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あの日、花梨ちゃんは玲一さんに運ばれていき、私は総一郎さんに連れられて横田家の別荘の一つへと連れてこられた。
「有栖川の方には私から連絡しましたので、色々と納まるまでこちらでのんびりしてください」
「ええと、検査とか、大丈夫なんですか?」
力が暴走するなんてことは、今回が初めての事だった。だから、当たり前のように検査室へ閉じこめられて、暫くそこから出られないと思っていた。
「検査室に幽閉されたいのですか?」
総一郎さんは口元をゆるめて、私を見ていた。
「総一郎さん、意地悪」
私の答えを知っているのに、そんなこと聞くなんて酷い。
私は頬をふくらませた。
「こんな可愛らしい小鳥を、検査室という篭に閉じこめておくなんて、残酷すぎて出来ませんよ」
総一郎さんの私にだけ向けられる、独特の言い回しがくすぐったかった。
「この屋敷に居てくだされば、自由に過ごしてください。必要なものがあったら、屋敷のものに伝えてください」
「総一郎さんや、弓弦くんに直接連絡してはダメなんですか?」
知らない人に話しかけるのは苦手。恭しく対応されるのはもっと苦手だから、知っている人に直接伝えたい。
「携帯を出していただけますか?」
真剣な声音の総一郎さん。穏やかな総一郎さんが、こういう声をするときは何も考えずに従う。
私は、ポケットから携帯電話を取り出し、総一郎さんへ差し出した。
「これはしばらく、預かっておきますね」
「……はい」
GPS機能はやっかいだと、前に総一郎さんや弓弦くんが話しているのを聞いたことがあった。私はそのGPSというのが何なのかさっぱりわからないけれど、たぶん良くないものなのだろう。
今度花梨ちゃんに聞いたら、答えてくれるかな? と、思ってすぐに、もう一度花梨ちゃんに会えるのか、わからないことに思い当たった。
「私、また、花梨ちゃんに会えるのかな」
言葉と一緒に、涙がぽとりと一粒落ちて、カーペットをぬらした。
総一郎さんは驚いたように、私を見ていた。
「花梨さんの事を本当に好きなんですね」
私を安心させるように優しく微笑む、そんな総一郎さんにほっとした。
「だって、生まれて初めての同性のお友達だし」
私の周りには常に人はいたけれど、女の子はいなかった。愛子さんは同性だけど、お友達という感じではなかった。
お姉さん、というか……綺麗だけど、少し冷たい印象の人。その印象がますます愛子さんの美しさを際立てていた。
「愛子は、貴女のお友達には向いてなかったですからね」
苦笑いを浮かべた。姉といえども、立場上、総一郎さんの方が偉い。愛子さんを姉さんと呼んでいたのは、末っ子の拓海くんだけ。
それは出会った頃……20年近く前からずっとそうだった。愛子さんは横田家の長女だけれども、玲一さんや総一郎さんの方が優遇されていたように思えた。
そして、愛子さんは私にはとても冷たかった。
「あの人も不器用ですからね、早紀さんもずいぶん悲しい思いをしたでしょう」
「いえ」
「けれど、あの人もあの人でとても苦労をしていたのですよ」
世間知らずの私には、愛子さんがどんな苦労をしていたのかは、わからない。けれど、優秀な双子の弟に両親が愛情を注いでいるのを間近で見たら、悲しいかもしれない。
空気の重たさに、言葉の代わりに溜息が漏れた。
「すみませんね、我が家の事情に巻き込んでばかりで」
横田グループの支援を受けることで、有栖川家は力を得た。その対価に、私を横田グループで『管理』するという名目で、私は自由を得た。
そう考えると、巻き込まれたというのはしっくり来なかった。
「私は、総一郎さんや玲一さんに助けてもらいました。あの、白く四角い部屋から」
私にとって総一郎さんと玲一さんは救世主だった。
「もう二度と、あのような部屋に入る必要はありませんよ」
総一郎さんは微笑むと、ポケットからスマートフォンを出した。
「どうやら、花梨さんは意識を取り戻したようですよ」
「よかった……」
花梨ちゃんは、特別な人たちに囲まれている私をやっかんだりしないで、私の側にいてくれた。
私の側にいることで、横田グループと繋がれるとか、各界の大物と繋がれるとか、そう言う損得勘定なしで、いてくれた初めての女の子だった。
「花梨さんに嫉妬してしまいそうですね」
総一郎さんは苦笑いを浮かべていた。私はその笑みの意味がわからず首を傾げると「あなたにはその意味、わからなくていいですよ」と言って、私の頭を撫でた。
「では先ほど言ったように、何かあれば屋敷のものに伝えてください」
そう言って、総一郎さんは私の横を通り過ぎていった。
私は知らない部屋に、ぽつんと残された。
寂しくないと言ったら嘘になるけれど、昔よりは全然心が軽い。総一郎さん達が動いているのなら、私は暫くしたらここから出られるのだと、確信していた。
今までだって、何度も何度も守ってもらえたから。
花梨ちゃんに会えるかは、ここを出てから考えよう。考えてもわからない事は、考えない方が良いと、弓弦くんに耳にタコが出来るほど聞かされたから。
私は深呼吸をした。
横田家の別荘では、何不自由のない生活を与えられた。ただし、外界との接触は許されず、時折現れる拓海くんや弓弦くん、総一郎さん達から話を聞くだけだった。
そのおかげで退屈しないで、私は過ごしていた。
ある日、思いがけない人が、私の元へやってきた。
カツカツと言うヒールの音を廊下へ響かせ、近付いてくる。その気配だけで、誰が来たのか、私が知るには十分だった。
私の部屋の前でその足音はとまり、次に部屋をノックする音が響いた。
「はい」
私は嫌な予感を押さえながら、声を発する。
「私だけど、入って良いかしら?」
否など受け付けない声音。
ぎゅっと手を握りしめて、私は一度大きく息を吸って吐いた。
「どうぞ」
私の声とほぼ同時に、扉は開かれた。
「お久しぶりね、小鳥ちゃん」
髪をアップにして、黒いスーツに身を包み、赤いルージュで唇を彩ったその人は、横田愛子さん。
総一郎さん達の、お姉さんで、横田家の長女。
今は、横田グループのファッション部門で働いていて、日本にはほとんど居ないと聞いていた。だから、まさか愛子さんが私の元へくるなんて思っていなかった。
「お久しぶりです、愛子さん」
愛子さんの切れ長の瞳は、どこか玲一さんを思い起こさせる。
「小鳥ちゃんもちゃんと力があるんじゃない」
力とは、勿論金糸雀の歌の力。
愛子さんはファッション部門のリーダーであり、そして海外に住まう金糸雀もついでに探していると弓弦くんに教えてもらったことがあった。
愛子さんが幼い頃から、私の力へ疑いを持っていたのは知っていた。
「玲一を動かすために、一般の女性を犠牲にするなんて、見直しちゃったわ」
愛子さんの微笑みに背筋が凍る。
「犠牲だなんて……」
「いいのよ、過程なんて。結果、玲一は動いたでしょう?」
玲一さんは、横田家に何が起きても動かなかった。
「貴女に感謝するわ」
「そんな……」
私は玲一さんを動かしたいから、歌った訳じゃない。花梨ちゃんが大好きだから、その感謝を伝えたくて歌った。それだけだった。その結果、思ってもみない事態が待ち受けていたけれど。
「貴女なんて大嫌いだったけれど、少しは見直したわ」
やっぱり、私は愛子さんに好かれていなかった。感じていた。ずっと肌で感じていた。
「でも、貴女が巻き込んだ一般人の事を誰も教えてくれないの」
困るのよ、と小さく呟いた。
「私も、知りません」
嘘じゃない。私は花梨ちゃんのことを何も知らない。
風間花梨と言う名前と、私より3歳年上だと言うことしか。連絡先だって交換していない。
ただ、あそこで会えるだけ。きっと私より、総一郎さん達の方が、花梨ちゃんの事を知っている。
「あら、貴女何も聞かされてないのね。せっかく、玲一への切り札が見つかったと思ったのに」
悪意、という感情が目に見えた気がした。
「ほんっと、役立たずの能なし小鳥ちゃんのままね」
そう吐き捨てるように言って、愛子さんは部屋を後にした。
嵐だった。
「愛子は、玲一を溺愛しすぎて、歪んでしまった」
前に総一郎さんが言っていた言葉が、頭の中で繰り返し再生された。