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金糸雀の唄  作者: 羽衣石みお
流れ落ちる砂
14/18

 ぽつりぽつりと降り始めていた雨は、いつの間にかザーっという音を立てていた。

 21時過ぎの公園の遊具。唯一、雨宿り出来そうな所に駆け込んだ。

 それが良くなかった。

 苦しい。

 息を吸っても吸っても、苦しくなる一方で、死が頭をよぎった。

 それもいいかなと、思った。

 死んだら、楽になれる。

 そうしたら、必要以上に絡んでくる姉からも離れる事が出来る。

「だれ?」

 突然、女の子の声がした。

 こんな時間に不釣り合いな、声。それを言ったら、自分もこんな時間に一人で出歩いている事も、おかしな事になってしまう。

「くるしいの?」

 話せず、息をするだけで精一杯の僕に、その子は近付いてくる。

「お母さんとか、お父さんはいないの?」

 どうにか首を横に振る。それしか出来ない。

「ごめんね、くるしいんだよね」

 その子はいつの間にか、僕の目の前に居て、右手を僕の額にあてていた。

「ねつは、ないんだ。ぜんそくとかかな?」

 少女は小さく首を傾げた。

 その仕草がとても愛らしかった。

 苦しいのに、そんなことを考える余裕のある自分が面白かった。

 少女はゆっくりと僕の手を取った。

「いま、おまじない、してあげるね」

 暗闇で顔ははっきりと見えなかった。でも、きっと彼女は微笑んでいるのだろう。

 言葉がとても暖かかった。

「銀色の月が、吾子(あこ)よ眠れと唄う。優しい光はその身体を包み込み、ぬくもりを分け与える」

 聞いたことのない歌だった。

 それなのに、彼女の歌声はまるで綺麗な水の様に優しく流れこんでくる。

 苦しかった呼吸がいつの間にか、ふわふわという空気に包まれて、僕に呼吸の仕方を思い出させた。

「いつの日も、吾子の幸福を願う母の思いは、強く、優しく、まるで永遠のように響くだろう」

 いつの間にか雨は止み、雲の切れ間から月が現れ、そして少女と僕を包み込むように月光が降りてくる。僕と少女は、月光の中手を取り合い、お互いのぬくもりを感じた。

 少女の優しさが僕に流れてくる。

 この子は、少女の姿を借りてやってきた月の女神なのかも知れない。そう言う非現実的な事は嫌いだったのに、何故かこの子だけは『特別』だと感じた。

 少女は今も小さく何かを口ずさんでいたけれど、僕の耳には一切入ってこなかった。

 僕の胸にあった苦しみが、すっと消えた。

「君は、天使か何か?」

 僕がそう尋ねると、少女は不思議そうに首を傾げた。

「わたしは人間だよ」

 にこりと微笑んだ。僕にとって、その笑みはこの世にあるどんな綺麗だと言われているモノより、美しく感じられた。

「じゃあ、なぜこんな遅い時間に一人でいるのかい?」

 僕だって、決して大きくない。けれども、少女はどうみても、僕より小さくて、一人で夜中に出歩いて良いようには見えなかった。

「おかあさんが」

 少女はそう言ってうつむいた。

 その肩や声が少し揺れていることに、僕は気づかなかった。

「ねむれないなら、そとでも走ってきなさいって、いったから」

 たぶん、それは冗談で発せられた言葉だろう。こんな小さい子を母親が夜中、家の外に出ることを許可するとは思えなかった。

 それなのに、彼女は母親の言葉を疑うこともなく、まっすぐ受け止めて実行に移した。

「ねなきゃいけないって、わかるのに、ねむれなくて……走っていたら、苦しそうなおにいさんのこえがきこえたから」

 胸の奥をわしづかみにされた気分だった。

 僕自身、大人に囲まれて生活しているから、大人がどれほど嘘つきで、子どもに対して真剣に向き合っていないと言う事を痛いほど知っていた。

 なのに、目の前にいる少女は、そんな大人の言うことを素直に聞いて、家を飛び出してきたというのだ。

「よかった」

 少女は少し潤んだ瞳を、優しくゆるめた。




「っ……」

 涙をぬぐおうと手を伸ばすと、手は空を切った。

「夢、か……」

 久しぶりにあの夢を見た。

 病弱だった俺は、あれ以来、病弱だった自分が嘘のように、元気な身体を手に入れた。

 そして、その後彼女に再会したとき、俺は決めたのだ。

 あの笑顔を取り戻したいと。

 いじめを受けて、学校に居づらいけれど、帰る家が無いと嘆いた彼女。

 俺はそれがすぐに、あの天使だと気づいた。

 ただ、あの笑顔はもう見られなかった。悲しそうにうつむいていた。当たり前だろう。

 自分の親というモノは無条件で、味方になってくれるもの、そう思っていたのに裏切られたのだから。

 帰る家じゃないと言った。

 ならば、俺がその場所を作る。

 誰の力も借りず、己の力だけで、彼女が笑える場所を作ると。

 その横に立つ人間が俺じゃなくとも、彼女さえ笑ってくれるのなら、俺はそれで彼女に少しでも恩が返せると思っていた。

 二度目の再会は、思わぬ所で果たされた。

 早紀からの電話なんて、いつもだったら無視していただろう。あの日だって、良く行ってるクラブで楽しく飲もうとしていた所だった。

 なぜあの日俺は、早紀からの電話をとったのだろう?

 今だからこそわかる。俺は、アイツに再会するために、電話に出ろと運命に囁かれたのだろう。

 抱き上げたアイツの身体は思った以上に軽くて、驚いた。

 目覚めると、もの凄く警戒された。当たり前だろう。見知らぬ男、しかもアイツがあまり好いていない横田総一郎という人間とほとんど同じ顔をした俺がいたのだから。

「横田、総一郎?」

 確かにアイツは俺に尋ねたのだ。俺と総一郎は一卵性双生児なので、顔の作りは似ている。初対面の人間なら、だます事など造作もない。

 それでも、アイツは俺と総を見分けた。

 ただそんな事だけでも、俺の胸は躍った。俺のことは覚えていなかったけれど。そんな事は些末な事だった。もう一度出会えただけで、それだけで俺はよかったのだから。

 花梨の事を調べるつもりなんて、なかった。花梨が特別な存在だという事は、俺自身が一番知っているのだから、調べる必要もないし、それを総や他のヤツに教えてやる義理も無かった。

 力を使えなかった早紀が、花梨の為に歌った事で力が発現した。そうなると、花梨は金糸雀であり、その金糸雀の中でも、最も特別な存在である可能性は高い。

 早紀以外の金糸雀は、他の金糸雀の事を絶対に口外しない。それは、自分の保身と、何よりも守らなくてはいけない存在がいるからだと、少しだけ親しくなった金糸雀の雰囲気で感じた。

 おそらく他の金糸雀が守ろうとしていたのは、間違いなく花梨だと思った。

 そう考えていくと、矛盾が生じる。そう、早紀という存在だ。

 どう見ても隠し事など出来ないアイツが、そんな大層な存在の金糸雀に出会って、変化を起こさないわけがない。

 変化はもしかして起きていたのかもしれないが、それはアイツにとって初めて女友達が出来た、くらいのレベルだろう。

 そんな事を考えていると、インターフォンが鳴った。

 溜息をついて、俺は近くにあったTシャツに手を取って、玄関へと向かった。

 相手を確認することなく、俺はチェーンをかけたままドアを開けた。

 そこにはしたり顔で微笑む、愛子が居た。

「おはよう、玲一。あなたが開けてくれるなんて珍しいわね」

「一つ聞きたいことがある」

 愛子の言うことに耳を傾ける必要はない。

 自分の姉ながら、狂ってしまったかわいそうな女。

「何かしら?」

「風間花梨になぜ接触した」

 その名を聞いた瞬間、一瞬だけだが確実に顔が歪んだ。

「私が知らないとでも思っていて?」

「何をだ」

「あなたを横田家から追い出した人物が、誰か、と言うことを」

「そうか」

 それだけで十分だった。

「風間花梨に手を出すことは、俺も総も許さないと言うことだけは、心のどこかに留めておくことだな」

 自分の姉だなんて、ここ数年思ったこともない。

 そして、横田グループの次期トップは間違いなく総一郎。俺と総は表立って仲良しなんてしてないが、双子として通じていると、思っている。

「俺の意志は、総一郎の意志でもある。総一郎なら、あんたをどこかテキトーな国に縛り付けるくらい、朝飯前だって、わかってるよな」

 愛子は悲しそうに瞳をぬらした。

 俺はその瞬間、ドアを閉めた。もうこれ以上あの女と関わりたくなかった。

 でも、あの女は懲りずに花梨へ接触するだろう。あの女と関わることを避けて、花梨を守ることはできないならば、手元に置いてでも俺は花梨を守る。

 幸い、俺は花梨に男として意識されていないので、そばに居ても色目を使ってくることもなく、普通に接してくるので、気が楽なのだ。

 そばにいられるなら、それでいい。

 ある意味、俺は愛子に感謝しなくちゃいけないかもな。

 小さく笑って、俺はタバコに手を伸ばした。

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