表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
出戻り子爵令嬢の二度目のワルツ 〜軍神公爵に愛されて、幸せになってもいいですか?〜  作者: 采火


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/46

近づきたい距離

 切ない余韻を残して終わった物語。

 しんみりとした雰囲気になったものの、お芝居はとても素晴らしいものだった。


「素敵なお話でしたね。本を読むのとはまた違って、気持ちの入り方が全然違いました」

「そうだな。これが観劇の醍醐味だ。どうだろう、これから食事を楽しみながら観劇の余韻にひたるというのは」


 茶目っ気いっぱいに微笑むと、エドモンはアリエルを最近女性に人気だというレストランのディナーへと誘ってくれる。

 観劇の後のディナー。理想のデート像は物語の中だけと思っていたのに、それを体験する日がくるなんて、とアリエルは感慨深く思った。


 ただ一つだけ困ることがあるとすれば。

 相手がかの軍神公爵、エドモン・ジラルディエール閣下だということ。劇場でももちろん、連れられてきたレストランでも注目を浴びてしまう。貴族御用達の店だと聞いていたけれど、エドモンと共にいるアリエルのことが気になるようで、出迎えたスタッフから注目を浴びるものだから、正直に言えば居心地が悪かった。

 それでもそんな居心地の悪さなど顔には出さず、にこやかな微笑みをアリエルは浮かべた。アリエルとしては大事にならないように無難な表情を取り繕っただけだ。


 だというのに。


「エドモン様だわ」

「まぁ、こんなところになんて、珍しい」

「お隣の方は誰?」

「見たことがあるような……」

「おそろいの仕立てを着ていらっしゃるわ」


 レストランのロビーはオープンな空間だ。これから個室に案内されるとはいえ、案内待ちや帰宅前の談笑をしている人々からも注目を浴びてしまう。分かっていたことだけれど、ここまで注目を浴びるというのは、気後れしてしまいそうだった。

 そんなロビーを通り過ぎて、ようやく個室へと落ち着いく。ほっと一息つくと、コースは事前に手配していたようで、しばらくもしないうちに食前酒がグラスに注がれた。


「すまないな。私がいるとどうも周りが騒がしくなる」

「仕方ありません。こうなることは承知しておりましたから」

「……貴女には苦労をかけるな」


 エドモンが申し訳なさそうに苦笑して、ワイングラスを掲げる。


「それでも私は、貴女とこうして食事ができるのを嬉しく思うんだ。さあ、グラスを持って。―――貴女との夜に乾杯を」


 アリエルははにかみながらグラスを掲げる。

 自分へ向けられた恋人や婚約者、夫婦で定番の台詞。チャールズには一度もかけられたことのなかった言葉に、それだけでアリエルは報われるような気持ちになる。

 今はまだ慣れないだけだ。人の目が気になるだけ。堂々としていれば、いずれ自分も周囲も慣れていく。それが社交界の秘訣なのだから。


「不思議な気分だな。貴女と観劇をして、こうしてディナーをするというのは」

「そうですね。お誘いいただけて嬉しく存じます」


 穏やかに話しだしたアリエルとエドモンは、メニューが配膳されるまで先程の観劇について感想を語りあった。エドモンはやっぱり騎士という職業柄か、少年王の剣さばきについてよく語り、アリエルはそれに相づちを打ち、彼の話をよく聞いた。

 アリエルはエドモンの熱弁に楽しそうに耳を傾ける。口下手かと思いきや、いきいきと饒舌に話すエドモンの意外な一面を知れて、アリエルは微笑ましかった。

 そうして前菜が届き、スープが届き、美味しくメインを頂いていたところで、エドモンがふと気づく。


「私ばかりが話してしまったな。貴女は聞き上手だから、ついつい話に夢中になってしまう」


 少しだけばつが悪そうに眉を垂れさせたエドモンに、アリエルはくすくすと微笑んだ。


「いいえ、閣下の視点は私にはないもので、新たな視野を広げられている気分になります。私としても聞いていて楽しいのですから、お気になさらず」

「貴女は人をおだてるのが上手いな」


 おだてる、と言われて、アリエルは一瞬だけ身がすくむ思いがした。不快な思いをさせたのかと思ったけれど、そんなことはない。エドモンもアリエルと同じで、変わらず微笑んでいた。


 聞き上手であれというのは、アリエルにとって普通のことだった。そもそも人の言葉を遮るのは品がないし、相手がチャールズだったら激高しかねなかったから。

 けれどエドモンはアリエルの様子に気分を害した様子もなく、むしろ照れたようにアリエルに笑いかけてくれる。これが当たり前のことだと思えなくなっていたのは、チャールズとの夫婦生活が普通になってしまっていたからだろうか。


 少しずつだけど、アリエルがなりたかった理想の姿に近づけているような気持ちになる。微笑みながらアリエルがそんなことを思っていると、エドモンがふと神妙な顔つきになる。


「アリエル」

「はい」


 アリエルも表情をひきしめた。

 食事の手すら止めて聞きの姿勢をとると、エドモンが改まった様子で口を開く。


「その……せっかく婚約者になったのだから、閣下などと他人行儀な呼び方はやめてほしい。どうか、エドモンと」


 エドモンの耳が赤く染まった。

 ぶっきらぼうに言われた言葉に、アリエルは一瞬きょとんとした。

 呼び方?

 何をおねだりされたのだろう。

 よくよくエドモンの言葉をかみ砕いてようやく理解すると、ふわっと胸の奥に温かいものが広がった。

 なんて可愛いおねだりなんだろう。アリエルの頬が自然とゆるくなってしまう。


「申し訳ありません。私の気遣いが足りせんでした」

「いや、……その、笑わないでくれ! 自分でもなんて馬鹿なお願いをしているのかと思ってはいる! だがやはり、貴女に名を呼んでほしくてだな……!」


 力いっぱい主張を始めたエドモンに、アリエルは口元を隠しながらころころ笑う。

 どうしてだろう。たまに見せるエドモンの子供のような言動がとても可愛らしくて、アリエルはついついほだされてしまう。


「エドモン様」

「!」

「私でよろしければ、何度でもお呼びいたします。……婚約者ですから」


 ぼそりと付け加えた言葉は小さくなってしまった。

 それはきっと、アリエル自身がまだエドモンの婚約者だという事実に慣れていないせい。

 それなのにエドモンは、その顔に似合わないくらいに破顔した。


「ありかとう。また一つ、貴女との距離が縮まった気がする」

「そんな、大げさです」

「大げさではない。現に私はこんなにも嬉しい」


 エドモンの笑顔の大判振る舞いは、アリエルの心臓を落ち着かなくさせる。

 名前一つでこんなにも表情を変えてくれる人がいることは、アリエルにとって新鮮な出来事だった。長い付き合いのクララもよく表情をくるくると変えているけれど、それとは違う何かがアリエルの胸のうちに湧き上がる。


 たぶんそれが、愛しいという気持ちで。


 心がぽかぽかとして、エドモンにつられるようにアリエルもふんわりと微笑んだ。






 レストランでディナーを堪能した二人は、帰路へとついた。月明かりと星の瞬き、それからぽつぽつと立つ家々から漏れる明かりを頼りに、ゆっくりと馬車が進んでいく。


 ガタガタと進む馬車の中、アリエルもエドモンも月明かりの差し込む車窓からそっと街の様子を窺っていた。静かな夜に、ガラガラと廻る車輪の音。観劇をした劇場や、先程までいたレストランとは雰囲気が全く違う、夜の世界。


 とても充実した一日だったと、アリエルは今日一日を振り返る。

 明日が来れば、アリエルは領地へ帰り、エドモンは長期遠征へと出てしまう。しばらく会えないことを寂しく思うほどに、エドモンとの一日はアリエルにとって夢のような時間だった。


「……少し、もったいなく思ってしまいますね」

「もったいない?」

「エドモン様との時間が、もうわずかしかないことが……こんな私がもう少しだけ語っていたいと思うのは、贅沢なことなのだとは思いますが」


 アリエルが何気なく囁いてエドモンへと視線を向ければ、エドモンはドキリとするくらい真摯な瞳でアリエルを射貫く。

 力強いルビーの瞳は夜の暗闇の中でも鮮やかに輝いていて。


「こんな、とは言わないでくれ。貴女は素敵な人だ。私にとって唯一無二の人なのだから、贅沢とは言わず、もっとその特権を十分に堪能してほしい」

「買いかぶりすぎです。結局の所、私は良い妻にはなれなかった、出来損ないの人間ですし……」

「それはシーキントン伯爵にとってだろう。私はそうは思わない」


 エドモンがふと動いた。

 ジュニパーの香りが鼻をくすぐる。今日一日で慣れてしまったはずの甘くて苦い大人の香りに、アリエルはくらりとしてしまう。


「貴女は時折、自己評価が低すぎる時があるが」


 向かいの席からアリエルの隣へと移動したエドモンは、彼女の手をとると、顔をのぞき込むようにじっと見つめた。


「自信を持ってほしい。貴女はあのアモフィックスを前に素足でも走れると、私に騎士としての務めを果たすようにと、そう言えるような強い人だ」


 エドモンの優しすぎる言葉はするりとアリエルの中に入ってくる。


「こうして貴族らしく着飾ってくれる貴女も、領地で健やかに過ごす貴女も……どちらも貴女で、私はそのどちらにも惹かれてしまったんだ」


 エドモンのルビーの瞳がその熱情を溶かし込んだように、アリエルを魅了した。

 アリエルの方こそ。

 騎士らしく雄々しい姿のエドモンも。

 貴族らしく凛然と立つエドモンも。

 ダンスが苦手で情けない顔をするエドモンも。

 アリエルに熱を孕む瞳で見つめて甘い言葉を囁くエドモンも。

 彼の全てに惹かれてしまった。


 不思議な気持ちだった。エドモンに見つめられるだけで胸の内側がかき乱されて落ち着かない。それなのにエドモンの声を聞くだけで落ち着くし、彼のまとうジュニパーの香りをかぐだけで安心してしまう。

 落ち着くべきところに落ち着いたようなこの心地は、きっとエドモンじゃなければ得られなかった。


「私……エドモン様のこと、もっと知りたいのです」


 勇気を出して、言ってみた。

 アリエルとエドモンはこうしてお互いに惹かれ合っているけれど、まだまだ知らないことのほうが多すぎる。


 好きな本はなんですか。

 好きな音楽はなんですか。

 休日は何をして過ごしているのですか。

 幼い頃の貴方はどんな方だったのでしょう。


 アリエルはエドモンという人にもっと近づきたい。

 もっと、言葉を交わしたい。

 もっと―――


「……夜は長い。私ともう少しだけ居てくれるだろうか」


 エドモンに抱きしめられて、アリエルはこくりと頷いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ