身分の違い
一度や二度ならアリエルも偶然だと思うことができた。
けれども、こう毎回のように陰湿なことをされると、気が滅入ってくるのは人として普通のことだと思う。
三日おきにプリシラからお声がかかり、お茶会は今日で四回目になる。馬車の中で深いため息をついたアリエルは、どうしたものかと悩んだ。
一回目同様、二回目、三回目も、紅茶や茶菓子に細工をされていた。あまつさえ王女殿下のサロンへ向かう道中は、アリエルから見えないような位置で陰口を叩くような侍女たちが増えてきている。身分差のある婚約だったので覚悟していたことだけれど、こうも顕著だと気が滅入ってしまってよくなかった。
「お嬢様! いい加減、閣下にご相談されるべきです! 何かあればお話するとお約束されたじゃありませんか!」
「そうだけれど、犯人が誰かもわからないまま言えないじゃない」
「そんなのあからさまではありませんか! 王族とはいえ、こんな陰湿な……!!」
「クララ」
アリエルが厳しい声でクララをたしなめる。
クララはぐっと口を閉じたけれど、その表情は納得していない。
「滅多なことを言うものではないわ。こうされるのは私に非があるからよ。実態を知らなければ、なぜ子爵家の私が公爵家に嫁ぐのか、誰にも理解できないもの」
アリエルとエドモンの婚約は、表面上は政略結婚だ。
理由は聖獣の飼い主だから。だけどそれだけの理由では婚約する理由には弱かったようで、元伯爵夫人であり、本来は子爵令嬢であるアリエルが何故選ばれたのかと、不満が噴き出すのも道理だった。
分かっていたことだった。厳格な貴族社会では起こりうることだと、分かっていた。
それがまさか、その筆頭の膝下で、こうもあからさまに嫌がらせをされるとは思っていなかったけれど。
「大丈夫よ、クララ。チャールズに比べたら、可愛い悪戯よ」
「どこがです!」
「怪我はしてないし、陰口だって語彙力がないわ?」
チャールズのほうがよっぽど苛烈な折檻だったし、一体どこでそんな言葉を覚えたのかという暴言も多かった。
それに比べたら、砂糖と塩の入れ間違いや、オブラートに包まれた陰口など、アリエルにとってそれほどのことでもなく。
「お嬢様のタフさは何か間違っている気がします……」
「そうかしら」
アリエルがくすくすと笑えば、クララはとうとう脱力して、大きくため息をつく。
「でもそうねぇ……このままだと駄目なのは私も分かっているのよ。ずっとこのままでは、エドモン様にも申し訳ないわ」
ほう、と息をつく。
どうしたものか。
素直に嫌がらせを受けていると言っても心配をかけるし、特に中心にいる相手はエドモンの身内だ。侍女たちが勝手にやっていることかもしれないし、決めつけは良くないと思うと、やはり言いつけるような真似は憚られて。
馬車がガタガタと音を鳴らしながら、王宮へと進んでいく。
憂いを帯びた瞳でアリエルは小窓の外を見やれば、灰色の空からのちらちらと雪がまた降り始めていた。
「毎日お茶会だけというのも飽きるでしょうから、今日は少し王宮を案内するわ。ついていらして」
にっこりと可憐に微笑むプリシラに、アリエルは「はい」と応える。外は雪が降り始めている。何もこんな一段と冷え込む日に限ってとは思うものの、プリシラの言うことに否やは唱えなかった。
「ちょっとだけお庭に出ましょう。雪化粧された王宮のお庭はまた格別美しいのよ」
「左様でございますか。それは楽しみです」
脱いだコートをクララが再び着せてくれて、プリシラの案内で庭へと出た。雪がちらつくので傘を差し、ぽつぽつと庭に降り積もった雪に足跡をつけていく。
外はやはり随分と冷え込む。白い吐息を吐きながら王女の一歩後ろを着いて歩いていると、メイドに傘をさしてもらっていたプリシラがアリエルを振り向く。
「そんな風に歩かれてはお話ができないわ。隣にいらして頂戴」
無邪気に笑うプリシラに請われるまま、アリエルはプリシラに並ぶ。そうして雑談を交わしながら白染めの庭を歩いていると、薄く氷の張った噴水の前へとたどり着く。ふとプリシラが思い出したようにアリエルに尋ねた。
「そういえばアリエルは悪さをしていたアモフィックスを聖獣へと変えたのでしょう? その時の光景がまるで幻想的で光の雪が降るようだったと聞いているわ」
アリエルは驚いた。あの一件には箝口令が敷かれたとエドモンから聞いている。まさかこんなにも侍女たちがいる中で切り出されるとは思っていなかったアリエルは一瞬だけ動揺した。
それでも相手は王女だし、知っていてもおかしくはない。アリエルは当たり障りない程度に頷いておく。
「そう、聞いております」
「まぁ、自分のことなのに他人行儀なのね」
「……あの時のことは、私にもよくわからないのです」
まばゆく光った後のことは、姿の変わったアモフィックスに驚きが優って、周囲のことはちゃんと見ていなかった。赤い光が雪のように降り注いでいたという話も、随分と後になってから聞いた話で、アリエル自身がどうだったと話せるようなこともない。
声を落として答えたアリエルに、プリシラは無邪気に微笑んだ。
「そうだわ。わたくし、その光の景色が見てみたいの。お願いできるかしら」
「……え?」
今度ばかりはアリエルも絶句した。
あの光景を、再現?
そして青ざめる。
「恐れ入ります。あれは私の意志で行ったわけではなく、私にも何がなんだか」
「だって貴女は聖女なのでしょう? 聖なる力で光の雪を出すことくらい、簡単なのではなくて?」
否定したかった。
否定しようとした。
けれどアリエルが顔をあげると、にっこりと笑っているルビーの瞳と視線が合って。
「できないわけ、ないわよね? だって叔父様の奥方になられる方だもの。子爵令嬢の身分で叔父様の妻の座につくなんて、それくらいのことできないとなれないものね?」
「プリシラ様」
「ねぇ、聖女様。聖女様に覚悟はおあり? 策謀渦巻くこの王宮で、その綺麗な心のまま、叔父様の隣にいられると?」
ああ、とアリエルはようやく認めた。
これまでの嫌がらせはクララの言うとおり、プリシラを中心に行われていたのだと。
その証拠に、アリエルを追い詰めようとするプリシラは笑顔なのに、目が笑っていない。
「……私は自分が綺麗だなどとは思っておりません。聖女の力というのも望まぬもの。私自身が知覚できているわけでもなく、私の身には持て余すものだとは重々承知しております」
「叔父様、可哀想。こんな覚悟もない女性と結婚なさらないといけないなんて」
「覚悟はしております。こうなった以上、私も誠心誠意―――」
「お黙りなさいな」
有無を言わせない響きだった。
プリシラが氷の女王のように冷たい微笑を浮かべる。
愛嬌があると思っていた彼女の笑みは全て作り物だったのかと思うほどの、冷たい笑み。
「皆騙されているのよ。そんな聖女だなんだのと、お伽噺のような話、あるわけないの。その証拠に貴女は聖女の力を使えないのでしょう?」
「それは……」
アリエル自身もどうやってアモフィックスを癒やし、魔獣から聖獣へお変生させたのかわからない。やれと言われてできるようなものではない。
何も言い返せずにアリエルが口を閉ざせば、プリシラは「ほらね」と微笑む。
「皆の言う通りだわ。どんなに淑女の顔をしていても、その根は娼婦でしかないのね」
「娼婦……?」
「みんな言うわ。伯爵家の夫を捨て、公爵に言い寄る毒婦だと。そんな女性、叔父様に相応しくなんてないのよっ」
ああ、この王女は。
「お嬢様……っ」
「自分から身を引きなさい。貴女程度の者が叔父様に近づくなんて、烏滸がましいわ」
どん、と突き飛ばされる。
実際に突き飛ばしたのは、あの背の高い、猫背のメイド。
申し訳無さそうに表情を歪ませるメイドに、やっぱりどこかで見覚えのある顔だと思えば、ふと三年前にアリエルがマナー講師をしていた生徒だと気づいた。
それも束の間。
アリエルはパシャンと派手に水飛沫を上げながら、計ったように凍てつく噴水の中へと落ちた。




