二話 美味いメロン
うーまいメロン、うーめろん。うーまいメロン、うーめろん。うーまいメロン、うーめろん。うーまいメロン、うーめ――
気付いたら頭の中が侵されていた。
『うーまいメロン、うーめろん!』
メイリンの部屋から、再び洗脳音声が響く。もう我慢できない。
次の洗脳音まで恐らく三十秒。急がなければいけない。
「メイリン、その変な音を止めろ!」
叫びながら廊下を歩き、メイリンの部屋の戸を開ける。同時に『うーまいメロ――』と鳴ったが、途中で消された。
「変な音とは失礼アルな」
机の前に座ったメイリンが抗議の目を向ける。心外だという目と、信じられないという目。
「どこのメロンのCMなんだ? それは」
ここで強気に出ても平行線だと諦めて、友好的な手段でいく。まずは音声の正体を探ろう。
「CMじゃないアル。自前アル」
自前ってどういうことだよ。まさか巷で話題の音声加工ソフトでわざわざ作ったのかよ。ていうかそのソフト買う金はどこから出てきたんだよ。
内心に吹き荒れる暴風を抑えて、笑顔で訊ねる。
「なんのために……?」
メイリンは俺の問いに目を輝かせ「よくぞ言ってくれたアル!」と叫ぶ。嫌な予感しかしない。
「世界はうーめろんによって支配されて――」
「待った」
これはオカルト雑誌『ズー』に影響されたのかもしれない。元々頭のおかしい奴だとは思っていたが、まさかここまで意味不明な陰謀論が飛び出すとは思わなかった。
疑問の眼差しを向けてくるメイリンに「なんでメロンに世界が支配されるんだよ」と言う。問いというよりは嘆きに近い。
しかし、その心中をあざ笑うように、メイリンは再び目を輝かせる。
「正確には『うーめろん』ではなく『うーめ』によって支配されてるアル。そのうーめが支配しているという理論をうーめろん、即ち『うーめ論』と言うアルよ」
メロンですらなくなってしまった。
「それ、メロンじゃなくて梅じゃん。梅論じゃん」
俺の言葉にメイリンが唸り出す。気付いていなかったらしい。
「だが……。だが、それではダメなのだ」
一分ほども悩んでいたメイリンが呟く。この子が『アル』を付けない喋り方をするのは何年ぶりだろうと考え、毎朝のように「おはよう」で聞いていると気付く。
「梅論では洗脳できない。『うーまいメロン、うーめろん』だから洗脳できる……アル」
最早どちらが陰謀を企てているのか分からない。というか、俺が第一の被害者じゃないか。
「なんで洗脳する必要があるんだよ」
もう会話をやめたいと思いつつ、変な電波を発し始めたらまずいと思って訊ねる。
「世界がうーめに支配されているのは紛れもない事実アル。でも、誰もその現実を直視しようとしないアルよ。みんな、頭がおかしいと笑うだけで、誰一人真剣に考えようとしないアル。だから……、だから我は、そういう者たちにうーめの真実と脅威を教えなければならないアル」
今にも泣き出しそうな声に応援したくなってしまうが、そもそも『うーめ』が意味不明な時点で、いやそれ以前に何がしかの陰謀によって世界が支配されているというところから、その考えは破綻している。
心を鬼にして、メイリンに真実を告げる。
「『うーめ』の陰謀論なんてありえない」
俺の言葉に、メイリンが「やっぱり理解しようとしない」と小さく呟く。その声は落胆と失望のそれに近い。
そして、子供をあやすような目でこちらを見た。
「だが、これだけは言っておくアル。うーめは陰謀ではなく、真理アルよ。誰かが支配しようと企んでいるわけではなく、そもそも世界が始まった瞬間から、うーめに縛られているアル」
その言葉で、似たような話を思い出す。
再び諦めの表情を浮かべているメイリンに、それを問う。
「それはアレか? 『全て決められているから仕方ない』とかいう、そんな理屈か?」
暗かった表情が一転し、明るくなる。
「思い出したアルか!? そうか、それでこそ我が兄でアル!」
選択を間違えた。今のはそのままフェードアウトするのが正解だったらしい。
嬉々として語り始めたメイリンを前にして、俺にできることは「さっきの語尾おかしくなかった?」と考えることくらいだった。
疲労感を紛らわせるためにテレビをつける。
『さぁみんな! ちびまるこさんの時間だよ!』
焦って時計を見る。何故か短針が六の文字を指していた。
「俺の貴重な休日が……」
思わず声が漏れてしまう。何時間メイリンの話を聞いていたのだろうか。いや、それより前も洗脳音声のせいで何もできていなかった。貴重な日曜日の昼間が丸々潰れたと言っても過言ではない。
どっと疲れが溢れ出す。明日が月曜日だと思うと、その疲れが何倍にも増す。あと三十分経てば、『シジミさん』の放送が始まる魔の時間になるが、この状況でシジミさん症候群を発症すれば、命が持たない。
ここは焼肉でも食べて元気を出そう。
「焼肉食いに行くか~?」
残った力を振り絞って、メイリンに聞く。「行くアル!」と叫ぶ声が聞こえたのは、言い終えてからコンマ五秒ほどだった。