったのでは?

 そう思っても、もう、後の祭りでしかなくて。


「今回の件に関わった者は全員謹慎処分を命ずる。もちろん、王女殿下、貴方もだ。追って沙汰をくだす。いいな」

「お、お待ちくださいませ! いったいどうしてわたくしがこのような仕打ちを……!? 叔父様であっても、王族である私にそのような権限があると思いまして!?」


まるで一陣の風のように処分を下したエドモンに、ようやくプリシラも状況を飲み込めた。納得いかずに声を上げれば、エドモンは淡々と答えを返していく。


「私は臣籍降下したとはいえ、騎士団長の身分も持つ。犯罪の取り締まりは職務内容の一環だ。そのうえでもう一度聞く。我が婚約者の件に覚えがないと言いたいと?」

「そうですわっ! わたくしがそんなこと……!」

「ケーナ・ドリーブが証言した。それ以外にも証拠は挙がっている」

「でたらめです! 叔父様は姪であるわたくしのお言葉を信じてくださらないのですかっ」

「信じてほしいのであれば、最初からこんなことをするべきではなかった」


 睨みつけられたプリシラはびくりと身体が震えた。それほどにエドモンの眼光は鋭く、恐ろしくて。


「アリエルを娼婦だとか魔女だとかと宣ってくれたらしいな」

「な、なんのことか……っ」

「とぼけるならばそれでもいい。私の愛する唯一の人への侮辱、今後一切許さないことだけは覚えておけ」


 愛する人、でプリシラは視線を上げた。聴き逃がせないその言葉に、プリシラはエドモンに感じていた恐れが吹き飛ぶ。


「愛する……? 何をご冗談を。これは政略結婚なのでしょう? 他へ向けたパフォーマンスであるのなら、無理にそんなことを仰られる必要は」

「私はパフォーマンスで愛を語るような男だと思われているのか」


 一段と低くなったエドモンの声に、プリシラは自分が彼の逆鱗に触れてしまったことを悟った。

 エドモンはそんなプリシラから一切視線をそらさず、淡々と反論をしていく。


「確かに彼女に求婚するために、色々とお膳立てがあったのは認める。それこそ聖獣の件や聖女の素質があることをこれ幸いにと、陛下や彼女への交渉材料にはした。だが律儀に聖女の勤めを果たそうと言った彼女を囲い込んだのは私だ。私を責められこそすれ、彼女を責める権利など、誰にもない」

「し、私用に聖女の地位を利用したというのですか! それこそ魔女ではありませんか!」

「私の話を聞いていないな。地位を利用したのは私であり、アリエルではない。もう一度言う。彼女自身のどこを見て魔女や娼婦と思ったのか述べてみよ!!」


 ひっ、とそれまで部屋の隅にいた侍女たちが悲鳴を上げた。エドモンの恫喝に腰が抜けて、床に座り込む侍女もいる。

 そんな中、エドモンと真正面から対峙していたプリシラはぶわっとそのルビーの瞳に涙をあふれさせた。

 こんなの、そう、認めたくない。

 プリシラの涙腺が、決壊する。


「あ、あああんまりです叔父様っ!! わ、わたくし、ただ、心配して……っ!! 叔父様のこと好きなの、わたくしのほうが早かったのにっ!!! どうして、どうしてわたくしを責めるのです……!! わたくしだって叔父様と結婚したいのを我慢して、結婚できないならせめて、お相手の方が公爵夫人にふさわしい女性かを見極めようとしただけですのにっっ!!!」


 うわぁんっと泣き始めたプリシラに、さすがのエドモンもここにきてようやく動揺した。幼い頃から見てきた姪の取り乱す姿は初めて見る。聡明で、王族の者らしいプリシラは、今回のことも何か策略あってのことかと思っていたのに。


「プ、プリシラ?」

「叔父様のばかばかばかこの筋肉達磨!!! 甲斐性なし!! 意気地なし!!! わたくしの純情をもてあそんでっ」

「ま、待てプリシラっ」

「お母様に言いつけてやるんですわぁあああっっっ!!!」


 エドモンの静止を振り切って、プリシラはサロンを出ていく。

 ハッとした侍女たちも、わらわらとプリシラを追って出ていった。

 一人残されたエドモンはぽかんと呆気にとられ、間抜けな顔をさらしていると、この騒動を部屋の外で聞いていたらしい衛兵がひょっこりと顔をのぞかせる。

 目があうと、衛兵は一度プリシラの去っていった方向へと視線を向け、もう一度エドモンを見る。


「おつかれさまです」

「……………………」


 すすすと衛兵は扉の向こうへと控え直した。

 プリシラの今回の件をくだらないと言ってしまうとまたあらぬ誤解を受けそうではあるが、エドモンとしては一言言いたい。


 プリシラの動機に関して、誰か心底説明をしてほしい。

 あと、王妃にいったい何を言いつけるのかが恐ろしい気がするんだが。


 とにもかくにも事態の収拾のためにエドモンはサロンを出た。

 様子を見に来てそのまま衛兵の影で爆笑の痙攣をしてうずくまっているダビデと、それを介抱していたロビンは無視した。


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