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第4話 幻想と現実の狭間で


 次の日の朝、ベッドから床へ落とされて僕は目を覚ました。

 夜も明けきっておらず、部屋の中はまだ真っ暗だ。


「仕事に行くぞ。それを持ってついて来るんだ」

 足元に置かれていたのは農作業の道具だった。

 眠い目をこすりながら僕は道具を背中に担いだ。

 背負い紐が肩に食い込み、ずっしりとした重みを感じる。


「明日からは自分で起きてもらうからな」

 僕も何の覚悟もなく、ここにいるわけではない。

 多少、仕事が辛かろうと食らいついていくしかないのだ。

 おじいさんに無言で頷くと、後をついて畑に向かった。


 畑は小屋からすぐの場所だった。

 おじいさんが育てている野菜がいくつか収穫できそうな実を付けている。


「先ずはお前さんの畑を作ってもらう」

「僕の畑ですか?」

「そうだ、なにを作っても構わんぞ。だが、お前さんの食い扶持は自分で稼いでもらう」


 よっぽど不安そうな顔をしていたのかおじいさんは鼻を鳴らした。

「心配せんでもちゃんと収穫できるまでは教えてやる。なにもわからないまま放り出したりはせんぞ」


 僕は手に鍬を持たされて、なんの作物もない区画を掘り返すように指示された。

「元々、ここは畑だった場所じゃからな。土は悪くない。固い地面を掘り返せば、すぐに良い土に戻るじゃろうて」


 地面に鍬を突き立てた。

 固い地面はなかなか鍬の歯を通さない。

 しかし、何度も突き立てていると、少しずつ深くまで歯が通るようになった。


「もっとじゃ、もっと深く掘り返すんじゃ」

 おじいさんの指導の下で昼まで畑を耕し続けた。

 慣れない作業に手の皮はぼろぼろになり、腰は悲鳴を上げている。

 疲れ果てて地面に座り込んだが、同時に汗をかく心地よさも感じていた。

 こんなに一生懸命、身体を動かしたのはいつ以来だろう。


 おじいさんに呼ばれて小屋に戻ると、昼食の用意がされていた。

 硬い黒パンにチーズがひと欠片、薄い塩味の野菜のスープが全てだ。

 それでも肉体労働の後ではどんな食事も美味しく感じられた。


「パンとスープならまだある。心配せんでも逃げやせん」

 僕の食べっぷりがそんなに鬼気迫るものだったのか、おじいさんはお代わりを用意していてくれた。


 昼食が終わると、夕方まで土を耕し続けた。

 服は泥まみれとなり、下着も汗で湿って気持ち悪い。

 おじいさんは替えの服を袋に詰めて渡すと、温泉の場所を教えてくれた。

 袖を鼻に近付けて嗅いでみると、つんと汗臭い臭いが漂う。

 牧場から出なければ他人に会うこともないけれど、この臭いはひどいと顔をしかめる。

 僕は教えられた温泉までの道のりをのんびりと歩き始めた。


  ◇◆◇


 日が落ちてきて森を抜ける風が涼しさを増す。

 心地よい風だ。

 葉の揺れる音が不安に満ちた心を落ち着かせる。

 街中で暮らしている頃は市場の喧噪に身を置いていると自然と心が安らいだ。

 目まぐるしく変化する人の営みの中で、自分だけが立ち止まってその様子を眺めることが、とてつもなく贅沢に思えたのだ。

 ここは真逆の環境にも拘らず、どこか同じ感覚にとらわれる。

 木々を渡る風の音に身を任せながら僕は立ち止まって耳をすませた。


 森の奥から微かに絹を裂くような悲鳴が響いてきた。

 か細く途切れそうな声だが、確かに誰かが助けを求めている。

 僕は咄嗟に声の聞こえた方向に駆け出した。

 茂みをかき分け、声の主を探す。

 何が起こっているか自分に何ができるのか、そんな考えは頭からすっぽりと抜けていた。

 低く威嚇するような唸り声を耳が捉えて足を速める。


 目の前に飛び込んできたのは、狼とも犬とも判別のつかない動物が前足でなにかを押さえている光景だ。

 それはどう見ても背中に翅の生えた手のひらに収まりそうな小さな女の子だった。

まさか、この子は妖精なのか!?


「ね、ねえ、そこの人、助けて! お願い!」

 切羽詰った様子で妖精の女の子は助けを求めてきた。

 話しかけられて初めてこの光景が想像の産物でないことに少しほっとする。

 いやいや、そんな場合じゃなかったと僕はもう一度状況を確認した。


 低く唸り声をあげながら狼犬は僕を睨みつけた。

 全身が灰色の毛に包まれて喉元にだけ三日月のような白い毛が生えている。

 そう、狼犬には首輪はつけられていなかった。

 人に飼われたことのない野生の動物だ。

 僕とそう変わらない体躯だけに襲いかかられれば、怪我だけで済むかどうかも怪しかった。


 狼犬を刺激しないように、ゆっくりとした動きで地面から太めの枝を拾った。

「ほら、あっち行けよ!」

 狼犬の目の前で枝を何度も振ってを牽制する。

 ぶうんと風を切る音が聞こえる度に狼犬は体を強張らせた。

 狼犬は枝を避けるように妖精の拘束を解いて後ずさっていく。

 すぐにでも跳びかかれるような体勢は変わらないままだ。

 狼犬から目を離さないようにして枝を前に突き出して構えた。


「今の内だ、早く」

「ごめんなさい。アタシ、もう飛べないの……」

 妖精の女の子は今にも泣き出しそうな声で答えた。

 くしゃくしゃになって背中から千切れてしまった薄い翅が辺りに散らばっている。

 こんなになってしまっては、もうこの子は一生飛べないんじゃないか。

 そんな不安が頭の中をよぎった。


 妖精のそばに駆け寄って左手を地面に伸ばした。

「手に掴まって、逃げるよ」

 妖精の女の子は僕の意図を理解してすぐに手の中に身体を預けた。

 とても軽く身体の重さを感じさせない。

 少しひんやりとした冷たさが手を通して感じられたところで姿勢を戻した。

 そのまま襲われても対応できるように狼犬を目の端で捉えながら一歩ずつ後ろに下がる。

 狼犬は低い唸りを続けていたが、何かに気付いたように耳を立てると振り向きもせずに走り去った。


「ふう、なんとか助かったようだね」

「ありがとう、あなたは命の恩人よ!」


 手の中の妖精は顔を赤らめて、潤んだ瞳で僕を見つめる。

 大きく透き通るような青い瞳にすっと通った鼻筋は幻想的な存在をより現実離れしたものに見せた。

 腰まで伸びた光沢のある金髪は妖精が動く度に手のひらをくすぐる。

 サイズも歳も小さな女の子にも拘らず僕は落ち着かない気分になって少し落ち込んだ。


「無事……、とは言えないけど、生きていてくれて良かったよ」

「ああ、大丈夫。翅はまた生えてくるから、気にしないで」

 思っていたよりも元気そうな妖精の女の子の様子に胸をなでおろす。


「改めて初めまして、僕はディネシュ。キミは妖精なのかい?」

「そうよ、妖精に会ったのは初めて? アタシはヴィマラ、よろしくね」

「普通の人は妖精に会うことはないんじゃないかな?」

「ふうん、確かにアタシが話しかけてもみんな無視するの。ちょっと酷いと思わない?」

 妖精の姿が見えて声を聞ける人は案外少ないのかもしれない。

 僕は自分の中に眠っていた特別な力を感じて少し心が弾んだ。


「妖精と会話ができるなんて、とても光栄だよ」

「うふふ、そうかな? アタシも人間とおしゃべりすることをずっと夢見ていたの」

 どうやら好奇心旺盛なのは人間の子供に限ったことではないようだ。


「それで、おしゃべりしてみてどうだった?」

「すごくドキドキする。なんだろう、この感覚……」

 ヴィマラは自分の肩を抱きしめて首を傾げた。

「それ、あの狼犬に襲われたからじゃないの?」

「ちがーう、襲われたときはバクバクいっていたの!」

 自分の心の中を上手く表現できないのか、もどかしそうにヴィマラは腕を振り回した。


「あはは、わかったよ。それで帰るところはあるの? このままじゃ危ないから送ってあげるよ」

「うーん、アナタには助けてもらったお礼をしないと、アタシが女王様に怒られちゃう。ねえ、一緒に来てくれる?」

 妖精の女王様との肩書を聞いただけで否応なしに期待が膨らんだ。

 聖人を気取るわけじゃないけど、僕も案外俗物であることが証明されて苦笑するしかない。


「もちろん、ご招待に感謝するよ」

「それじゃあ、妖精の輪へ案内するわ!」

 ヴィマラのリクエストに応えて頭の近くまで手を持ち上げた。

 彼女は僕の癖のある黒髪の中に身体を埋めると、髪の毛を引っ張って道案内を始める。

 文字通り尻に敷かれた形となった僕は森の奥へと分け入った。







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