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上司のプライド

 柏原が姫島に仕事を教えている。

 大路から告げられた思いもよらない事実に困惑する。


「……聞いてない」

「それはそうでしょう。谷崎さんには言ってないもん」


 この男の軽い口調はいつものことなのに、今は何故か癪にさわる。


「ふざけるな。お前らが勝手に決めていいことではない」


 そうだ……柏原の上司は俺だ。俺が知らないところで彼女の業務を増やすのは以ての外だし、社員教育など冗談じゃない。


「言っておくが、柏原さんは派遣社員だ。そして彼女の契約上の指揮命令者は俺だ。その俺が知らないところで、契約書にない業務や通常の業務に支障がでる業務をさせるとは……どういうつもりだ」


 鋭い口調で問い詰めたが、大路は飄々とした態度を崩さなかった。


「逆にお聞きしますけど、指揮命令者とやらは料金が発生していない柏原さんの時間まで管理する権利がおありなんですか?」

「……どういう意味だ?」


 大路の質問の意図が読めず聞き返すと、大路は余裕ありげな笑みを浮かべて見せた。


「ご心配なく。教えてもらってるのは昼休みですから、業務に支障はきたしていません。料金の発生していない休憩時間に何しようが、柏原さんの自由でしょう」

「確かにそうだが、彼女の昼休みを潰して業務に支障が出ないとは言い切れないだろう」


 そう返すと、大路は呆れたように笑った。


「上司のくせに柏原さんのことをわかってないんですね。彼女の仕事ぶりを見ていればわかるでしょ? 支障をきたしているように見えます? それに業務に支障をきたすなら、あかりに仕事を教えたりなんてしませんよ。上司が大嫌いでも、仕事に対して誠実なのが彼女でしょう?」

「……上司が大嫌いは余計だ」


 お前に言われなくても、そんなことくらいわかってる──そう言い返しそうになったが、この男のペースに乗るのが癪なので言葉を飲み込んだ。

 大路の言う通り、柏原は自分の業務に支障をきたさない程度にやっているのだろう。

 だが、解せない。

 どうして柏原がそこまでする?

 柏原にとって姫島は、好きな男の嫁という憎らしい存在のはずだ。そんな奴のせいで、色々と面倒な目に遭ったというのに……仕事を教える? 俺があいつなら絶対にそんな真似はしない。柏原の仕事のスキルはあいつが努力して得たものだ。それを憎らしい存在に易々と教えるなんて……真正のバカなのか? 


「何で……」

「ああ、それはですね……」


 独り言のつもりだったが、大路は質問と捉えたようで、尋ねてもいないのに事情を説明し始めた。

 大路の話によると、あの事件の翌日の朝、出社するなり柏原は大路を呼び出し「昨日は、奥様に酷いことを言って申し訳ありませんでした」と頭を下げたそうだ。それはもう、神妙な面持ちで……。


「悪いのはこっちだし、柏原さんは何も悪くないから気にしないでって何度も言ったんですけどね。それでも凄く気に病んでいたみたいだったから……だったら、あかりに仕事の仕方を教えてやって欲しいって、持ちかけてみたんです。そしたら、就業時間中や夜は無理だけど……昼休みでよければって言ってくれて。それで昼休みに柏原さんが技術営業支援課に来て、あかりに仕事を教えてくれるようになったんです」


 就業時間中や夜は無理と言うところが、柏原らしいと言えばらしいが……だからって昼休みを犠牲にする筋合いはないだろう。それに……こいつらもこいつらだ。柏原に甘え過ぎじゃないのか。

 大路が柏原の気持ちを知りながら、利用するようなゲス野郎ではないとわかっているが、苦々しいものがある。


「だからって、柏原さんに負担をかけるのはどうなんだ? 昼休みを使うなんて……働き詰めじゃないか」

「働き詰めにした張本人がよく言いますね。でも、こっちもだたでお願いしているわけじゃないですし……」

「金を払っているのか?」


 いくら契約時間外のことと言えども、金銭が絡むのであれば上司として見過ごすことはできない。


「はあ? そこまで非常識じゃないですよ。お弁当です」

「弁当?」

「はい。昼休みに技術営業支援課に来てもらう代わりに、あかりが柏原さんのお昼を準備することになっているんです。これなら問題ないでしょう?」

「それなら構わないが……柏原さんからすれば余計なお世話なんじゃないのか?」


 姫島が料理上手なのは認める。色々と面倒をかけたからと新居に招かれた際に、出してくれた料理はどれもお世辞抜きに旨かった。大路は胃袋を掴まれたのかと密かに納得したものだった。

 だからって、柏原が姫島の手作り弁当を喜んで食べるとは思えない。女心はわからないが、俺があいつだったら……傷口に塩を塗り込まれているような気分になる。


「いや、好評みたいですよ。ここ最近は昼はカップラーメン、夜は白飯なんて食生活だったそうですし」

「……それは女性としてどうなんだ」


 それでは他の男も落とせないぞ──余計なお世話だろうが、そう思わずにはいられない。年頃の女性としてあるまじき食生活なのは言うまでもないが、それを異性に隠そうとしない姿勢は問題外だ。

 だけど、柏原らしい話だと納得もしてしまう。

 あいつのプライベートは知らないが、残業を厭うくらいの仕事ぶりから、何か没頭しているものがあると踏んでいる。そのためには食を疎かにしても平気だと、あの華奢な体が物語っている──と思えるのだが、これはあくまでも俺の推察なので口にはしない。 

 

「誰かさんが仕事を増やしたせいで、料理する気力が無いんじゃないですか?」

「人聞きの悪いことを言うな。……そこまで仕事漬けしたつもりはない。単なる料理嫌いなんだろう。現に彼女より帰宅時間が遅い俺でも、野菜炒めと味噌汁くらいは作っている」 

「でしょうね」

 

 何でも俺のせいにされては溜まったもんじゃないと言い返してみたものの、あっさりと肯定されると急に柏原が気の毒に思えてきた。

 叶わない恋の相手だとしても、好きな男に料理嫌いだと思われているのは、あいつにとってはマイナスなはずだ。俺が口にしてしまった手前、ちょっとした罪悪感にかられる。一応、フォローはしておくか……。


「まあ、柏原さんは華奢だから……食にこだわりが無いんだろう」

 

 ……って、これじゃフォローになってない。華奢はともかく……食にこだわりがないって、空腹を満たされれば何でも良いと思ってる奴だって言っているのと同じだ。

 性に合わないことはするもんじゃないな。仕事以外で全く関わりのない女性部下のフォローという繊細な芸当、俺が持ち合わせているわけがない。

 こういうのは目の前にいる男の方が向いている。自分のダメさ加減に落胆しつつ、大路の方を見やると奴はニヤリと笑っている。フォローになってないですよ、とでもダメ出しされるかと思いきや、出てきたのは柏原の知らない一面だった。


「確かに華奢ですけどね……あれで結構食べるみたいですよ。俺と同じサイズのお弁当でもペロリですし……」

「はぁ? お前と同サイズって……」


 外出予定のない日に大路が手にしている弁当を頭に浮かべる。確か……大きめの二段式のものだった。南はそれを見て、一段で十分だとか言っていたような……それと同レベル?


「びっくりでしょ? しかも……とても幸せそうな顔をして食べてくれるそうですよ」

「それは意外だな……」


 幸せそうな顔で弁当を食う柏原なんて全く想像できない。無表情でカップラーメンを啜っている姿の方が容易に想像できる。


「俺も見たことがないんですけどね。だから、あかりも張り切っちゃって。最近は、俺より柏原さんのために献立を考えてるみたいで……夫としてはちょっと面白くないです」

「お前のリアクションが単調すぎるからだろ。どうせ、何食っても旨いの一言しか返してないんだろう? 他の女どもならともかく、毎日顔を合わせてる嫁からしてみれば、お前の反応なんて特別でも何でもないんだよ」

「仕方ないでしょう? 何を作っても旨いんだから」

「上司相手に惚気るなよ……」

「谷崎さん相手になんか惚気けませんよ。でも、俺も一度見てみたいかも……。かと言って俺が一緒に昼を取るのもな……。そうだ、お食事会をしましょうよ」

「食事会?」

「ええ、うちの課の面々を集めて。幹事的なことは俺がやるので、谷崎さんはスポンサーということで。課長の奢りなら、全員喜んで参加しますよ」


 大路の提案は悪くないと思う。うちの課の奴らは若手か家庭持ちなので、俺が全額負担するのも異論はない。だが……気が乗らない。


「却下。お前が選択するような店なんて……どうせバカ高い店だろ? 全員分なんて出せるか」


 と言ってみたものの、これは建前だ。主たる理由はこんな会を企画したところで、大路が見たいものは見れないから。

 断言できる。柏原は絶対に参加しない。嫌いな上司に飯を奢られるなど、あいつのプライドが許さないだろう。可愛くないと思うが、そういう筋の通ったところがあいつの良さでもある。


「谷崎課長のケチ。高級取りのくせに……」


 大路は口を尖らせて不満気な表情をして見せた。そんな顔すら絵になってしまうのだから、柏原がこの男に惚れるのも無理はない。そう考えると……いや、別に何とも思わないが?


「悔しかったら出世するんだな。ていうか、今すぐしろ。最年少課長の肩書なんてお前にくれてやる。お前の方がよっぽど似合うしな」


 冗談のような口調で返したが、本気で言っていたりする。

 最年少課長なんて面倒な肩書はさっさと捨ててしまいたい。鬼軍曹の林田さんみたいな人ならともかく、俺のような地味な人間には足枷でしかない。解放されるには新しい最年少課長を待つしか無い。

 ……と言うか、待っているのではなく、自分で育ててしまえとばかりに部下の教育を模索している。

 今のところ、それに一番近いのはこの男だと思っている。本人に自覚があるかどうかはわからないが、こいつは他人の仕事を見て盗むのが抜群に上手い。だから、敢えて色々な相手と組ませている。


「……要りませんよ。そんな面倒でダサい肩書。ただでさえ、王子って言われてウザいのに」


 俺の真意を知ってか知らずか、返ってきたのはうんざりしたような声だった。王子と呼ばれて辟易しているのはわかるが……。


「……本人の前で言うか? それ」

「谷崎さんもそう思ってるから、俺に押し付けようとしてるんでしょう? 冗談じゃない。それに俺はまだまだ……あなたと一緒に仕事をしたいんです。……じゃあ、先に戻ってるんで、資料のチェックお願いしますね」


 そう言い残し大路は足早に休憩室を去って行った。


「言い逃げか……くっ」

 

 大路の背中に呟いた後、思わず笑ってしまった。

 全く……俺の部下ときたら。

 優秀だが、生意気で、可愛げがなくて……小憎たらしいくせに、たまに可愛いことを言い出すから困る。


「ズルいよな。部下なんて成分の八割が面倒でできてるくせに、残りの二割に上司冥利なんてこっちをやる気にさせるものを含んでやがるんだから」


 きっと俺はこれからも色々な部下と会うのだろう。

 人間である以上、全員に慕われるのも好かれるのも無理だとわかっている。

 だが、俺の下で働いたことで、何か一つでもプラスになるものを得て欲しいと切に願っている。

 もちろん、俺のことを大嫌いなあいつにもだ。

 現状を思うと無理だとはわかっているが……何とかできないものか。


「仕事に戻ろう」


 意気消沈している場合ではない。柏原の業務量を増やした以上、俺もそれに相応しい仕事をする必要がある。言葉を交わせないのなら俺自身の仕事で語るしかない。

 俺が上司だったら使えない社会人になっていた──そう口にした奴からすれば、俺から学べることなんてないのかもしれない。だが、俺も言われっぱなしは性に合わない。あいつが会社を去る前に、小さな影響でもいいから与えてやる。それが上司としての俺のプライドだ。

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