63 ある芸術論
美術の授業中、彼は微動だにしていなかった。
彼の机には画用紙が置かれている。鉛筆が置かれている。しかし、画用紙は完全な白紙のままで、鉛筆は触れられる気配もない。
他の生徒たちは、ある者はさかんに鉛筆を走らせ、またある者はすでに絵の具で色塗りに取り掛かっているという具合に、それぞれ自分の作品に没頭している様子だった。
一人、彼のみが、席に着いたまま微動だにしていなかった。
これはいったい――
「どういうつもりだ?」
美術教師が声をかけた、
美術教師は彼の席の前に立って、厳しい顔つきで彼を見下ろしている。
「どういうつもりだ? なぜ何も描こうとしない?」
美術教師の声は明らかにいらついていた。
鋭い視線がうつむく彼に向けられている。
彼はゆっくりと顔を上げ、美術教師と目を合わせると、
「嫌なんです」
一言だけ言った。
「嫌、だと?」
美術教師の顔つきが一層険しくなる。
「何が嫌なんだ? 説明してみろ」
静かだが確かな怒気をはらんだ声で美術教師が言った。
彼は語り始めた。
「嫌なんです、芸術を強制されるのが。芸術は本来自由であるべきです。芸術とは、己の魂の奥底から自然と湧き上がり、ほとばしり出るもの。決して強制されて描かされたりするものではありません。強制されて描かされる芸術、それは芸術とは呼べません。不自由は芸術から芸術性を奪う最たる元凶です。だから、僕は描かない。今は何も描きたくありません」
しばし、彼と美術教師との間に沈黙が下りた。やがてその沈黙を破ったのは、美術教師の方だった。
「言いたいことは、それだけか?」
「……」
「要するに、お前はあれか。義務としての教育のカリキュラムに、芸術が組み込まれていること自体気に食わんとでも言いたいわけか。学校で芸術を押し付けるせいで、生徒がかえって芸術嫌いになるとか、そんなことを言いたがる連中の一人なわけだ、お前は。なるほどなるほど。たいした真実の芸術家様だよ、お前は。でもな――」
「……」
「それでは単位はやれんぞ」
「……」
「話は終わりだ。さっさと制作に取り掛かれ。今回は人物画がテーマだ。今のお前に内面からほとばしり出る創作意欲とやらがあろうとなかろうと関係ない。何でもいいから人物画を描き上げるのが、今のお前に課された義務だ。わかったな? わかったよな? さあ、始めてくれ。ご立派な芸術家殿」
「……わかりました」
そして彼は見事な奴隷の絵を描いた。




