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第7話 天秤は常に傾いて


 牧場の朝は早い。

 いや、朝というかほとんど夜に近い。

 目が覚めたときには辺りはまだ真っ暗だ。

 眠い目をこすって体を起こすと、サイドテーブルに置いた籠が目に入った。

 ヴィマラのためにあつらえたベッドだ。

 籠の中にシルクのハンカチを敷いただけのものだが、ヴィマラはいたく気に入ってくれた。

 シルクの肌触りの良さがそうさせるのか、ヴィマラは気持ち良さそうに熟睡していて起きる気配がない。


 僕はヴィマラと一緒に住んで、初めて知ったことがある。

 妖精は宵っ張りの朝寝坊、ほとんど夜行性だということを。

 彼女たちが光り輝くのは暗闇の中で生きるために、進化の過程で会得した能力なのかもしれない。

 ヴィマラが特別、朝に弱いだけかもしれないが。


「なにをぶつぶつ言っておる。先に畑に行っておるぞ」

 いつまでたっても部屋から出てこない僕の様子を見におじいさんが顔をのぞかせた。

「すみません。今、行きます」

 慌てて身支度を整えて家を出た。


 おじいさんとの農作業もずいぶん慣れてきた。

 基本的に一度、教えたことは何度も教えてくれない。

 なので、おじいさんの言葉はとにかく頭に刻み込む。

 その時はわからなくても後で意味を聞けばいい。

 おじいさんは無口だが、聞かれたことに答えないほど他人との関わりを避けているわけではなかった。


 農作業は作物との対話だ。

 彼らの声なき声を聞いて手を差し伸べることで元気に育ち、実りを多くする。

 おじいさんはそんな無言のコミュニケーションを続けるうちに人との会話を忘れてしまったのかもしれない。


 日も高くなってきた頃、お腹が苦情を訴え出した。

 今日の分の作業もほとんど終わっている状態だ。

 僕は頭の上で指を組んでぐっと背伸びをした。

 強張っていた筋肉がほぐされると何とも言えない解放感を感じる。


「おはようございます、クージャイさん」

 牧場の入り口に背の高い女の子が立っていた。

 すらりと長い手足に痩せた体つきで、身長は僕とそう変わらない。

 どこか酷薄な印象を与えるのは釣り目がちなヘーゼルの瞳のせいだろうか。

 赤い髪を頭の左右で結んでいなければ、少年じゃないかと疑ったかもしれない。


「なんじゃ、カビーアのとこの娘か。何か用か?」

「ロマネスコの種は余っていませんか? 家の農場では取り扱っていなくて」

 女の子は礼儀正しく頭を下げた後、用件を切り出した。

「ふんっ、そこで待っとれ。確か納屋に残っていたはずじゃ」

 おじいさんは僕を残して納屋の方へいそいそと歩いていった。


 同年代の見知らぬ女の子と二人きりにされるのはなんだか落ち着かない気持ちになる。

 せめて紹介されるか自己紹介をしてくれれば、こんなもやもやした思いも少しは緩和されたろうに。

 僕は何気ない様子で女の子に視線を移して様子をうかがった。


 女の子は背筋をぴんと伸ばし、睨み付けるような鋭い視線を納屋の方に送っている。

 親の仇でも見るような思いつめた目つきだ。

 直前の会話からそんな関係性は感じられなかったはずだがと首を傾げた。

 おじいさんとの仲が悪いものでなければいいのだけれど。

 そんなことを考えている内に女の子の視線の矛先が変わった。

 不躾な視線を送ってしまっていただろうかと少し身構える。


「わたしのことをジロジロ見て、何か用でもあるの?」

 浴びせられた言葉は鈍いナイフで切り刻むような強い口調だった。

 僕はこめかみに指を当てて、ささくれた気持ちを切り替えた後、ファーストコンタクトからやり直してみた。


「僕はディネシュ。ティルネルの街からここに移り住んだんだ。よろしく頼むよ」

 右手を差し出して精一杯、魅力的な笑顔を浮かべる。

 これでも妹からは目立たないけどクラスで8番手ぐらいにはつけていてもおかしくはないと言われたルックスだ。

 しかし、8番手とはまた微妙な順位だと今になって気が付いた。

 クラスの人数が30人で男女が半分ずつだと、ちょうど真ん中辺りじゃないか。

 いや嘘のつけない妹の優しさを兄さんは無駄にしない。


「ネーハよ、この先の農場に住んでるわ」

 短い自己紹介が終わると、強い意志を感じさせる瞳でキッと睨まれる。

 差し出している右手が所在なく残された。

 指をくねくねと動かしながら、どう対応したものかと考える。

 それを目ざとく見つけたネーハが少し後ずさりをした。

 相変わらず鋭い目つきだが、怯えたような反応はなんだか裏腹に感じる。


 田舎の狭いコミュニティでは誰もが顔見知りだ。

 見知らぬ男がいることを警戒しているのかもしれない。

 そう考えるとネーハのそっけない態度も野生動物が威嚇しているように思えた。

 野生動物と仲良くなるにはどうしただろうかと考えてふと思いついた。

 街にいた頃、近所の痩せこけた野良猫と仲良くなったきっかけは餌をあげたことだった。


 餌付けか――。


 両親が多忙で家に残されることが多かった僕たち兄妹は必要に迫られて自然と料理が上手くなった。

 しかし、ここに来てからは毎日おじいさんの手料理を食べている。

 居候がしゃしゃり出たところでいい顔はされないだろうと遠慮をしていた。


 お近づきのしるしに街で流行っていたスイーツでも作ってご馳走するのもいいかもしれない。

 僕は料理だけでなく、お菓子作りにも手を広げていた。

 始めた切っ掛けはただ妹を喜ばせたいだけだった。

 今となっては趣味のひとつだ。

 調理器具や材料が揃っているとは言い難いが、喜んでもらえるものは作れるだろう。


「ネーハさんはロマネスコが好きなの?」

 興味本位から目の前の少女の嗜好を少し探ってみる。

 彼女に警戒心を抱かせないためにゆっくりとした動作を心掛けた。

、視線を合わせて柔らかな笑顔を作り、精一杯優し気な声で話しかけてみる。


「食べたことはないわ。家でも作ってないもの。でも、栄養があるって聞いたから……」

 消え入りそうな言葉尻。

 勝気に見えた性格からは考えられない反応だ。


「癖のない味で仄かな甘みが感じられるんだ。付け合わせになら何でも合うよ」

「あなた、食べたことがあるの?」

 つり上がったヘーゼルの瞳が大きく見開かれる。

 会話のきっかけは何でもよかった。

 相手が興味を持ってくれることが肝心だ。

 その点で意外性は人間関係で最高のスパイスとなってくれる。


「ディネシュって呼んで欲しいかな。そうだね、街ではよく見かけたからね」

「ディネシュ、さん、ロマネスコの料理を知っていたら、是非教えて欲しいのだけれど」

 ネーハの表情には困惑と警戒、そして僅かに希望の感情が混ざり合っていた。

 先ずは信頼関係を築くところから始めよう。

 僕は自分の胸を拳で軽く叩いてみせた。


「任せてよ。こう見えて料理は得意なんだ。いくつかレシピを教えるよ」

「えっ、本当!? あ、ありがとうございます」

 随分と硬い反応が返ってきた。

 まだ温かさが足りないのか、蕾も開く気配がない。

 だけど、態度を決めかねているようにその天秤は揺れている。


「その代り――」

「その代り?」

 ネーハの声が一瞬にして刺々しくなり、警戒心を露わにした。


 いい傾向だ。

 目の前にいるのは得体の知れない男。

 こちらが何を要求してくるかわからない。

 警戒して当たり前の状況だ。

 だから――。


「案内して欲しいんだ。ここに来たばかりで正直、この牧場の中しか知らなくて」

「えっ、ああ、村の案内ね。って、そんなことでいいの?」

「そんなことでもないよ。これから住む場所なんだから詳しく知っておきたいんだ」

「そうなの? いや、そうよね。わかったわ。村の案内ぐらい任せて」


 だから僕は自分の申し出に対して小さな親切を要求する。

 相手が重荷に感じない程度に。

 でも、少しだけ相手の負担は軽くする。

 天秤は常にこちら側に傾いている。常に僕が少しだけ損をするように。

 それをどう感じるかは彼女自身の問題だ。


 だって僕が欲しいのは彼女の信頼なのだから。

 それが正しいやり方なのかはわからない。

 街ではこちらが退いた分だけ居丈高に振る舞う人もいた。

 だけど、そうやってこの歳まで生きてきたのだ。

 すぐには生き方を変えられない。


 損な性格をしているねとかつての友人は指摘した。







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