軍神公爵の使命
「な、何が起きたんだろうか」
「ええと、その……どうやら、スピナが、私の体を治してくれたようで……視力が」
しどろもどろになりながらも、アリエルはエドモンから視線をそらして答えた。
突然クリアになった景色に驚いて、まさか自分が見えているものが正しいものなのかと、思わずエドモンの顔をベタベタと触ってしまった。寝起きとかで眼鏡がないときに、遠近感が測れなくて、ついクララとかにやってしまうその仕草を、まさか公爵に向けてやってしまうなんて。動揺が過ぎたと反省する。
そしてさっきまでジクジクと痛み、感覚もなくなりかけていた右足や肩も、痛みがすっとひいていた。親指から小指まで、指先の感覚もちゃんとある。
ずっと感じていた寒さもだいぶマシになった。今思えばあの寒さは、発熱しているゆえの悪寒だったのかもしれないとアリエルは他人事のように考えた。
色々と自分の体に起きた変化を冷静に見つめ直して受け入れると、頭の上に寝そべるスピナを、アリエルはそっと抱きおろした。赤子サイズもありながら、体重の軽い獣を見て、アリエルはあら? と目をまたたく。
「スピナの額が……」
「透明になっているな。……まさか」
エドモンの言うとおり、スピナの額の赤かった宝石は、今はダイヤモンドのように透明な宝石に変わってしまっていた。エドモンがその理由に察したように、思わずといったように声を上げた。
「閣下?」
「……紅鏡獣の加護だ。これはカーバンクルという聖獣で、この額の赤い宝石が、この国を建国した初代国王が手にした賢者の石と呼ばれているものだと伝わっている」
「えっ」
アリエルが驚きのあまり、素の声を上げてしまった。
エドモンもこれはどうするべきなのかと額に手を当てる。
「こ、この子はそんなにすごい子なのですか」
「ああ。とはいえ、伝説上の獣とされていて、ここ五百年くらいは存在が確認されていなかった。その記録も王家でしか残していない。知らないのも無理はない……が」
不自然に言葉を止めたエドモンに、アリエルは不安そうに視線を向ける。
アリエルの途方に暮れたような空色の瞳に見つめられて、エドモンはその内に眠る庇護欲のようなものがぐっと湧き上がってきたのを自覚した。
「怪我を治しただけならば、それほど大きなことにはならないと思う」
「怪我を治しただけなら?」
「……初代国王はカーバンクルの加護により、瘴気を払い、浄化し、魔獣を滅したという。それと同等のことができてしまえば、英雄もしくは聖女の称号が国から与えられ、その身柄は国の監視下に置かれるだろうな」
あまりにも身分不相応な言葉の羅列に、さすがのアリエルも青くなった。
そんなことになったら、アリエルの手に余りすぎる。
アリエルが愕然としていると、エドモンはそんな彼女を安心させるように真剣な表情をする。
「とりあえずこのことは他言無用だ。視力のこともできればしばらくは伏せたほうがいい。自然完治したように見せかけるように。もし体が治ったこと以外に何かおかしなことが起きたら、すぐ私に連絡をしなさい。悪くならない程度には手助けはできるはずだ」
「そんな、閣下にそこまでしていただくわけには」
「これくらいはさせてくれ。私がしたくてすることなのだから、貴女は何も気にしなくていい」
腑に落ちなさそうなアリエルに、エドモンは力強くうなずき、それ以上は頑なに口を閉じてしまう。そうされるとアリエルもエドモンに対してそれ以上の言及はできなかった。
そんなアリエルに、改めてエドモンが縄をくくりつける。足の怪我はなくなり熱も下がったものの、エドモンは安全性を重視してアリエルを縦抱きにするように抱えると、器用に自分とアリエルの体に縄を巻きつけていく。
密着するエドモンのたくましい胸板に、アリエルの胸はトクトクと早鐘を打った。これは助けてもらうだけの救助活動だと思っているのに気恥ずかしさが勝って、ほんのりと頬が赤く熟れてしまう。男性らしい汗の匂いに混じる甘くて苦いジュニパーの残り香が、余計にエドモンの存在を感じさせた。
「よし、崖を登るぞ。カーバンクルは……」
「くぅうん」
「……問題なさそうだな」
一匹でまたタッタカと崖を垂直歩行しだしたスピナに、エドモンが呆れたように声を出した。
そのエドモンもアリエルをしっかりと抱き、上で縄を持つ騎士たちに声をかける。
「これから登る! 縄を引き上げてくれ!」
「はい!」
エドモンの合図で縄がピンと張る。
縄がたるまないのを確認すると、アリエルを片手で支え、もう片方の手で縄をしっかりと持ち、エドモンは崖の壁面へと身を踊らせた。
「……!」
「下を見るな。怖いなら目を瞑れ」
あまりの高さに息を飲んだアリエルに、エドモンが優しく言葉をかける。耳元で囁かれたお腹に響くバリトンボイスに、アリエルは別の意味で心臓がぎゅっと締めつけられた。
アリエルがエドモンにしがみついていると、風が強く吹いた。アリエルの一つに結ばれた黄金の麦穂色の髪が風になびく。
ふとアリエルが視線を上げれば―――上空に、アモフィックスが。
「閣下、アモフィックスが……!」
「! どこだ!」
アリエルは指をさすけれど、エドモンにはやはり見えないようだ。こんな至近距離にいるのに。
アモフィックスは一度横穴のそばを通り過ぎていったけれど、人が崖上に集まっているのに気がついてか、横穴の巣に戻る素振りがない。これでは逃げられてしまうのではとアリエルがハラハラとしていると、エドモンが上にいる騎士たちに叫んだ。
「アモフィックス出現! ペイント弾装填!」
「「「は!」」」
エドモンの怒号に騎士たちが瞬時に反応する。
アリエルが目を見開いていると、エドモンは彼女の耳元に囁く。
「アリエル嬢、アモフィックスとの距離は」
「えっ! お、凡そ三十メートルかと……! 崖の横穴の高さです!」
ハッとして、アリエルは大きな声を上げる。その澄み渡るような声は、間違いなく騎士たちに届いた。
「照準かまえ!」
「「「は!」」」
「撃て!」
エドモンが叫ぶと同時、パシュッパシュッパシュッと、三回もの軽い音がして、火薬の匂いがアリエルのところまでただよってきた。何かが三つ飛んでいき、アモフィックスへと一つが命中する。
「あれは、絵の具……?」
「そうだ。対アモフィックス用に火薬砲に仕込んでおいたものだ。……貴女のアイデアだと聞いている。ありがとう」
ヘンリーはちゃんと騎士団に進言してくれていたようだった。ちゃんと役に立てたことが嬉しくて、アリエルの頬が緩む。
その間にもエドモンは壁を登りきる。縄を引いていた二人の騎士がエドモンに駆け寄り、アリエルとエドモンを縛っていた縄をナイフで切って解いた。クララも近寄ってきて、泣きそうな顔でアリエルの無事を喜ぶ。
「団長、アモフィックスを視認いたしました!」
「対魔獣弾装填! 照準かまえ!」
三人の騎士が火薬砲を構えた。
中身は魔獣用の実弾となっていて、当たれば大きなダメージになるはずだ。
「撃て!」
エドモンの号令で、火薬砲が撃たれる。
先程とは違い、ドンッ! と腹の奥まで震えるような重たい音のする実弾が、アモフィックス目掛けて放たれた。
今度は三発とも、間違いなくアモフィックスに当たる。
アモフィックスは甲高い声を上げ、怒りの目を騎士たちに向けた。
「こっちに来ます!」
「森へ入れ! 撹乱せよ!」
エドモンがアリエルを抱き上げ、近くにいた騎士がクララを抱き上げる。エドモンの指示に、一目散に森の中に散っていく。
アモフィックスは高く飛翔してくると、森の木々をなぎ倒すように騎士たちを追う。
「うわぁっ!」
「がッ!」
二人の騎士が、アモフィックスがなぎ倒した木々に体を打ちつけられて呻いた。エドモンはアリエルを抱き上げる腕に力を込める。
「閣下、騎士の方が……!」
「分かっている! うちの騎士はあれしきでやられはしない! 一旦、貴女を安全なところまで運ぶのが先決だ!」
「閣下!」
アリエルはなんとか身を起こすと、エドモンの頬を両手で掴む。
エドモンが驚いて、何をするんだと抗議の声を上げる前に、アリエルは一息にまくし立てた。
「私は走れます! あなたに抱き上げられなくとも走れます! 閣下はなんのためにここにいらっしゃるのですか!? 閣下のお役目を果たしてくださいませ!!」
「だが、貴女の足は、」
「私は素足だって走れます!」
目を見開いたエドモンの横に、アモフィックスがなぎ倒した大木が滑るように落ちてくる。その衝撃で上がった土煙に煽られてエドモンは足を止めると、アリエルがじっとエドモンの赤い瞳を見つめ、微笑んだ。
「安心してください、これでも私は他のご令嬢方に比べ、体力には自身がありますの。かけっこだって、領の子どもたちに負けません」
「アリエル嬢……」
エドモンはアリエルの空色の瞳に吸い込まれそうになりながら、ぽつりと彼女の名前を呼んだ。
そうして一度まぶたを閉じる。
次にまぶたを開いたときには、そのルビーのような瞳に鋭い闘争心を乗せていた。
「すまない、アリエル嬢。このままあの騎士について逃げてくれ。あの魔鳥は私がここで仕留める」
「エドモン・ジラルディエール公爵閣下。どうか、ご武運を」
アリエルを地面に降ろしたエドモンは、クララを抱いていた騎士に目線だけで彼女も連れて行くよう促すと、くるりとアモフィックスに向き直る。
怒り狂ったアモフィックスがさらに森の木々をなぎ倒そうと、再び上空から森に滑空してくる。
アモフィックスの翼が木々をなぎ倒した。
エドモンはその距離を正確に図ると、静かに闘気をみなぎらせて、腰に佩いていた剣をすらりと抜いた。




