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嵐の正体

 助けてくれ──佐々木課長の穏やかでない表情と尋常じゃない慌てぶりに、思わず後ずさる。……嫌な予感しかしない。

 関わりたくない。

 心の底からそう思うが、そういうわけにもいかない。

 助けてくれと連呼されたところでどうすることもできないので、落ち着いて下さいと佐々木課長を宥めつつ事情を聞き出した。


「……で、柏原さんを貸せと?」

「ああ。お願いしたい」

「……」


 聞かなければよかった。佐々木課長の説明に思わず頭を抱えた。

 俺の予感は当たってしまっていた。

 佐々木課長の話を要約するとこうだ。

 ヤマさんの案件の客が今日の夕方に来社することになっているが、今になって姫島が資料を完成させていないことがわかった。それだけでも大問題だというのに、途中まで作成していた資料のファイルを女性社員が誤って削除してしまった。 

 だから、姫島の前任者である柏原の手を借りたい。

 ……。

 ふざけるな!!

 俺の心の声が放送されていたら、間違いなくビル中に俺の怒号が鳴り響いていることだろう。

 正直、怒鳴りつけたい気持ちで一杯だが、何とか心の中で感情を留めておく。

 たとえ、軽蔑の念しか持てない奴でも一応は先輩にあたる人だし、弱っている人間を追い詰めるのは好きではない。


「姫島さんにできるかなって尋ねても、震えるばかりでさ……参ったよ」


 何が参ったよ……だ。

 1年しか働いていない社員がそんな状況に置かれて、できると言えるわけがないだろう。


「あの……昨日までの間に進捗状況を確認されなかったんですか?」


 佐々木課長は俺の指摘に憮然とした表情を浮かべた。


「今までは何も言わなくても、ちゃんとした資料がフォルダに格納されてたんだよ」


 柏原は自動資料作成マシーンか。

 バカだとは思っていたが、これほどとは……。

 今日の夕方に客が来るとわかっていたら、遅くても前日までに一度は資料に目を通しておくべきだろう。

 佐々木課長は口が立つ男なのは認めるが、客が来る数時間前に資料を確認しようとするとは……俺の理解の範疇を超えている。


「困ったよ……姫島さんには」

「……」


 聞いた話から判断する限り、姫島にも非はある。責められるのは致し方ない面がある。

 だが、そうなる前に状況を確認するのが俺ら管理職の仕事じゃないのか?

 それに……俺、さっきあんたに言ったよな? 姫島に無理させないで下さいって。

 ついでに言うと、お前さっき柏原のことバカにしてたよな? 

 言いたいことは山のようにあるが、部下の前でこんな馬鹿げた説教などしたくない。代わりに氷のような冷たい視線を送ってみるが、この男には届いていないらしい。それどころか、事情を説明したことで安心しきった顔をしてやがる。きっと俺が快く了承するとでも思っているのだろう。

 確かに佐々木課長の判断は間違ってはいない。

 今の姫島がプレゼンまでの限られた時間の中で資料を作成できるとは思えない。

 技術営業支援課の奴らはフォローする気はないだろうし、そもそも奴らには数時間後に迫ったプレゼンの資料を一から作成するなんて能力などない。

 佐々木課長が思いつく人間の中で可能性があるとしたら、前任者として途中まで資料を作成していた柏原だろう。

 柏原に直接頼まずに、現在の上司である俺を通そうとするのも筋は通っている。

 しかし、こんな失態を俺の部下達にまでオープンにするとは……。普通はしない……と言うか管理職のプライドとしてできないだろう。

 それを敢えてしているのは、大路と柏原に聞かせるためだ。

 姫島と山路さんというキーワードを聞いて無視を決め込むには、二人はまだ若い。案の定、二人は見事に動揺している。動転しながらもこの手の駆け引きを使ってくるとは……腐っても管理職なのだと感心する。

 さて、どうしたものか。

 柏原の意思を確認しようと彼女の方に視線をやる。

 ……正直な奴。

 困惑した表情をしながらも、助けに行きたいと顔に書いている。彼女の素直さを微笑ましく思いつつも、どこか苛ついている自分がいる。

 そいつはさっきまで、お前のことをバカにしてたんだぞ。そんな奴のフォローなんてするなよ──ってヤキモチか? 

 俺が? 柏原のために? 絶対に無い、あり得ない。

 ……自分の個人的感情の考察をしている場合ではないな。課長としての判断を下さなければいけない。

 聞いてしまった以上、無視するわけにはいけない。だが、佐々木課長の要求を安易に飲むわけにもいかない。俺が快く了承しようものなら、今後も厄介ごとに巻き込まれる可能性が高い。そんなのは願い下げだ。

 そもそも……このプレゼンが成功するとは思えない。俺が客先の担当者だったら、プレゼン当日まで資料が完成していないことに気づかない相手と商談などしたくない。

 それに間に合わせることができるのか?

 資料が完成した上でポシャるならともかく、間に合わなかった場合……自分の責任だと認めつつも佐々木課長は絶対に柏原の名前を出す。そうすることで自分の責任を少しでも軽くしようとするだろう。悪人というわけではないが、佐々木課長は気の小さい男だ。

 佐々木課長がどうなろうが構わないが、こんな奴のために柏原に余計なケチがつくのは許すことができない。柏原は確かに可愛げのない部下だが、自分の意に沿わない異動を受け入れ、きちんと業務をこなしてくれている。そんな奴に上司として不誠実な真似はしたくない。


「無理ですね」

「え……」


 きっぱりと言い切った俺に佐々木課長が困惑している。いや、ここにいる全員が俺の言葉に眉をひそめている。


「技術営業支援課の問題なんだから、そっちで何とかされるべきでしょう? それに他部署の仕事を手伝う暇なんて柏原さんにはない」


 課に流れる空気を思いっきり無視して、佐々木課長に言い放つ。


「いや……うちの課も皆立て込んでるし」


 フリーズしながらも佐々木課長は俺に言い返してきた。


「だからって、技術営業支援課が前日までに確認すべきことを怠っていたツケをうちの課が払う義務なんてないと思いますけど?」


 理詰めで言い返すと、佐々木課長は大きく肩を落とし、とぼとぼと去って行った。その後ろ姿には哀愁が漂っていたが、罪悪感は全く感じなかった。

 けれど……。

 ああは言ったものの、どうしたものかと考える。

 姫島の元上司として彼女を見捨てることはできない。今回の件は佐々木課長の管理不行き届きによるところが大きいが、元上司として姫島を指導しきれなかった俺の責任もある。

 PC画面を見つめながら、どうすればいいか考えを巡らせていると、大路が動こうとする気配を感じた。

 ちょっと待て。気持ちがわかるが、ここでお前が出てきたら、あの部署での姫島の立場が悪化する。


「大路」

「はい」

「他部署の問題に首を突っ込むな。自分の仕事に集中しろ」


 そう釘を刺すと、悔しそうな顔をして自分の業務に戻っていった。

 大丈夫だから。姫島を見捨てたりはしないから……少し時間をくれ。ついでにもう一人の動揺している奴にも釘を刺しておこう。


「柏原さん」

「はい」


 返事をした柏原の声は震えていた。どうやらまだ動揺しているらしい。


「今のは課長としての俺の意見。もし柏原さんが手伝いたいなら止めない。だけど、こっちも柏原さんの実力に見合った仕事をお願いしている。今の柏原さんには、技術営業支援課の仕事を手伝う余裕なんてないはずだよね。もし、手伝う余裕があると言うなら、これから俺は柏原さんに容赦なく仕事を振るし、残業もしてもらう」 

「……っ」


 柏原は何も言わなかった。

 その代わり凄まじい顔で睨まれた。こいつが目からビームを出せる人間だったら、俺は確実に焼き殺されているだろう。

 だが、怯む気なんてない。

 断っておくが、お前を試したくて言っているのではない。こんな手段に頼らなくても柏原の実力をあぶり出してみせる。本心からそう思っている。

 だから今回の件は断って欲しい。そのために敢えて嫌な言い方をしているのだ。察してくれ。

 俺を睨みつけた後、柏原はしばらく俯いていた。

 恐らく、諦める方に自分を納得させているのだろう。念のためもう一押しするかと口を開こうとしたら、柏原がすっと顔を上げ俺の方を見た。その表情からは諦めと覚悟が滲んで見えた。

 今までに見せたことがない凛とした顔で、柏原は俺が望んでいない言葉を口にした。


「承知致しました。私を技術営業支援課に行かせて下さい」


 柏原の答えに大路がほっとした表情を浮かべた。

 ……そっちか。

 すっかり見落としていた。柏原の大路に対する気持ち。

 今更、大路相手ポイント稼ぎとは……心の中で舌打ちをする。

 まあいい。だったらこれからは思う存分、仕事を振ってやるまでだ。


「わかった。柏原さんの時間がどこまで取られるか把握しておきていから、俺も技術営業支援課に行く」


 心の中に湧いてくる苦々しい感情に蓋をして、俺は柏原と一緒に技術営業支援課に向かった。

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