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無能な上司

「申し訳ありませんでした」


 柏原の言葉に姫島は、か細い声で謝罪し頭を深く下げた。

 そして、張り詰めていた糸が切れたかのように俯いたまま、大粒の涙を流し始めた。その姿は魔女にいじめられて、悲しんでいるお姫様のように可憐で……悪い意味で絵になってしまっている。

 泣きたくなる気持ちはわかるが、最悪なタイミングだ。言い方はあれだが、柏原は正論を口にしたまでで、姫島をいじめているわけではない。

 だが、空気が完全に変わってしまっている。

 

「柏原さん。いくら何でもそんな言い方はないだろ?」

「そうだよ。それに姫島さんは妊娠しているんだぞ! まだ、不安定な時期なのに……あんな言い方して。それでも人間か?」

「何か偉そうに説教してたけど、単に姫島さんを僻んでるだけだろ? 姫島さんが自分にないものをたくさん持ってるからって……女って恐ろしいよな」


 ある男性社員の一言をきっかけに、それに続けとばかり男性社員達が騒ぎ始めた。

 懸念していたことが起ころうとしている。

 さっきまで姫島を攻撃していた女性社員達も、関係ない他人の仕事と言われたのが気に障ったのか、大路の存在に気がついたからなのか、手のひらを返したかのように男性社員達に同調しだした。


「確かにちょっと酷いわ……柏原さん。迷惑をかけられた私達でも、そこまではねぇ……。可哀想に姫島さん、震えてちゃってるじゃない」

「そうですよね……そもそも、柏原さんがきちんと引継ぎしていれば、こんなことにはならなかったかもしれないのに」

「この際、柏原さんに全部やってもらえばいいじゃない。あんな言い方するくらいだから、余裕でしょうよ。姫島さん、顔色悪いわよ。大路さんも来てくれたんだから、休憩室に連れて行ってもらったら?」


 柏原を責め立てることで、仕事のフォローができない穴埋めをしようとしている男性社員ども。

 大路にアピールするかのように、柏原を叩いて姫島を思いやる素振りを見せる女性社員ども。

 清々しいほどのクズ度合いに虫唾が走る。

 嘘くさい笑顔を振り撒き始めた女性社員達に、お前らの言葉を大路は全て聞いていたぞ──と教えたら、どんな面を見せるのだろう。

 女性社員の言うことを聞くのは癪に障るが、今の姫島がここにいても邪魔なだけだ。大路に目配せし姫島を休憩室に連れて行かせた。

 

 二人が休憩室へ行ったことで、技術営業支援課は落ち着きを取り戻した。

 だが、技術営業支援課の奴らは、聞こえるようで聞こえない微妙な音量で柏原の陰口を叩いている。

 柏原は姫島のように動揺することなく、奴らのことを平然と無視している。けれど、無責任に投げつけられた言葉達が、彼女の華奢な体を切りつけているようで痛々しかった。

 

 このバカ……。

 何も言わず黙っておけばいいものを。

 あんな言い方したら、自分が余計な責めをくらうってわからなかったのか?

 ……いや、柏原レベルの人間がわからないはずがない。

 と言うことは……わかっていた。。

 だからこそ、何を言われても毅然と振る舞っていられるのか?

 そう言えば……口を開く前に柏原は、天井を仰いで息を吐いていた。あれで覚悟を決めたのか?

 姫島に向けられた悪意を自分に向けさせるために、あんなキツいことを言ったというのか?

 だとしたら……いや、やっぱりバカだ。

 何で一番大変な思いをする奴が、一番傷つけられなきゃいけないんだ。

 だが、一番のバカは俺だ。

 俺がもっと素直に佐々木課長の要請に応えていれば、こんな面倒なことにはならなかった。

 姫島のことだってそうだ。

 もっとフォローしてやるべきだった。

 一体、上司として俺は何をしてたんだ。

 忙しい? そんなの単なる言い訳だ。忙しいと言っても、不眠不休で働いていたわけではない。

 しっかりしろ!

 今は自責の念に駆られている場合ではない。幾つもの傷を負っている柏原が動いているんだから、今の自分にできることを考えろ。


「佐々木課長、PCをお借りしていいですか?」

「ああ、好きに使ってくれ」

「失礼致します」


 柏原は佐々木課長の席を陣取り、PCを操作し始めた。


「大丈夫かな?」


 佐々木課長は柏原の隣に立ち、心配そうに何度も尋ねている。だが、柏原はそれに答えることなく険しい顔でPCの画面を見つめている。

 大丈夫なわけがない。資料をイチから作るなんて無謀だ。


「佐々木課長。データって共有ファイルに置いてあったんですよね?」

「ああ」

「だったら、社内でバックアップを取ってある可能性が高いです。今から情報システム部に連絡して、復元してもらいましょう」


 技術営業支援課がどうなろうと知ったことでは無いが、余計な傷を負ってまで資料を作ろうとするこのバカを放っておけない。


「いや、復元するよりイチから作った方がいい」

「無理だと思いますよ。それよりも情報システム部に事情を説明して対応してもらった方がいい。まあ……インシデント報告の提出は必須になるでしょうけど」

「情報システム部に迷惑をかけるわけには……」


 うちの課を巻き込んでおきながら、都合のよろしいことで。頑ななまでに動こうとしないとは……あくまでも内々に処理したいらしい。気持ちは分からないでもないが、冗談じゃない。自分で説明できないのなら、俺が最初から説明して頼んでやる。そう決めて、佐々木課長の席の内線電話の受話器を取ろうとしたら、白くて小さな手が受話器を押さえた。


「柏原さん……手をどけて」

「……」


 俺の声に反応することなく、柏原は画面を見つめている。何も言わないのなら、強引に受話器を奪うまでだと思うが、受話器は動こうとしない。

 ったく、その華奢な体の中にどれだけの力を隠し持ってやがる。


「柏原さん?」

「……大丈夫なので」


 再び呼びかけると、柏原は視線を画面から俺の方に移した。


「大丈夫って、データが残っていたってこと?」

「はい、確かに最新データはフォルダに保存していましたが、それとは別に佐々木課長には進捗報告を兼ねてデータを送っていたんです。そのメールがゴミ箱に残っていたので、そこから作成すれば何とかできます」

「よかった……さすが柏原さんだ。この調子で頼むよ」


 柏原の報告に佐々木課長は、安心しきった表情をした。ついさっきまでバカにしていた相手に対する佐々木課長の変わり身の早さにムッとしながらも、データが残っていたことに良かったと胸を撫で下ろす。だが、女性社員達の席の方から聞こえてきた「ちっ」という舌打ちが、安堵していた俺の気持ちに水を差した。その態度に苛立ちながらも、今の柏原にとってこの場所が敵だらけなのを思い出す。

 そうだ。……あいつはどこ行った?

 気配を消して見物人に徹していた奴を探すが見当たらない。市場開発課に戻って自分の仕事でもしているのだろうか。あいつを呼んだ方がよさそうだ──そう思い、携帯電話を取り出そうとしたら、ノートPCを持った奴が入ってきた。その登場に技術営業支援課の奴らが息を呑むのがわかった。

 ……凍てつくような冷たい視線で見られたら、誰でもそうなるよな。我が部下ながら恐ろしい。

 

「谷崎課長。時間を作ったので私が柏原さんのフォローをします。よろしいでしょうか?」


 よろしいでしょうか? と聞いておきながら、南は俺の返事を聞くことはなく、自分を怯えた目で見ている奴にも目もくれずに柏原の元へ向かった。


「柏原さん。私の方で印刷とか製本するから、ある程度まとまったところでメール送って」」

「ありがとうございます。よろしくお願いします。佐々木課長、お客様用が10部ですよね。これはフルカラー、フルサイズの片面で、会社用の4部はモノクロ、2in1の両面でいいですよね」

「いや、部長用は客用と同じで」

「ということは会社用3部ですね……了解です。残りの11部はお客様仕様にします。製本に決まり……あるわけないか。市場開発課でやってるのと同じようにします。あと……会議室のセッティングとか大丈夫ですか? 開始時間ピッタリに予約されてますけど……まさかそれでお客様を待たせずにプレゼンを開始できるなんて、思ってらっしゃらないですよね?」


 どこかバカにしているような物言いは、南なりの皮肉なのだろう。


「……」


 佐々木課長は何も言わない。困ったというその表情でそこまで考えていなかったのだとわかる。南は大げさにため息をついて見せた。

 南のことだ。それを見越した上で意地悪な聞き方をしたのだろう。


「だと思いました。約束の時間まで空いていたので、さっき押さえてきました。今からセッティングしておいた方がいいと思います」

「ありがとう、助かるよ。じゃあ俺はそっちに」

「ちょっと待って下さい。佐々木課長には残って頂かないと困ります。たとえ無能な上司でも資料のチェックくらいできるでしょう? 会議室のセッティングは皆さんにやってもらえばいい。さっきまで姫島さんが可哀想だ、柏原さんはひどいって責め立てた心優しき皆さんですもの。快く引き受けて下さいますよね?」


 そう言って、南は技術営業支援課の奴らの方に視線を向けた。女性社員達は眉根を寄せていたが、凍るような南の視線に負けたのか席を立った。それを合図にぞろぞろと動き出した。

 見事な仕切りっぷりに苦笑する。

 南が頼もしいのか、佐々木課長がダメすぎるのか。考えていたら南が俺の方を見た。

 

「何か……心配になってきた。谷崎課長、念のために会議室のセッティングの監督をお願いしてもいいですか? それが終われば戻って頂いて大丈夫ですので」


 表情は穏やかだが、俺を見る南の目を冷たく感じる。

 ──お前も無能な上司だ。

 そう言われている気がした。

 ──そんなことわかってるよ。痛いくらいにな。


「ああ」


 短くそう告げた後、会議室に向かった。

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