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出戻り子爵令嬢の二度目のワルツ 〜軍神公爵に愛されて、幸せになってもいいですか?〜  作者: 采火


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頼もしい救援者

 アモフィックスと女性がいなくなってから、どれほどたっただろうか。

 アモフィックスが雲の上へまで飛んだときに濡れたドレスは着実にアリエルの体温を奪い、アリエルは寒さに震えた。


 爪が食い込んだ肩とうっかりやらかした足の裏は相変わらずジクジクと痛む。それに加えて春とはいえども、濡れて冷えた体には少し厳しい気温だった。

 寒くて鳥肌のたつ肌をさすりながら過ごしていたけれど、助けを呼ぶ手段のないことへの不安と、いつアモフィックスが戻ってくるかしれない恐怖は、少しずつアリエルに死への実感を与えた。それでも諦めたくなくて、なんとかここから脱出する方法を頭の中に描いていた。


 ひどく長い時間そうしていると、不意に「くぅん」という鳴き声が聞こえた。

 聞き覚えのある声に、アリエルが顔をあげると足元からぴょんっと彼女の膝に、白い塊がぽっふんと飛び乗ってきた。


「スピナ?」

「くぅん」


 すりすりとアリエルのお腹にすり寄ってくるもふもふに、アリエルは張り詰めていた緊張の糸を少しだけ緩めた。


「どうしてここに……。もう、世話の焼ける子ね。クララはどうしたの? あなたまでいなくなってしまうと、皆が心配するわ」


 よしよしとスピナを撫でると、スピナはコロコロと喉を鳴らしてますますアリエルにすり寄った。その可愛い仕草にアリエルは自然と笑みが溢れる。

 けれどすぐにその笑みも消えて、深いため息になった。

 横穴から見える、外の景色に視線を移す。


「これからどうしましょうね」


 いくら考えたって、アリエル一人ではここからの脱出は難しい。自分の不用意な行動で右足に怪我を負ってしまった今、立ち上がるのも正直しんどくなっている。

 スピナがぴこぴこと耳を動かした。その様子がまるで「だいじょうぶ、まかせてよ!」って言っているみたいで、アリエルは困ったように微笑む。

 アリエルがそんなスピナを撫でていると、不意に崖の上からパラパラと砂利や砂が滑り落ちていくのが見えた。


「なにが……」


 何か上にいるのだろうか、アモフィックスなのだろうかと、アリエルが息を潜めていると、不意に影が横穴の中へと飛び入ってくる。


「くぅん」

「きゃっ」


 突然降ってきた侵入者に思わず声を上げれば、その影はすぐさま膝を折り、アリエルの顔をのぞき込んできた。


「アリエル嬢。お待たせいたした。さぞ恐ろしい思いをされただろう」

「閣下……?」


 軍神公爵、エドモン・ジラルディエール。

 聞き覚えのある声と、その美しい銀の色に、アリエルはほっと肩の力を抜いた。






 アリエルを見つけてくれたエドモンは、すぐさま崖上に救助要請の指示を出した。崖の上の騎士たちは、騎士団長の言葉に的確に動き出す。

 アリエルの目の前で大きく声を張り上げ、崖上の騎士たちに指示を出すエドモンの姿は、さすが騎士団長とも言うべき頼もしさがあった。


 一通り指示を出したらしいエドモンが、再びアリエルの前に膝をつく。


「アリエル嬢、確認だが、ここはアモフィックスの巣だろうか」


 アリエルはこくりとうなずいた。


「おそらくは。アモフィックスが私をここに連れてきました。それに、この奥には瘴気の源だと思われるものがあります。暗くて見えないのですが、奥を見に行ったときに地面が腐っていたので」

「何?」


 エドモンが険しい顔になる。

 そして奥を見やって立ち上がろうとするのを、アリエルは引き止めた。


「閣下、もう一つ、お伝えしたいことが」

「なんだ」

「アモフィックスについてです。私がここに連れられてきたとき、女性がここにいました。アモフィックスを操り、森の中の魔獣を増やし、何かを目印にコールソン子爵領を襲わせようとしていたようでした」

「なんだと」


 エドモンはますます険しい表情になる。ぐっと眉間にシワが寄り、騎士ですら鬼のようだと直視を避けたがる厳しい顔だが、アリエルはぼんやりとしか見えていないため、まっすぐにエドモンを見返していた。


「その女性の特徴は」

「申し訳ありません。眼鏡がなくて、顔がよく見えず……。ですが、暗闇に髪色が紛れていたので黒髪に金の色の瞳だと思います」


 エドモンはぐっと考え込む。

 魔獣を操る女性。そんなものは前代未聞で、もしそれが本当であれば、アモフィックスを討伐し、瘴気の元を浄化するだけでは根本的な解決にはならなさそうだ。

 アモフィックス討伐だけではなく、やらねばいけないことが更に増える。これは二週間以内にカタを付けろと言っていた国王の言葉を守れるか微妙なことになってきた。


 目の前に増えた新たな問題に思案するエドモンを前に、アリエルは少しだけ躊躇っていた。

 アリエルにはまだ伝えていないことがあった。勘違いかもしれない、けれどもしかしたら有力情報になるかもしれないと、悩む。くぅん、とスピナが「いいなよ」と言うようについついとアリエルの服を引っ張ったので、アリエルはおもむろに言葉を付け足した。


「その、閣下」

「どうした」

「……もしかしたらその女性は、私のことを知っている方かもしれません。お声に聞き覚えがあるような気もしますし、私に対して、誰かに似ているけれど眼鏡もなく髪色も違うと言っていましたから。領地に出戻る前の私と面識があったのかもしれません」

「そうか……」


 エドモンは目をつむると、一度深く深呼吸する。

 気持ちを切り替えるように、瞳を開いた。

 優先順位は決めた。


「分かった。とりあえずその女性に対しては、アモフィックスとともにまた戻ってくる可能性が高い。今はとにかくここから貴女を脱出させるのが最優先事項だ」

「申し訳ありません、ご迷惑をおかけします」

「いや、貴女のおかげでようやくアモフィックスの討伐が叶いそうだ。それに、謝るよりも……」


 エドモンはそう言葉を区切ると、アリエルにふっと微笑みかける。


「感謝を述べてくれ。それが騎士としての褒章になる」


 エドモンの声はひどく柔らかかった。ぼんやりとした視界で、きっとエドモンが微笑んでくれているんだろうとアリエルは感じて、そのエドモンの表情を見られないことをひどく残念に思う。

 その気持ちをそっと隠しながら、アリエルは微笑んだ。


「そう、ですね。閣下、ありがとうございます」

「それでいい。では、立てるか? ロープも降りてきたようだから、上に登ろう」


 エドモンは落ち着いた声でアリエルにこれからどうするのかを伝えながら、彼女を立ち上がらせるべく手を差し伸べた。アリエルも何のためらいもなくその手に手を重ねて立ち上がろうとして。


「っ、」

「アリエル嬢!」


 立ち上がろうとした瞬間、右足から力が抜けるようにカクンと体が崩れた。

 咄嗟にアリエルを抱きとめたエドモンは、彼女の体温が異常に高いことに気がつく。


「アリエル嬢、身体が」

「申し訳ありません、右足を怪我してしまって」


 エドモンが熱があると伝える前に、アリエルが全然別のことを口走った。

 申し訳なさそうに困ったように微笑むアリエルに、エドモンは一瞬で彼女をもう一度地面へ座らせると、真顔でその右足をすくい取った。


「あっ」

「これは……! 何をしたらこうなる!? 皮膚が溶けている。さっき瘴気が奥にあったといったな? もしかしてそれに足を踏み入れたのか? そうだとしたら騎士でも泣き叫ぶような痛みだろう、何故これを先に言わない!」

「そ、その、大したことでは、ないので」

「大したことあるだろう! 貴女は女性だ。足裏とはいえこのような怪我は痕が残るし、瘴気に触れたのなら下手をすると足を切り落とすことになるのを、聡明な貴女なら知らないわけ無いだろう!」


 エドモンの怒声を浴びて、アリエルは背筋をぴしりと伸ばした。エドモンの心配の気持ちはアリエルの身近な人たちの気持ちを代弁しているのに近い。それが分かっているから、アリエルは反論することなく、その叱責を甘んじて受けた。


「申し訳ありません。いつアモフィックスが戻ってくるのかわからないので、足のことは後回しで良いかと。それに痛みの感覚も、あまりないので」

「痛みの感覚がないのはもっと悪い! それに貴女は自覚していないようだが、発熱している。ドレスが濡れているから、それのせいだろう。その獣を追いかけて君の家のメイドが上に来ている。彼女が今の貴女の姿を見たら泣いてしまうぞ」

「……申し訳ありません」


 エドモンに言われて、ようやく自分が発熱していることに気がついたアリエルは、また困ったように微笑んだ。

 アリエルが痛みに疎く、自分の体の不調を隠そうとするのは今に始まったことではない。

 シーキントン伯爵家に嫁いでからの習慣で、つい自分のことを棚上げしてしまうアリエルの自己犠牲精神は、たちが悪いほどに無意識のことで。

 そんなアリエルの事情をエドモンは知らないはずだった。


 それなのにその様子を見て、苦虫を噛み潰したように表情を歪めたエドモンは、胸の奥に去来していく目の前の女性への感情に収拾がつかなくなった。

 放っておけない。彼女は無自覚に自分を犠牲にしてしまう人間のようだ。どうしてか、一年前にひっそりと社交界から姿を消した彼女と、今の彼女の姿が重なって見えた。


「すまない。弱っている貴女に言うことではなかった」

「いえ、閣下の言葉は正論ですから」

「……すまない。ここを出たらすぐに治療させる。もう少しだけ我慢してほしい」


 エドモンがそう言い、立ち上がる。とりあえず今のアリエルを立たせられないと判断したエドモンは、縄を長めに降ろしてもらい、アリエルのもとまで縄を伸ばして、彼女の体にくくりつけようとした。

 エドモンがアリエルの側に再び跪くと、それまで大人しかったスピナがアリエルの膝からぴょんっとエドモンの腕を伝い、さらにぴょんっとアリエルの肩に飛び乗り、さらには頭にまで登ってしまった。

 突然のスピナの奇行に、アリエルもエドモンもまばたく。


「スピナ? いったい何を……」


 スピナはモゾモゾとすると、こつんとアリエルと額を合わせる。

 アリエルが訝しげな声を上げると同時、カッと赤い光がアリエルとエドモンの目をくらました。


「っ!」

「何が……ッ!」


 アリエルもエドモンも、瞬間的に発された眩しい光にしばらく目が開けられなかった。

 ようやく視力が戻る頃、アリエルは目を開けて、呆然としたようにぱちぱちとしきりに何度も目を瞬かせた。


「アリエル嬢? 大丈夫か? 今のは一体」

「……」


 アリエルはゆっくりと瞬いて、エドモンを見た。その水色の瞳が驚きに見開いて、そろりとその細い指先を伸ばしてくる。


「閣下……?」

「なッ」


 スピナを頭に乗せたまま、アリエルはペタペタとエドモンの顔を触りだした。

 スピナに続いて、アリエルまでおかしなことをしだして、エドモンは首から上を真っ赤に染めた。淑女と呼ばれた彼女がなんのてらいもなく自分の顔を触っていることに、言いようのない恥ずかしさがこみ上げたのに、体は金縛りにあったように動けなくなる。

 顔色を変えたエドモンに、アリエルがようやく何かに気づいたようにハッとして手を引っ込めた。


「も、申し訳ありません! 公爵閣下に大変な無礼を……!」

「い、いや!? お、驚いたが、別に、怒っては、ああ、うん、怒っては、いない、から、な?」


 片言になったが、エドモンはなんとか平静を装ってアリエルに言い切った。ただ、その様子は平静とは程遠かったから、エドモンの動揺はすごかった。


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