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爪痕から見えるもの

「谷崎課長」

「ん?」

「昨日ご依頼頂いたデータ更新の件ですが、完了致しましたのでご確認頂けますか?」

「ああ、ありがとう」

「よろしくお願い致します」


 あれから1ヶ月。

 宣告通り、俺は柏原の業務量を大幅に増やした。

 それまでは狙ったかのように、俺が指定した納期の2時間前に完了報告をしてきた柏原だが、最近は終わったそばから報告してくるようになった。今となっては、2時間の壁どころではないのだろう。

 無理もないか……。

 俺が増やしたのは、業務量だけではない。仕事の難易度も上げている。もちろん、柏原ならできると判断した範囲内でだ。

 昨日指示したデータ更新は、複雑で手間のかかるものだ。にも関わらず、俺が思っていたよりかなり早く仕上げてきた。

 どうやら、柏原は俺が考えていた以上に力を抑えて仕事をしていたらしい。

 それでも定時時間内に仕事を終えるのが難しくなったようで、週に何度かは残業するようになった。今は少しでも残業時間を短縮させようと、それまでの倍以上の速度で仕事をこなしている。

 仕事のスピードが大幅に上がっても、そのクオリティは相変わらず高い。残業はしたくないが、そのために仕事の手を抜くような真似はしない──というのが柏原の仕事に対する矜持なのだろう。

 本当によく教育されている。

 上司としての不甲斐なさを痛感したり、最初の上司が俺だったら使えない社会人になっていたと言われたり……ヤマさんの案件事件では散々な目にあった。

 だけど、それで最小限の費用で最大限の仕事をしてくれる派遣社員を得たと思えば、悪くないと思える。

 だが、柏原の鬼気迫る雰囲気を毎日目にしていたら、そうも言っていられない。

 それまでの覇気のなさがなりを潜めた代わりに、今度は常にピリピリとした空気を纏うようになった。会社にいる時間を短くしたい気持ちはわかるが、常に全力疾走を見せられると、こっちまで息切れしそうになる。

 たまにはゆっくり歩けと言いたくなるが、俺がそんなことを言うと柏原は反発して、余計に猛ダッシュする気がするので今は口を噤んでいる。


 相変わらず、柏原とは仕事以外の話は一切していない。

 大路と南といった俺以外の課の奴とは、時々にこやかに雑談してるのを見かけるが、俺に対しては一貫して「仕事以外で一切話しかけるな」というオーラを出してくる。

 だから、ヤマさんの案件の顛末も直接は話していない。まあ、社内的にもニュースになったことだし、南からは聞かされているだろうから知ってはいるだろう。

 結論から話すと、ヤマさんの案件は成約した。

 だが、それでめでたしめでたし……とはいかなかった。と言うより、俺がそうさせなかった。

 今回の件は姫島に非がある。だが、商談当日まで資料が出来ていないことを把握していなかった佐々木課長の責任も重い。それに姫島に余計な仕事を押し付けていた女性社員達にも問題がある。

 佐々木課長が今回の騒動をきっかけに課の運営方法を見直すのであれば、俺も今回の件は内々に対応しようとしていた。だが、受注獲得できたことで佐々木課長は今回の件をなかったことにしようと動き出した。佐々木課長の気持ちはわからないでもないが、姫島の元上司で柏原の現上司としては見過ごせなかった。

 部長に掛け合うことも考えたが、あれも面倒ごとを嫌うタイプの人間だ。言ったところで「成約できたのだからいいだろう」と曖昧にされると目に見えていた。

 そこで俺がとったのは、柏原が派遣社員だという事実を逆手にとって、人事部に「自分の部署の派遣社員が別の部署の仕事を手伝ったので、その時間分の費用をその部署に振りたいが、どうすればいいか」と素知らぬ顔して尋ねることだった。

 それが人事部でちょっとした問題になった。当然だろう……派遣社員に契約部署以外の仕事をさせるのは、労働派遣契約違反になるはずだ。

 それから、後々問題になっては困るからと事情説明を求められた。

 狙い通りとばかりに、俺は状況を洗いざらい話した。その話が人事部門のトップの役員から営業部門の役員の耳に入り、急遽人事異動が行われることになったというわけだ。

 来月の1日付けで、佐々木課長は岡山支社に異動となり、代わりに岡山支社で技術営業をしていた林田さんという人が技術営業支援課を率いることになった。

 佐々木課長には左遷人事となり、面白くない思いをしているだろうと思いきや、元々岡山から単身赴任していたらしく、今回の人事異動を好意的に捉えているようだ。こういう配慮をするところが、うちの会社のダメでいいところでもある。

 問題は来月からの技術営業支援課だ。

 佐々木課長の後任の林田さんは俺の3年先輩にあたる人で、俺が課長に昇任するまではこの人が最年少課長だった。

 優秀な人なのは言うまでもないが、鬼軍曹という言葉がとても似合う人で社内で恐れられている人でもある。そんな人に新卒の俺の指導係を命じた当時の上司には……恨みと感謝の気持ちで一杯だ。

 まあ、鬼と言っても誰彼構わず怒鳴り散らすような人ではないが、ふざけた真似をする奴には容赦ない。仕事中にゲームの攻略法を調べたり、無駄に会社にいて残業申請しようものなら……血の雨が降るだろう。会社の未来を考えるとこれで良かったと思うが……。


「大丈夫ですか?」

「えっ?」


 不意に声をかけられ、ビクッとする。


「コーヒー……かなり氷溶けてるみたいですけど?」


 そう声をかけられ、手にしていた紙コップに視線を向けた。なるほど、氷が溶けているだけでなく、紙コップが水滴だらけだ。こんなに氷が溶けていたら、濃い目のブラックにした意味がない。美味くはなさそうだが、このままにしておいてもしょうがないので紙コップの中身を一気に呷る。喉に流し込んだコーヒーの味は予想通りの残念なものだった。

 どうやら、思考にふけってしまっていたらしい。大路が休憩室に来ていたことにも気づかなかった。


「平気だ。単にぼうっとしていただけだ」

「なら、いいですけど……。あっ、そうだ明日の役員レビュー用の資料を机の上に置いておいたので、確認して頂けますか」

「ああ、戻ったら目を通すようにする」


 そう返すと目の前の男は爽やかな笑みを浮かべた。


「お願いします。それにしても……珍しいですね」

「何がだ」

「谷崎さんがぼうっとするって、それに浮かない顔しちゃって。でかい案件取れそうなのにそんな顔してたら逃しちゃいますよ。何か心配ごとでも……柏原さん絡みの悩みとか? 嫌われてますもんねー谷崎さんが悪いけど」


 上司に向かってさらりと失礼なことを言いやがる。全く……俺の部下達は有能だが、可愛くない奴らばかりだ。唯一可愛げがあった部下は、異動してしまってもういない。


「勝手に人の心の中を創作するな。来月のことを考えていただけだ」

「ああ、林田さんか。確かに……技術営業として頼もしいけど、その分営業への要求も半端ないですからね。でも、やることちゃんとやってれば、問題ないでしょう」

「別にうちの課のことは心配してない。って言うか……お前は心配じゃないのか? 嫁の新しい上司になる人だぞ」


 そう、俺の気がかりは姫島のことだ。俺のような不甲斐ない上司や佐々木課長のような自分にも他人にも甘い上司とは違って、林田さんは自分にも他人にも厳しい。面倒見はいいが、ある程度やってできないと判断した人間は、見切ってしまうドライさも持ち合わせている。そんな人の下で姫島がやっていける気がしない。しかも、姫島は妊娠している身だ。元上司として雷を落とされる覚悟で、姫島の事情を林田さん説明しておく必要があるかもしれない。


「何だ……あかりのことか。それならご心配なく」


 あっけらかんとした大路の言い方に眉をひそめる。


「わかってるのか? あの林田さんだぞ」

「鬼軍曹でしょ? わかってますって。俺だって新人の頃に色々やらかして、何度も雷を落とされましたもん」

「だったら何だ? その余裕は」


 解せない。

 こいつの飄々とした態度が。もしかして一周回って開き直っているのか?


「それは……ちょっと話を逸しますけど、あかりがメールで送ってくるマーケティングデータ、最近見やすくなってません?」


 大路に聞かれ、頭の中に姫島から送られてくるデータを思い浮かべてみた。言われてみれば……今までは、送られてきたデータを見やすくするように加工していたが、最近はしていない。


「……なってる。だが……それが何だって言うんだ?」


 確かに大路の言う通りだ。意味がわからず問いただすと、大路は嬉しそうに口角を上げて見せた。


「谷崎さんのお墨付きゲット。さすが柏原さんだ」

「……ちょっと待て。何でそこで柏原さんが出てくる?」

「あかりは今、柏原さんに仕事を教わっているんです」


 大路の言葉に俺の思考回路が停止した。

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