機械人形は少女の夢を知るか
「少女は機械人形の夢を見るか」の後の話
「神様を信じている?」
それはなんだったか。一体なんの事だったか。砕けた一欠片が私に問う。
私は考えるまでもなく答えていた。
「信じない。」
「サシャ?」
静かに声が降ってくる。月の光が、少し眩しい。優しい声と言うのは、きっとこういう声を言うのだろう。
「おはよう。」
「うん、おはよう。でも、今はこんばんは、かな。」
「…こんばんは?」
「うん、こんばんは。良い夜だよ。月が綺麗で。」
ガブリエーレが空を見上げて微笑んだ。大きな月は輝いて、夜闇がゆらめく。私には少し活動しづらい夜だ。
だがガブリエーレが綺麗だと感じるなら、それはきっと良いことなのだ。私はふるりと頭を振った。
「もう行く。」
「待ってサシャ。僕も行くよ?」
「何故。」
「行かない理由がないよ。」
スカイブルーが細められた。これは、困っているのだろうか。あの男とは違って、ガブリエーレは沢山の顔をする。白衣の男は、精々嗤うだけだった様な、気がする。
「二人で旅をしてるんだよ。サシャ。」
「私は一人でできる。」
「強情だなぁ。」
くすくすとガブリエーレが笑った。その手が私の頭を撫でる。ぎゅうとガブリエーレが私を抱き締めた。
「僕を守ってくれるんじゃなかったの?」
「ガブリエーレを守る。」
「じゃあ僕も行くよ。」
私は首を傾けた。よく分からない。いつも良く分からなくて結局ガブリエーレは着いてくる。私はガブリエーレを守らなくてはならないのに。ガブリエーレは安全な所で待っていてくれれば良いのに。
「ほら、行こう?」
手を引かれて歩き出す。月が私達を照らしている。
旅をするには金が必要だ。各地を転々としながら金を稼ぐには、冒険者と言う職業が一番適している。生体認証の登録さえクリアすれば、誰でも登録でき、どこでもできる職業だからだ。あとは実力さえあれば、そこそこの仕事でそこそこの金を稼げる。
私は機械人形なので生体認証はクリア出来ないが、ガブリエーレがクリア出来るので問題はなかった。今は、私はガブリエーレと言う魔法使いを守る機械人形ということだ。だから、冒険者なのはガブリエーレだけなのだ。とは言え、私の成果はガブリエーレの成果なのだから、私が一人で依頼をこなすことは別段不思議なことではない。
だと言うのに、ガブリエーレは毎度私に着いてくる。夜の森は危険だと言っても、私と一緒なら大丈夫だとよく分からない事を言う。
そして、私の事をサシャと呼ぶのだ。
知っているような、けれど知らないその言葉。ガブリエーレは“サシャ”を探すと言ったのに、転々とする旅路でそのそぶりはない。
私が新しい土地で“サシャ”を探さなくて良いのか尋ねると、きまってガブリエーレは微笑むだけだ。
「サシャ。」
ガブリエーレが私の手を引く。暖かい手。
私は“サシャ”であるのだろうか。
---残酷だね。
いつかの、男の声がした。
問いに答える術を、私は持たない。
「サシャ?」
ガブリエーレが私を見下ろしている。スカイブルーに、私の薄い体が映る。
「ガブリエーレ。」
私はガブリエーレの手を離した。なんとなく、だ。機械人形の癖に、こういったものは何なのだろう。胸の辺りが、なんとなく重い。
「魔物がいるの?」
ガブリエーレが夜の森へと視線をやる。依頼は大体魔物討伐だ。夜に来るのは、ただ私がその方が慣れているから。
私はガブリエーレの問いに答えなかった。
今は魔物の気配も感じない。だから、魔物と戦うためにガブリエーレの手を離したわけではなかった。だが、なぜ離したのかと言うのは、うまく説明できない。
だから、私は夜の森をただ歩く。後ろからガブリエーレが着いてきて、また私の手を握った。
暖かい手だ。しかし男にしては華奢な手。振りほどこうと思えば、簡単にできる。私は頭を振って、月を見上げた。
静かに二人で歩いた。繋いだ手のひらから、暖かさと鼓動を感じる。生きているのだ。ガブリエーレは生きている。
“ガブリエーレを救い出す”
唯一のインプットは為し得た。だが、ガブリエーレは言うのだ。その先は?
私は答えられなかった。私には、持ち得ない答えが多すぎる。いつかの私には答えられたのだろうか。
ただ、共にあるのならば。守らなければならない。救い出したいと言う願いは、きっと守りたかったと言う願いなのだと白衣の男は嗤って言った。君には理解できないだろう、そう嗤って言ったのだ。
ざざざ、と森がざわめく。
今度こそ私は戦うためにガブリエーレの手を離した。
「ガブリエーレ。来る。」
「うん。」
私は、すぅと息を吸う。機械人形も呼吸をする。周囲の魔力を取り込むために。
私はだん、と踏み込む。
機械人形は、速い。私は速い。人よりも、獣よりも。
影が三つ。小さい。通り抜け様に二つ捻り潰した。そしてそれを残る一つに投げ飛ばす。ぐちゃり、衝突の音。獣の雄叫び。あれは潰れた音だ、動けやしない。
影が六つ。今度は大きい。向かってきたのはそのうち四つ。残る二つはガブリエーレへと向かった。
ガブリエーレの魔法は、その身を守るに充分だ。けれど、だからと言って守らなくて良い訳ではないのだ。
向かってきた四つの息の根をまず止めなければ。腕を噛む獣は放っておく。どうせ傷はつかない。首と腹を狙ってきたやつをそれぞれ蹴り飛ばした。血を吐いて倒れたのを見てから、腕に噛みついている残り二つをびしゃんと地面に叩き付ける。一つは衝突の際私の腕を離して逃げたが、追う必要はない。
踵を返す。だんっ、と踏み込んで手を伸ばす。ガブリエーレに迫っていた二つを握り潰した。
ぼたぼたぼたと赤が散る。私は死体を集めてきて、獣の口を確認した。
「雌が六、雄が二。」
「お疲れ様、サシャ。」
獣の口を開けて牙を折る。依頼には現物確認が必要だ。それが終わって、牙を腰の皮袋へ入れれば、ガブリエーレがぐいと私を引っ張った。
光の粒子が私を包む。汚れが落ちていく。
これがガブリエーレの魔法だ。
「大丈夫?どこも痛くない?」
心配そうにガブリエーレが私を触る。薄汚れた白髪を撫でてから、ガブリエーレはその暖かい手を離した。
「どこも。…痛まない。」
胸の重さには無視をした。
「ガブリエーレ、今日は帰ろう。」
「うん。僕は良いけど…どうしたの?今日はやけに早く切り上げるね。やっぱりどこか痛むんじゃないの?」
「どこも。」
ただ、視線を感じる。明らかに獣とは違う。私達を---ガブリエーレを見ている。
じっとガブリエーレを見上げた。ガブリエーレは微笑んで、私の手を引く。
「分かったよ。今日は帰ろう。思えば、いつもがやりすぎなのかも。」
「そんなことはない。」
「今日は、月が綺麗だね。」
「…?」
「なんでもないよ。」
くすくすとガブリエーレは笑って、私の手を引いた。
雨が続いている。分厚い雲が太陽の光を遮る。視線が、途切れない。
私はガブリエーレを宿の外には出さなかった。ここ数日は依頼へも行っていない。金はまだあるけど、そろそろ行かないといけないとは思う。ガブリエーレは私が雨を嫌がっているのだと思っている。視線には気付いていないらしい。
それで良い。今日の雲は昨日より一昨日より分厚く重い。これなら、今夜の夜闇は真っ黒だろう。
視線はガブリエーレを狙っている。多分奪い返しに来たのだろう。ガブリエーレは、特別らしい。神がどうとか、あの男は言っていた、ような。
それなら、やることは一つだ。向こうも、そのつもりだろう。だから、ガブリエーレを守る。
何時もは昼に寝て夜に起きている。だが、ここ数日は夜に眠りこけた。ガブリエーレは心配している。夜通し起きて私の面倒を見たいらしかった。それでも私がガブリエーレを呼ぶと、私を抱き締めてガブリエーレは眠る。そして昼は、読書をしたり刺繍をするガブリエーレを眺めて過ごした。
私は別に体調が悪いわけではない。だが、きっとガブリエーレにはそう見えるだろう。
なぜこんなことを、と自分でも思う。ただ、なんとなくこうしなければならない気がしたのだ。あの視線を、私は知っている。ガブリエーレをあの男に会わせてはならない。ガブリエーレが、どこか遠くへ行ってしまうような気がした。
だから、一人で行くのだ。
ガブリエーレが夕食をとったのを見届けて、私達はベッドへと籠る。スカイブルーが細まって暖かい手が私の頭を撫でた。
「早く元気になってね。」
「私は元気だ。」
「うん。…おやすみ。」
「おやすみ。」
私は瞳を閉じる。ガブリエーレが私をぐいと抱き締めた。
どのくらい経っただろうか。ガブリエーレの規則正しい寝息が聞こえる。私はそっと抜け出して、ベッドの側へ立った。懐から玉を二つ取り出す。一つをガブリエーレの側へ置いた。そしてもう一つをごくりと飲み込む。異物感を残したまま食道を通り体内へと玉が移動する。私は食事をしないから、随分と久しぶりの感触だ。
「起動せよ。」
小さく呟くと、ガブリエーレの周りを薄くヴェールが具現化する。と言っても、目視できるのは起動者だけだ。これは、高価な魔道具だ。まだあの男の所へ居たときに、貴族とやらから盗ったもの。あの男が盗ってこいと言ったのに、私に持っておけと言ったもの。いつか必要になるよと男は嗤っていた。
確かにそうだ。この玉は二つで一つ。起動すれば、ヴェールが有る限り私以外はガブリエーレに触れない。危害を加えられないのだ。
解除方法は一つ。対となる玉を持つ所有者から玉を奪い取ること。私は体内に玉を取り込んだので、要は私を壊さなければ解除は不可能だ。
とは言え、起動し続けるには魔力が必要だ。私はあまりそれを持ってはないから、枯渇してしまえば玉の力は使えない。だから、今までは使ってこなかった。
しかし、今は緊急だ。ガブリエーレは眠っているから、何かが起きても易々と魔法を使えないだろう。私が側へ居ない内に何かがないとは限らない。
私はガブリエーレに手を伸ばして---ぴたりと止まる。何をしようと言うのだろうか。何がしたかったのか。問うても、答えは出ず。あるべきはずの解答を、きっと私は無くしてしまった。
---残酷だね。
男の声が響く。それでも、私には分からなかった。
宿を飛び出て走る。視線の主も理解しているはずだ。私を壊さなければガブリエーレを奪えないことに。だから追ってくるはず。
いつの間にか雨は上がっていた。しかし、雲は分厚い。充分だ。
走る。走る。数分もしない内に、夜の森へと到着する。
私は踵を返して待った。血の匂いが、する。
やがて。闇に紛れるようにして男が姿を表した。黒い髪と、コバルトブルーの瞳。憎悪と言うのは、きっとこう言うものなのだ。
ちりちりと、何かが私に告げる。
---神様を信じている?
誰だ。なんだ。白衣の男?
違う。違う!もっと前だ。前?それは一体---
「何て顔だよ、機械人形。自分は感情を理解してますってか?」
「…。」
「教会の技術ではこんなもんは作れないはずだが、裏ルートか?奴らならやりかねないな」
「…。」
「黙りかよ、まあ良い。---邪魔なんだよ!」
男がぶんと剣を振るった。夜に闇が蔓延する。教会で対峙したときの比ではない。この男は、生粋の人間だ。この前は実力を隠していたのだろうか。それとも、能力を底上げする何らかの術を持っているのか。
だん、私は踏み込む。
機械人形は速い。人より、獣より、そして魔法よりも。
「来い!機械人形っ!」
男が剣を振り上げる。私はそのまま踏み込んだ。
振り下ろされた剣を左腕で受け止める。ギャリリ、と交差した剣と機械の腕。火花が散る。
右手を男に伸ばした。スカイブルーより濃い青い目が--コバルトブルーが私を見ている。
ぶん、と剣が振るわれる。私は飛び退いて、距離をとってから重心を前へと傾けた。ちらと左腕を見る。壊れてはいない。傷付いてもないが--何か違和感を感じる。
コバルトブルーが、憎悪を押し殺してこちらを見ている。正確には、胸の辺りを。機械人形も、心臓を壊せば動けない。心臓と言っても、ほとんど機械のそれだが。
私は、何もわからぬままに口を開いていた。
「ガブリエーレは、」
黒髪の男が私の目を見る。私に向けた剣はそのままに、私の目を見つめた。
「ガブリエーレは、お前と居れば幸せなのか?」
その問いがどういう意味かは分からなかった。答えを得てどうしたいのかも。機械人形の論理では、全く分からない。
コバルトブルーが細まった。剣は依然として私の胸を---機械の心臓を狙っている。
「幸せだと言えば、お前は俺にガブリエーレを渡すのか?」
問い。ガブリエーレが幸せならば、ガブリエーレを渡すのか。機械人形として、答えは是なのかもしれない。機械人形は、誰かのためのものなのだと白衣の男は言った。誰かの幸福のためのものだと。そう言っていた、ような。
けれどガブリエーレは。二人で幸せになろうと言った。“サシャ”を探そうと。
幸福とは?“サシャ”とは?私は一体、
「はっ、酷い顔だな。…機械人形の癖して。」
「…この世界には、分からないことが多すぎる。」
「知るか。俺はガブリエーレを奪う。お前はどうする?」
「私は。」
思考する前に体が動いていた。だんっ、と深く踏み込んで黒髪の男へと肉薄する。男の魔法が私の四肢に絡まる。私は気にせず手を伸ばす。男が一歩下がった。横凪ぎの剣。左腕で受け止める。蹴り出された男の足を右手ではね除けた。よろり、傾いだ身体を突き飛ばす。どちゃりと倒れ込む男。
だんっ、再び踏み込もうとして、四肢に違和感。特に左腕。やはり、黒髪の男は何らかの術を持っているらしい。私には基本魔法は効かないはずだ。ならば、対機械人形用術式だろうか?
分からないが、今は関係ないだろう。私は男へと走る。男はもう立ち上がって、こちらに剣を向けている。しかし、突き飛ばされた拍子に足を捻ったのか、男の重心はふらふらと安定しない。コバルトブルーが憎悪を隠しきれずに歪んだ。鋭い視線。
ざわざわとざわめく。これはなんだろう。一体なんだと言うのか。やはり答えは持ち得ず。
びゅう、と。
剣が闇を溢して振り抜かれる。なんらかの術が掛けられているなら、受け止めるのは得策ではない。振り下ろされ、振り上げられ、突かれ、薙がれるその剣筋をじぃと見つめて回避する。焦れたように、男が息を吐いた。消耗が速い。術には代償があるのか。
私も違和感が大きくなっている。闇がまとわりつく度に腕を振るって拡散させるが、じりじりとその違和は増すばかり。ここいらで決着を着けるべきだ。
男がすぅ、と息を吸った。その瞬間拳を鳩尾に叩き込む。男が最後に放った剣筋を避けきれず、首もとから胸にかけてざっくりとやられた。血飛沫が舞う。
どさり、と倒れたのは黒髪の男の方だ。今の感触なら、あばらの二、三本は折れているだろう。私の拳は、体内への衝撃が大きい。いくら外を鍛えていても、体内への衝撃は人間にとっての致命傷だ。
私はぼとぼとと血を垂れ流しながら、黒髪の男に近付いた。
「…………なよ、」
「…?」
男が何事か呟いている。私は聞き取ろうとさらに側へ寄った。
「っ、ふざけんなよっ!」
叫び。びりびりと体に伝わってくる。細められた瞳。ゆらゆら揺れる悔しげなコバルトブルーの瞳。私は、どこかでこれを見たのではないか?
「なんで手加減なんかしたんだっ!機械人形の癖して!」
手加減なんかはしていない。ただ、捻り潰そうと思って手を伸ばしても、何故か出来なかっただけだ。だから、突き飛ばしたり殴り飛ばしたりした。身体の違和感がそうさせたのだと思っていた。
「お前の術のせいで、上手く身体が動かなかった。」
「嘘つけ。あれがほんとに効いてたら、お前は今頃壊れてるよ。」
「対機械人形術式ではないのか。」
「はっ、そんな大層なもんがすぐ習得できるわけないだろ。…魔力阻害を無理矢理精度引き上げて使ってただけだ。」
男はそれだけ言うと、よろよろと起き上がろうとする。私は何故か膝を着いていて、何故か男を助け起こしていた。
「…なんのつもりだ、機械人形。」
「…分からない。」
ただ、私はガブリエーレを守りたいのだ。それだけなのに、何故私は、この男を。何故私は。
何故、何故、なぜ----
「サシャ!!」
飛び込んできた声に呼び戻される。ばっと男から手を離した。どちゃりと男が地面に沈む。
「てめぇ…。」
黒髪の男の苦悶の声を無視して、踵を返す。ガブリエーレの声だ。こんな近くへ来るまで気付かなかった。
私はガブリエーレの側へ寄るべく駆けようとして、それが遅かったことを悟る。がさりと茂みから出てきたガブリエーレは、私を見て目を細めた。
「サシャ。」
低い声。初めての声だ。私はどうすれば良いか分からなくて、ガブリエーレを見つめた。
「サシャ。」
「何だ。」
「僕、今、怒ってるよ。」
「…?」
「僕はサシャに怒ってるんだ。僕を置いていったこと。勝手にサシャが一人で行ってしまったこと。」
「…。」
「おまけに怪我してるね。ここ数日の異変、サシャが言いたがらないから黙っていたけどね。僕だって馬鹿じゃないんだ。…理解できなくても言うよ。僕は君を機械人形だと認めたことはない。」
「私は機械人形だ。」
「サシャ。あのね、君はサシャだよ。」
「私はそれを知らない。」
「うん。…うん。きっと僕が捨てさせたね。だから、今から作っていくんだよ。別に、思い出してほしい訳じゃない。まあ、思い出してくれたら、嬉しいとは思うけどね。」
「…?」
「難しかったかな?とりあえず帰ろう。あ、その前に傷の手当てをしなくちゃ。」
ガブリエーレは私を引き寄せる。暖かい手。暖かい身体。光の粒子が私に降りそそぐ。傷が線になって、次第に薄れていく。
「…人の気も知らねぇで。」
ぽつり、声が落ちる。
ガブリエーレが首を傾けてそちらを見る。私は素早く動いてそれを遮った。
「見るな。」
「サシャ?どうして、」
「あの男はお前を幸せにすると言った。」
「え、僕を?」
不思議そうにガブリエーレのスカイブルーが瞬いた。ガブリエーレが私の手を引いて、男を見ようとする。私はそれに従って、ガブリエーレの横へ移動した。なんとなく、視線が下がった。ガブリエーレは行ってしまうのだろうか。
「あ、ヴィクトルじゃないか。」
「じゃないか、とは何だ!お前を追ってここまで来たのに、お前は人形に洗脳されてるんじゃないのか!」
「そんなことないよ。大体、教会でも僕の声を無視したのは君じゃないか。」
「こいつが立ち塞がるからだ!大体、サシャとは何だっ。---あいつは死んだろう!!」
黒髪の男---ヴィクトルはガブリエーレと旧知の仲らしい。
コバルトブルーが細まって、ゆらゆら揺れる。叫び声は、ガブリエーレよりむしろヴィクトルを貫いたようだった。
ふふ、とガブリエーレが笑った。優しい笑み。
「神様を信じている?」
穏やかな声だった。しかし、私の身体は硬直する。何故かは分からない。機械の身体が軋む。身体に力が入っているのだ。繋いだ手に力が籠る。ガブリエーレは痛いだろうに、全く文句を言わなかった。ただ、私を抱き締めて、髪を撫でた。
ヴィクトルをちらとみると、何のことか分からなかった様だ。怪訝そうな顔をしていると言える。
「教会にいた頃にね、良く聞かれたんだよ。信じていると言うまで、折檻が終わらなかった。」
「何の話を、」
「サシャ。神様を信じている?」
ヴィクトルの声を遮って、ガブリエーレが私に問うた。
問われて、考えるよりも前に言葉が零れ落ちた。
「信じない。」
ふふ、とガブリエーレが笑う。
「ほらね。サシャは生きてるんだ。」
「お前、何を。」
「絶望にうちひしがれる前に、考えてみれば良いよ。一緒に過ごせば、分かる筈。」
そう言って、ガブリエーレはヴィクトルに近付いていく。
「こんなところまで来て、君ももう居場所なんて無いんだよね?さあ行こう。」
「…うるせぇな、置いてけよ。」
「ここまで追いかけてきておいて、往生際が悪いなぁ。君って本当に昔から僕らが好きだね。」
「うるさい。そんなんじゃねぇ。」
「はいはい。サシャ、ごめん、手伝ってもらっても良い?」
私はこくりと頷いて、ヴィクトルを抱えあげる。傷に触らないように、横抱きにする。
「なっ、お、下ろせ!機械人形と言えども女に抱えられたくない!」
「サシャ、だよ。それに、暴れたらサシャが痛いだろう。」
「ならお前が抱えろよ!」
「いいから、ちゃんとサシャを見て。」
「…何だってんだよ。」
コバルトブルーが私をみつめた。私もコバルトブルーを見ていた。
ヴィクトルの顔が、だんだん驚きに変わっていく、ような。
「ガブリエーレ、お前これ…。」
「やっと分かった?鈍いんだからなぁ、昔から。」
ガブリエーレがくすくすと笑う。ガブリエーレはこの男を連れていこうと言った。ガブリエーレがこの男と行くのではなくて。
「ガブリエーレ。」
「うん?どうしたの、サシャ。」
「幸福か?」
スカイブルーは驚いたように瞬く。ついで、微笑んだ。
私の頭をわしゃわしゃと撫でさする。珍しい撫で方だった。
「君といれたら、僕はただそれだけで幸福だよ。」
私は、良く分からないまま俯く。機械の身体が熱を帯びた。
「…ほんと、何て顔だよ。」
ヴィクトルがため息をつく。なんとなく、そうなんとなく、そうしても良いかなと思ったので私はぱっと腕を離した。
どちゃり。
ヴィクトルの苦悶の声。
ガブリエーレの上品な笑い声が、夜の森に広がる。
「僕もね、神様なんて信じてないよ。」
目尻の涙を拭いながら、ガブリエーレは光の粒子をヴィクトルに降らせた。ぶつぶつと何か文句を言っているヴィクトルが立ち上がる。
「さあ、行こう。」
ガブリエーレが私に手を伸ばす。私は迷わずその手を取った。
そして少し考えてから、私はヴィクトルに手を伸ばす。
「ヴィクトル。」
声掛ければ、ヴィクトルは驚いたような、腹立たしいような、そんな顔をして。
---私の手を、取った。