波乱のお茶会
ロマニーア王国の王城は、空高くそびえる六つの塔と、南北に構えられた二つの宮殿、そしてそれらの真ん中に存在する広大な池を持つ庭園が特徴的だ。
北に建てられた宮殿は王族の住まいであり、通常、出入りするのは王族と、それ相応の宮人だけだ。政治機構や舞踏会用のダンスホールは南の宮殿のエリアに存在するので、普通の貴族はまず北の宮殿へと足を踏み入れることはない。
アリエルは王女付きの侍女に案内され、初めて王族の住まいに足を踏み入れた。
一見しただけでは品の良いたたずまいと調度品だと思うけれど、よくよくみれば陶器の花瓶一つとっても伝説の名工だと思われるデザインだし、廊下にかけられている絵画も、美術館のように画家の名前がプレートとして添えられている。新進気鋭の新人らしき画家から、一枚金貨数億枚と言われる人間国宝の画家までいて、アリエルは目が眩みそうだ。
一緒についてきていたクララも緊張しているようで表情が強張っている。てっきり南の宮殿の一室を借りるのだろうとばかり思っていたのに、北の宮殿に案内されるとは全く思っていなかった。
どこかで会ったことがある気がする侍女がとある一室の前で足を止める。彼女は頑なにアリエルと視線を合わせようとしない。もし知り合いならば声をかけて見ようとも思っていたけれど、視線が合わないことには声もかけられなかった。
「……王女殿下はこちらでお待ちです」
アリエルよりも上背のある侍女は背を丸めて、アリエルたちの訪れを告げると、中から可愛らしい少女の声が聞こえてきた。
「お入りになって」
侍女が扉を開けてくれる。
アリエルが案内された扉をくぐると、そこはサロンの一室のようだった。
部屋の広さのわりににはティーテーブルが中央に一つしかなく、部屋の隅にはグランドピアノが置かれている。それなのに壁際にずらりと並んだ侍女の数が存在感を主張し、アリエルは一瞬、足すくんだ。
けれど長年身につけてきた所作はそんな程度じゃ崩れない。
流れるようにスカートの裾をつまみ、右足を後ろへと引く。
「お初にお目にかかります。コールソン子爵が一子、アリエル・コールソンと申します。王女殿下におかれましては、ご機嫌麗しく存じます」
「まぁ、おかたいご挨拶はいらないわ。はじめまして、私はプリシラよ。ぜひ、プリシラと呼んでちょうだい。だってあなたは叔父様の奥方になられる方だもの!」
アリエルはカーテシーをやめると、招待してくれた高貴な少女を見つめた。
紗のようにさらさらとした美しい銀糸の髪に、ルビーのように輝く紅い瞳。王家の者らしい色合いだというのに、エドモンや国王陛下とは違って、雪兎のように愛らしい印象を与えるのは愛嬌のある顔立ちのためだろうか。
袖や襟元に白いフリルとリボンをふんだんにあしらわれたドレスがよく似合っている。綿雪の精かと見違えそうなその存在感に、アリエルは背筋をすっと伸ばした。
この愛らしい少女こそ、この国の第一王女、プリシラ・シルキー・ロマーニア。
一年と半年前、社交界を去ったアリエルと入れ替わるようにデビューされた、高貴な姫君だ。
「さぁさ、おかけになって。わたくし、貴女とお会いできるのを楽しみにしていたのよ? 叔父様の婚約者なんですもの。さぞや立派な方なのだろうと、わたくし、楽しみで、楽しみで」
ふふふ、と微笑むプリシラに促されるまま、アリエルはテーブルにつこうとする。
クララがアリエルのために椅子を引いた。
アリエルはマナー通りに座ろうとして、
ガッタン!!
「お嬢様!?」
「っ、だ、大丈夫よ、クララ」
アリエルの座ろうとした椅子の足が、根元から折れた。
バランスを崩したアリエルが、ひっくり返そうになったのを、なんとかクララが支えてくれる。
予想だにしていなかったことに、アリエルの心臓はバクバクと大きく鳴った。まさか王城で、それも自分が座ろうとした椅子が壊れるなんて。
あんまりな粗相に、アリエルとクララが青褪めていると、プリシラからのんびりとした声がかかった。
「まぁ、大丈夫? その椅子、壊れていたのね。ごめんなさいね、お客様にそんな椅子を出すなんて、もぅだめね。後でここのセッティングをさせた者を叱っておくわ」
「いえ、こちらこそ、申し訳ございません。王城の調度を壊すなど」
「劣化していたのでしょう? 気にしないで」
にこやかに微笑むプリシラに、アリエルはほっと息をついた。
プリシラの指示で壊れた椅子は取り替えられる。まだびっくりしている心臓をなだめながら改めて席につくと、プリシラの合図でお茶が出された。
「ふふ、まずは召し上がって? 勉強会とは銘打ちましたけれど、そんな堅苦しいことはしないつもりよ。お茶会だって、淑女のお勉強でしょう?」
「そう、ですね」
プリシラの言うとおり、お茶会一つとっても勉強は欠かせない。姿勢やテーブルマナーはもちろん、ドレス選びもその人の品評を決めるものだし、何より淑女たちお茶会は貴族らしい情報戦の場でもある。無知はそのまま恥になるので、高位貴族の女性はあらゆる方面に知識が豊富だった。
アリエルもかつて、伯爵夫人としてそういったお茶会に参加していた。笑顔の裏で策略を巡らせるような女性が多いお茶会は、それだけで緊張したものだった。
プリシラとのお茶会はそんな緊張をアリエルにもたらしている。歳でいえば六つほど違うのに、彼女はもうすでに歴戦の淑女がもたらすような貫禄を持っていた。王族は生まれながらにしてそれを持っているのかしら、と思ってしまうくらい。
「今日の紅茶はセイロラ地方の茶葉を使用しているのよ。わたくし、このお茶が一等お気に入りなの」
「セイロラ産ですと、リリーガルが銘柄として最近人気だと伺っております」
「まぁ、知っていらしたのね」
プリシラが意外そうにつぶやく。
一年近く退いていたとはいえ、アリエルはエドモンの婚約者になると決まってから、社交界に復帰するべく必要な知識や流行は改めて吸収していた。なのでこのくらいなら、流行においていかれるような失態はしない。
「お味は知っていて?」
「一度だけ、いただいたことがあります。渋みがあるのに爽やかで、とても飲みやすかったです」
「そう。それなら苦手なんてこと、ないわよね?」
にっこりと微笑んだプリシラに何かが引っかかった気がしたけれど、アリエルは何も言わずに首肯するだけにとどめた。
プリシラの指示で紅茶を蒸らしていた侍女が、頃合いを見計らったようにカップへとお茶を注いでくれる。
濃厚なアンバーのような色の紅茶は香り高く、以前頂いたものも、こんな香りだったとアリエルの記憶が掘り返されていく。
「良い香りですね」
「そうでしょう? わたくし、渋みが苦手だからミルクティーにするのが好きなのよ。ぜひ貴女もいかが?」
プリシラの勧めを、アリエルはありがたく受けることにした。侍女が追加のミルクを入れてくれる。
アンバーに乳白色がまざり、亜麻色に変わった。芳しい香りはそのままで、喉越しも―――
「っ、」
アリエルがむせた。
気管支に入ったのか、けんけんと咳き込む。クララがびっくりしてアリエルの背を擦ると、アリエルは大丈夫と言うようにクララと視線を合わせた。
「まぁ、今度はどうされたの? お茶のお味、やっぱり苦手だったかしら?」
「い、え。大丈夫です。美味しくいただけます」
アリエルはなんとか表情を取り繕った。本当は全然大丈夫じゃない。とはいえ真実を指摘しようものなら余計な争いを招くと予想して、何も言わないのを選択した。
アリエルのミルクティーは、非常にしょっぱかった。
紅茶の香りと、温かいミルクの甘さ、そしてじょりっと溶け切らない結晶の感触がした塩の味。
砂糖の代わりに、ミルクに入っていたのは塩だった。
なぜ、こんなことに。
アリエルは思わず紅茶を注いでくれた侍女を見た。
先程案内してくれた、アリエルよりもさらに背が高く、猫背気味の女性だ。アリエルと目が合うと強ばった表情で唇を引き結び、何気ない素振りで視線をそらされる。
侍女の表情に後ろめたいものを感じ取ったアリエルは、自分の置かれた状況を察した。
―――どうやら私、歓迎されていないみたい。
歓迎していないのは誰かまでは特定できない。むしろ特定したところで、自分が不利になるだけの可能性もある。
それならアリエルが取るべき行動は。
「とても美味しゅうございます」
もう一口、風味なんて消されてしまった塩味の紅茶を口に含めば、プリシラの笑みが深まった。