帰還の報せ
子爵領の秋は短い。
王国の北に位置する子爵領は、冬が早く訪れる。
もう少ししたら雪がちらつき始める時分になる。雪の季節になる前に温かな羊毛のショールを編んでおこうとアリエルが手仕事に精を出していると、その報せが届いた。
―――エドモン・ジラルディエール閣下、帰還。
自室で伝書を開いたアリエルはほっとした。
婚約者の長い遠征。隣国まで行くと聞いていたので、手紙もままならず心配していた。
伝書のもたらした帰還の二文字の短い文字をなぞり、ふとその違和感に気づく。
私に、伝書?
手紙ではなく?
そのことに気がつくと、言いようもない不安に襲われた。
「ねぇ、クララ」
「何でしょうか、お嬢様」
「婚約者に伝書を送るのは、普通かしら。お手紙ではなく」
クララも微妙な顔になる。なくなはないけれど……でもあんまり一般的ではない。無事帰還したのなら、なおさら。
不思議に思いながら、もう一枚届いていた手紙を開く。差出人は侯爵夫人のベリンダ。春から少しずつ季節の便りを重ねている王都の友人だ。
ベリンダからの手紙を開いて、アリエルは目を見開く。
いてもたっても居られずに、思わず立ち上がった。
「クララ、どうしましょう……っ」
「お嬢様?」
「エドモン様が……っ、エドモン様がお怪我をされたそうなの……!」
クララもまた驚いて、一瞬止まった。
アリエルの急な声に、部屋の隅に置かれた特等席の揺り籠の中でお昼寝していたスピナがぴょこんと顔を出す。
ベリンダの手紙には、この度の遠征で負傷したエドモンの様子が綴られていた。
エドモンの負傷を知ったアリエルは、クララになだめられて一時の動揺はおさまったものの、エドモンのことが心配で落ち着かなかった。
今だって、アリエルにそのことを伝えてくれたベリンダへ手紙の返事を書こうにも、気がそぞろで書き進められない。本格的な冬が来る前に手紙を出さねば雪で手紙を送れなくなってしまうのは分かっているのに、なかなか筆が進まなかった。
そんなアリエルに、クララが提案する。
「そんなに気になさるのなら、お見舞いに伺うのはどうでしょうか。今ならまだ雪の足も遠いですし、間に合いますよ」
「でも、急に押しかけては迷惑よ」
「そんなこと言ったって、本当はご心配なのはお見通しなんですからね」
クララの言葉にアリエルは困ったように微笑む。そんな様子の主人に、クララはそらみたことかと言わんばかりに腰に手を当てて、こんこんとアリエルを説いた。
「お嬢様。こういうのは気持ちの思うままに行動するべきです。嬉しいことや悲しいことは全面に主張しましょう。特にそれが人のためのものになるのなら。……まぁ、やりすぎはだめですけれど」
心配するのなら行動に移せというクララに、アリエルは視線を伏せた。
手元にはベリンダから送られてきた手紙。そしてまだ何も綴られていない便箋たち。
それらを前に、アリエルは悩みこむ。
確かにうじうじするのは良くない。
迷惑であれば門前で帰ればいいかしら。
でもそんなはしたないこと、してもいいの? 常識のない女だと呆れられないかしら。
ぐるぐると考え込みながらも、アリエルはとても―――とてもなんて言葉じゃ言い表せないくらい、エドモンの身を案じていた。
「ああ、でも……王都にいる間、皆のお手伝いが」
「平気です平気です。お嬢様が無理してやる必要はないんです。そもそも貧乏でもない貴族令嬢が労働してるのもおかしいんですから」
クララにごくごく真っ当なことを言われてしまい、アリエルは肩をすくめる。
それからベリンダの手紙に書かれたエドモンの様子を指でなぞった。
『ご本人はぎりぎりまで隠そうとなさるでしょうけれど、お伝えしておくわ。閣下が負傷して帰還されました。日常生活を今まで通りに送るには時間がかかることでしょう。簡単に治るような傷でもないようで、貴女に手紙を書くのすら当分先となりましょう。先日、夫と見舞いに行った時は元気そうにされていましたけれど、やはり覇気とでもいうのでしょうか。あの大きな体が一回り小さく見えてしまいましたわ』
ベリンダの夫が帰還直後に報告を受け、一度見舞いに行っていたことも書かれていた。その後改めて、療養する彼の話し相手として見舞いに、夫婦で伺ったそうだ。その時の様子をじっと目で追い、アリエルは深く息をつく。
「お体に気をつけてと言ったのに……」
ぽつりと呟いた言葉はやるせない。
分かっている。騎士という職業柄、危険と隣り合わせになることなんて百も承知。いつ命を落としてもおかしくはないんだってこと、アリエルも知ってはいた。
それでも。
「クララ……」
「お嬢様?」
アリエルの震える声に、クララが気がついた。
それから行儀が悪いと知りつつも、書き物机に向かう彼女の顔をのぞき込んで―――ぎょっとする。
「お嬢様っ」
「どうしましょう、クララ。あの人が、あの人が死んでしまったら……」
はらはらと大粒の涙をこぼすアリエルに、クララは慌てて柔らかいハンカチーフを取り出して、彼女の涙をぬぐった。
「だ、大丈夫ですよお嬢様! かの方は軍神公爵とまで呼ばれた方です! そう簡単には死にはしませんよ!」
「でも、私、もしかしたら疫病神かもしれないわ。ニコラのように、エドモン様も死んでしまったら……っ」
「もぅ、お嬢様!」
透明できらきらと光る涙をぽろぽろとこぼしていくアリエルに、クララが無理やり彼女の椅子ごと身体の向きを変えて、正面に立った。
それからぎゅうっとアリエルの手を握る。
「お嬢様の悪い癖ですよ! お嬢様が悪いわけでもないのにそう思い込むなんて! あのクズ野郎のせいですか!? お嬢様はいつだって凛然と微笑んでるのが似合うんです!」
「だって、私なんかやっぱり……」
「いいえ、お嬢様は素晴らしい方なんです! 疫病神なんかではありません! お嬢様が疫病神だったら私なんかとっくにぽっくりと死んでますよ!」
クララの大声の主張に、アリエルは黙った。涙はまだ止まらなかったけれど、でも少しずつ気持ちが落ち着いていく。
「公爵閣下のお怪我はお嬢様のせいではありません。閣下ご自身の不注意によるものです。それがどうしてお嬢様のせいになるのでしょう。むしろ軍神公爵ともあろう方が負傷だなんて、何をしてるんですかと文句の一言も仰るべきです」
「……怪我人の方にそんな容赦のないことはどうかと思うわ」
「それくらいの気概がないと、大切なお嬢様を任せられませんから!」
なんだか主旨がずれているような……? とアリエルが困ったように眉をたれさせていると、クララが神妙な顔で訴える。
「やっぱりお見舞いに行きましょう、お嬢様。婚約者の特権です。一番近くで看病して、まだまだ遠い公爵様との距離感を埋めてきてください」
「婚約者の特権って」
「いっぱいいちゃいちゃしてきてください。お嬢様に足りないのは甘えることです。公爵様だって、こんなにいじらしいお嬢様のお気持ちを知れば、二度と怪我なんてしないことでしょう!」
そうと決まれば王都へ! と意気込むクララの目の前で、アリエルは顔を真っ赤にさせる。
クララが言っていることは無茶苦茶だ。怪我人に甘えるなんてことしてはいけない。むしろ、怪我人は甘やかすべきであって、アリエルが甘えるわけには……。
「じゃあめいっぱい甘やかしてきてください。お嬢様、そういうのはお得意でしょう?」
「クララ……」
身も蓋もないメイドに、アリエルが脱力する。いつの間にか涙も引っ込んでいて、アリエルは微笑みが浮かんでいた。
「そうね、ここで何もしないのはチャールズの時と同じだわ。私から距離を近づける努力をしないとね」
「その意気です、お嬢様!」
クララが満面の笑顔で頷いた。
子爵家に出戻ってからアリエル自身も明るい表情が増えたけれど、ずっと一緒にいてくれたクララも同じように表情が明るくなった。特に今は我慢することもないからか、本来の性格が全面に出ているようでアリエルに対して主張が激しい。
それでもそのクララの性格に救われているのだから、アリエルは感謝している。
「そうと決まればお父様にタウンハウスを借りてもいいか聞いて、しっかり荷物をまとめましょう。冬の間、王都に滞在できるように」
「かしこまりました!」
クララが元気よく返事をして、早速父へと取り次ぎに行ってくれる。アリエルはその様子を見送って、ようやくペンを持った。
冬の間、王都へ行くことを、友人であるベリンダへと綴る。長い滞在となるので、日が合えばお茶をしたい旨も一緒に添えた。
それから便箋に蜜蝋を垂らし、一息ついたところで、これからの算段をつけて……
「そうだわ。エドモン様にお会いするのなら、あれもそろそろ仕上げないと」
そう言って、ソファに置きっぱなしになっている籠へと視線を向けた。
籠の中には、編みかけの羊毛ショールが入っている。
「雪が降る前にしないといけないことが沢山できたわね」
アリエルは愛おしそうに、編みかけのショールを見つめて微笑んだ。




