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むすっと膨れた顔を横目で覗き見る。
「お姫様は何がそんなに気に入らないのですか?」
「お姫様じゃないですし、別にいつも通りです」
助手席に座る花梨は俺に視線を向けずに、表情を変えずに冷たく言い返した。
踏み込ませない空気を纏っているのは明らかだったが、俺には関係ない。そこにずっと探してきた人物がいるのだから、話しかけたいと思うのは普通だろう?
「じゃあ、何でそんなに機嫌が悪そうなんだ?」
「元々こういう顔ですけど」
ますます不機嫌な声音へ変わる。それが俺には面白くて仕方がない。
変わった、とは思わない。その瞳に宿る輝きは一つも落ちていない。
世の中の汚さを知り、それでもそんなに綺麗な瞳を持つ花梨は、やはり俺にとっては天の使いと言っても過言じゃない。本人に言ったら「気持ち悪い」とか言われかねないが。
俺にとって花梨との出会い、そして思い出は運命を変えるものだった。けれど、俺は花梨の人生には欠片も残っていないのかもしれない。それでも、今こうやって一緒に居るのだから、人生というのは不思議なモノだ。
「そういえば、最近私の面倒を押しつけられていて、他の女性が嘆いて居るんじゃありませんか?」
ヤキモチからの言葉だったら嬉しいが、それはない。
たぶん、ホテルのメンバーの誰かに吹き込まれたに違いない。
「特定の相手はいないから、問題ないかな」
特定の相手は作らない。肉体的な関係を持つことはあっても、それは一晩だけの関係。
それ以上を求めるような相手とは、最初からそう言う関係にもならないが。
「ふぅん。本当に遊び人なんですね」
「まぁね」
そこは否定しないでおこう。
花梨の中での俺という人間は、きっと悲しいくらい評価は低いだろう。強いて言うならば、愛子除けみたいなものだ。
「つまらないでしょう?」
「何が?」
「私みたいな、特に可もなく不可もない、普通の……むしろ、普通以下といっても、過言じゃない女の相手をするの」
普通以下どころか、ある意味早紀より特別な存在なのに、卑下するのは花梨の悪いところだと俺は思っている。本人に指摘した所で、受け入れてもらえるとは思っていないが。
「女の子に可もなく不可もなく、なんてないでしょ? みんな何かしら良いところがあって、悪いところがある。女の子に限らず、人間誰しも」
花梨は変な顔をして俺を見ていた。
「どうした?」
「いえ、なんか、まともなことを言っていたのでびっくりしました」
花梨の声はからかうような感じではなく、至極真剣だった。
こんな風に花梨が、俺にまっすぐと視線を向けてきた事はあっただろうか。いや、ない。
「良いところ、あれば良いんですけどね」
そう消えそうな声で呟いた花梨の横顔は、とても儚げで、今にも空気にとけ込んでしまいそうだった。
「……花梨は、真面目じゃん?」
「ただ、融通が利かないんです」
「優しいじゃん?」
「八方美人なだけです」
思いついた良いところを挙げるも、即答で否定する花梨。
花梨が少し前に、男にだまされたと言うことは、総の調べで知っていた。花梨が決めたのなら、それはそれで良いのかも、とは思っていたが、そのことで花梨は自らをずっと責めているのだろう。
自分の見る目が無かったと。
騙された自分が悪いのだと。
花梨は悪くないのだと、言ってやりたい。しかし、俺にはその権利はない。権利を得ようとも思っていない。俺は花梨の人生に干渉したくない。
花梨が幸せに、楽しそうに微笑んでいる、そんな未来を選び取るのを祈るしか出来ない。
それで良いとのだと思っていた。
「融通が利かなくて、八方美人な事は、いけないことなのか? ダメなのか?」
尋ねずにはいられなかった。
「人の顔色窺って、みんなにいい顔しようとしているのって、嫌でしょう」
「それは花梨の優しさ故じゃないのか?」
「私は優しくなんてないです。ただ、頭が悪いだけ。馬鹿だから、すぐに人を信じてしまう」
「人を信じる事は悪いことじゃないだろ。そう言う人間を騙そうとする人間が悪い」
「ちがいます。騙される方がいけない。世界は、そう言う風潮じゃないですか」
確かにそうだ。
騙す方が明らかに悪いのに、騙された方が悪い。そう言った風潮があるのは完全に否定することは出来ない。
「何も疑わず、ほいほい人の言うままに生きてきた。疑問に思いもせずにね」
「騙した方が悪いに決まっているだろう。信じた気持ちを踏みにじるような行為が正しいとは、俺は思わない」
俺の生きてきた世界は、騙された方が悪いと言うのが当たり前のような世界だった。でも、花梨が生きている世界は、そんな世界であって欲しくない。
「何も知らないくせに、どうしてそんなきれい事ばかり言うんですか」
花梨の言葉に、珍しく感情があふれていた。
「俺の生きてきた世界は、花梨の世界より汚い世界だ。こちらの世界では確かに、騙された方が悪いが、普通の世界だったら、それは違うと俺は思う」
運転しながらこれ以上話すのは無理だと俺は思い、車を停めた。
「ちがう。騙される方が悪い。何も知らないのが悪い。結局最後に痛いのは自分なのに」
花梨の両目からはいつからか涙があふれていた。
花梨の傷は、何も癒えて居なかったのだろう。誰にも打ち明けられず、ひたすら自分を責めて生きてきたのだろう。
どうして俺は、もっと早く花梨のことを探さなかったのだろうか。
横田グループの力を持っていれば、人を一人くらい捜すことはどうにか出来ただろう。悲しみよりも、自分のふがいなさに涙を流す花梨を見ずに済んだかもしれない。
守る事が出来たかもしれない。
こんな大事なタイミングで早紀から、花梨へと導かれるなんて思っていなかった。
いや、金糸雀である早紀だからこそ、俺の元へ花梨を連れてきてくれたのだろう。
「みんな私を笑ってたよ。アイツは馬鹿だって。信じていたから、相談してたのに、その人間に裏切られるだなんて、誰が想像していた? 疑えた? なぜ私はそんなにその人を信じてしまったの?」
詳しい事は何もわからない。ただ、花梨は男に騙された、という事実しか俺は知らない。
そんな俺が、何を言えると言うのだ?
うわべだけの言葉じゃ、花梨の奥底までは到底届かないだろう。
「もう、誰も信じたくない」
しゃくりあげながら、花梨は言葉を続けた。
「それなのに、一人は、寂しいよ。ホテルに行くと、みんな楽しそうなの。その空気の中にいれば、少しは気が紛れるような気がして、いたけれど、やっぱり私はあの輪の中には入れない」
「じゃあ、俺を信じろ」
考えるより先に言葉が出ていた。
「遊び人なのに?」
「別に誰だって良かったんだ。俺には俺の女神が心の中にいたからな。その女神以外には興味がなかった」
「その女神がいるのに?」
その女神は花梨、お前だよ。そう言いたかった。
でも、今はまだそのときではないような気がした。
「その女神はいつだって俺の心に居る」
「信じて、裏切られるのがどれほど痛いか知っている?」
「神になんて誓わない。だけど、俺は、風間花梨を裏切らない。たとえ、世界の全てが敵になったとしても、俺だけはお前の味方であり、理解者である」
少しでも伝わればいい。そう、願わずには居られなかった。
「なんでだろう。総一郎氏も、玲一氏も、恐ろしいほどのカリスマを持ってるからかな。その言葉を信じても良いんじゃないかって、思っちゃう。甘えかな、依存かな」
「甘えれば良いじゃないか。依存したっていいじゃないか。ダメだって、誰が決めた?」
「重いかもしれないよ?」
「良いよ。全部は無理かもしれないけれど、それでも花梨の苦しみの一部くらいは俺が持つ」
だから、笑って欲しい。
これは俺のただの予想でしかあり得ないが、花梨にはこの先も沢山の試練が待ち受けているのだろう。そのとき、何も出来ないかもしれないけれど、それでも、俺の側に居れば少しは心が安らぐような場所になりたい。
「俺は、花梨が側にいて、少しでも気が抜けるような居場所になってやる。だから、そんなに、頑張らなくて良いんだよ、そんなに自分を責めなくて良いんだ。花梨は、もう十分すぎるほど頑張って生きてきたじゃないか」
俺はそう言って、花梨の涙を指ですくった。
完全に自分のマイナス感情に引きずられてる感がぱない、後半wすみませんw