初めてのデート
今年の社交シーズンは、とうとう一度も王都に顔を出すことなく終わってしまった。
アリエルは枯れ葉の季節へと移りゆく景色を眺めながら、毛糸のショールをしっかりと身体へと巻きつけた。
今日も日がな一日、牛の放牧を眺めながらスピナを外でめいっぱい遊ばせている。スピナは基本一人で遊んでいるけれど、アリエルにかまって欲しくなると、彼女のスカートへとじゃれつきはじめる。そういう時は適度に遊んであげれば、満足してまた一人遊びにもどっていく。その繰り返しだ。
アリエルはスピナと牛たちを眺めていた視線を手元に落とした。その手には上品でセンスの良い便箋と封筒があり、アリエルはその手紙を愛しそうに読んでいた。
『拝啓、麗しのアリエルへ。木枯らしが身に沁みる季節となりました。貴女はどう過ごしているだろうか。牛や羊の世話にかまけて、身体を冷やしてなどいないだろうか。手伝いをすることは良いことだが、くれぐれも体調を崩すようなことはしないでほしい』
力強く大きく角張りながらも流麗な文字。そんな人柄が表れる文字で綴られた文面に、アリエルはくすりと微笑んだ。もう幾度となく交わされた手紙のせいか、アリエルが普段何して過ごしているのかが、相手も分かってきたらしい。
『一月後、大規模遠征が決まった。以前話した、アモフィックスを連れた巡礼だ。しばらくは手紙すらままならない日が来るだろう。だが遠征前には休みがある。どうだろうか、王都に来て、流行りの演劇などでも楽しんでみないか?』
遠征、と聞いてアリエルは表情を曇らせた。公爵でありながら、彼は騎士団の団長でもある。危ないことはしないでほしいと思いながらも、責任ある立場では難しいことだ。
それでも遠征前の貴重な休みに、婚約者としてアリエルを慮って観劇に誘ってくれる。夫だったチャールズとすら行ったことのない観劇だ。アリエルは胸が踊った。
「お嬢様、嬉しそうですね」
「ええ。閣下が観劇に誘ってくださったの。私、観劇なんてしたことないから楽しみで」
「まぁ。それならデートですね! ドレスの新調をしなくては!」
アリエルと一緒に牛の面倒を見ていたクララが張り切りはじめる。確かに王都に行くのなら流行に合わせてドレスの新調を検討しないといけないけれど、そんなことよりアリエルはクララのデート発言の方に気が取られた。
デート。
婚約者とデート。
未来の旦那様のデート。
今まで縁遠かったその言葉に、アリエルは年甲斐もなく胸がドキドキとして、頬がほんのりと赤く色づいた。それに気がついたらしいクララが満面の笑みを浮かべる。
「楽しみですね、お嬢様!」
「もう、クララったら」
アリエルはクララをたしなめるけど、楽しみなことに違いはなかったから、そんなに強くは出られなかった。
◇ ◇ ◇
王都もすっかりと秋模様。春や夏の鮮やかな色彩のドレスはあまり見かけなくなり、秋や冬に向けた落ち着いた色合いの温かそうなドレスを纏う貴婦人が増えていた。
一年とちょっとぶりの王都があまり変わっていないことにほっとしながら、アリエルはエドモンのエスコートで馬車を降りた。
エドモンの休みに合わせて前日に王都入りしたアリエルは、昨日はエドモンの屋敷に泊まらせてもらった。ジラルディエール家の使用人たちは女旱だった主人のようやくの婚約者に舞い上がり、アリエルが恐縮するくらいの歓迎を受けてしまった。
エドモンが始終そんな使用人たちに苦笑気味だったけれど、アリエルと視線が合えばゆったりと目を細めて微笑んでくれた。そんな彼の仕草一つ一つに、アリエルは自然と視線を惹かれてしまう。
そしてそんなアリエルの視線にエドモンはいつも気がつくものだから、自然と視線が合ってしまう。彼が鮮やかで綺麗なルビーの瞳を細めて穏やかに微笑めば、アリエルの頬はほんのりと色づいた。
まるで初々しい少女のような反応だとアリエル自身も自覚している。けれどどうしてもエドモンの纏う雰囲気がどことなく甘やかで、それにつられてしまうようにアリエルも意識してしまうのだから、どうしようもない。
「足元に気をつけて」
エドモンが好んで使うジュニパーの香りが鼻をくすぐる。
本日のエドモンは落ち着いた紺のジャケットに同じ色のスラックスという装いだ。長い銀の髪は一つにくくって肩へと流し、首元には薄めの水色のクラバットが色彩を添えている。
対するアリエルは貴婦人らしく髪を結い、その黄金の麦穂色の髪を引き締めるようにクラシカルな紺のトークハットを被っている。トークハットと同じ色合いのバッスルドレスは銀の糸で花の刺繍が入っていて、女性らしさを引き立てていた。
お互いの色を纏いながらも、おそろいの生地の仕立てはエドモンから贈られたものだった。アリエルはアリエルでドレスを用意してきたけれど、今朝、公爵家の使用人と結託したらしいクララが急遽このドレスを持ってきた。
ドレスを見せられたときは、男性からドレスを贈られたことなんてなかったアリエルは非常に恐縮した。それでもドレスを着たアリエルを見たエドモンが耳を赤らめながら嬉しそうに笑んだのを見て、アリエルははにかみながらもお礼を言ったのは記憶に新しい。
そんなおそろいの仕立ての二人がやってきたのは王立劇場。先日手紙でエドモンが誘った観劇にやってきた。
王立劇場は王都の中でも西の方に位置した大きな建物だ。大きく丸い白亜の建物の周囲は広場になっていて、観客を狙ったちょっとした露店が広げられている。
平民と貴族向けの出入り口は劇場の東と西で分けられていた。東側にある貴族向けの出入り口の近くで馬車を停めさせる。エドモンは馬車から降りると、アリエルをエスコートしてくれた。
「アリエル嬢は観劇は好きか」
「お恥ずかしながら、見たことがなくて」
「そうなのか? もしかしてこういうものは苦手か?」
劇場内を歩きながら問われ、アリエルは素直に答えた。意外に思ったのか、エドモンが目を丸くしている。
「いえ。苦手ではないと思います。私の場合、一緒に行くようなパートナーがいなかったものですから」
何気なく続けた言葉が余計なことだったと気づいたのは、エドモンの愕然とした表情を見たからだ。
観劇は男女の定番の遊び場だ。だから当然、アリエルも元夫と一度くらいは行ったことがあるのではと思われていたのかもしれない。
アリエルが気まずくなって小さく謝罪を述べると、エドモンがハッとして首を振った。
「……貴女が謝ることではない。聞くような話ではなかったな」
「いいえ。私も余計なことを言いました。お忘れください」
困ったようにアリエルが微笑めば、エドモンは何かを決めたように力強くうなずいた。
「ならばなおさら貴女を誘って良かった。王立劇場の演劇は見ごたえがある。一度くらいは見てみないと損だ」
エドモンの前向きな言葉に、アリエルはゆるりと頬をゆるめる。穏やかに微笑んだアリエルはこくりとうなずいた。
「そう仰られるのなら」
「楽しみにしているといい。今日の演目は『水精の乙女と剣の王』というものだ。最近流行りの物語で、女性に人気らしいから、特に」
「素敵な題目ですね。楽しみです」
話す間にも公爵家の執事が入場の手続きを進めていった。支配人が挨拶に見えた時、エドモンの隣りにいるアリエルを見て意外そうな表情をしたけれど、何も言わずにこやかに観覧席へと案内してくれた。
通された個室は薄暗く、少し足元が見えづらい。エドモンがアリエルの手をゆっくりと引いて、テーブルや椅子にぶつからないように彼女を導いてくれた。アリエルはそっと椅子に腰掛けると、ぴんと背筋を伸ばし、柔らかく両手を膝の上に置く。
こんな暗がりで、誰も見ないような個室で、座り方一つとっても美しいアリエルに、エドモンは目を奪われた。
「エドモン様?」
「……なんでもない」
アリエルが首を傾げて、立ったままだったエドモンを上目遣いに見やる。エドモンは咳払いすると、何事もなかったように隣の椅子に座った。
席に座ればしばらくして開演の鐘がなった。
間もなく舞台の幕が上がる。
物語は水の妖精の加護を一人の少年が受け、乱世の世の中で国を起こして王になるというものだった。
水の妖精と剣を握った少年は恋仲となり、二人で次々と悪を倒し、人々を魅了し、やがて平和な世の中を築いていく。
少年を応援したくなるような、勇気づけられるような、それでいて水の妖精との初々しいやりとりが愛らしい、そんな物語。
楽しみながら観劇していくと、時間はあっという間に過ぎていく。
物語の終盤にさしかかると、王になった少年の前に、かつて敵だった者が復讐のために姿を現した。不意をつかれた少年王が深手を負い、命の灯火が消えそうになる。
そんな少年王の命を、水の妖精が自らの命と引き換えにすくい上げた。
『どうか私の泉を枯らさないで。泉がある限り、私は貴方を想ってる。貴方の国とともにある』
妖精と人間の恋は実らない。
涙と嗚咽にさざめく観客に、胸を締めつけるような悲しさと切ない余韻を残しながら、舞台は幕を閉じた。
観客が閉じていく幕に拍手を送る中、アリエルはぼんやりと幕の向こうの少年王に思いを馳せる。
重なるのはかつての婚約者。
自分にも、妖精の力があったなら……アモフィックスを癒やしたように彼を癒やしてみせたのに。
そう思ってしまうのは、未練がましすぎるだろうか。




