王子の帰還
城の中は相変わらずだった。
慇懃無礼な重苦しさと、高慢さ、そして空気が薄い。
なんでこんな所に生まれたのだろうとつくづく思う。
いっそ橋の下にでも生み落としてくれればよかったのだ、母上は。
少女を抱えて歩くわたしを、女官や臣下が不思議そうな目で見ている。
スズは怯えると思いきや、好奇心の方が勝っているようだ。
せわしなくあちらこちらを見渡していた。
南のティエンランの宮廷を厳格、西のクズハの王宮を華美、北のチャルカの宮殿を軽薄と形容するならば、東のジンは無骨だった。
戦闘を第一に設計されたであろうこの城は、ジンの国柄をよく現わしている。女子供が望む様な華麗さは微塵もない。ちなみに夏は地獄の様に暑くて、冬は極寒の如く寒い。
数ヵ月ぶりに自室の扉を開ける。
とたんにスズは喜んで腕の中から飛び降りた。
大きな窓に走り寄り、重厚な机を叩き、寝台の上で飛び跳ねた。
「こら、落ち着きなさい」
聞く耳をもたない。今度は大理石の感触を確かめるように、ぺったりと床に寝そべった。
「こらこら、汚いだろう」
慌てて抱き上げようとすると、そのままコロコロと転がってゆく。
「スズ」
追いかけるが、遊んでいるのか、からかっているのか、逃げるように転がる。
そして机に頭をぶつけた。
ゴンと大きな音がした。
「ほら、痛かったろう」
頭を両手で押えてうずくまっているスズを抱き上げ、窓の下の椅子に腰かけた。
触ると少しコブができている。
全くこのネコは。
クスクス笑いながら撫でてやると、むくれて横を向いた。
涙目になっている。よほど痛かったらしい。
「床は転がるものじゃないんだよ」
白い額に口を落とすと、ぷくりと膨れた。
「ヤン・チャオさま」
「おかえりなさいませ」
カイドウとリンドウが入室し、目を点にした。
まあ、仕方がないだろう。わたしとスズは口づけを交わしていたから。
「そ、そ、その子も連れてきたのですか!」
リンドウの悲鳴に近い声が響く。
「ネコを連れて行くといったではないですか、まさか……」
「そうだな、正確にいえばネコのような少女だ」
スズの頬に指を這わせながら、歌うように言う。
「駄目です! 今すぐ捨ててきてください!」
ビシッとリンドウが窓を差すと、嫌だというようにスズがわたしの衣に縋った。大きな瞳がうるんでくる。
「そうかそうか、離れるのは嫌か。では、一緒にゆこう」
こくりと頷いた少女を抱き上げて、窓枠に足をかけた。
「父上には、持病の癪が悪化して死んだと伝えてくれ」
「伝えるかぁあああ!」
お、切れたな、カイドウが。
お付き二人の叫び声と、わたしののらりくらりとした声、それからたまにスズの退屈そうな鳴き声が混じった時間が過ぎた。
一刻経った。
再び王子に逃げられるよりは幾分かマシだと判断した二人は、しぶしぶ了承した。
「では……。その娘の部屋を用意させますので……」
「必要ない」
「は?」
「このネコも、ここで暮らすのだ。わたしと一緒に」
なあ、スズ。ふっくらした唇を撫でると、賛同するように鳴く。
「それは、その、夜も含めて……」
「当たり前だ」
なあ、スズ。白い耳を優しく噛むと、甘えるように鳴いた。
「アホかぁあああ!」
カイドウがそばにあった机を叩く。ドンと響いた。
あ、二段階目に入ったな。
「王子に向かってアホとはなんだ、アホとは。口を慎め」
「アホやからアホゆうとんじゃあボケえ! こんなパッパラパーな小娘に手えだしやがって! ややが生まれたらどないすんじゃい、こいつが妃になるんか!」
この一見、涼やかな男は、興奮状態二段階目に入るとお国言葉が出る。
中々に下品で面白い。
昔はそれ聞きたさによくからかったものだ。
「子供は多い方がいいな」
なあ、スズ。抱きよせて、茶色い髪の毛に口をつけた。
しかし、スズははしゃぎ疲れたのか寝息を立てていた。
「ああ、わたしのネコが寝てしまった。そう言う訳でお前たち、退出」
シッシと手を振ると、カイドウリンドウの背後からゴオウと怒りの風が吹いた。
気にすることなく、可愛い寝顔を愛でる。
警戒心のない無邪気な寝顔。口からよだれが少し垂れていた。
お付き二人とは幼いころからの付き合いだ。性格も行動も読めている。
「それと、食事はこれから部屋で食べる。時間になったら持ってきてくれないか」
「……分かりました……」
結局、最後はわたしの我儘が通るのだ。