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淑女の道は筋トレはから

 ダンスの依頼を受けて三日が経つ。

 顔合わせから三日して、ようやくお忙しい公爵に時間ができたので、アリエルは二度目のダンスレッスンを開いていた。


「いち、に、さん。いち、に、さん……テンポがズレています。声に反応してからではなく、次の動きを予測してください」

「あ、ああ」


 前回同様、招かれた公爵家のダンスレッスン用の部屋で、機敏な動きをしていたはずのエドモンが、もたもたとワルツのステップを踏んでいる。

 手を打ち鳴らして拍を取っていたアリエルは凛と声を大きく張って、エドモンに指導の言葉を投げた。


「ワルツは競技ではありません。全身を柔らかくして、間を持たせて体を動かすのです。なめらかさを意識して、一拍をたっぷり使ってください」

「こ、こうか?」

「踏み込みが強すぎます。剣の素振りではありませんから、勢いはつける必要がございません」


 ダンスの講義を始めて一時間ほど。

 ワルツの基本のステップそのものは覚えているものの、やはりどう見てもリズムや拍がうまく取れないエドモンに、アリエルは丁寧に説明した。

 けれど理解はしても、体がうまく動かないのか、エドモンの動きはいまいちワルツの音楽にのりきれなかった。


 キビッ! ビタッ! シュタ!


 気を抜くと、すぐにカクカクとした鋭角に切り込むようなステップになる。

 貴族である前に軍人であるエドモンは、軍人としての身のこなしとしては完璧なのかもしれない。

 だけど穏やかにゆったりと動くワルツで、軍人の団体行動の如き素早さや力強さは、無用の長物でしかなかった。


「閣下。一度、私と踊ってみましょうか。一人でステップを踏むのと、パートナーと踊るのではやはり違いますから。もしかしたら閣下の反射神経ならば、相手の方に合わせることもできるかもしれません」

「わかった。頼む」


 元来、エドモンという人間は生真面目な性質なのだと、短い付き合いながらもアリエルは理解していた。家格がずいぶんと下であるアリエルのことを見下したりしないし、何より指導の言葉をよく聞いてくれる。それが体で体現できるかどうかは別の問題なだけで、生徒としては素直で教えやすい部類だった。


 アリエルはスカートの裾をさばき、エドモンと向き合う。

 エドモンは少しだけためらった様子を見せると、そっと左手を差し出した。

 アリエルはその手を取り、ワルツの構えを取る。


「左腕は女性の腕が綺麗に伸びるようにゆるく構えてください。男性と女性では体格が違いますので、男性側が腕を伸ばしきらないように、腕の力はもう少し緩めて」

「あ、ああ」

「右手は女性の腰へ添えるように。そうです。腕の位置がズレるようで不安でしたら、ゆるく握ってもらって構いません。コルセットを締めていますので、遠慮なくお触れください」

「ああ……」


 なんだか顔が赤い。この反応は、女性講師に気後れするご子息によく見かける反応だ。恥ずかしくて、照れている時の。

 公爵は確か二十八歳だと聞いていた。それがまさか初心な少年のような反応を返されて、アリエルは少しだけ微笑ましく思った。


「閣下。僭越ながら、女性と踊られた経験は、これまでに幾度?」

「三回、だろうか。もう十年も前の話だ」

「どなたと踊られたのでしょう」

「……当時の婚約者だ」

「まぁ」


 エドモンに婚約者がいたことは、初めて聞いた。

 アリエルが素の表情で驚いていると、エドモンはそろりと視線をそらす。


「恥ずかしい話だが、婚約の話は流れてしまってな。それ以来、ダンスは踊っていない」


 気まずそうに話すエドモンに、アリエルは首を振る。


「事情がおありだったのでしょう。若輩故にそのようなお話はお伺いしたこともなく、大変失礼を申し上げました」

「いや、いい。社交界ではこの話は今や禁忌の箱のような扱いをされているからな。君のような若い者は知らない話だ」


 若いと言っても、エドモンとは六つほどしか変わらない。その婚約が流れた歳がいつかは聞けないけれど、アリエルがデビューする数年ほど前くらいには違いなかった。

 それが綺麗さっぱり、噂好きの貴族の口に上らないのだから、それだけが少し不思議に思えた。


 これ以上深掘りすると、それこそ不敬になってしまう。

 気を取り直すようにアリエルは毅然とした態度で、エドモンのルビーのような瞳を見返した。


「では僭越ながら始めて参りましょう。私の拍に合わせてくださいませ」


 いち、に、さん、と、足を滑らせる。

 ワンテンポ遅れて、エドモンもステップを刻みだした。


「右足が早い。女性側の左足にそろえて」

「あ、ああ」

「踵を意識してください。踵が床から離れないように」

「くっ」

「大丈夫です、ステップは合っています。肩に力が入っていますから、力を抜いて」


 一緒に踊ってみるとやはり勝手が違うのか、一人で練習していた時よりも動きがぎこちなくなる。

 踊ってみて分かったけれど、エドモンの重心の持ち方は独特だった。足ではなく腕を意識するあまりに、足元が疎かになっている。普通ならバランスを崩しそうな重心の持ち方で転ばないのだから、大したものだった。軍人だし、体幹がとても鍛えられているのかもしれない。


「閣下は体の動かし方を理解しているようですから、ほどよく力を抜いて、音楽に身を委ねてください。宙を舞う葉のように、軽い体重移動を心がけるのです」

「む、難しいな……ダンスとはこれほどまでに難しいものだっただろうか」

「慣れもあるでしょう。十年のブランクがあれば、踊れなくなるのも仕方ありません。閣下はステップそのものは覚えておりますから、すぐに勘を取り戻されますよ」

「そうだといいのだが」


 何度も踊り、少しの休憩をはさむ。

 自信を喪失したのか、肩を落とすエドモンに、アリエルはアドバイスと励ましの言葉を重ねた。


「閣下は体力もございますから、練習は人の倍はできましょう。私も時間の許す限りお付き合いいたしますので、どうか王女殿下のためにも、がんばりましょう」

「そう、だな」


 エドモンがこくりうなずいて、休憩のために座っていたソファーから立ち上がる。

 アリエルは相変わらず背筋をピンと正して、凛とした雰囲気で、エドモンに手をさしのべる。

 エドモンはその手を取ると、ゆっくりと部屋の中央までアリエルをエスコートした。


 また二人で拍を取りながら、ワルツを踊っていく。

 難しい顔でぶつぶつと自分で拍を数え始めたエドモンに、アリエルは指摘した。


「閣下、踊る時は女性から視線を外さないように。正しいステップと歩幅があれば、近くの人とぶつかることはありせん。笑顔も忘れずに。拍は心の中で数えてください」

「あ、ああ」


 いち、に、さん、とステップを踏んでいく。

 最初ほどの機敏さのある足さばきはなくなってきたけれど、相変わらず油断すれば女性側のステップが乱れるくらいの機敏な動作になるし、もたついた動きになりがちだ。それでもアリエルは根気よく、エドモンの相手を努めた。


 時間を忘れて二人でダンスの練習をしていると、部屋の隅でひっそりと控えていた公爵家の家令が、ふと二人に時間を告げた。


「旦那様、シーキントン夫人。もうそろそろ良いお時間でございます。本日はここまでにしてはいかがでしょうか」

「む。もうそんな時間か。ずいぶんと練習に付き合わせてしまった。すまない」

「いえ、これしきのこと」

「いや、疲れただろう。少し休むといい。その間に帰りの馬車の手配をさせる」


 そう言ってアリエルの手を引いたエドモンは、アリエルを休憩用のソファーに座らせると、家令に馬車の手配の指示をさせた。

 家令が部屋を出ると、エドモンはアリエルのもとに戻ってくる。

 アリエルがエドモンにソファーを譲ろうとすれば、エドモンはそれを制した。


「いい。長い時間、私のダンスに付き合わせたんだ。女性にはだいぶきつかっただろう」

「いえ、本当にお気になさらず。淑女たるもの、日頃より鍛えておりますから」


 大真面目にアリエルが答えれば、エドモンが顔に見合わずにきょとんと目を瞬かせた。


「淑女が……鍛える?」

「お恥ずかしながら。ダンスも、カーテシーも、美しく見せるためには筋トレが欠かせませんゆえ」

「筋トレ……ダンスやカーテシーに筋トレが有効なのか?」

「はい。ダンスを息も乱さず踊り切るには体力が必要ですし、カーテシーの足さばきや姿勢は、脚力、背筋、腹筋、体幹なども必要です。ゆえに淑女たるもの、毎日の筋トレは欠かせませんのよ」


 アリエルが茶目っ気たっぷりにそう言ってやれば、エドモンが一瞬呆けたような顔をし、それから口元を手で隠してくつくつと喉の奥を震わせ始めた。ルビー色の瞳が面白そうに細められている。


「そうか。真面目な人だとばかり思っていたが、君は面白いな」

「ふふ。軍神公爵様に面白いと仰られるとは思ってもおりませんでしたわ」

「やめてくれ。その二つ名のようなものは、あんまり好きじゃないんだ」


 ぐっと眉をひそめて、嫌いな食べ物を食べてしまった子供のような顔をするエドモンに、アリエルもゆるりと頬を緩めて微笑む。


 無骨で恐ろしいと評されることもある軍神公爵様が、こうやって表情を変えて見せてくれているのはとても貴重なものだと思う。

 短い付き合いながらも気さくに声をかけてくれるエドモンに、人として心を許されたような気がして、アリエルは講師として招かれたことを誇らしく思った。


 次のレッスンも、がんばろう。


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