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嵐のあと

「……破滅の呪文でも唱えるつもりか」


 会議室のセッティングから戻って来た俺が目にしたのは、近寄ってくる人間を爆破するかのような冷酷な顔で、ノートPCの画面を睨んでいる大路の姿だった。

 普段の爽やか王子様オーラなど微塵も感じさせず、ただRPGゲームのラスボスのようなドス黒いオーラを撒き散らしている。

 それでも絵になってしまうのが、この男らしいが……普段のこいつにキャーキャー言ってる女性社員達が見たら、悲鳴ものだな。

 今、俺に話しかけたら殺す──というプレッシャーをひしひしと感じるが、立場上それはできないので、そのプレッシャーを無視して声をかける。

 

「お疲れ。嫁は大丈夫か?」

「……何とか落ち着かせました。今日はそのまま早退させます。あんな奴らと今のあかりを一緒にしたくない」


 視線を画面に向けたまま、大路は俺の問いかけに答えた。感情を押し殺した冷たい声と言葉の端々にある棘。

 それだけで大きな憤りを抱えているのだとわかる。

 大路が激怒するのは当然だ。だが、問題はその矛先をどこに向けているかだ。


「お前の気持ちはわかるが、一つだけ言っておく」

「……」


 大路の目は画面を見つめたままだが、耳がぴくりと動いたので聞いていると判断して続ける。


「さっきの件で柏原さんに辛く当たるような真似だけはするなよ。彼女の言っていたことは至極当然のことだからな」

「……」


 しまった……。淡々と告げたつもりだったが、語気を強めた声になってしまった。冷静さを取り戻したはずだったが、技術営業支援課でのことが後を引いているようだ。

 柏原にしてみれば、余計なお世話かも知れないが、これだけは言わずにいられなかった。

 俺の前では能面みたいに無表情だし、感謝しても褒めても返ってくる反応はそっけない。柏原は可愛くない部下だ。そう思っていたし、今日の一件でもそれは変わらない。

 だけど、その心根は優しい。いや、優しすぎる。

 今日だって黙っておけば、大路の前で自分の好感度を上げられたはずだった。だが、あいつは敢えて自分が悪者になって姫島を庇った。

 技術営業支援課の奴らが何を言おうと平然としていても、好きな男の前であんな言葉を投げつけられて平気なはずがない。

 自分を傷つけてまで好きな男の嫁を守るなんて、普通に考えたらできない。

 それなのに柏原は姫島を守ってみせた。それも、自分が悪者になるという不器用なやり方で。バカだと思うが、それだけ真っ直ぐに大路に惚れていたのだ。

 そんな柏原を大路が責め立てるのは、絶対に許さない。


「バカにしてるんですか?」


 少しの沈黙の後、大路は不満げな表情を浮かべながら口を開いた。


「わかってますよ。そんなこと。柏原さんには感謝と申し訳ないという気持ちしかありません。それはあかりも同じです。……最年少課長様には理解して頂けないのかもしれませんが」


 俺に対する嫌味と苛立ちを滲ませた声。

 その声音から俺達をあいつらと一緒にするな──という意志がふつふつと伝わってくる。


「悪かったな」


 どうやら俺は自分の部下達を低く見てしまっていたらしい。

 ……本当にダメな上司だな。

 自分に呆れつつも、大路や姫島の柏原に対する感情が悪くなっていないことにほっとする。


「じゃあ、その不機嫌面は俺に対しての不満か? 悪かったな……不甲斐ない上司で」

「それも違います。前の課長と違って、谷崎さんはあかりの教育のことを考慮してくれていた。けれど、それを無駄にしたのは俺達だ。あかりの異動先だって……選択肢が限られた中で妊娠しているあかりに負担が少ないようにって苦心してくれていた」


 ……意外だな。

 大路の口からそんな謙虚な言葉が出てくるとは。大変だと大路に告げたつもりはないが、こいつなりに俺の苦労を察していたらしい。


「じゃあ技術営業支援課の奴らへか? 気持ちはわかるが、今は抑えろ。お前が事を荒立てたら、柏原さんの行為が台無しになる」

「……じゃない」

「何だ?」


 そうじゃないと言っているとわかったが、敢えて聞こえなかった振りをして聞き返す。


「違います。怒ってるのは、俺自身に対してです。色々任せてもらえて嬉しいって笑うあかりの言葉を額面通りに受け取って……気づいてやれなかった」


 吐き捨てるように言うと大路は乱雑にノートPCを閉じた。


「俺も今日は早退させて下さい」


 お伺いを立てつつも、ノートPCを鞄の中にしまい込み完全に帰宅モードになっている。もっとも……却下するつもりなどないが。言われなくても早退させるつもりだった。


「了解。けど、帰る前にその……破滅の呪文を唱えそうな面を何とかしろ。そんな顔で隣を歩かれたら、嫁のストレスになるしお腹の子供の胎教にも悪い」


 諭すように告げると、大路ははっとしたような表情を浮かべた。その反応から察するに、自分が魔王のような恐ろしい顔をしていると気づいていなかったらしい。


「ご忠告ありがとうございます」


 そう言うなり、大路は両手で自分の頬を強めに叩いた。パシッといい音がしたと思ったら、いつもの王子様のような爽やかな笑顔が見えた。


「もう大丈夫です」

「……だろうな」


 さっきまでの魔王もそれなりに様になっていたが、やっぱり大路にはこっちの方が似合っている。


「……谷崎さんも」


 少し考え込んだ素振りを見せた後、大路はいつもの余裕有りげな表情で口を開いた。


「俺が何だ?」

「柏原さんを苛めるのは程々にしといた方がいいですよ。……小学生男子じゃないんだから」

「はぁ?」


 ちょっと待て。

 何だ? その……俺が柏原を好き──みたいな言い草は。

 俺にとって柏原は部下の一人に過ぎない。

 俺が必要としているのは、会社で仕事をしている柏原であって、就業時間外の彼女には何の興味もない。

 そもそも、柏原が好きなのは大路だ。

 他の男に惚れているような女に興味も持つほど、俺は飢えてはいないし暇でもない。

 だが、こいつは否定したところでそれを素直に認める男ではない。ここは適当にかわしておくのが正解だ。

 だけど、惚れた男に要らぬ想像をされるのは、柏原にとって迷惑以外の何もでもない。ここは釘を刺しておく必要がある。


「お前がどう思おうが勝手だが、余計な勘ぐりで柏原さんをを侮辱するなよ」

「はいはい……余計な詮索はしませんから。大丈夫ですよ」


 わかってますよ──とでも言いたげなニヤリとした表情が癪に障るが、長引かせる気はないので敢えて無視する。

 俺をからかったことで余裕を取り戻したのか、大路はいつもの雰囲気を完全に取り戻し会社を後にした。あの様子ならもう大丈夫だろう。

 問題はまだ戻って来ないあいつらだ。

 自分の席に座り、メールをチェックしながら近くにある時計に目をやる。


「あれから1時間半ってとこか」


 全力モードの柏原に南のフォローがあれば何とかなると思うが、タイミングが悪いことにこの後、南には打ち合わせの予定が入っている。時間を作ったと言えども、複数の部署が関わるこの打ち合わせのリスケはできなかったはずだ。


「……交代がてら様子を探りに行くか」


 ノートPCを片手に立ち上がろうとしたら、見覚えのある小さな体がこちらへ向かって来た。


「谷崎課長、無事に終わりました。お時間を頂き、ありがとうございました」


 俺に対して嫌な感情しかないだろうに、自分の席に戻る前にこうして俺の席に寄り、報告する真面目さには感心する。


「いや、ご苦労様。南さんは?」

「この後、打ち合わせがあるとのことで、そちらへ向かわれました」

「そっか……」

「はい……」


 お互い言葉が続かずに静まりかえってしまう。

 この静けさは何だ? と思ったが、よく考えたら当然だった。外出やら打ち合わせで、うちの課の奴らは全員席を外していた。同じフロアにある別の部署も、今は部会で全員席を外しているようだ。

 そう言えば……こんな風に二人になるのは、あの打ち合わせの時以来だな。


「じゃあ、さっきの続きを……」

 

 この空間に気まずさを感じ取ったのか、柏原は俺に背を向け自分の席に戻ろうとした。


「柏原さんはとてもお人好しなんだね」


 せっかくだから、もう少し話をしておきたい。

 その思いから出てきた言葉は、柏原の地雷を踏むものだった。

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