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魔鳥の棲家

 ぐんぐんと上昇したアモフィックスは、雲の上まで飛んだ。


 爪が食い込んでいる肩の痛みに気が遠くなりそうだったアリエルだけれど、霧のようなものに突っ込んだアモフィックスのせいで全身はずぶ濡れ、しかも風が冷たくて手足の先は凍りつきそうだった。


 それでもなんとかまぶたを押し上げて周りの景色を見てみれば、その景色に陶然とした。


 雲海という言葉が頭に浮かぶ。

 白い綿のような絨毯に、空は蒼い。

 太陽が近くて、アリエルはここは死後の世界かと錯覚したほどに、美しい光景だった。


 ほろりと涙がこぼれる。

 なんて綺麗なんだろう。

 人の身でこれほどまでに美しい景色を見られるなんて。


 アリエルは痛みを忘れて雲上の空の景色に視線を奪われた。


 眼鏡がなくとも、雲の白や空の青さ、黄金の太陽はよく見える。

 生きているうちに、目が見えるうちに、これほどまでに美しい景色を見られたのは奇跡としか思えなかった。


 その美しさに心を奪われて見惚れていれば、不意に身体が下降していく。


 アモフィックスが再び雲の中へと突っ込んだ。

 雲は水蒸気なのかもしれない。湿り、濡れるドレスや髪に、アリエルはそんなことを思った。


 雲を抜けて下降していくアモフィックス。アリエルは眼下に広がる大地に、これまた視線を奪われた。

 緑と茶色の大地。川の青さ。色とりどりのあれは、街の屋根だろうか。


 人なんて見えやしない。

 そんな高さから大地を見下ろしていると、自然と恐怖も薄れてしまった。


 くらくらとする頭でぼんやりと眼前に広がるものを見下ろしていると、アモフィックスが高度を下げていく。

 見覚えのある村や街道、それらを越えて向かうのは、湖のある森。


 それはかつて、アリエルが婚約者を失ったシーキントン領の森だった。


 やっぱりアモフィックスはシーキントン領に縄張りを持っているんだと思うと同時、アリエルはハッとした。


 アモフィックスの速度は随分と早い。馬車なら半日、馬なら早駆けでも三時間はかかるこの距離を、たぶん一時間もしないうちに飛んできてしまった。

 その上、雲の上に一度姿を隠してしまったせいで、追跡もうまくは行ってないはず。


 アリエルは慌てて靴を一足脱いだ。

 ストラップ付きのミュールのおかげで、足で何度かストラップを脱がそうとすれば、なんとかストラップが外れる。


 うまい具合に誰かに見つけてもらえますように、と靴を街道めがけて落とした。


 その間にもぐんぐんとアモフィックスは進んでいく。森の上空に差し掛かると騎士のような人たちを見かけた。


 眼鏡を失って悪いはずの視力で、森の中には不自然なくらいの白い色を見つけた。騎士らしい人たちに紛れているそれになんだか胸がざわついて、夢中でもう片方の靴を脱ぎ捨てる。


 気づいて。

 気づいて……!


 アモフィックスは滑空していく。


 アリエルは祈るように靴の行方を見ていたけれど、結局あの靴を見つけてもらえたのかまでは分からない。


 アモフィックスは森の奥深くまでくると、ようやくそこへ降り立つべく更に下降する。


 てっきり森の中で降りると思っていたアモフィックスは、森を抜けた。

 森の先には切り立った崖がある。その崖に横穴があることを、アリエルは初めて知った。その横穴へとアモフィックスは滑り込む。


 ばさっとアモフィックスが羽ばたいて、その横穴にぽいっとアリエルを放り込んだ。

 身体を強かにぶつけたアリエルは、頭こそぶつけなかったものの、爪が食い込んだせいで肩や背中はじくじく痛むし、岩肌に打ちつけた膝や顎が地味に痛い。


 ここはいったいどこ?


 アリエルの真後ろでアモフィックスが翼を休めている。横穴は暗く、アモフィックスの体で出入り口を塞がれれば、さらに暗くなって明かりが心もとなくなる。


 ここで自分はアモフィックスに食べられてしまうのだろうか。


 アリエルが自分の末路に覚悟を決めていると、横穴の奥で何かが動く気配がした。


「……なに?」

「えっ?」


 奥から人の声がした。

 思わずアリエルも声を出すと、奥からも驚く気配がして。


「人? なんで人なんか連れてきているのよ」


 女性、だろうか。

 女性にしては低い声。ぼんやりとしか輪郭をともわないし、暗いしで、顔もよく見えない。

 それでも暗闇に浮かぶ肌や服のシルエットから、彼女が女性であり、暗い色をした髪色をしていることだけは分かった。


「卵、見つけられなかったのかしら。流石にあのサイロの中だと匂いが紛れちゃった? せっかく派手にぶち壊して討伐してもらおうと思ったのに……ほらお前、もう一度お行き。これを探すのよ」


 女性がアモフィックス二近づき、何かを嗅がせてる。ピィピィと笛みたいな音が聞こえると、ふすんとアモフィックスが鼻から息を吐き出して土埃が舞い上がった。


「ケホッ、コホッ! ちょ、なんで言うこと聞かないのさ! はぁ? 何が言いたいの? その目は何? これが目的のだとでも? 違うっての!」


 女性はアモフィックスに怒ってる。アリエルが恐る恐るその様子を見ていると、やがて女性は深くため息をついた。


「はぁー、もー、仕切り直しね。そろそろ森の奴らもお腹すかせる頃だしなぁ。騎士の目がホント邪魔」


 女はそう言うと、アリエルの方を振り返る。

 アリエルがアモフィックスと会話をしている女性に驚いて目を白黒させていれば、彼女はずいっとアリエルに顔を近づけてきた。

 近づいた拍子に、彼女の瞳が金色だと気づく。それと、どこかで会ったことのあるような……?


「あんた、よく見るとあの女に似てるわね? でも髪色違うし、眼鏡ないし。何より私のこと気づいたらこんな冷静にはいられないわよね! 気のせい、気のせい。ってことで、あなたはアモフィックスの非常食ってことで放置。勝手に野垂れ死ねばぁ? 運が良かったら助かるかもね!」


 え、とアリエルが言葉を漏らす暇もなく、女はアモフィックスの方へと再び近づいていく。アモフィックスが頭を下げると、その背中に女は跨った。


 まさか、とアリエルが立ち上がると、女はにぃっと笑う。


「ちょっと待っ……!」


 ピィィ。


 アリエルが止める声に笛の音が重なる。

 アモフィックスが力強く羽ばたくと、アリエルの体を恐ろしいほどの強い風が襲った。

 腕で土埃や小さな砂利から顔をかばう。

 アリエルがそっと腕を下ろしたときには、もうアモフィックスと女の姿はなかった。


 アリエルは今の今まで目の前で起きていたことに唖然とした。


 人間が魔獣を操っていた。


 そんなこと出来るのかという疑問と、どうやったらという興味と、思っているよりも悪質な今回の騒動に、色々なことが脳裏を駆け巡る。


 冷静になると、自分の今の状況にもようやく目を向けられるようになって、深く息をついた。


 スピナを助けて、まさかこんなことになるなんて。


 あの女性の言い方だと、騎士団はここをまだ見つけられていないみたいだ。見つけていたら、あの女性やアモフィックスがここにいるのを待ち伏せできるはずだもの。

 そうなると、自分から行動を起こさない限り、ここから助かる術はないわけで。


 あの女性の言葉を思い出して、アリエルは身震いする。

 このままここにいたら、アモフィックスの非常食として本当に食べられかねない。


 アリエルは立ち上がると、靴を脱いでしまったために、ごつごつとした岩や砂利に足の裏を傷つけながらも横穴の外へと顔を出す。


 風が強く吹いた。


 切り立った崖はかなりの高さがある。

 もともとアリエルの生まれたコールソン子爵領は高原地帯だ。そこに隣接するシーキントン伯爵領もまた標高は高いほうだが、こうして地面が切り崩されたかのような崖が所々存在している。ただ、こんな大きく高い目立った崖があるのも、この森くらいだろうけれど、シーキントン伯爵領はそういった場所が少なからずあるような領地だった。


 下を見下ろしてみるけれど、容易に飛び降りたら間違いなく死ぬ高さだった。アリエルはそろそろと視線を巡らせる。


 少しくらい足の踏み場がないかと探すけれど、そんな場所も見つけられない。視力が悪いだけで実はあるんじゃないかなと淡い希望を抱いてしまう。とはいえこの僅かな岩肌のデコボコに指を引っ掛けて登ろうと思うほど、アリエルは自分の体力と力を過信してはいないけれど。


「……崖登りは最終手段にしましょう」


 ひとりごちて、背後を振り向く。

 洞窟の奥。光が届く場所だけ見ても深く、かなり奥まで続いているように見えた。


 アリエルはそっと奥に進んでみる。

 裸足の足に石がチクチクと刺さっていたいけれど、ドレスの裾を踏まないようにつまみながら、恐る恐る奥へと進む。


 横穴の入り口では気にならなかった匂いがする。

 なかなかの刺激臭にアリエルは鼻を覆った。


「これ……なんの匂いかしら。かいだこと、あるような……」


 ひどい腐敗臭。家畜たちの肥溜めとは違う刺激臭にアリエルは顔をしかめる。

 それでも横穴は奥まで続く。外の光が届かないくらい近づいたところで、アリエルの足がぐちゃりとしたものを踏んだ。


「ひゃぁっ!?」


 まるでうっかり泥水に右足を突っ込んでしまったような感触に悲鳴を上げてしまう。なんでこんな所の地面が濡れているのか。しかも妙に足裏がピリピリして痛い。踏んだり蹴ったりで、アリエルはきゅっと口を真一文字に引き結んだ。


 どうしてここだけ濡れているのか、理由は気になったけれど、さすがにこれ以上は進むのを諦める。足も痛むし、仕方なく横穴の入口近くまで戻る。

 来た道を戻る途中、さっき泥に踏み入れてしまった足裏が火傷を追ったかのようにピリピリ痛みだした。アリエルはうまく歩けなくなって、ひょこひょこと右足をかばうように歩く。その水色の瞳にはじんわりと痛みによる涙も浮かんだ。


「靴って偉大だったんだわ」


 脱ぎ捨ててわかる、靴の大切さ。あの時は必死だったとはいえ、あの片方ずつの靴程度で手がかりになってくれるだろうかという不安もふと思い浮かぶ。


 アリエルはそんなことを思いながら、光がよく入る場所に腰を下ろすと、ドレスをそっとめくって、右足の具合を見てみる。


 アリエルの足は焼けたように爛れていた。

 ……そっとドレスの裾をもとに戻して、見なかったふりをする。


「眼鏡がなくて良かったかもしれないわ」


 直視してたら気絶してるくらいには、視力が悪い中でも足裏が大変なことになっているのがわかった。


 じくじくする痛みに気づかないふりをしつつ、アリエルは横穴の奥を見る。

 あの奥にあるものになんとなく心当たりをつけて、これからどうするべきかと悩ましくため息をこぼした。


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