64 推敲
ロバの背中で揺られながら、彼はしきりに考えていた。
「推す」か「敲く」か、どちらが良いのだろう。
彼の名は賈島。唐代、幽州范陽県の出身で、今は科挙を受けるための旅の途中だ。
「僧は推す月下の門」
この句が道中の彼に閃いたのは、まさに天啓と呼ぶべきものだったが、そこからさらに、天は彼に新たな閃きを与えた。それはすなわち、
「僧は敲く月下の門」
もしやこのように改めた方が良いのではないか。この新たなる閃きを得てからというもの、彼は悩みに悩みを重ねた。
「推す」が良いのか「敲く」が良いのか。その悩みは、根っからの詩作狂いである彼にとって、苦しいが同時に幸福な悩みであった。だから彼は、没頭の余り、とある人物が彼に声を掛けていることに、最初気付かなかったのだ。
「そこの御仁」
ようやく気付いた彼が振り返ると、身なりの良い男が馬上でにこやかに笑んでいた。
「そこの御仁。さっきから何やら一人言を言っておいでるようだが、いったい何をしておられるのかな?」
「あっ、あなたは……もしや!」
馬上の人物を一目見た途端、賈島は、その人物がただ者ではないということを悟らされた。それというのも、馬上の人物は、圧倒的なまでの詩人の気を発していたからだ。同じ詩をよくする者として、賈島は馬上の人物が一流の文人であるということを直感していた。失礼を承知で名を問うてみれば、
「私は韓愈という者」
と、馬上の人物が答える。
賈島が驚くまいことか。韓愈といえば、この時代、知らぬ者とてない、文章と詩作の大家であった。
「やはり……あなたが!」
賈島は感激に震えた。そして、それと同時に、ある抑えがたい衝動を覚えたものである。先ほどからの賈島の疑問、すなわち、「僧は推す月下の門」が良いか、「僧は敲く月下の門」が良いか、この問いを目の前にいる真の詩人にぶつけてみたいという衝動である。
きっと、この韓愈殿が目の前に現れたのも、天の配剤に違いない。
気付けば賈島は、それまでの自分の悩みを、熱の込もった口調で韓愈に話していた。
「ふむ」
韓愈は思慮深げな顔で考える素振りを見せた。
「韓愈殿――」
賈島が期待に満ちた顔で尋ねる。
「推すか敲くか、いったいどちらの句が良いのでしょうか?」
この問いに対して、韓愈は圧倒的なまでの詩人の気を発しながら、ついに答えてこう言った。
「別にどっちでもいいよ」
そう言って韓愈は存分に鼻クソをほじった。