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バターミルクサンド

 ハッとしたアリエルは内心の動揺を隠して、ゆったりとスカートをつまんでカーテシーをした。


「ジラルディエール公爵閣下。ご無沙汰しております。視力が悪く、お声にも気づかず、大変ご無礼をいたしました」

「いや、いい……が、その、雰囲気が随分と変わったな」


 楽にしてくれとも言われたので、アリエルは背筋を伸ばして改めてエドモンに向き合う。


「髪色のせいでしょうか。お恥ずかしながら、元夫の言いつけで、髪を染めていたのです。こちらが地毛でございます」

「そうだったのか。いや、それにしても……」


 歯切れの悪いエドモンは、じっとアリエルの空色の瞳を見つめてくる。


「……その、眼鏡を取ると、随分と印象が変わるものなのだな」

「そうでしょうか? 髪色のせいかと思いましたが」


 きょとんとするアリエルに、エドモンはこほんと咳払いした。


「まぁ、その。元気そうで何よりだ。……何か複雑な事情があるようだが」

「お恥ずかしながら。ですが閣下のお手をわずらわせるようなものではございませんので」


 そうは言っても、さきほどの修羅場を見てしまえば穏便に終わるようなものではないと思っているのか、エドモンは心底心配そうにアリエルを見下ろしている。

 アリエルは苦笑しながら、孤児院の方へと手を差し伸べた。


「私にお話があったのでしょう。中へどうぞ。本来なら私が子爵家にてお出迎えするべきでございましたのに、申し訳ございませんでした」

「いや、急なことだったので、子爵に貴女の居場所を聞いてきたんだ。こちらこそ、予定外の訪問で申し訳ない」


 お互いに謝罪をしつつ、アリエルは孤児院の中へエドモンを招いた。そろそろと扉の影やら柱の陰で様子を伺っている子供の一人を捕まえて、応接室を使用することと、お茶の準備をしてもらうよう大人の人に伝えに行ってもらった。


「綺麗なものだな。子供たちも貴女にずいぶん懐いているようだ。良い経営をしているのがよく分かる」

「ふふ。閣下にそう仰っていただけると嬉しく存じます」


 アリエルはエドモンを孤児院の応接室に招くと、革張りのソファへとエドモンを座らせた。ここは寄付に来た貴族に失礼にならないようにと整えられている部屋なので、公爵であるエドモンを通すにも問題はないと思う。


「それで、私にご用とのことでしたが」

「ああ。今日ここに来たのは、見ての通りだが騎士団の仕事できている。二つほど貴女に確認したい」


 アリエルは毅然とした態度でエドモンの言葉に頷いた。

 父から騎士団に話を通してもらっていたので、そのうちこうやって話を聞かれるだろうとは思っていた。それがまさか、騎士団長様直々とは思っていなかったけれども。


「私で答えられることでしたら、なんなりと」

「ありがとう。まず一つ目だが、これまで三回、貴女はアモフィックスを目撃していると聞いている。どうして貴女だけが見えたのか、何か心当たりはあるだろうか」

「そのことですか……」


 自分に答えられることだったら何でも協力したいと思ったのは本当だ。だが、さっそく聞かれた質問にアリエルは申し訳なく眉尻を下げた。この質問の答えをアリエルは持ち合わせていないから。


「申し訳ありません。私にもどうして見えるのかは分からないのです。側にいた者と私とで何が違うのかといえば、この眼鏡くらい。ですが一緒にいた者にこの眼鏡をつけさせても、やはり魔獣の姿は見えないのです」

「そうか……他に心当たりは?」

「分かりません。そもそも私は人より視力が劣るので、そんな私が魔獣の姿を看破したことにすら驚いております」


 どうして自分だけが擬態した魔獣の姿を看破できるのだろうか。眼鏡を通すことで、何かしら見え方が作用するのかと思って、二回目に目撃したときにクララに眼鏡をかけさせてみたけれど、クララには見えていないようだった。


「魔獣は裸眼でも見えるのか?」

「分かりません。付き人に眼鏡を貸した時に一度外しましたが、元の視力が悪いのと距離があったのとで、その時はぼやけてよく分かりませんでした」


 アリエルの視力は、すぐ目の前にいたはずのエドモンですら輪郭がぼんやりと分かるくらいのもの。それなのに裸眼のまま、遠くの空を飛ぶ魔獣を認識するのは難しい。


「……眼鏡でどうにかなるようであれば楽だったんだがな。もしかしたら、早期解決に向けて騎士団より貴女に協力要請をいれるかもしれない。その時は快く引き受けてくれると助かる」

「もちろんでございます」


 アリエルがしかと頷くと、エドモンはその表情を険しくさせ、次の本題を持ち出す。


「次だが、貴女はアモフィックスがシーキントン伯爵領から来たのを見たと伺ったが、相違ないか」

「間違いありません」


 アリエルは首肯した。

 そんなアリエルに、エドモンは言いにくそうに更に質問を重ねる。


「貴女とシーキントン伯爵は離婚後、どうやら関係が悪化しているようだが」


 エドモンの穿った見方に、アリエルは目を見開く。

 それから大真面目な表情でぴしゃりと言い切った。


「その件と魔獣の件は関係ございません。シーキントン伯爵領へ嫌がらせのために目撃情報をあげたとお疑いなのでしょうか。伯爵領の領民を思えばこそ、騎士団を撹乱するような目撃情報を言う利点がございません」

「申し訳ない。不快にさせた」


 公平であるべき騎士として、先程の二人の関係を見てしまった以上、念の為に本人の口からも確認をしておきたかったのだろう。アリエルとチャールズの関係がこじれている以上、騎士団としてはアリエルの目撃情報の信憑性を少しでも高めておきたいというエドモンの意図をアリエルは理解できたので、気にしないでほしいと首を振った。


「おそらくチャールズ様のことですから、私の名を出せばあれこれと何か仰るでしょうね。どちらを信じられるのかは騎士団の判断によるところではございますが、やって来た方角はともかく、去っていった方角は目撃者も多くいるはずですから」

「貴女の仰る通りだ。申し訳ない」


 二回も謝られては、アリエルもこれ以上は何も言えない。公爵であるエドモンに謝罪させておいて受け取らないのは、身分的に失礼に当たってしまう。アリエルは謝罪を受け取った。


「聞きたいことはそれだけだ。邪魔をして悪かった」

「いえ、こちらこそ。あまりお役に立てなくて申し訳ございません」


 エドモンは聞きたいことは全て聞いたと言うようにソファから立ち上がると、ちょうど応接室の扉がノックされた。

 アリエルが誰何をすると、孤児院の院長のようで、お茶の支度をしてくれてきたらしい。

 中に入ってきた院長が、今ちょうど退室しようとしていたらしいエドモンに気がつく。


「まぁ。ずいぶん早いお話し合いですこと。どうかもう少しお話していかれたら」

「だめよ。この方もお忙しいの。引き留めたら悪いわ」

「でもお茶の一杯くらい……それにお嬢様をあのダメ坊っちゃんから助けてくれたのでしょう?」


 院長の言葉にアリエルは微妙な顔になる。領民にはどこからかアリエルが出戻ってきた理由が漏れてしまっていたようで、チャールズに対する認識があまり良くなかった。チャールズの顔を院長は知らないはずだけれど、去っていく馬車の紋を見かけたクララあたりが何かを言ったのかもしれない。

 とはいえ、忙しいエドモンを引き止めるのは気が引ける。アリエルが言葉に困っていると、エドモンからそうっと声がかかった。


「アリエル嬢。よろしければお茶を一杯いただいてもいいだろうか。早駆けしてきているので、喉を潤したい」

「……それでしたら、ぜひ。それに先程のお礼もまだでしたから」

「ああ、気を遣わせて申し訳ない」


 院長が微笑んでお茶のセッティングをしてくれる。エドモンはもう一度ソファに腰を下ろし、アリエルもその正面へと腰を下ろした。

 ティーカップとお茶菓子を並べた院長は、ごゆっくりと言って部屋を出ていってしまった。アリエルは困ったように微笑みながら、エドモンにお茶を勧めた。


 騎士服を身にまといながら、ティーカップを手にするエドモンは優雅の一言に尽きた。軍人でありながらも、やはり公爵という身分からにじみでる高貴さに、アリエルは背筋が伸びるような感覚をもつ。


「そういえば、体調の方はどうだろうか。病気療養中だと伺っていたが」

「……いえ、ご心配おかけしました。今ではすっかりと元気に暮らしております」

「そうか。離婚の話は驚いたが、あの夫の元だと気が休まることもなかっただろう。勇気ある決断をしたと思う」


 気遣いにあふれたエドモンの言葉に、アリエルは罪悪感と嬉しさとで板挟みになる。ほんの一時しかお会いしなかったエドモンが社交辞令とはいえ心配してくれていたと言ってくれるのは嬉しい。だけど実際には病気なんてしていなくて、離婚するためにチャールズが言いふらしていたでまかせなので、罪悪感も強かった。


「こんなことを聞くのは、マナーに反するとは思うが……その、聞いても良いだろうか」

「はい」

「シーキントン伯爵と関係が悪化したのは離婚してからか?」


 かなり踏み込んできた質問に、アリエルはどう答えたものかと思案する。黙ってしまったアリエルを見て、エドモンが真面目な顔で言葉を重ねた。


「先程の様子を見て、心配になった。私が居合わせて良かったが、ああいったことが今後も起きるのであれば、騎士団を通じて平和に解決するよう働きかけるのも一つの手だ」

「……ご心配には及びません。難しいようでしたら、騎士団にお話をすることもあるかもしれませんが、今のところは大丈夫ですから」

「本当か?」

「はい。父がおりますし、幼い頃からの付き合いですから」


 淡くアリエルが微笑めば、エドモンはほんのりと眉を下げて、手のかかるような子供を見るかのような、仕方なさそうな表情になる。


「無理はしないように」

「お気遣い、ありがとうございます」


 アリエルは気遣ってくれるエドモンに礼を言い、話題を変えるようにお茶菓子をすすめる。


 院長の持ってきた茶菓子はアリエルが今朝作ったばかりの、濃厚なミルク味のバターをビスケット生地で挟んだバターミルクサンドだ。ミルクの味が濃厚で、子どもたちにも人気のおやつだ。バターミルクにはラムレーズンも入れてあるので、もったりしたバターミルクにちょうどいいアクセントになっている。


 エドモンはすすめられた茶菓子を手にとって、珍しそうに見たあと、ひょいっと一口で食べてしまった。


「これは美味しいな。濃厚なミルクとラムレーズンのバランスがいい。好きな味だ」

「それは良かった。お気に召したのならお土産にお包みしましょうか」

「ありがたくいただこう」


 エドモンの舌にも合ったようで、アリエルははにかむ。

 自分が作ったものを美味しいと言われるのはやはり嬉しいものがある。特に一流の料理人の料理を食べ慣れているエドモンに褒められるのは、やはり誇らしさが勝る。


 嬉しさをにじませるアリエルに、エドモンは眩しそうに目を細めて穏やかに微笑んだ。


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