2.森での出会い
終わりの見えない、長い穴に身を委ねて滑り落ちること数十分。実際はもっと短かったかもしれないが、周りの景色はずっと薄めの黄色一色で変わらなかったし、時間の経過を確認することもできなかったため、体感では結構長く感じた。あまりに長く感じたために寝不足な脳が眠気を感じ始めたころ、ようやく穴の先に光が見えてきた。
ようやくこの退屈な時間が終わると思ったのもつかの間。次の瞬間には穴に入った時と同じように地面に落ちていた。もしや手荒な真似というのはここまでが計算内だったのか。思い切り地面に叩きつけられた私は怪我がなかったことを確認すると、辺りを見渡してみた。
どうやらここは、森の中のようだ。木漏れ日が静かに射し込んでおり、自分以外には生き物の気配を感じないくらいの静けさに包まれた森林。しかしその静けさは孤独感ではなく、幻想的な気配を思わせるような安らかなもので。誰かに守られているような、安心感も感じられる癒しの空間であった。
「ここどこだよ...すごく、綺麗だけど。」
そうつぶやかずにはいられなかった。このような場所が現代の日本に残っている希望はきっとないだろう。そんな考えが、自分は異世界に来てしまったのだという感覚に陥らせた。というか、穴に落ちた先は異世界だったーってアリスかwしかもウサギの代わりに元親友追ってるし。完全に不思議の国のアリス的展開だな。まあ変な地獄とかじゃなくてよかった。安らげる場所で少しの安堵を感じる。
しかし、いついかなる場所でもそんな癒しを妨げる存在はいるものだ。
ガサッという音が真後ろの茂みから聞こえ、反射的に振り返る。
「誰か、そこにいるのか?」
私が茂みに向かって問いかけると、
「ほらぁアニキが物音立てるから気づかれちまったじゃねーですか」
「あぁ?お前が俺に荷物を託すからダメなんだろーがよ!おかげでちょっと動いただけでガサガサ言うんだからな」
という口喧嘩と共に、二人の男がのっそりと立ち上がった。驚いたのはその姿だ。私の周りに外国人などはいなかったので、漆黒の髪と双眸に慣れすぎてしまっていたのだろう。私から見るに遊びたい盛りの年齢ではないと思われるが、一人は金髪碧眼という女子なら誰もが一度は夢見る王子のような姿、もう一人は深紅の髪に紫の瞳というこれまたあまり見ない容貌だった。どちらにしても漫画や小説の挿絵などでイケメンに慣れてしまった私には、あまり格好いい部類には入らない顔立ちだと思ってしまった。正直なところ、この人に金髪碧眼を与えるくらいなら、神はなぜ日本全国のモテたがっている男子諸君にこの容姿を与えなかったのだろうかと思う。そんなことを思っても、どうしてそうしたのかは神のみぞ知るのだが。そしてその二人は口論を続けながら、何やら物騒なことを話していた。
「幻覚でも見てるのかと思ったが、やっぱり本物の黒髪だなぁ...おまけに目も両方黒いし、こいつなら闇市で高く売れそうだぜ!」
「やっぱりアニキはいいヤツ見つけましたなぁさすがっす!こいつを売ったらどれぐらいになるかなぁwぐふふ」
捕らぬ狸の皮算用ってか。...話し方気持ち悪っ。しかもなんか私、売られそうになってるっぽいな(苦笑)
人を売るとしたら奴隷目的か、あるいは...どっちにしろ嫌だけど。だが、こんな土地勘のないところで動き回っても道に迷って結局奴らに捕まる運命だろう。
地元だと私よりもかわいい女子なんていくらでもいるし、まさか私が誘拐されるとはこれっぽっちも思っていなかった。しかも、こっちに味方はいない。知り合いすらいないのだから。私はこうなる運命だったのか?攫われそうになっている身だというのに、不思議とドラマなどで見るような焦ったり怯えたり、という感情は私にはなかった。
それどころか、彼らの話から推測するに、こっちの世界では私のような黒髪のほうが珍しいのか?と思考を巡らせるほどだ。私、どれだけ神経図太いんだよ...思わず自虐の笑みがこぼれた。
そんなことを思っていると、また別の方向から物音がして、一人の青年が姿を現した。狩人の仲間だろうか。こちらはアイスブルーの髪に深海のような深い青色の瞳であることから察するに、やはり私の黒髪の方が特殊なようだ。そしてこの人に至っては長身でもれなくイケメン。地元なら近くにいるだけでわーきゃー言われてそうな見た目である。いい意味でも悪い意味でも。
「偵察中に強力な魔力を感じて来てみれば...」
狩人らしき二人を見据えて深みのあるなかなかのいい声でそう言うと、二人に手をかざし、呪文のようなものを唱える。
「Feroce... con fuoco」
すると彼から青色のオーラのようなものが現れ、手から赤い波動が放たれる。直後、狩人たちは炎に包まれ、断末魔のような叫び声をあげながらその場にのたうち回った。そして、しばらくすると動かなくなり、完全に燃え尽きてその場には灰だけが残った。
「綺麗なお嬢さんに手を掛けるとは、不届き物にもほどがある...せいぜい地獄で鬼女にでもあそんでもらうといいさ」
そう言い捨てると、唖然として事の顛末を見ていた私には一転して爽やかな笑顔を向け、フィンガーレスのハーフグローブをつけた手を差し伸べた。
「怪我はないかい?美しく長き黒髪を持つお嬢さん」
「あ、はい...助けていただいてありがとうございます。」
私は差し伸べられた手を取り、いつの間にか降ろしていた腰を上げた。大きくて、温かい、とても頼りがいのある手だった。
「そんなにかしこまらなくていいさ。ラフに話してくれたほうが俺の方もやりやすいしな」
そう言われてわたしは肩の力を抜く。
「じゃあそうさせてもらおうかな。」
私を助けてくれたことも含めて今までの行動から察するに、悪い人じゃなさそうだ。
あ、と目の前の青年は何かを思い出したように声を上げる。
「悪い、名乗ってなかったな。俺はオルガット・ジュライシーだ。オルガットって呼び捨てでかまわんから、楽に呼んでくれ」
突然聞き覚えのある名前が出てきて、私は驚いて「オルガット?」と疑問形で名前をオウム返しにしてしまった。穴に落ちる直前、あの青年が言っていた名前が”オルガット”だったはずだ。ということはこの人なのか?少し固まっていると、オルガットは心配そうに顔を覗き込む。
「ん?さっそく呼んでくれるのは嬉しいが、なんだ?知り合いに同名のヤツでもいたのか?」
少し的外れなことに苦笑しながら、青年が言っていた人と同一人物かを確かめるために質問を投げかける。
「そういうわけではないんだが...ところで、オルガットの知り合いに”ヴィユーク”という人はいないか?」
今度はオルガットが驚く番だった。きりっとした双眸を見開いて、驚きを露わにする。
「何でお嬢さんがその名前を?見たところ、グラン出身じゃないだろ。王都の人間以外に知ってるやつはいないと思ってたが...
ってことはまさか君が!?」
この反応はビンゴだろう。正解の人物で間違いないようだ。私はオルガットに向き直り、改めて名乗った。
「ああ。ヴィユークという人に言われて来た、神谷 凪だ。ナギと呼んでほしい。」
すると、オルガットは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに安堵したような微笑みを浮かべ、先程美しいと言った私の少しウェーブのかかった腰にまで届く長い黒髪を愛おしそうに撫でる。その眼差しは兄が弟妹に向けるような優しい眼差しだった。
「ナギ...そうか。ついに見つけたんだな、あいつは。道理で髪と瞳が漆黒なわけだ。初めて見たが、黒×黒も綺麗だな」
日本では珍しくもない黒髪を褒めちぎられ、私は少し照れてしまう。この際だから、オルガットにいろいろ聞いてみよう。
「そんなに黒髪が珍しいのか?私がいたところだと珍しくもなんともなかったんだが。」
「ああ。なんせ、黒髪黒眼はここ千年で十人にも満たないくらいしか確認されてなくてな。ナギはその記念すべき十人目だ。」
なるほど。って少なすぎないか!?単純に計算すれば百年に一人じゃないか...逆にその数字だと何か計算されてるような気がしてならないが。
ん?
「黒髪が珍しいなら、私のいたところから連れてこればたくさんいるのに、なんで私だけなんだ?」
オルガットは苦笑した。
「まあ黒髪って部分だけを重視するならな。だが、”特殊な魔力を持つ”という特徴をプラスするなら、ナギ以外には当てはまらない。」
魔力!?そんなファンタジーじみたものがこの世界にはあるのか!?しかしよくよく考えてみれば、先程オルガットも魔法のようなもので炎を操っていたか。少しだけ納得した。だが、特殊な魔力とは?
聞いてみると、魔力は誰もが持っていて、人それぞれ決まった色があるらしい。それこそ十人十色という四字熟語を具現化したようなものだ。その”魔力の色”というものが私の場合は他に見られない特殊な色だという。
「一般人だったら、黄色とか赤とか、とにかく普通の色が多いんだ。特徴としては、王家の人間やそれらに近しい人は濃いめの色らしい。俺もその一例で、深海のような青だってよく言われてるんだ。だが、どちらにせよ黒と白は絶対に存在しない。どういうわけか、白は歴史上で確認された例は一度しかなくて、黒はというと、かつて存在した”黒の英雄”だけが持つと言われている。」
英雄、か。またもやファンタジーじみた単語が...
「そしてナギの魔力の色は黒なんだ」
説明を続けていたオルガットの口からとんでもない衝撃発言が飛び出る。
「どういうことなんだ?黒い魔力は英雄だけではなかったのか?」
「詳しいことを話すには、ここだと誰が来るかわからんし、場所を移動しよう。その前に、このままナギが森の外へ出ると注目を浴びる可能性があるから、髪と瞳の色を変えさせてもらってもいいか?」
また似たような衝撃発言があったが、ここで驚いていてはこの世界で生きていけないだろう。私が了承すると、オルガットは私に手をかざしながら、
「お望みの色は?」
とご丁寧にも私の要望を聞いてくれた。まあ私には髪や瞳の色が変わった自分が想像できなかったので、お任せで、と頼んだ。
少し目をつぶって、と言われてその通りにすると、髪と目の奥に温かいものを感じた。これは、オルガットの魔力だろうか?
もういいぞ、と声をかけられて目を開けたが、感覚は前と何も変わらなかった。
こんな感じでどうだ?と差し出された鏡を覗き込むと、髪は新雪のような白髪、瞳は私の好きなアウイナイトのように鮮やかなコバルトブルーになっていた。はっきり言うと、まだ違和感しかない。だが、お任せとは言ったものの好きな色も入っているので満足ではある。まさか一生黒髪で通そうと思っていた私が十代のうちに白髪になってしまうとは。運命とはやっぱりよくわからない。いつの間にか笑顔になっていたのだろう、それに気づいたオルガットも笑って、
「気に入ってもらえたようで何よりだ。」
と言う。
「うちの家系の特徴を利用させてもらったんだ。俺の家系だと必ず髪はパステルカラーで瞳は青系の色になるんでな。ナギもそうしておけば、いざというときに”俺の妹”って言い張れるだろ?
まあ基本的にこの件の関係者以外にはそう説明してもらう手筈になっているしな。」
なんと、そこまでの配慮があったとは。
「なんか申し訳ないな、初対面なのにここまで尽くしてもらっていると...
いろいろとありがとう、オルガット!」
「なーに、そんなに感謝されることでもないさ。もとはといえばこっちの都合でナギを呼び出しちまったのが悪いんだからな...それに、これくらいはさせてもらわないと俺の気が済まないんだ。」
お礼を言われて少し照れながらオルガットはそう言うと、
「さて、もうそろそろ行くか。またさっきみたいな厄介者に絡まれるのも御免だしな。」
と先を促した。私も同感だ。あんな奴らがいるような森にはあまり長居したくはない。
「ひとまずは王宮でヴィユークと合流しよう。もうそろそろ帰ってきているはずだ。
...さて、ちょっとの間、俺に身を任せてくれ。」
そういうが早いか、オルガットは自分を囲むように大きめの円を羽根ペンのようなもので地面に書き、いきなり私を抱き寄せた。
「え、ちょっ、オルガット!?」
「しっかりつかまってろよ?途中で魔力の奔流に流されたら助けれない可能性が高いからな」
焦っている私とは裏腹に、オルガットの方はどこか楽しげだ。助けられないかもしれないという言葉を聞いて、私は躊躇いながらもオルガットに軽く抱きついた。
なんなんだ、この弱い彼女が彼氏に助けを求めるみたいなシチュエーションは...しかも相手は滅多に見ないくらいのイケメンである。普通の人ならキュンとするんだろうが、恋愛感情の乏しい私にはただ恥ずかしいという気しか浮かんでこない。
オルガットはそれを気にせず、聞いたことのあるような、だが少し違う詠唱を始めていた。
「coda:アルファリーナ宮、パライバの部屋... "Prestissimo" & "To Coda"」
そして私たちは、この世界に来た時と同じような、しかし今回は深海のような青の穴の中へ吸い込まれていった。前回とは比べ物にならないくらい安定していてスピードも出ているが。今回は異性に抱きついている状態なので、オルガットの温かさを感じていても恥ずかしい気持ちの方が勝り、眠くはならなかった。