第1話 Risky・Lady・Sophisticated(Ⅳ)
大口からの依頼を渋るとは会社のトップとしてどうなのよ、と思うが、昼行燈が二の足を踏んでいる理由が分からないわけではない。
「今回に関しては危険な匂いがしてならないんだよねぇ……」
「だーかーらーっ! それも含めての取材じゃないの! 危険な匂いなんてプシュっと消臭してやるってぇの!」
誰かが故意に情報操作しているのだとしたら、取材を続けていけばその誰かの正体を突き止められるかもしれない。犯人をしょっ引いて役所の連中に貸しを作るのもいいだろう。
「それでどうなの? 取材許可は出る? 明日から行ってもいい?」
「取材に行く前提じゃないかい、それ?」
「あったり前じゃない! ここで行かないでジャーナリストの看板を掲げてられる?」
「それだけのリスクを冒す価値が本当にあるのかい?」
「は?」
「確かに巻頭を飾るには好材料だと思うよ。でも、それだけのリスクを負って新規の購読者を獲得出来なかったらどう責任を取るつもりだい?」
カチンときたが、一呼吸ついて冷静に頭を働かせれば確かにこの昼行燈の言う事にも一理あると思えた事が、より一層悔しさに拍車をかける。
購読者数を増やせなければ利益を得る事はない。すなわちそれは我が社の経営が立ち行きならなくなる事を意味する。そして、それが意味する最悪のシナリオはアタシの収入がなくなるという事……いや、確かにそれも恐ろしい事だが、それ以上に恐ろしいのは、アタシ自身の知識欲を埋める術を失うという事だ。
どうにかしてこの昼行燈を説得できないものかと思案しているところにシンが助け船を出してくれた。
「彼の研究室というのはどこにあるんだい?」
「アタシ達が通っていた大学の敷地内にあったけど、今も残っているかは不明ね。補足しておくとユングヴィ・シュトライヒ、ユングはサヨコの元カレよ」
「なるほど、道理で詳しいわけだ」
検索不可案件の情報を多少なりとも有しているのだから、我々は他社よりも遥かに優位な立場にある。これをすっぱ抜ければ一大スクープになる事は確定だろう。それを知ってか知らずか、何事かを納得したこの無駄にIQが高い白衣メガネは昼行燈の方へと向き直る。
「編集長、取材先も近いですし、経費の削減も出来るので費用対効果は大きいですよ。新規開拓は期待薄でも記事にする価値は大いにあると思います」
言ってみるものである。
将を射るには先ず馬を射よ、とはよく言ったもので作戦は功を奏した。シンを味方につけて敷いた昼行燈包囲網からどう逃れるか見ものであるが、彼の言う『危険』というものを理解できないわけではない。
ユングの残した功績は計り知れないものであり、誰しもがその名を耳にした事があるはずだ。そんな彼の功績をまるで無かった事にするかのように、彼の詳細を検索出来なくする理由は皆目見当がつかない。彼を敵視する誰かがそれを行っていると仮定しても、それをする理由が無い。何故ならユングはもうこの世にいないのだから。
この世に居ない人物を貶める理由とは何だろうか。確かにユングはお世辞にも万人に好かれるタイプではなかった。自分に厳しく他人にも厳しい究極のストイックだった彼を疎む声はよく聞こえてきた。だがその半面、良き兄貴分としての面倒見の良さもあり、彼を慕う者に対しては無償の愛情を注いでいた。アタシ達に対してそうであったように。
ユングが生きている可能性があると言ったサヨコの目にはどこか確信めいたものがあった。彼女は何かを掴んでいる。そして、それを証明するための確証を欲しているのだろう。その確証を得るためにアタシに助力を申し出た……大方そんなところだろう。
兄同然に慕っていたアタシ達よりも深い場所で繋がっていたサヨコのためなら甘んじて利用されてやろうというものだ。
伊達にジャーナリストを名乗っているわけでも無く、それなりに修羅場を掻い潜ってきたのだから、今さら多少危険な案件に尻込みするはずもない。
「ほーら編集長。シンもこう言ってるじゃない。ね、決まり決まり!」
短くため息をついた編集長は、参りましたと言わんばかりにオフィスの白い天井を仰ぎ見ながら「くれぐれも気をつけるんだよ」と念を押しながらもようやく了承してくれた。
「ありがと、ロイスへんしゅうちょ。後はアタシに任せなさいな!」
「シンちゃん、クリスちゃん。レイアちゃんが暴走しないようにしっかり見張っといてくれるかい……」
そう言って編集長は先ほどよりも深く長い溜息をつきながら腹部をさすっていたが、まあ、承認を得られればこっちのもんであり、後はアタシの相棒の帰還を待つだけである。
「そういえばアストっちは?」
「あー、なんか呼び出されて下のサ店にいるわよ」
「ププリエに? 男一人で女子の楽園に言ったワケ?」
ププリエというのは我が社が入居している雑居ビルの一階に出店している、それはそれはオシャレなカフェの店名だ。看板メニューのバニラ、チョコ、ストロベリーの三種のアイスがトッピングされたふわふわパンケーキは絶品で、アタシやクリスも足繁く通う。
店の客層の九割は女性であり、女子会の場としては定番中の定番である。
そんな場所に到底似つかわしくもないヤツが、これまた場違いも甚だしい人物から呼び出されて何の話をしているのやら。
後で覗きに行ってやろうかしら。