紅鏡獣カーバンクルの導き
伝令からコールソン子爵令嬢の話を聞いたエドモンは、対アモフィックス用に森に千々に散っていた騎士をかき集めた。その時に、森の見回りをしていた騎士の一人が不自然に落ちている女性ものの靴を見つけたと報告した。
「これは」
「伝令が街道で拾ったという靴の、対になるものですね」
エドモンは直感的にこれがコールソン子爵令嬢のものではと思った。女性の靴にしては踵が低く、平民のものにしては上等な柔らかい靴。こういった靴を履くのは、身長を気にするか、活動的な人間であり、なおかつそれなりの財力のある人間に限られる。エドモンとしては、この靴がコールソン子爵令嬢のものではないかと半ば確信してるも同然だった。
けれどこれだけではコールソン子爵令嬢のものだという証拠にはならない。
ただエドモン以外にも他の騎士も、四六時中見回っているはずの森の中に不自然に靴が落ちていることにはあまりにも出来すぎていると思うのか、森の中を重点的に捜索するべきだという声が上がっていた。
確認のために早馬をコールソン子爵邸へと飛ばすため、早駆けの得意な騎士を一人、見繕う。
その騎士に靴を片足もたせ、彼を追うようにコールソン子爵領にも対アモフィックス用装備の騎士を、コールソン子爵令嬢の捜索のために向かわせる旨を伝言として持たせていると、不意に森の入口がさざめいた。
「どうした」
「はっ! 今、コールソン子爵邸からの使者が見えまして―――」
「待ちなさいスピナ!」
女性の声が響く。
なんだ、とエドモンや周囲の騎士がそちらを振り返れば、白い毛玉のようなものが、まるで弾丸のようにエドモンの横を過ぎ去った。
あまりの速さに反応が遅れたエドモンが、その白い毛玉の方へ腰の剣へと手をかけながら振り返る。
そこで目にしたものに、エドモンの目が大きく見開かれた。
「紅鏡獣カーバンクル……!?」
白い毛並みに、鳥の羽のような垂れた耳。リスのようにくるんと巻かれた大きな尻尾。そして額に凛然と煌めく赤い宝石。
文献の中でしか見たことのない、だが王家に代々伝わる、伝説の魔獣がそこにいた。
「スピナ!」
はぁはぁと息を乱しながら、黒いワンピースに白いエプロンを身に着けた、いかにもメイドという姿の一人の女性が白い魔獣を追いかけてくる。
女性は騎士の姿に気がつくと、彼らの手前でためらうように立ち止まった。
「申し訳ございません、こちらに白い獣が来たかと思うのですが」
「それならそこにいるが……」
エドモンが女性の言う白い獣を視線で示すと、目の前の女性は呼吸を整えて、エドモンの視線の先にいる白い獣を見てホッとする。白い獣は女性を待つように、一定距離を保って、こちらの様子をうかがっていた。
「大変申し訳ございませんでした。あれを引き取り次第、すぐに立ち去りますので」
「いや……あれを引き取るとは、どういうことだろうか。あれは仮にも魔獣の一種だ。コールソン子爵家は魔獣を飼っていたのか」
厳しく言及したエドモンは、目の前の女性のことを知っていた。一年前、ダンスレッスンをお願いしていたアリエルを公爵邸にまで迎えに来ていたメイドで、クララと呼ばれていたのをしっかりと覚えていた。
目の前のコールソン子爵家のメイドは、エドモンの言葉に目を見開くと、なんとも言えない微妙な顔になる。
「やはりあれは、魔獣なのでしょうか」
「知らずと飼っていたと?」
「見知らぬ獣でしたので、子爵家にて調べている最中だったのです。魔獣である可能性も視野に入れておりましたが、人懐こく、人に危害を与えたことはございません」
「……まぁ、そうだろうな。あれは魔獣とはいえ、どちらかといえば聖獣として王家が秘匿していた魔獣だ。子爵家では調べられないのも無理はないか……」
エドモンが深くため息をつくと、クララは訝しげにエドモンを見つめた。
「王家が秘匿、でございますか?」
「……いや、いい。忘れたまえ。かの魔獣については、後ほどコールソン子爵と直接話をつける。それよりも私からも聞きたいことがある」
「お嬢様のことでしょうか」
察しのいいメイドのようで、エドモンの言葉にするりと応えてきた。その視線は白い魔獣を追いかけたそうにしているけれど、彼女も自分の主人について心配なのか、エドモンの言葉にその場に留まった。
「これに見覚えはあるか」
エドモンが伝令に向かわせようとしていた騎士を促して、発見された二足の靴をクララに見せる。
見覚えのあるストラップ付きのミュールに、クララは大きく目を見張った。
「お嬢様の……!?」
「やはりか。念の為に聞くが、これはアリエル嬢が攫われたときに履いていたもので間違いないか」
「そうです! ということは、お嬢様は……!」
クララの動揺に、エドモンはしかと頷く。
「やはりアモフィックスは既にこの森に戻っているということか……もしくは森を通過し、移動したか……これでは捜索箇所が変わるな」
独り言のようにぶつぶつと呟いて、エドモンは騎士の捜索先を脳内で絞り込む。エドモンとクララのやりとりに、周囲の騎士も、一層の緊張をはらんだ。
そこに、おっかなびっくりしながら、一人の青年が現れる。
「クララさーん? スピナはどうしました?」
「マテュー」
クララが、騎士に連れられてきた庭師のマテューを振り返る。
クララを馬に乗せて、一匹で風のように走るスピナを追いかけてきたのはマテューだった。今まで森の入口の騎士に止められていたけれど、クララがスピナを追って馬から飛び降りてしまって、一人でずっと騎士とここまで来た経緯を説明していた彼がちょっと恨めしげな顔をしていた。
クララはその視線を物ともせずに、主人のアリエルのように毅然とした態度で、マテューにエドモンに見せられた靴の話をした。それを聞いたマテューは納得したように頷く。
「すっげぇな、あの犬。根性あるし、幼いのに忠犬すぎるんじゃない? やっぱり、お嬢様を追いかけてたってことですよねー?」
マテューの言葉にエドモンは言いかけた言葉を飲み込んだ。あの魔獣を犬扱いしている目の前の青年の肝のすわりようもすごいし、それになにより、そのあとに続いた言葉は聴き逃がせなかった。
「どういうことだ? カーバンクルがアリエル嬢を追いかけた?」
エドモンの問いかけに、クララは一瞬ためらったものの、こくりと頷く。
「そう、信じたく思います。お嬢様がアモフィックスに攫われたあと、スピナ、……あの白い獣は一目散に走り出したのです。お嬢様はあの獣を庇い、攫われました。もし戻られたときに、あの子の無事な姿が無ければ悲しむだろうと私が追いかけたのですが……追いつけなくなると、スピナは立ち止まってを繰り返して、私達をここまで連れてきたのです」
間違いなく今現在進行形で騒然としているはずのコールソン子爵家から、どういう経緯でこのメイドたちが抜け出してきたのか、ようやくエドモンは最もな理由に頷いた。
エドモンはクララから視線を外すと、白い魔獣へと視線を向ける。
紅鏡獣カーバンクル。
その額の赤い石を手に入れたものには力を与えるとされている。
過去、カーバンクルの関わった事例でエドモンが知るのは二つ。一つは人間が手にし、この地に蔓延っていた魔獣と瘴気を根絶やしにし、英雄と呼ばれて国を起こした初代国王の伝説。そうしてもう一つは、魔獣が飲み込み、国を一つ滅ぼした伝説。
どちらも伝説ではあるが、その二つの根底にカーバンクルが関わっていれば、不要な争いを生みかねないという歴代国王によって、カーバンクルという魔獣の存在は秘匿されていた。とはいえ、赤い石ばかりが有名で、その姿が額に赤い石のある白い獣としか伝わらなかったため、今日まで記録は残らなかったのだけれど。
それでも、たったそれだけの情報でも、エドモンには何か直感のようなものが働いた。間違いなく、この白い獣がカーバンクルだと思う何かが。
「くぅん」
カーバンクルが鳴いた。
誘うような声に、クララが一歩踏み出すと、シュタッとまた風のように駆けていく。
「スピナ!」
「追う!」
エドモンは近くにいた騎士を数名名指しすると、クララの後を追って駆け出す。
カーバンクルはクララたちの言うとおり、一定の距離を離れると、こちらを待つようにちょろちょろとその赤いルビーのような瞳をエドモンたちの方に向けて待っていた。クララとともにエドモンがカーバンクルを追って駆けて行くと、森のかなり深いところまでカーバンクルはエドモンたちを導いていく。
この先には何もない。あるのは崖だけで、その崖の下は大きな川となっている。その向こうには崖の上の森から展望することができる程度の森が広がるけれど、やはりアモフィックスが隠れるような場所は見当たらなかった。それに、その森へと行くには、この崖を迂回しないといけない。
「この先は崖だが……」
案の定、森を抜け、崖まで出た。
このカーバンクルがどうするつもりなのか、エドモンが様子を伺っていると、ある一点で白い獣は立ち止まり、崖下をのぞきこむ素振りを見せる。
「こ、の下に、何か、あるので、しょうか」
女性でありながら、駆ける騎士達の最後尾になんとか食いついたらしいクララが、息を弾ませながら、カーバンクルに歩み寄る。ケホケホ咳き込んでいるのを見かねた騎士の一人が、彼女の背をさすって、呼吸が落ち着くようになだめていた。
エドモンはそんなクララを一瞥して、下を覗き込むカーバンクルの後ろへと近づく。
白い獣が何を見ているのかと、自分も崖下をのぞき込もうとすると、カーバンクルはパッと崖へ向かって身を踊らせた。
「スピナ!?」
クララが叫ぶ。
他の騎士も慌てて崖の方へ寄ってくるが、エドモンは冷静だった。
カーバンクルが崖を駆け下りていく。
崖は垂直に切り立っている。それをまるで地面を走るかのように垂直に駆けていくカーバンクルに、エドモンは魔獣の身体能力というものを恐ろしく感じた。
そして、もっと驚くことに、その白い獣が、崖を駆け下りる途中で、まるで落とし穴に落ちたかのように姿を消した。駆け寄った他の騎士団員はその瞬間を一秒の差で見れなかったらしく、消えた白い獣に騒然といしてる。
そんな中、エドモンだけが冷静だった。
「縄を持っている者はいるか」
「は、はい! ここに」
「縄の長さは……ギリギリか? もっと長い縄を持ってくるように。もし万が一アモフィックスが出てくるようなことがあれば、指示通りにマーキングしろ」
そう告げると、エドモンは縄の端を近くの木の幹へと手早く結びつけた。そうして自由なもう片方を崖へと垂らす。
「降りる。縄を見ておけ。なにがあっても対処できるよう、私が行く」
騎士の実力を甘く見ているわけではないし、本来なら団長であるエドモンが自ら動くのは愚策だった。それでも自分が動かねばという直感のようなものが働き、エドモンは騎士の静止を振り切って縄を降り始めた。
案の定、縄はカーバンクルの消えた位置より少し離れたところでなくなっていた。けれどエドモンはそこまで降りれれば十分と言わんばかりに、崖の小さな凹凸へと足を引っ掛けると、腕力だけで縄をつたい、わずかの距離を降り下った。軍人とはいえ、公爵とは思えないその動きに、他の騎士と同じように崖をのぞき込んでいたクララは唖然とした。
そうした視線の中、エドモンはようやくカーバンクルが吸い込まれたらしい位置までくると、やはり予想通りに横穴のようなものを見つけ、そこへと飛び入った。
「くぅん」
「きゃっ」
カーバンクルと小さな女性の声。
エドモンは危なげなく着地すると、そのすぐ側に、黄金の麦穂色の髪をした可憐な女性が、驚いたように空色の瞳を丸くして座り込んでいたのを見つけた。
「アリエル嬢。お待たせいたした。さぞ恐ろしい思いをされただろう」
「閣下……?」
空色の瞳が揺らぐ。
ぼろぼろの姿でほっと安堵の色を見せたその表情に、エドモンの心臓はきゅっと絞めつけられたように痛んだ。