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第9話 閉じられた世界の中で


 金属をハンマーで叩く甲高い音がリズミカルに鳴り響く。

 強く、弱く、速く、遅く。

 その音は何かの演奏のように耳に心地よく響いた。


「こんにちは、ドゥルーヴさん」

「なんだ、カビーアのとこの娘か。どうした、何か用か?」

 ネーハの挨拶に答えたのは初老に差し掛かった筋骨隆々の男だ。

 赤銅色の髪をバンダナで包み、無造作に生えた髭が口周りを覆っている。

 煤で汚れた顔の中で目だけが異様な光を宿していた。

 人を寄せ付けない職人気質らしい雰囲気に僕は圧倒されてしまった。


「クージャイさんのところに新しく引っ越してきた人を連れてきたの」

「ディネシュです。よろしくお願いします」

 おずおずと右手を差し出すと、硬いグリップで握り返された。


「ドゥルーヴだ。鍛冶屋をやっている。何か修理したいものがあれば、ここに持ってこい」

 職人らしい単刀直入な言葉で歓迎してくれた。

 見た目は強面だが、頼りがいのある人のようだ。


「鍬や鎌なんかが壊れたら、ここに持ち込めばいいわ。大抵のものは直してくれるから」

「どうせなら新品も買ってくれ」

 ドゥルーヴは表情も変えずにセールストークを始めた。

 単なる押し売りにしか見えなくて一瞬だけ身体が強張った。


「修理した方が安上がりじゃない」

「俺なりに工夫を施している。今のものよりはずっと使い易いはずだ」

「費用対効果としてはどうかしらね」

「むむむ……」


 簡単にネーハに手玉に取られてしまっている。

 新品を強く押さない辺り、修理ひとつ取っても職人としての誇りがあるのだろう。

 壁にかけられた新品の鍬や鎌が売れる日はあるのだろうかと、他人事ながら心配になった。


  ◇◆◇


 ドゥルーヴに別れを告げて次に向かったのは村の入り口に近い宿屋だ。

 看板には『渡り鳥の道標亭』と書かれていた。

 宿屋といっても一階は食堂と酒場を兼ねている。

 村ではほとんど唯一の憩いの場となっているのだろう。

 しかし、昼前のこの時間に宿を訪れる客はおらず閑散としていた。

 外見は少し古びているし、屋根や壁には修理の跡も多い。

 カンヌールの村の先に人が住んでいる場所はない。

 寂れた建物は最果ての村の宿を利用する人がほとんどいないことをうかがわせた。


「こんにちは、ユクタさん」

「はい、はい、今、行きますよ」


 厨房から顔を出したのはブルネットの髪を結い上げた美しい女性だ。

 少し陰があるが目鼻立ちがハッキリしていて唇の下のほくろが魅力的に見える。

 ネーハを見てぱっと花が咲くように顔がほころんだ。


「あら、ネーハちゃんじゃない。お久しぶり、元気そうじゃない」

「ユクタさんもお元気そうで何よりです」

「今日はどうしたの? こっちの彼は? ネーハちゃんの彼氏?」


 僕は何とも言えない苦笑いを返した。

 どうも娯楽に乏しいこの村ではその手の話題に飢えているようだ。


「違います。彼はクージャイさんのところに越してきたばかりで、村の案内をしているの」

「ディネシュです。よろしくお願いします」


 もう揶揄われることに慣れたのだろうか。

 ネーハは淡々と関係を否定して僕を紹介してくれた。

 苦笑いの表情を改めて右手を差し出す。

 ユクタはあらあらと言いながら濡れた手をエプロンで拭いて右手を握り返した。


「クージャイさんの牧場で働いているの?」

「はい、おじいさんの遠縁でして、街から引っ越してきました」

「それはそれは、こんな田舎でびっくりしたでしょう?」

「いえ、のど……、みなさんに良くしていただいて、ほっとしています」


 ネーハの指摘がなければ危ないところだ。

 すぐさまネーハに肘で脇腹を突かれた。

 踏み止まったのだから許して欲しい。


「ここも利用してくれると嬉しいんだけど、お酒なんて飲まないわよね?」

「落ち着いたら、ここにも顔を出しますよ」

 飲酒の習慣はなかったが、それぐらいの余裕はできるだろう。

 牧場にこもっていると他人との触れ合いがなさそうで心配になる。

「ふふっ、そのときはサービスするわ。そうだ、アーシャにも会っていって」


 ユクタは二階に向かって声をかけた。

 しばらくして掃除道具を抱えた少女が階段を下りてきた。

 肩まで伸びたブルネットにすっと通った鼻梁、深い夜の闇を思い出させる印象的な瞳。

 紛れもなくユクタの娘だろう。

 しばし見とれていたら、再び肘で脇腹を突かれた。

 どうも訓戒を刻んだ石板はすぐに行方不明になるようだ。


「あ、お客さんですか? ってネーハも一緒?」

「違うわよ。わたしは彼に村の案内をしているだけ」

「ディネシュです。クージャイさんのところにお世話になっています」

「あ、そうだったんですか。村も賑やかになりますね。私はアーシャ。この宿の、看板娘?」


 問われたところで僕には答えられない。

 困った顔をしていると、ユクタから「はいはい、そうね」との答えが返ってきた。

 掃除道具を床に置いたアーシャは両手で僕の手を握って笑いかけた。

 胸元まで引っ張り上げられた手でお互いの距離が近くなって僕はたじろいだ。


 今度は頭の中で警鐘が鳴り響いた。

 彼女の母親とネーハが後ろで見ているはずだ。

 訓戒を刻んだ石板の存在を感じて僕は冷静さを取り戻した。


「これから、よろしくお願いします」

「はい、こちらこそ」

 満面の笑みを浮かべて自然な動作で手をほどく。

 アーシャの声は心の澱を吹き飛ばすような温かなものだった。


「それじゃ、まだ村の案内が終わっていないからわたしたちは行くわね」

「あら、そうなの? たまにはゆっくり話しましょうよ」

「はいはい、いつでも話せるでしょう」

「むむっ、ネーハちゃん、私に冷たい」


 ネーハは僕の背中を押すと、不満の声も受け流して宿を出た。

 宿を出てネーハはふうっと長いため息をついた。

 仲が良さそうに見えた二人の関係にも僕の知らない何かがあるのかもしれない。

 歩き出したネーハはすぐに詫びてきた。


「ごめんなさい。アーシャのことが少し苦手で。でも、悪い子じゃないのよ」

「僕に気を遣わなくていいよ。誰にだって相性はあるさ」

「そうね。でも、狭い村だもの、あまりギクシャクしたくないわ」


 いつも真っ直ぐなネーハにしては歯切れが悪い。

 心なしか気の強さが現れている顔つきにも陰が見える。

 狭い村の中での人付き合いは望むと望まざるとに拘らず、かなり深いところまで踏み込んでしまうのだろう。


 絡まった糸を解きほぐすには時間をかけた方が良い。

 これは僕が学校で学んだ処世術だ。

 他人が事情も知らずにあれこれ言うことは、ほとんどが慰めにしかならない。

 根本的に解決するつもりがなければ、深く首を突っ込むべきではないと思い知らされた。

 手痛い失敗と共に去っていった友人のことを思い出すと、今でも胸が痛む。

 心の傷が治り切らないままじくじくと膿を出しているようだ。


 いつか彼女が悩みを相談してくれるぐらい気の置けない関係になることはあるのだろうか。

 過去の失敗を糧にできるのか。

 それとも根っこの性格が変わらない限りまた同じことを繰り返してしまうのか。

 それはこれからの僕の行動次第だ。


  ◇◆◇


「ディネシュさん、ここが最後の場所よ」


 僕の思索は唐突に終わりを迎えた。

 ネーハの先導で着いた先は小さな鐘楼を備えた教会だった。

 迷うことなくネーハは教会の扉を開ける。


「こんにちは、神父様」

「ああ、ネーハではないですか。こんにちは、今日はどうされたのです?」


 白髪混じりの黒髪を短く刈った中年の男が挨拶を返した。

 鋭い目つきは猛禽類のようで口周りと顎には薄く髭が生えた野性的な雰囲気だ。

 物静かな場に似つかわしくないたくましい体つき。

 修道服に身を包んでいても、とても神父には見えなかった。


「彼がクージャイさんのところに越してきたので村の案内を」

「ディネシュです。よろしくお願いします。神父様」

「こちらこそよろしくお願いします。私はレヤンシュと申します」


 見た目とはまるで違う丁寧な口調だ。

 脂の乗った年齢といえる彼がどうしてこんな片田舎で教会の神父をしているのか。

 少し興味が湧くと同時にそれは萎んでいった。

 誰も他人の心に土足で踏み入って欲しくはないだろう。

 僕がそうであるように。


「日曜にはここで礼拝をされているのですか?」

「みなさんと顔を合わせる数少ない機会ですから、あなたも参加してみませんか?」

「落ち着いたら顔を出させてもらいます。今はここの生活に慣れることで手一杯の有様ですが」

「最初は誰もがそうですよ。何か悩みがあればいつでも相談に来てください」


 流石に神父様は村人たちからの相談事に慣れているのか距離感が適切だ。

 通り一遍のお礼に嫌な顔ひとつせず、穏やかな笑顔を返してくれた。


「神父様、食料の備蓄が……、失礼しました。お客様でしたか?」

 礼拝堂に入ってきたのは物憂げな雰囲気をまとった美しい少女だった。

 黒曜石のようなどこまでも深い闇を思い出させる瞳。

 濡羽色の髪は後ろでまとめられてシニヨンになっている。

 質素で飾り気のないモスグリーンのワンピースに包まれている体は折れそうなほど繊細だ。


「こちらはクージャイさんの牧場に越してきたディネシュさんですよ」

「ディネシュです。よろしくお願いします」

「そうでしたか。私はガウリカ。この教会でお世話になっています」


 拒絶の意思までは感じないが、同時に何の感情の揺らぎも感じなかった。

 村の異分子である僕にもまったく興味を示さない。

 頑なに閉ざされた心を感じて差し出そうとした手を下ろしてしまう。

 彼女の美しさは人形のように外から眺める類のものだった。


「さて、これで村の案内は終わりね。そろそろ牧場に戻らないといけないんじゃない?」

 面食らって思考停止した僕の様子を察してかネーハが助け舟を出してくれた。

 ああともうんともわからない曖昧な返事を返して神父に暇乞いをする。


 帰りの道すがらネーハに料理を教えることを約束すると、僕は牧場に戻った。

 これから村で生活していくことに期待と不安が交錯する。

 それでも不安だらけだった頃よりは随分と前進している。

 足元に確かな地盤を感じて、その日の僕は心地よい眠りについた。







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