霊鳥の誕生
ミクリの切羽詰まった叫び声に誰もが目を向けた。
アモフィックスがよだれをダラダラたらして、ミクリの方へ、一歩、一歩、と前進していく。
周囲の騎士たちは翼や尾に邪魔されて動けない。火薬砲を撃とうにも、正面にミクリやチャールズがいる状況で、無闇やたらと撃ち抜くことはできなかった。
騎士たちはじりじりとアモフィックスを包囲していくけれど、アモフィックスはそんなこと気にも止めずに、ミクリだけに迫っていく。巻き込まれたチャールズの顔色は、青を通り越して白くなっていた。
「み、ミクリ……!」
「どうして言うことを聞かないの、アモフィックス! あなた、私を食べようと思っているの!? ちょっと、何か言いなさいよ!! この駄鳥!!」
ミクリも相当追い詰められているようで、彼女の口から出る言葉は取り繕われている様子がまったくない。それどころか、庶民らしい溌剌とした言葉で罵るのを見てしまうと、先程までアモフィックスの命を気遣っていた人物とは思えない変貌ぶりだ。
アモフィックスがギョロリとミクリを睨む。
言うことを聞かないアモフィックスに、ミクリとチャールズは屋敷の壁際にまで追い込まれていく。
屋敷の二階を余裕でのぞけるくらいに大きなアモフィックスは、二人を追い詰めると、その大きな嘴をぐわりと開いてみせた。
騎士たちが各々剣を片手に身構える。
アモフィックスには隙がない。
騎士が距離を詰めようとすれば、尾で、翼で、騎士たちの体を薙ぎ払おうとする。
そんな状況下で、エドモンも呼吸を測っていた。
エドモンならば魔獣に追い詰められた人間の元へとたどり着き、逃がすくらいできる。だがそれも、一人であればの話だ。
この状況下で、チャールズとミクリ、二人を同時にアモフィックスから離すには、元々の距離が近すぎた。
火薬砲を至近距離から撃ち込み、強制的にこちらへ気を逸らすしかないか。
剣で直接斬りつけられれば楽だったけれど、アモフィックスの鱗は硬い。暴れまわるアモフィックスの鱗を剥ぐなんて芸当ができる騎士はそんなに多くはないし、暴れたアモフィックスがチャールズとミクリを襲うのが一番危険だ。
エドモンが算段を立てていると、その横を白い塊がひょいっと通り抜けた。
「なんだっ?」
「新手の魔獣か……!?」
「いや、それにしても小さいが……?」
騎士たちの小さな声がさざめく。
その視線の先には、子犬ほどの大きさの白い獣がいた。
白いふわふわな毛並みに、鳥の羽のような形の垂れた耳。リスのようにくるんと巻かれた大きな尻尾。そして額にきらりと輝く透明の金剛石。
たったかとアモフィックスの側に寄ったのは、額の赤を失ったスピナだった。
「スピナ……!?」
「いつの間にっ」
クララとマテューが「あっ」と声を上げる。その声でアリエルも気がついた。
いつの間にか足元にいたはずのスピナがアモフィックスの傍に行ってしまった。
危ないのでは、とアリエルが動揺するのも束の間、スピナはアモフィックスの側で一声鳴いた。
「くぅん?」
その愛らしい声音に、アモフィックスの視線がミクリから外され、スピナに向く。
誰もが固唾をのんだ。
「くぅうん、くん、ぅわん? くぁーん」
『グ、ルルル……』
なにが、起きた?
スピナの鳴き声に答えるように、アモフィックスが唸る。まるで獣同士で会話しているような様子の二匹に、さらなる困惑が騎士たちの間で広がっていく。
やがてスピナの正面に向くように、アモフィックスがよたよたと身体を動かして、頭を垂れるように地に伏せた。
スピナはそれを当然のように受けとめて鳴いている。
「なんだ……?」
「一体何が……?」
アモフィックスを従わせたスピナに、さらなる困惑が広がった。
一人冷静なエドモンは近くの騎士に、今のうちにと指示を出す。数人の騎士が、エドモンの指示で動いた。
その様子を騎士たちの輪より一歩離れていたアリエルたちもまた、どういうことなのかと戸惑っていた。
自分たちが可愛がっていた白い獣が、アモフィックスを従わせてしまった? 一体何が起きているのか、やっぱりあの白い獣はエドモンの言うように危険な獣だったのかと、クララとマテューは顔をこわばらせた。
ひとしきり鳴いたスピナはひょこんと身体の向きを変えると、またたったかと駆け出す。はしゃぐ犬のように駆けたスピナは、ぴょんっとアリエルに向かって跳んだ。
「くぁん!」
「す、スピナっ?」
スピナを受け止めたアリエルに一声鳴くと、スピナは身をよじってアリエルの腕から抜け出す。人間違いでもしたのかしらとアリエルが思っていると、スピナはアリエルのドレスの裾を噛んで、「こっちこっち」と引いた。
「スピナ? どうしたの?」
アリエルが困って声をかけても、スピナはドレスの裾を引くのをやめない。仕方なく一歩一歩、アリエルが歩きだすと満足そうにドヤ顔でスピナはアリエルのドレスを引いた。
「アリエル嬢」
「閣下」
せっかく距離を取っていたのに、再びアモフィックスの側にまで戻ってきてしまったアリエルに、エドモンが眉をひそめた。アリエルが困ったように微笑めば、エドモンは好きにしろと言うように嘆息し、アモフィックスへの警戒を一層強めた。
そんな中、アリエルはスピナに導かれるまま、アモフィックスの前にまで来てしまった。アモフィックスの傍にいたはずのチャールズとミクリは、いつの間にか騎士たちの手によってアモフィックスから遠ざけられている。
頭を垂れたアモフィックスの前にまできたアリエルは、どうすればいいのか分からず、足元のスピナを見た。
「くぅん、くゎん、わぁーん」
「えっと、スピナ、どうすればいいの?」
「くぅーん、くんくん」
スピナがアモフィックスにさらに近づいて、その嘴にすりすりと擦り寄った。甘えるようなスピナの仕草に、どうすればいいのかアリエルはなんとなく察した。
アリエルはおそるおそる手を伸ばす。
スピナがここまでお膳立てしたのだから、何か意味があるのかもしれない。周囲の騎士たちから緊迫した雰囲気が伝わる中、アリエルは覚悟を決めてアモフィックスの嘴に触れた。
『ル、ル、ル』
アモフィックスが喉を鳴らすように、それまでと違った澄んだ声で鳴く。気持ちよさそうなアモフィックスに、アリエルがほっと肩の力を抜いた。
何故だろうか、あれだけ怖いと思っていたはずのアモフィックスが怖くなかった。
むしろ、触れた部分から、アモフィックスの深い悲しみのような感情が伝わってきて、アリエルの胸が張り裂けそうになる。
アモフィックスから感じられたのは、裏切られた悲しみと、理不尽な痛みと、生まれてきたことへの後悔。そして、仲間がいないことへの寂しさだった。
アリエルは両手を伸ばすと、そうっと嘴を抱きかかえるように体を密着させる。
無意識だった。
それは甘えた盛りな子供を母親がなだめるような、そんな気持ちだった。
その瞬間。
『ル―――』
光が溢れ出す。
アリエルとアモフィックスが触れた場所から、まばゆいほどの赤い閃光が放たれた。
「アリエル!」
誰もが怯んで、その眩しさに目を眩ませている中、エドモンだけが一歩を踏み出す。
光は一瞬でなくなった。
見覚えのあるその光に、アリエルもエドモンも、アモフィックスを見上げる。
『クルルル』
「……え?」
目の前で起きたことに、アリエルが目を瞬かせる。
エドモンも苦々しく奥歯を噛みしめた。
周囲の騎士や、クララ、マテュー、チャールズまで、唖然としている。
それ、は。
鱗が剥がれ、剣が突き刺さっていた肉の傷が癒えていた。剣が溶けてしまったように、全身が鏡面のように磨き上げられた白銀の鱗で覆われている。
瞳は赤く染まり、まるで紅玉のよう。
それまで目の前にいた傷ついた魔鳥の姿はなく、まるで生まれ直したかのような美しい霊鳥がそこにいた。
誰もが息をひそめて、その姿を見ていた。
魔獣のような負の生き物ではなく、本能でそれが天上の階梯を昇れる存在であると理解した。
目の前に起きたことを誰もが飲み込めずに固唾をのんでいると、その空気を唾棄したのはミクリだった。
「どういうことよ!! 何よそれ!!?! いったいあんた何したのよ!!」
アリエルがその声につられて振り返ると、ミクリが顔を真っ赤にさせて、瞳の奥に怒りを燃やしながら、アリエルを睨みつけていた。
「ソレ、魔獣よ!? 魔獣のカタチ変えるとか何なのその力!! しかも傷まで治して!! あんたやっぱり魔女なんじゃないの!!?」
ミクリの剣幕に、彼女を保護していた騎士たちがアリエルに彼女が近づこうとするのを阻んだ。退きなさいよ、邪魔するな、と喚くミクリとは対照的に、アリエルの喉の奥はひくりと震えた。
アリエルにも、自分が何をしたのかさっぱり分からなかった。スピナがきっかけなのは分かってる。自分とアモフィックスの間に輝いた赤い光は、スピナが自分に放ったものと同じだった。
スピナによって、いったい自分は何者になってしまったのか。
アリエルは動揺して何も言い返せない。
ミクリの肩を抱くチャールズも、アリエルのことを不気味なものを見るような目で見ている。
周りにいる騎士たちも、まるで珍獣を見るかのような目でアリエルを見ている。
クララやマテューは―――
「アリエル嬢」
アリエルの頭上が陰る。
白銀の髪と騎士団の黒いマントを風になびかせ、エドモンがアリエルの傍らに佇む。
アリエルがエドモンを見上げると、鮮やかなルビーの瞳がアリエルを映す。
エドモンは一度まぶたを閉じると、ゆっくりとまばたき、アリエルに対して跪く。
アリエルの右手を、エドモンがすくった。
「聖獣カーバンクルの加護を得し者よ。貴女はその加護で荒ぶる魔獣を沈め、聖獣へと昇華させた。その力は類稀なるものだ。白銀と紅は王家の掲げる聖なる色。王家に連なるエドモン・ジラルディエールの名に置いて、この奇跡をしかと見届けた」
エドモンがアリエルの指先に口づける。
何がどうして。
混乱しているこんな時でも、エドモンがふりなんかではなく、直に指先に口づけたのを理解して、アリエルはぶわっと顔に熱が集中した。
騎士たちも、エドモンの行動にさらなる戸惑いが広がりながら、その意味を理解した者から警戒を緩めていく。
混沌としながらも終息していこうとした状況の中、ここでさらに主張できるのは、ひとえにミクリという女性の真骨頂なのかもしれない。
「何が加護よ、何が王家の色よ!? そんなこと言ってて、あんたたちが今の今まで追い詰めた魔獣を治しちゃってるのよ!? なんでそいつを捕まえないの!? それどころか跪くとか、意味分かんない!!」
そう叫んで怒りを露わにするミクリに、エドモンが立ち上がり、ミクリを静かに見る。
「……王家の色の意味を知らないのか」
「なによ!? そんなもの、ご先祖様の色がそうだっただけで、なんの意味もないでしょう!? 馬鹿じゃないの!?」
ミクリのこの言い分にはさすがのチャールズもまずいと思ったらしい。ハッとしてミクリの肩を抑え、ミクリの言葉を撤回させようとする。
「ミクリ、駄目だ。彼はジラルディエール公爵なんだ。それ以上は、」
「何よチャーリー! 私は間違っていることなんて言っていないわ!」
ミクリは自分が正しいと主張する。チャールズはそれに青褪めて、必死にミクリをなだめようとしていた。
そんな二人に、エドモンが静かに語りかける。
「確かにそうかもしれない。先祖の色がそうだっただけ。今では形骸化されただけのもの。だが、そこに意味はちゃんとある」
エドモンはそう言うと、ゆっくりと体の向きを変え、目の前にいる白銀のアモフィックスへと最上の敬礼をした。
「聖獣カーバンクルの眷属よ。先程までの非礼を謝罪いたします。お許しいただけるのであれば、我らとともに国の守護を。お許しいただけないのであれば、どうかこの身に罰をお与えください」
エドモンが頭を垂れる。
さしもの騎士が一歩を踏み出したけれど、エドモンはそれを視線で制した。
すると。
『クルルルル』
白銀の霊鳥が嘶く。
翼を広げ、まるでエドモンの言葉に応じるようにどこからか赤い光が雪のように散った。




