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空飛ぶ子爵令嬢

 エドモンが先日報告を受けた、森に入ったという女はその後、行方が依然と知れないままだった。

 森に入った女性をを見たという領民に話を聞いても、黒髪だったとしか印象がなかったようだ。ただこの村の民ではなく、それ以降の消息が不明であることから、女性の捜索はそこで打ち止めとなった。


 改めて領民には魔獣の森への接近の禁止を通達する。

 そんな中、ここ数日ほど、アモフィックスの目撃証言が絶えていた。


 塵旋鳥アモフィックスの目撃証言は、空を飛ぶ家畜の姿を元に調査をされていた。それがここ数日、どこからも証言が上がってこない。


 森の中で度々見かけていた家畜の死骸も、新しいものを見かけなくなった。一体どういうことかと、エドモンは森にある湖の底を騎士たちにさらえさせる作業を監督しながら考えた。自分を探す人間の動きに気がついてアモフィックスが巣を変えたことも考えられるけれど、それにしてもタイミングが良すぎる。


 誰か一人でも騎士が魔獣の姿を捕らえられれば、アモフィックスの巣を見つけられるのに、未だに騎士の誰一人、アモフィックスの姿を見つけられないでいる。


 魔獣を前に歯がゆい気持ちばかりが募るけれど、そうなると今できることといえば、やはり瘴気の元を探し出して、これ以上の魔獣を生み出さないことくらい。


 昨日、シーキントン伯爵から過去にあった湖の事件の話を聞いた。当時、現場にいたという彼は、あまり思い出したくないことだと前置きながらも、エドモンの質問に答えてくれた。


 湖の水の色、状態、付近の植物の生え方。

 まだ子供だったとはいえ、思い出せる限りは話してくれた。その過程で、かのアリエル嬢がその時に視力を失うことになったのだと聞いたときには、エドモンは同情の気持ちをこの場にいない彼女に向けたものだ。


 あまりシーキントン伯爵からの話では得られたことはなかったけれど、魔獣が瘴気のもとを飲み込んでいたのに、かつての湖は見た目に腐りも濁りもしていなさそうだった。とはいえ、どこかの川に繋がることもなく、ただ地下より湧き出て生まれた湖なので、人がわざわざ口にする水でなかったのは幸いだったかもしれない。


 湖をさらえていた騎士たちが小舟から降りてくる。水底からさらったものを、岸辺に広げた。


「枯れ木や流木にも見えるが……これは骨か?」

「想像以上に獣の骨が多く出ていますね」


 騎士からの報告と、目にするものの異様さにエドモンは目を細めた。これだけ大きい湖ならば、人間でなくても水を飲みに来る獣が足を滑らせて覚えるのも考えられる。けれど引き上げられた頭蓋骨らしき骨だけでも十は越えていた。


 誰かが獣をここに沈めたか何かをしなければ、これほどまでに骨が残ることもないだろう。エドモンが顎に手を当て、それらを眺めていると、不意に伝令の騎士が駆け込んできた。


「伝令! 魔獣アモフィックスがコールソン子爵領にて出現! 場所はコールソン子爵邸! またコールソン子爵令嬢がアモフィックスにより連れ去られました! すぐに騎士団の派遣をとコールソン子爵より要請です! それと―――」


 伝令の言葉と、差し出されたものに、エドモンの視線が剣のように鋭くなる。

 一瞬でピリピリとしだした場の空気に、伝令の騎士だけではなく、側で作業をしていた騎士たちの背筋もピンと伸びた。


「総員、対アモフィックス用装備を整えろ! 上空に注視し、アモフィックスの影を探せ。もしかしたら既に森に入っているかもしれん! 五番隊はコールソン子爵邸へ向かい、話を聞いてくるように。至急、コールソン子爵令嬢を救出する!」


 エドモンの号令に、騎士たちは力強く応答した。



 ◇   ◇   ◇



 スピナが生まれて数日、アリエルはスピナが可愛くてしょうがなかった。

 もふもふした毛並みは肌触りがいいのはもちろん、目が合えば「ぞんぶんになでて!」と言わんばかりにお腹を見せてころころと甘えてくる。それがもう可愛くて可愛くて、クララが呆れるくらいにスピナを可愛がっていた。


 とはいえ、生まれたばかりのスピナも部屋から出られず、アリエルから猫可愛がりされるだけではストレスになるだろうと案じたクララに言われ、今日のアリエルはスピナを子爵邸の庭に出してやっていた。


 初めての外はスピナもおっかなびっくりなのか、アリエルの足元をうろうろするだけで、自分から芝生の上に降り立とうとしない。アリエルが気づいて一歩芝生に踏み出せば、スピナもようやく庭へと降りた。


 それでもアリエルの側は離れがたいのか、さっきからスカートの裾に潜り込んではひょっこりと外へと顔を出しての繰り返し。アリエルはスピナのその様子が可愛くて、眼鏡の向こうの空色の瞳をゆるゆると細めた。


「スピナったら、まだ外は早かったのかしら」

「他の動物なら生まれてすぐに外に出ますから。早めに外に慣れさせたほうがよろしいかと。お部屋の中で元気に駆け回れるくらい成長するのはあっという間ですよ」

「そうね」


 クララの言葉に神妙にうなずいて、アリエルは足元をちょろちょろするスピナを見下ろした。今はくるりんと巻かれたリスのような尻尾だけが、ドレスの裾から覗いてる。頭隠して尻隠さずなその姿が可愛くて、アリエルは胸をきゅんきゅんさせた。


「スピナ、おいで。ほら」

「くぅん」


 アリエルはことさらゆっくりとワルツのステップを踏み、ゆらりとドレスの裾を揺らす。スピナがひょこひょことアリエルのドレスを追いかけてきた。


 くるくるとアリエルが回れば、スピナがふわふわと浮くドレスの裾が気になるのかぱっふんぱっふんと飛びついた。クララが「ドレスが!」って小さく悲鳴をあげているけど、普段づかいの年季入りのドレスなので一着くらいならスピナ用にボロボロになっても許してほしい。


 アリエルがスピナと戯れていると、ふと強く風が吹き、空が陰った。


「きゃっ」

「強い風だったわね。春一番みた―――」


 雲を動かすくらい強い風が吹いたのかと、アリエルは空を見上げて凍りついた。

 空を、アモフィックスが旋回していた。


 屋敷を隔てた向こうの空から来ていたらしい。ちょうど建物の影になっていたせいで、アリエルは気づいていなかった。


 またどこかの牧場の家畜を狙っているのかもしれない。

 慌ててアリエルはクララに声を上げる。


「クララ! アモフィックスよ! 今上にいるわ! 人を呼んで、追いかけられるように馬を、」


 話している最中に、また頭上が陰る。ハッとして見上げれば、アモフィックスはコールソン子爵邸の庭目がけて下降してきている。


 ゾッとしたアリエルはクララに叫んだ。


「こちらに来るわ! クララ、建物の中へ!」


 アリエルはドレスの裾を持ち上げ、足元にいたスピナを抱き上げようとして、ぎょっとする。


「スピナ!?」


 てっきりドレスの裾の中にいると思っていたスピナがいない。

 慌てて周囲に視線を巡らせれば、スピナはアリエルの後ろで、アモフィックスを見上げていた。


「スピナ!」


 アモフィックスからの風圧がアリエルを襲う。

 もうすぐそこまで来ているのに気づいているけれど、アリエルは逃げなかった。


 スピナを抱き上げ、建物の中に逃げようとする。

 アモフィックスの下降してきた風圧が、周りの建物に阻まれ、勢いが牧場のように削がれず、アリエルの足が僅かに浮いた。


 眼鏡が風に飛んでいき、アリエルはバランスを崩して転びそうになる。


 その肩に、アモフィックスの爪が食い込んだ。


 アリエルが痛みに呻く。クララが悲鳴を上げる。外の騒ぎに気づいた屋敷の者たちが、窓から顔をのぞかせる。


 アリエルの体が浮いた。


 ぐんっ、と体があっという間に屋敷の屋根より上へと持ち上がる。


 足が宙に浮く恐怖と、アモフィックスの爪が肩に食い込む痛みに、アリエルは青ざめた。


「くぅん」

「ス、ピナ」


 腕の中に抱いたままだったスピナ。

 せめてこの子だけでもと、アリエルは意を決してスピナから手を離した。


 庭には騒ぎを聞きつけた人たちが出ている。

 クララが落ちたスピナを抱きとめようと腕を伸ばしたのが見えた。


 それを見て、ほっとする。

 それと同時に、どんどん高くなる景色に、アリエルは血の気が引いていく。


 家畜ばかりを襲うものだと油断していた。

 まさか自分がアモフィックスに連れ去られるなんて。


 アモフィックスに掴まれた両肩が痛い。片足でぎちっと背中側から掴まれているけれど、鋭い鉤爪のような爪が食い込んだ肩からは血がにじみ始めていた。


 生きて、帰れるかしら。


 そう脳裏によぎる間にも、アモフィックスはぐんぐんと高度を上げる。


 やがて視界が白くなり、アモフィックスにさらわれたアリエルの姿は雲の中へと消えていった。


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