魔獣の縄張り
エドモンとの突然の再会から数日、アリエルは木の実の汁でべっとべとになって、孤児院の大人たちに洗濯で落ちないでしょうと叱られている悪戯っ子たちを見て、ピンとひらめいた。
「見えないなら見えるようにすればいいのよ!」
「お嬢様?」
アリエルはそう叫ぶと、困惑するクララを連れて、子供たちの様子を見るのもそこそこに、孤児院を出た。
まっしぐらに子爵邸を目指して帰宅すると、さっそく父の書斎へと突撃して事の次第を説明した。
「ねぇ、お父様。あの魔獣が現れたら、こう、絵の具のように色を着けられるものを投げつけて見るのはどうかしら。そうしたら何処からやってくるのか、どこに行くのか、分かりやすくなると思うの」
妙案よ! と勢いでやって来たアリエルに、ヘンリーは面食らいながらも、書斎の執務机で向かっていた陳情書の紙束から顔を上げて、よくよく考えるように喉を唸らせた。
「なるほど、いい案だ。だが懸念点もある。必ずしもそれを持っている人が近くにいるとは限らないし、もしそれに気づかれたらその人が襲われるのではないかい?」
「……それもそうね」
せっかくいいアイデアだと思ったけれど、父にそう諭されて、アリエルはがっくりと肩を下げた。突発的な考えだったせいで、領民の安全までは考慮できていなかった。
落ち込むアリエルをクララが励ます。そんなアリエルに、ヘンリーは苦笑した。
「気になるのも分かるけれど、危ないことはしないで騎士団に任せておきなさい」
ヘンリーの言葉に、アリエルはこくりと頷く。
行動力があるために、自分でなんでも解決しようとする娘に、ヘンリーは微笑んだ。
「だが、君のアイデアは悪くないよ。騎士団に伝えておこうか」
「お父様……!」
ぱぁっと表情を明るくさせたアリエルに、ヘンリーはどうどうと彼女をたしなめる。
「伝えるだけだよ。そもそもアモフィックスの居場所が掴めないならどうしょうもない」
「そうね。でもお願い。少しでも力になりたいの。本当なら私が駆け回ってでも、あの魔獣を見つけたいほどなのに……」
真剣な面持ちで訴えるアリエルに、ヘンリーはさすがにそれは許容できないと首を振る。
「危ないことはしないでほしい。君になにかあったらアリエッタも悲しむ」
「ごめんなさい、失言だったわ」
両親に心配ばかりかけてしまう、不出来な娘だとアリエルは恥じる。
アリエルが殊勝に頷けば、ヘンリーは結婚しても淑女の鑑と言われても、変わることない真っすぐな娘の本質に、仕方のない子を見るような温かな目を向けたのだった。
◇ ◇ ◇
アモフィックスの目撃証言は、二、三日に一度の頻度で騎士団に上がってくる。そろそろ次の目撃証言が上がってもおかしくない頃だ。
畜産業が盛んな領地は限られる。コールソン子爵領を含めて、四つ。他の地域でも畜産は行われているけれど、繰り返し目撃証言が見られるのは、シーキントン伯爵領と隣接しているこの四つの領地ばかりだった。
エドモンは騎士団を指揮し、アモフィックスの居場所を探す。シーキントン伯爵は何も知らないと言っていたが、領内では何度か空を飛ぶ牛や羊といった不可思議なものを見たという証言があがっており、巣の位置は一つの森にあたりがついた。ただ、点々と動物の死骸を見つけるだけで、擬態化したアモフィックスの姿までは確認できていない。
それでも縄張りらしき森一帯を見張り、エドモンはアモフィックスの動向を伺った。
そんな中。
「団長! 斧角獣オノタウロスがいます!」
「団長、東に一角獣アルミラージの群れが!」
アモフィックスだけかと思っていたら、予想以上に多くの魔獣が棲息していた。今までよく気がつかなかった。領民のだれもが被害に合っていなかったのが不思議なほどに、アモフィックスの縄張りと思われる森には魔獣がいた。
とはいえ危険深度はアモフィックスほど高くはない。オノタウロスはその突進力故に危険深度が三あるが、アルミラージは危険深度二程度。それも群れであればの話で、アルミラージ単体の危険深度は一しかない。
エドモンは騎士たちに指示を出し、魔獣を討伐する。鍛えられた騎士たちはエドモンの統制の下、魔獣を駆逐していく。
魔獣を屠れば青い血が流れる。これをそのままにしておくと、さらなる瘴気を呼ぶ。唯一この血を浄化する作用のあるハーブを漬け込んだ酒で、血を洗い流して清めた。
瘴気の近くにあれば、魔獣が多く発生するのも頷ける。
だが、どんなに探しても、瘴気の発生源が見つからない。
騎士たちの間には得体のしれない不気味さを感じるものもいて、エドモンは歯噛みした。
そんな時に一つの報告が上がってくる。
「団長。先程、森の中へと入っていく女性を見たと報告が」
「何?」
アモフィックス討伐のため、この森は今現在、騎士団の名の下に立ち入りが規制されている。
付近の領民には周知しているはずなのに、入ってくる者がいたのだろうか。
「すぐに森から連れ出せ。ここは危ない」
「それが我々の目をかいくぐったようでして。出入りした女性らしき靴跡は見つけましたが、靴跡は崖の側で途切れており、その後の足跡が辿れませんでした。崖の下に落ちている様子もなく……」
エドモンははぁと息をつく。まさか領民の女性一人程度に騎士が遅れを取るとは思わなかった。
これは少々、魔獣討伐前に騎士たちの気がゆるんではいないかと疑ってしまう。帰城したら、訓練をもう少し厳しくしてもいいかも知れない。
「警備を強化しろ。その女性を見つけるんだ。気を引き締めろ。ここは魔獣の巣窟と思え。討伐が終わるまでは、森に領民を入れるな」
承知しました、と報告にあがった騎士が殊勝にうなずいて持ち場に戻っていく。
エドモンは鬱蒼と茂る森の中を見た。
この森は昔から魔獣が棲むと領民に恐れられていて、慣れた木こりや猟師が踏み入るくらいだ。ましてや女性なんて踏み入る理由もない。実際に予想外の魔獣が複数いた以上、知られていなかっただけで、昔から魔獣の巣窟だったのではと思うくらいだ。
特に森の中にある大きな湖はその象徴で、かつてその湖には魔獣が棲み着き、子供が襲われたこともあるという。十年も前のことで、その魔獣もすでに討伐され、湖も浄化がされているけれど。
今現在の湖は深い青に染まり、きらきらと太陽の輝きを反射していた。もし湖から瘴気が発生していれば、湖の水は腐り、濁り、周辺の植物を枯らしていただろうから、今の湖に危険はほとんどない。どちらかといえば森の中に潜む魔獣や獣の方を注意しないといけない。
そこでふと何かが引っかかった。
過去の湖の事件。
何が引っかかるのかと首をひねっているが、それが何なのか、エドモンは思い至らない。
あの湖の事件があった当時、まだ騎士団長の地位ではなかったが、若かりしエドモンも一騎士として同行をしていた。確か襲われた子供は前シーキントン伯爵の子供だった。亡くなってしまったが、とても勇気のある子供で、魔獣に一太刀を浴びせたという。
子供によって半死状態だった魔獣は、領民の大人によって湖から引きずりあげられて、到着した騎士団の監視下で焼かれ、浄化も行われた。
その時確か―――
「……瘴気の元は魔獣の腹から見つかったな」
確か獣の死体だったはずだ。魔獣が吐いた水や呼気から大地が腐っていった。さらには魔獣を焼いた時に異常なほどに燃え残ったものがあった。炎で焼かれることなく残った黒くグズグズと腐敗したそれは、浄化のハーブ酒をかければ溶けるように蒸発した。
残った骨から獣の死骸だったと判断され、瘴気の元を魔獣が飲み込んてしまった数少ない症例と判断された。
エドモンは深く目を瞑ると、ぐっと視線を上げた。
周囲にいる騎士をかき集めて命ずる。
「湖を浚え。魔獣がいるかもしれないから油断をするな。魔獣が瘴気を飲み込んでいるかもしれん……!」
一度あることは二度ある。
瘴気の元が見つからない以上、今一番信憑性があるのはこの可能性だった。
それともう一つ。
「チャールズ・シーキントンを呼べ。十年前の水棲型魔獣の件について聞きたい」
当時のシーキントン伯爵の子であるなら、チャールズの兄弟のはずだ。
何か気がつくことはなかったか、予兆のようなものはなかったのか、エドモンは少しでも手がかりがあればと願った。