異世界転移したよ! 外伝
オレの時間はあの日から止まったままだ、騎士団の兵士だったオレは山賊の被害事案の処理を終え、報告書の山を片付けていた。
上司の計らいで生まれたばかりの娘に顔を忘れられぬ様に早目の帰宅を許され、商店街で子供の手遊び玩具の木の兎を買い求め家路を急いでいた、また妻に叱られる事を覚悟しながらも足取りは軽かった気がする。
家に帰り着いた時に戸は開いていた気がする、几帳面な妻の磨く床に何時もは見られない赤黒い水溜りが出来ていて、水溜りの中心に助けを求める様に妻の手が差し出されていた気がした。
そこからの記憶は曖昧になっている、騎士団が駆けつけて山狩まで行ってくれたらしい、騎士団の身内を傷付けると鬼が出ると言う格言がある様にエンガル周辺は鬼の騎士団が闊歩する事により山賊の壊滅とギルドの協力により危険モンスターの壊滅が同時に成された。
その結果もたらされた情報は娘は行方不明、凶器は斧、これだけだった。
そしてオレの時間は止まった。
床に染み付いた赤黒い染みはそのままにしてある、憎しみを忘れぬ為に名前をアレックスからアックス(斧)に変えた、騎士団を退団してハンターギルドに登録をした。
ハンターギルドの中でも特殊であるバウンティハンターの資格を取り人を遠ざけた、騎士団所属五年以上、騎士団長の推薦状は問題無くクリアしていたのでバウンティハンターの資格はあっさりと取れた。
通常町中でバウンティハンターが歩いていると人々から忌み嫌われ石の一つでも飛んで来るものだが、この町はのんびりした奴が多いらしくおれに子供を抱かせると強い子になると言う迷信を割りと本気で信じていて子供を抱えた母親がエンガルギルドに列を作るのが度々見受けられた。
この町にいると研いだ牙が丸くなる、家に帰りいつものように赤黒い染みに語りかけると赤黒い染みの中から妻の白い手の甲が助けを求める様に浮かび上がって来る、気を張り、精神を研ぎ澄まし、依頼のあったバカ共の首を跳ね飛ばす。
「お前らの身内で斧を使う腐れたバカは居ないか? 教えてくれたら見逃してやる」
俺の見え透いた嘘に乗ってくるバカと売られたバカの両方の首を刈る事の繰り返し、いつしかバウンティハンターだけが着用する黒い作業服と背中に斧の刺繍がある奴には地下ギルドから賞金がかけられる事になった、探す手間が省けて大した楽になったものだ。
ある日エンガルの町の数少ない飲み屋で深夜の閑散とした中で酒を飲んでいるとずぶ濡れの女の子が一人転がり込んで来た、話を聞いたらキタミスの町から父親の使いで来たらしい、父親の遺言でこの町に住むらしい奴に手紙を配達に来たのだが初めての遠出で素人丸出しの準備でここまで歩いて来て随分酷い目にあったらしいが呑気にニコニコと笑っていた。
「嬢ちゃん早く着替えないと風邪引くぜ、宿屋を紹介されてここに来たんだろ? 早く着替えて温かい物でも食いな」
この年頃の子供を見ると娘にだぶらせてしまい、ついお節介が出ちまう、何故か妻にもイメージがかぶっちまう、今日は飲み過ぎだ……
「何? 着替えも全部ずぶ濡れだ? 背嚢の防水をしてないのか? ああああ、もういい、この上着を貸してやる、お前さんの背丈ならワンピースになるだろう? 洗ったばかりだから臭わねえよ! いいから着替えて来い! 背嚢の防水もついでにやってやるから中身を空にして持って来いよ!」
マスターがニヤニヤしながらこちらを見てる、お節介で悪かったな、いいから嬢ちゃんに食わせるうどんでも作って来い!
「いいか、嬢ちゃん背嚢はなキャンバス生地で丈夫だが水を通しやすいんだ、だから上からロウソクを垂らしてすり込むんだこうやってな」
最初は警戒していた嬢ちゃんもふんふんと関心しながらおれの豆知識を聞いている、警戒心が解けるとうどんを啜りながら喋るわ喋るわ、だが不思議とこの声は懐かしかった、大半は父親の優しさや、父親への感謝の話だったが、人探しの依頼をギルドに依頼する方法になった。
父親から託された手紙と品物は肌身離さず持っているらしい、オレが貸した作業着の胸元から託された品物を取り出した時にオレの時間は動き出した。
取り出した赤ん坊の産着には、赤い文字で「エリー、君の笑顔の為に」と刺繍が施してあった。
そうか、この声は懐かしいはずだ、この声は妻の声だった。
キタミスか……馬で二日の距離じゃねえかよ……そんな距離にいやがったのか……
「嬢ちゃん、オレはもう眠たいから帰るわな、それと、頼みがあるんだがな……おかえりなさいって行ってくれないか?」
訝しがるように、だが優しげに、妻の声でその言葉を聞いて店を出る。
「たはは……しまらねえな……チクショウ」
帰り道、止み始めた雨、まるで時間が動き出した様に雲が晴れて行く、雲の切れ間からあの日に見た月明かりが差す、いつのまにか涙がポロポロと溢れてくる、オレの手は悪党の血で汚れている、悪党とは言え何人の首を切り飛ばしたんだろうなあ、エリーが父親を褒める度に、あいつが父親を懐かしむ度に、おれは殺したくなるんだろうなあ。
「チクショウ、チクショウ、抱きしめたかったよう、頭を撫でたかったよう、こんな汚い手で出来るわけ無いよなあ、チクショウ、チクショウ、笑顔が可愛かったなあ……」
家に帰り着き赤黒い染みの上、いつものように手が浮かび上がる、あの日以来初めて妻の手が助けを求める手では無くオレを助ける様に手のひらを上に上げていた。
「エリーの笑顔の為オレに出来る事は、鬼になる事じゃなかったんだなあ、お前は最初から教えてくれてたんだなあ」
おれは斧を首に当てて思い切り引いた。
妻の優しい手がおれの頬を撫でてくれた。
「エリー、お前の笑顔の為に……」